残酷な時代区分の列島に生れしを思ふ三一一で
コケにされタカをくくられ民起ちぬ湧くがごとくにうねるがごとに
7月16日 「さようなら原発17万人集会」(代々木公園)にて
コケにされタカをくくられ民起ちぬ湧くがごとくにうねるがごとに
7月16日 「さようなら原発17万人集会」(代々木公園)にて
今夜放送されたNHKスペシャル「メルトダウン 連鎖の真相」を観ました。
原発事故の真相に迫る点で、NHKとしてだけでなく、これまでの各種事故調の報告などを圧倒的に凌駕する内容で、まさに画期的な内容だったと思います。
取材に答えた東電福島第1原発の現場の幹部技術者たちの証言は、これまで散々見せつけられてきた東電本社の幹部たちの傲慢、無責任極まる詭弁と言い逃れに終始する対応とも、どこか一匹オオカミ風で一言居士的な吉田前所長の対応ともまるで違って、実に率直で誠実なものでした。
場合によっては日本全体を滅ぼしかねないという危機感をもって、自らの死をも覚悟せざるを得ない恐怖感のなかで、可能な限りの最善を死力を尽くして果たしたにもかかわらず、1号機から3号機までのメルトダウンの連鎖を防げなかったという、未曾有の原発事故の真相は未だに解明されていないということを、彼らは率直に認めていました。
実に緻密な取材によってこの番組が指摘した衝撃的ないくつかの事実は、野田政権と原子力ムラの原発再稼働と推進政策への見切り発車が、いかに根拠のない危険極まりのない無謀なものであるかを、反論の余地のない形で告発しています。
もちろん、証言した現場の幹部技術者たちも事故以前にはそうした極限状況に陥る可能性を想定せずに原発を推進してきたのですし、NHKも公的マスコミとして原発「安全神話」の形成に大きく加担してきたのですから、その責任がなくなるわけではありませんが、今回の東電技術者の証言とそれを取材しこの番組を作り上げたNHKの製作者たちの誠実さは、その深い反省に立つものとして高く評価すべきだろうと思います。
この番組の本質的な告発を受けて、野田政権と原子力ムラがどう対応するか、僕たち国民がどう行動するかが、明日から問われなけれならないと思います。
http://bit.ly/ONIbf3
7月16日 イスラエル系「原発とめよう秩父人」のダニー・ネフセタイさん
「さようなら原発17万人集会」(代々木公園)後のデモ行進にて
「さようなら原発17万人集会」(代々木公園)後のデモ行進にて
僕は今夜も官邸前抗議行動に参加します。
デモ終息という官邸と霞ヶ関の卑しい期待に、はっきりとNO!を突きつけましょう!
午前11時現在の気象庁発表によると、東京の天気予報は、
「北東の風 くもり 昼過ぎ から 雨」で
12-18 60%
18-24 70%
日中の最高気温は何と23度!
だそうです。
すでにポツポツ降り出しました。
それでも僕は首相官邸前に行きます。
これで5週連続、6回目の参加になります。
民主党を離党して「みどりの風」を結成した谷岡郁子さんの「つぶやき」にこうありました。
谷岡郁子 @kunivoice 7月18日
官邸の方向から聞こえてくる話では、中の人たちは、この金曜日から官邸前に集まる人々は減る前提だそうです。そろそろほとぼりの冷める頃とタカをくくっている様子。
野田首相を先頭に、官邸の主要メンバーたちは日本人の「熱しやすく冷めやすい」国民性を信じ、タカをくくっているという情報です。
しかし、この間の金曜デモの継続と参加者の激増や16日の「17万人集会」とデモの空前の盛り上がりに、民主党の内部崩壊とも重なって内心では官邸の中も相当動揺しているはずです。
つまり、谷岡議員の情報から窺えるのは、抗議デモもそろそろピークだろう、なんとかピークであってほしいという、政権運営の正統性に自信を無くしかけている官邸筋=自民党野田派の反国民的な卑しい期待です。
一方、霞ヶ関の官僚たちに関する、同様に反国民的な卑しい情報もあります。
Yufu Tomonori @tyufu 7月17日
これは別の霞ヶ関の住民から聞いた話。反原発運動に関して署名とか住民投票とかは痛くも痒くも無い、関係者は鼻でせせら笑ってる。ただデモは効いてる。これが今後も参加者を増やしながら続いていくなら首都の治安の問題となるので政治の方で原発を止める事になるのでは、と蒼ざめてると。
「署名とか住民投票とかは…関係者は鼻でせせら笑ってる」が、「デモは効いてる。これが今後も参加者を増やしながら続いていくなら…政治の方で原発を止める事になるのでは、と蒼ざめてる」とか。
さもありなんの情報ですね。
というわけで、今日の天気予報は官邸と霞ヶ関の住人にとってはきっと「天佑」に見えていることでしょう。
しかし、彼らの反国民的な卑しい期待に応えるわけにはゆきません。
もちろん、体調の悪い方やお子さん連れの方々はムリは禁物です。
そうでない方々は、警察の不当な規制・分断策にも抗し、東京に呼応して立ち上がる全国20か所以上の方々とも連帯しつつ、万難を排してさらに今夜も官邸前で抗議行動をともにしましょう!!
再稼動反対全国デモ_報道ステーション20120713
昨夜の首相官邸前抗議行動は、「安全」を理由にした警察による異常な警備強化の中で、僕たち10数万の参加者が鉄柵と警察車両、警官によって不当に歩道に閉じ込められ、分散・分断を余儀なくされましたが、無数の老若男女の市民の怒りの声はさらに強まり、少しも屈するすることはありませんでした。
永田町駅から不当な規制によって大周りをさせられ、僕たちが官邸前交差点近くの議事堂前駅3番出口の前に着いたのは、5時15分ごろだったでしょうか。
それ以上はもう人垣で前に進めません。
抗議行動が始まる6時までは、周りの人びととまるで旧知のように警備の不当性や野田政権のどうしようもなさを語り合い、鉄柵を背後に警備している警官たちが「安全のためにご協力をお願いします!」などと言うたびに、「国民の憲法に基づく正当な権利を侵害してこんな過剰警備をするからかえって危険になるんですよ。わかるでしょ? 僕たちは仕方なく従っているけれど、こんな過剰規制には協力なんかできません。まあ、あなたに言っても仕方がないけど、後でちゃんと上に伝えてください」などと、話しかけました。
そして6時から始まった抗議活動が終わる8時まで、その場から前にも後ろにも移動することができないまま、人びとともに「再稼働反対!」を叫び続けました。
唯一下車できる後方の4番出口からどのぐらいの参加者が後方に誘導されたかも、全く分かりません。
第2ステージが設けられたという国会議事堂前の様子も、何もわかりません。
警察の異常な警備強化のねらいは、まさにそうしたことだったのでしょう。
鉄柵で遮られた目の前の広い車道はガラガラです。
しかし、そこに次々に現れ始めたのは、自転車、バイク、マイカー、タクシーに乗って、「再稼働反対!」を叫び、手を振り、プラカードや小旗を振る人びとでした。
どんな規制をしようが、もう市民の怒りの声を押しとどめることはできません。
ある時期までいろいろな抗議行動では僕のような中高年の参加者が目立ち、沿道の人びとの目も冷ややかでしたが、もはや完全に様変わりをしています。
今回、初めて一人で参加したという方にもずいぶん会いました。
若者、女性の姿が急速に増えています。
学生の姿もやっと目立つようになりました。
警察による過剰警備の不当性については一切触れようとしない主催者側のあいさつには釈然としませんでしたが、それを超えて参加者市民のますます強まる断固とした抗議の意思と共感・連帯の輪のひろがりに、強い感動を覚えました。
日本は今大きく変わり始めようとしています。
このうねりを市民の非暴力の力でさらに大きくしましょう。
明後日16日の代々木公園で開かれる「10万人大集会」には、おそらく数十万の市民が結集することになるのではないでしょうか。
みなさん、いっしょに参加しましょう!
また、昨夜の東京の抗議行動と呼応して「再稼働反対!」「原発やめろ!」「子どもを守れ!」の声は、全国にも広がっていました。
反国民的などうしようもない野田政権打倒の声も、日本中でもう押しとどめることはできません。
まずは、「報道ステーション」による映像をご覧ください。
http://youtu.be/YDsT4vqo894
今官邸前などで生まれつつあるのは、自立した「普通の市民」による「非暴力直接行動」をも含む大規模な「非暴力市民的抵抗(不服従)」だと、僕は感じています。
この場合「普通の市民」と言うのは、いろいろな意味で「特権的ではない」市民という意味です。地位・カネ・組織・学歴・性別・年齢などに守られることのない「市民」で、「横並び」の「普通」という意味ではまったくありません。
また、「非暴力市民的抵抗(不服従)」と「非暴力直接行動」とは同義ではありません。
たとえば、毎週金曜日夜の官邸前デモを主催している「首都圏反原発連合」のHPに載っているデモ参加の呼びかけの注意事項の一項目にはこうあります。
「この首相官邸前抗議は、あくまで非暴力直接行動として呼びかけられたものです。その趣旨を十分にご理解頂きご参加いただきますよう、宜しくお願い致します。」
この間の主催者側の対応を見ていると、どうやら「非暴力直接行動」という概念を「非暴力市民的抵抗(不服従)」と混同し、さらに「非暴力市民的抵抗(不服従)」を「法令順守」行動と混同しているのではないかという懸念を持ちます。
現に、7月6日の夜7時半過ぎから官邸前交差点近くの地下鉄4番出口付近の車道全体に、警官の規制を振り払って歩道からあふれ出した参加者の、まさに「非暴力直接行動」を、主催者側は警察と自分たちの規制と制止を無視した危険な混乱行動とのみとらえ、警察側の強い指令を認めて7時50分に「解散」宣言をしてしまいました。
またその後、主催者の一部の若いメンバーは、4番出口付近での警官の規制に協力しているとしか見えなかった自分たちの制止行動を「警察の手下」だなどと一部の参加者から悪罵されたとして恨み、規制と制止に従わず車道で「非暴力直接行動」を実行した人びとを「前進バカ」だとか「極左」だとか「一部の変なひと」だとか罵り、絶対にあいつらを仲間だとも思わないし、許さない、とか、来週のデモは中止すべきだとか、「運動はキライ」だとか、300人のデモのころが懐かしいだとか、ツイッターで流しています。
不必要にこういう真面目な若い人を追い詰めてもいけませんが、自分たちが始めた場と運動がこれだけ大規模に発展したことをまるで喜ばず、ただイライラし、後ろ向きになって、こうした幼稚な判断と感情に身を任せるのは、少々情けないですね。
新たな課題が生まれているのは事実ですが、それは運動が主催者の当初の予想をはるかに超えて大きく発展したからこそ生まれた、前向きに克服すべき積極的な課題です。
さすがに主催者の中でもこうした幼稚で狭い後ろ向きの意見は少数のようで、幸いなことに今週の7/13にも官邸前デモが呼びかけられています。
官邸前で300人の小規模なデモから初めて毎週金曜日デモを主催し、僕たちのような普通の市民が参加しやすい形態を工夫して、ここまで大規模なデモが可能になる場をつくってくれた主催者の方々には、改めて大きな敬意と感謝の気持ちを表します。
どうか、下に付記するような「非暴力市民的抵抗(不服従)」と「非暴力直接行動」の関係をしっかりとふまえ、強化される一方の警察の規制にあくまで10万を超え始めた「普通の市民」の抗議参加者の立場に立って、柔軟かつ原則的に対応し、安全確保と共に、これ以上、市民の間での無用な対立や疑心暗鬼を拡大させないようにしていただきたいと切望します。
ガンジーやキング牧師たちの先駆者たちが実践した「非暴力」の市民的抵抗・不服従というのは、一人一人の市民が人間としての尊厳にかかわる自己の良心のみに従って、権力や強者の不正と「非暴力」のありとあらゆる手段で異議申し立てをし、抵抗することです。
「非暴力」行動の中でも「非暴力直接行動」というのは、いざとなれば法令・規則に反してでも(したがって逮捕覚悟で)「非暴力」の抗議行動を行うことです。
7月6日は、警察の規制を振り払い、官邸前交差点近くの車道全体で抗議行動を展開したのですから、明らかに道路交通法違反を僕たちは犯したわけです。
しかし、国民のいのちと暮らし、美しい国土を、根本的に侵しかねない野田政権と原子力ムラの強行しようとしている原発再稼働、推進政策をやめさせるためには、もうそこまでするしかないと僕たちは覚悟を決めたのです。
その僕たちを圧倒的な力を持っている警察や特に機動隊が蹴散らし、逮捕することは、物理的にはもちろん簡単でしょう。
しかし、僕たちの側には、あちら側にはない人間・市民としての道義・倫理性と数の力があります(それしかありません)。
仮に野田政権が警察や機動隊を使ってそうした弾圧に出たとしても、僕たちは暴力は絶対に使いません。
どんなことがあっても、「非暴力」による人間・市民としての道義・倫理性と数の力で抵抗を続けます。
そうした歴史が、首都東京でまさに僕たちの目の前で始まったのです。
いざとなればそうした「非暴力直接行動」も取りながら、知恵と力を合わせてさらに巨大な「普通の市民」による「非暴力市民的抵抗(不服従)」のうねりを巻き起こし、野田政権と原子力ムラに再稼働撤回と脱原発を迫ってゆきましょう!
昨夜(7/8)放送(NHK旧教育テレビ)の
「日本人は何を考えてきたのか」
第6回「大正デモクラシーと中国・朝鮮~吉野作造と石橋湛山~」を観ました。
とても素晴らしい内容で、共感・感動しました。
かつて編集に関わった高校教科書『倫理』(一橋出版、2003年)で、僕が執筆を担当した中に「大正デモクラシー~吉野作造・石橋湛山・柳宗悦」という項目があります。
それ以前から僕が若い高校生たちに伝えようと努力していた、明治以降の帝国主義の日本とは違った「もう一つの日本」の、「大正デモクラシー」期を代表する(と僕が考えた)3人の先駆的な思想と行動を見開き2ページにまとめたものです。
そうした観点からこの3人を、特に石橋湛山と柳宗悦を大きく取り上げた教科書は、おそらく当時も今も他にはないのではないかと、ひそかに自負をしてきました。
僕が書いた他の項目も含めて、よくぞ文部省の検定を通ったものだとも思ってきました。
昨晩の放送の内容と視点は、吉野作造・石橋湛山に関してまさに僕が生徒たちに伝えようとしたそのものだったのです。
それもそのはず、吉野作造・石橋湛山に関してかつて僕が目を開かれたのは、番組にも出演されていた松尾尊さん(京都大学名誉教授)の大正デモクラシー期に関する先駆的な研究だったのです。
ちなみに、姜尚中さんにも僕たちの教科書に執筆をお願いして、内諾を得ていたのですが、あまりのご多忙でついに原稿をいただけないままに終わってしまったことも、懐かしく思い起こされました。
再放送が7/15(日)午前0:50~2:20にあります。
みなさん、ぜひご覧ください!
「大正デモクラシーの理論的指導者で「民本主義」を唱えた吉野作造。当初、日本の植民地支配を認めていたが、朝鮮人留学生との交流や植民地・朝鮮の実態に触れるなかで、疑問を抱くようになる。そして旧満州・中国東北部への進出についても批判的となり、中国の民族主義に理解を示した。
一方、「東洋経済新報」の記者(のちに社長)・石橋湛山は「小日本主義」を唱え、植民地・朝鮮や満蒙を放棄するという当時としては画期的な提言を行った。
戦後、首相となった石橋は、退陣後、日中の国交正常化に尽力する。晩年の1959年、1963年に訪中し周恩来と会談。「日中米ソ平和同盟構想」を唱え、世界平和と日中の共存に力を注いだ。
番組では、政治学者の姜尚中さんが、韓国をはじめゆかりの地をたずねる。吉野作造と石橋湛山の中国・朝鮮との関わりを追い、アジアの中で日本の進む道を考える。
【出演】姜尚中(東京大学大学院情報学環教授)、松尾尊(京都大学名誉教授)
増田弘(東洋英和女学院大学教授)、三宅民夫アナウンサー 」
「日本人は何を考えてきたのか」
第6回「大正デモクラシーと中国・朝鮮~吉野作造と石橋湛山~」を観ました。
とても素晴らしい内容で、共感・感動しました。
かつて編集に関わった高校教科書『倫理』(一橋出版、2003年)で、僕が執筆を担当した中に「大正デモクラシー~吉野作造・石橋湛山・柳宗悦」という項目があります。
それ以前から僕が若い高校生たちに伝えようと努力していた、明治以降の帝国主義の日本とは違った「もう一つの日本」の、「大正デモクラシー」期を代表する(と僕が考えた)3人の先駆的な思想と行動を見開き2ページにまとめたものです。
そうした観点からこの3人を、特に石橋湛山と柳宗悦を大きく取り上げた教科書は、おそらく当時も今も他にはないのではないかと、ひそかに自負をしてきました。
僕が書いた他の項目も含めて、よくぞ文部省の検定を通ったものだとも思ってきました。
昨晩の放送の内容と視点は、吉野作造・石橋湛山に関してまさに僕が生徒たちに伝えようとしたそのものだったのです。
それもそのはず、吉野作造・石橋湛山に関してかつて僕が目を開かれたのは、番組にも出演されていた松尾尊さん(京都大学名誉教授)の大正デモクラシー期に関する先駆的な研究だったのです。
ちなみに、姜尚中さんにも僕たちの教科書に執筆をお願いして、内諾を得ていたのですが、あまりのご多忙でついに原稿をいただけないままに終わってしまったことも、懐かしく思い起こされました。
再放送が7/15(日)午前0:50~2:20にあります。
みなさん、ぜひご覧ください!
「大正デモクラシーの理論的指導者で「民本主義」を唱えた吉野作造。当初、日本の植民地支配を認めていたが、朝鮮人留学生との交流や植民地・朝鮮の実態に触れるなかで、疑問を抱くようになる。そして旧満州・中国東北部への進出についても批判的となり、中国の民族主義に理解を示した。
一方、「東洋経済新報」の記者(のちに社長)・石橋湛山は「小日本主義」を唱え、植民地・朝鮮や満蒙を放棄するという当時としては画期的な提言を行った。
戦後、首相となった石橋は、退陣後、日中の国交正常化に尽力する。晩年の1959年、1963年に訪中し周恩来と会談。「日中米ソ平和同盟構想」を唱え、世界平和と日中の共存に力を注いだ。
番組では、政治学者の姜尚中さんが、韓国をはじめゆかりの地をたずねる。吉野作造と石橋湛山の中国・朝鮮との関わりを追い、アジアの中で日本の進む道を考える。
【出演】姜尚中(東京大学大学院情報学環教授)、松尾尊(京都大学名誉教授)
増田弘(東洋英和女学院大学教授)、三宅民夫アナウンサー 」
停滞の長きにあれど列島に抗ふ民の甦りたり
怒りもて十数万の文字通り市民囲みぬ官邸を
組合旗政党旗なし官邸を無数の市民怒り囲みて
投石もアジ演説ももはやなく自ら集ふ無数の市民は
サイカドウハンタイ叫び幼児まで親と歩みき違和感もなく
つれあひと吾ら二人も加はりぬ抗ふ民の数多のなかに
晶子聞けつひに来るか列島に待ち焦がれゐし山の動く日