雪の朝ぼくは突然歌いたくなった

2005年1月26日。雪の朝、突然歌いたくなった。「題詠マラソン」に参加。3月6日に完走。六十路の未知の旅が始まった…。

此岸(しがん)をば彼岸に変へて赤々と2

2007-09-25 17:05:33 | 日々写す



           此岸(しがん)をば彼岸に変へて赤々と夕べに華の炎ゆるを見たり


           

                                  曼珠沙華 六義園にて



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17 コメント

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秋ですね・・・ (びっけ)
2007-09-25 19:37:16
下の句が好きです、夕べに見たり。
また、縦に並ぶこちらの写真が好きです。

ところで、例の有名な人麻呂の「いちしの花」は、彼岸花だと思われますか?素直に白い花のような気がしてなりません。

彼岸花には恋愛感情よりも、やはり死者をおもってしまいます。毎年よくぞ決まったこの時期に、姿を見せるものですね。

群れ咲くスポットとしては、私が訪れたことのあるのは巾着田くらいですが、明日香に素晴らしい景色があるようです。

六義園はいいですね。
作歌や写真に(人生に?かな)「いつもの道」や「いつもの場所」を持つのは、素敵だと思います。


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いつもと言えば (びっけ)
2007-09-25 21:19:51
髭彦さまにはプロの歌人のお知り合いがおいでなので、私などが干渉しすぎるのもどうかと思いつつ、岩田正『いつも坂』、機会があれば一読をおすすめします。別に利害関係はないです、ふと思い出したので。

拉致問題に触発されて、私、こんなの出したことがありました・・・。

羽衣を探せぬままに女(ひと)は産みかの地この地に咲く曼珠沙華

国家権力によって引き裂かれる家族(どこの国の人であろうと)の哀しみに、私の心も引き裂かれてできた歌でした。私の家族史にも言うに言われぬ同質の哀しみがあったので、単純な北朝鮮憎悪にはならず、一方で拉致被害者の家族の痛みに、平均的な日本人以上かもしれない共感を抱いてしまい、複雑な心境でした。感情過多・歴史観欠如の街頭演説が、ほとんどでしたから。

ノンポリ一市民の自分としては、地球上のすべての人のご多幸を祈るばかりです。

岩田正には、「拉致拉致と言うな~」という一首がありました(下の句は失念しました、日本の強制連行の歴史にふまえた、自己相対化の歌でした)。この世代の思いに、戦後日本の総体は心寄せしきれるのだろうか。日常的には、それはむなしい期待だ、という実感のほうが強いです。反戦平和を深いところから真剣に歌い上げる戦争体験ある歌人も少なくなりましたが、自身が原爆体験のある竹山ひろし(漢字はどうだったかな)などもいますよ。

たった60年で忘れるのね、この国は。せめて100年は平和でいられないのか、そう思います。

彼岸花から重い連想をしてしまいました、すみません。
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彼岸花 (加代子)
2007-09-25 21:56:12
  今晩は~☆

彼岸花って 不思議な花・・・
暗いバックに赤い花が燃え立つ様で
とても印象的な写真ですね♪
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美しい~! (すうすう)
2007-09-25 22:28:04
素晴らしいですね!
奥の花の蘂が日に当たって金色に輝いて幻想的です。
私はこの赤い色が出なくて…、難しいです。
彼岸花といえば、歌人・木下利玄の「曼殊沙華」のシリーズが好きです。
毎年この花が咲くと、利玄の歌集(といっても他の人の歌も入っているヤツですが)を引っ張り出して読んじゃいます。
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びっけさん、こんばんは (髭彦)
2007-09-25 23:31:16
人麻呂の、「路の辺のいちしの花のいちしろく人皆知りぬ我が恋妻を」ですね。

<いちし>と<いちしろく>がひっかけてあるのですが、<いちしろく>は漢字で書くようになってからは<著く>で、現代語の<いちじじるしい>です。
ところが、万葉仮名の表記ではこれに<灼然>という漢字を使っています。
<灼>の音は<すゐ>で、訓も<かしぐ>ですから、
<いちしろく>に<灼然>という漢字を当てたのは、どうみても漢字の読みではなくて、その意味からのようですね。
<灼然>はもちろん<いちしろく>の意ですが、なにせ<火>偏ですから<輝く>ような意味での<いちしろく>でしょう。
あえて<火>偏を使ったとすれば、炎えるような赤の彼岸花だったかもしれませんね。

岩田正『いつも坂』、読んでみたいと思います。
竹山広は『全歌集』を買い求めて、読みました。

社会科歴史教育・平和教育に携わってきた人間として、慙愧にたえない思いがあります。
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加代子さん、こんばんは (髭彦)
2007-09-25 23:52:07
さすがにヨーロッパでは彼岸花は咲かないのでしょうね。
閉園間際の六義園のわずかに咲いている曼珠沙華に、そこだけ残り陽が射していました。
そのお蔭で撮れた写真です。
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すうすうさん、こんばんは (髭彦)
2007-09-26 00:08:13
木下利玄の「曼殊沙華」のシリーズですか。

曼珠沙華一むら燃えて秋陽強しそこ過ぎているしづかなる径

生地にあるという歌碑の、この歌ぐらいしか見たことがありません。
読んでみたいものですね。
ありがとうございました。
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万葉仮名はたしかに (びっけ)
2007-09-26 00:40:40
意味と読みの混在があり、その分析からだけでも諸説出ますから、面白いことですね。

「いちしろし」に関しては、「白浪のいちしろく出でぬ」、などの用法が万葉集に見られますから、白とひっかけるとも考えられます。あえて火偏を、という観点からは、たしかに、赤?とも考えられますが、輝く火は白い、とも言えます。

露見してしまったなどと歌いつつ、あつい恋心の高揚と顕示でもあるのか、ではあからさますぎるほどの赤い彼岸花だろうか?いや、恋の眩めき、思い人の美化と自身の純な思いの仮託される白こそふさわしい?それならクサイチゴの花あたりではないか?などと、内容の想像からも楽しく迷うわけです。

いちしの花が彼岸花をさすとしたら、人麻呂のこの一首だけというのは、どうしたことか?もしや歌わない禁忌があったか。それをあえて恋の比ゆに奇抜な用法として、人麻呂が採用したことに意義があったのか?

などと、秋の夜長の暇つぶしの物思いです。つきあわせてしまって、ごめんなさい。

平和であってこそ、自由に考えたり感じたりそれを不安なく発表したりできますものね。平和がすべての基礎のはずです。そして、その土台は、偏見のない広い心だと思うのです。

髭彦先生の奮闘は貴い、と思っています。
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説得力のある… (髭彦)
2007-09-26 22:46:09
御議論ですね。
機会があって少し万葉仮名のことを調べたりしていたので、参考になります。
びっけさん、ありがとうございました。
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ど素人の仮説を (びっけ)
2007-09-27 17:46:28
御議論などと。赤面です。
何を書いても釈迦に説法とは知りつつ、亡父のごとくにお慕いしての饒舌、ごめんなさい。

どうせのお喋りついでに、もんだい:万葉仮名のファーストネームを本名に持つ超有名歌人は誰でしょう?
こたえ:小池光。

昔の歌に惚れこんでいます。あくまで、歌に(笑)。それも、昔の(失礼ですね、でも本人に直接言っちゃった!)。もう一度、青春抒情路線に、短期間でいいから帰ってくださらないかなぁと、一ファンとして願っているのですが。(実像は、なんで軍事オタク?と、ちょとがっかりな面も。ブログもへんてこです。ずーーーーっと読んでますけどね。)

髭彦さまのアウトプットに触れると、感性の若さは年齢ではなさそうだ!と励まされます。お写真と歌のコラボ、どうぞお続けになってください。相乗効果がある、と思います。

私も美術や華道やピアノを少しづつ再開しています♪
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