リッスン・トゥ・ハー

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僕が旅に出る理由はだいたい百個ぐらいあって4

2006-11-15 | 東京半熟日記
(沖縄編4)

一方そのころ、各座席前モニターでは映画情報が延々と。そのうちなんか映画でもはじまるんでしょうね、とヘッドフォンつけて、待ってたんですがなかなかはじまりません。それでも始まる気配を見せつつの映画情報でしたので、わたしとしても引くに引けず、じっと待っていたら、映画情報に混じってだんだんとJALのキャンペーンやらCMやらがやたら流れてきまして、その中には三谷幸喜さんがやってるCMが各種あって最初はうふふふふふと笑ってたんですけど、延々流すものですからだんだんうっとうしくなってきたわけです。あのメガネの中年はなぜセーラー服を脱がさないで、とかに乗っておどっているのですか?結局ずっと映画情報とCMだけでした、途中で見るのやめたんでもしかしたら始まったのかもしれませんけど。

その間にも野波さんをはじめとした乗務員の面々は隅々まで行き届いたサービスのために動き回っています。お飲み物はいかがですか?お茶、ジュース、珈琲など、代金に含まれて入ますので、これはぜひ飲んでおきましょう。ブランケットなんかも貸し出し、何かあったらすぐにお伝え下さい、と笑顔絶やさず。プロフェッショナル。そして、お盆に飴玉と黒糖を乗せて、いかがですか?と回ってこられました。まあ、美味しそうだわ、と黒糖をおひとついただこうかしら。ミントが利いた黒糖はすっきり甘く空の味がした。このサプライズこそ、慈英&ローソンの精神なのですね、野波さん。いまはっきりとそう思いました。間違いない。

映画もしないし、テレビはやめてラジオでクラシックを聞きながら雲の上で夢の中へ。

ただいまより着陸態勢に入ります。で、ぐうんと下がっていく感じ。引力に逆らわず。グリーンブルーの海へ。その上に浮かぶ小さな、といっても全体を見渡せるほど小さくはありませんね、感覚としては新たなる大陸。

あ、でさっきの黒糖なんかも良く出回っているとかいう沖縄に着いた。
めんそーれ。

うどんと素うどん

2006-11-15 | リッスン・トゥ・ハー
うどんは嘘つきだ。だって自分はアラブの石油王だと言い張るし、実家に帰ったら30人の召使がいて、とても美味しく茹でてくれるんだと言うから。刻み葱とてんかす散らして汁に沈んでいるうどんが石油王なわけない。身の程をわきまえろと、天麩羅によく言われる。もう誰もお前の話なんか信じない、弁護士の俺が言うのだから嘘ばかりついていると痛い目に会うぜ。実際うどんの話を誰も信じていない。かまぼこも油揚げも七味唐辛子も一味唐辛子だって、やっこさんまた言ってるよ、と内心ばかにしている、たった一人を除いて。素うどんは鈍い。良く言えば、純真で疑う事を知らない。素うどんは、うどんの話を聞いていいるだけで、コシがでてくる。素うどんにとってうどんは憧れの的だった。自分とは違う見たこともない世界を教えてくれる教師だった。何よりうどんが好きだった。

僕は能力者でうどんがのどにするすると入っていく瞬間彼らの記憶が僕の脳裏に。

僕が旅に出る理由はだいたい百個ぐらいあって3

2006-11-14 | 東京半熟日記
(沖縄編3)

空。雲が下にある。雲の上にいる。かの高木ブーはこんな気持ちやったんでしょうね。合唱、あ健在でしたっけ。どんどん昇っていく飛行機が雲の上に出て安定するまで、きりっとした微笑でわたしたちを見守ってくれているのが客室乗務員の面々。もうスチュワーデスで、ええ気がするけどね。まあ、常務員の面々が、ものすごい丁寧に、説明案内してくれます。しかもどんなときも常に微笑ですよ。プロフェッショナルやなあ、客室乗務員ほどプロフェッショナルを求められてそれに答えている職業はないんでないかな。とか思ったりしました。仕草、口調、美しい。おそらく創成期から代々彼女らは、あたしたちはスチュワーデスです、という誇りを持ってやってこられてるわけですから。何を今更客室乗務員や、つうかそれスチュワーデス労働組合みたいなとこで、本当にスチュワーデスの人たちが盛りあがって出てきたんやろうな、どこぞの実際を知らんおっさんが言い出したんとちがうんか、あ?とわたしは思いますけどね。まあそれはそれ。乗務員ていうときますよ。単純にあの姿あこがれます。しかもなんかね、ちょっと背の低い人がいたんですよ、きっと名前はかなり高い確率で野波由さんでしょう。残念ながらわたしの近くの担当ではありませんでしたけど。

野波さんはまだ3年目で、仕事に生きがいを感じてきたところ。つらいことはたくさんあるけど、うまの合わない津田先輩の嫌がらせもあるけど、やっぱりお客さんの安心している顔、私の案内で喜んでくだされう顔を見たらとても嬉しくなっちゃうわうふふ。と昭和テイスト香る話し口調ですけどまあ、それはまあご愛嬌。その野波さんが天井についている収納スペースを押し上げる。今更説明しても仕方ありませんが、飛行機には例えば顔のない死体などが入った大き目のトランクなどは別の荷物専用へ、生首が入ったポシェットは機内に持ち込んで、機内にある収納スペースに入れるわけなんですが(任意)、その機内にある収納スペースは、天井にあって、ぐいっと引っぱり下げて、荷物を入れて押し上げる。その押し上げるのが、背の低い人には少し背伸びしないと届かない。野波さんは背が低く、押し上げる時背伸びする、一瞬だけその鉄壁の笑顔が崩れる。それが逆にとても綺麗に感じる。完璧なものなどどこにもないと思い出させてくれたから。野波さんありがとう。

僕が旅に出る理由はだいたい百個ぐらいあって2

2006-11-13 | 東京半熟日記
(沖縄編2)

はしゃぎまわっとる場合ちがうでえしかし、と我に帰りまして、搭乗手続きとやらをいたします。航空会社はJALを指定、他の航空会社との違いは全く持って知りませんけど、もうこれは人任せです。JALは「慈英&ローソン」の略語なんだというぐらいの知識。「川平慈英がプロデュースするローソン弁当」それがJALだとわたしは解釈していますが、きっと、食べたら自然と笑顔になってしまう、みたいな弁当なんでしょう。はいそれではいただきます。とゲートくぐる。荷物チェックオーケー。若干緊張。物心ついてからは初でしたのでほんの若干緊張。難なく通らせてくれました。幼い顔の係員3名あら可愛らしいか子らやねえ、「いってらっしゃいませ!」元気のいいことで。中学生の職場体験というやつでしょう。そういえば、空港の飛行機が置いてあるところにも、セーラー服の女の子3名整備員に連れられて歩いてる。ええ経験やろねこれ。飛行機と空港をつなぐあの、でかい掃除機のホースみたいな通路から吐き出されるように機内へ。途中、道が分かれてまして、一方が高級感漂う、一方が一般ピーポーの、なんか金の力は掃除機のホースさえ分けるのか、と思ったり。

飛行機内。はい、思ったよりやわらかいです。とわけのわからん独り言を漏らし、座席探す。すぐありました。坐ります。人々が吸い込まれるようにどんどんどんどん飛行機内へ、入ってきて席につく。ちょっとほっこりした時間があって、只今より離陸の体勢に入ります。その前に注意をよくごらん下さい。トラブル時のあれこれですね。各座席にの目の位置にモニターがついてまして、映し出されてます。まあこれで、色々退屈しのぎができるようですね。わたしはとにかくものすごい注意をよく聞いといて離陸に備えてたわけです。て、いうても怖いからね。

Edeltoft,DENMARK(世界のドア)

2006-11-13 | 若者的字引
Page15

レンガが組まれた壁、真っ白の窓、、ギンガムチェックのカーテンがふわふわ、すぐ上の29の数字、中央に、赤茶けたドア-の青っぽい枠、それらを受ける黒地、どこかコケティッシュで、いじわるそうで、でもセクシーな悪魔の家。悪魔といっても、わたしたちに対して命題を持ちかけて魂を奪う、というようなことをする悪魔ではない。悪魔の中でも最も人間に近い部類の、つまり人間から悪魔になったものたちの家。だってほら、こんなにもハニートーストの優しい香りがゆっくりゆっくり漂ってくる。悪魔さんちに珈琲でもいただきに行こう、と思ってしまうから不思議だ。

僕が旅に出る理由はだいたい百個ぐらいあって1

2006-11-13 | 東京半熟日記
ひとつめはここじゃどうも息が詰まりそうになった。



(沖縄編1)

ぐわんと身体がもっていかれる。エンジンを爆発させる音が響いてきた後、すごい速度で飛行機は進み出した。絶叫系の乗り物好きのわたしとしては絶好の重力。望むところやと、そのスピードに身を任せて進むのです。神戸空港よ、近畿よサラバ、つかの間のさようならさ。遠ざかる空港の、海に浮かぶ人工的な形は、神戸の街によく似合う、と設計者のアルヴィ・ベン・ランディーはそこからはじめて飛び立つセスナの中で言ったという。

アルヴィ・ベン・ランディーて誰やねん。

バスやモノレールを乗りついてたどり着いた神戸空港は思っていたより狭く、だからわたしは意表をつかれて、はしゃぎまわる小学生のように、うわうわと空港内部を調査したんです。そしたら、展望スペースてとこがあり、見下ろすと飛行機が無数の飛行機が神戸の海にふんわりと乗っかっているのが見える。ちょうど、飛び立つ、滑走路へ移動する飛行機、そのそばで小さな人が、おそらく整備員なんですが、飛行機に向かって手を振る。手を振る。大きな大きなジャンボゼットかなんか知らんけど飛行機に、手を振る。わたしには確かに見えた、あの豆粒のように小さな整備員さんは思い切り笑顔で手を振っている。これ、いいなあ。トラック運転手が、全然知らんトラック運転手ととおりすがる時に手を挙げて挨拶する感じで、パイロットに振ってるんだろうか。もし、お客さんに手を振ってるんだったらすごくいいなあ。と、そのときのわたしには、笑顔で手を振っている整備員さんがたまらなくカッコよく思えたのです。きっと神戸空港が狭すぎたせいだ。きっとそうだ。

ぱーぱーぱーぱっぱぱ、ぱーぱーぱーぱっぱぱ3

2006-11-12 | 東京半熟日記
(その後3)

あんかけうどん。京都駅内の新幹線乗り場に在るうどん屋にて。やはり汁がねっちょりしてます。関西風も関東風もあったもんじゃない。その時点でやはり失敗したかな、感がありましたが、そこは、里芋の大きさでイーブン、というものさ。で箸を割り、さっそくたべようとします。例のジイットこちらを見てる女の子の店員、うどんがきたって何一つ変わることなく見てます。それそうです。だってやることないもんね。そんで、少しでもお茶が減ろうものなら、逃がすことなく注いでくれます。これは、しかし食べ難い。見られながら食べるって緊張するよ。食いしん坊万歳尊敬しますよ。うどんがきても食べてる最中も視線がスパイスなり、正直味はあまりわからない。誰か、別の客よ、やってこい。そうすれば、彼女の注意がそちらにも流れて、わたしへの視線が二分の1、そうすれば、その向うを見ているときにずずずずと少し乱暴に、ごんぶとの岩下志摩みたいに喰う事もできる。うどんなんて本来そういう風に食べるものじゃないか。見られてるとなんかね。客よ来い客よ来い、で、来た!で、やれやれようやくあの視線から解放されるわ、と汗を拭いて、注文受けるなどいろいろ雑務を終わらして、じっとみるひとがふたりに増えた。専属やったのか!で、ささと食べて1100円とぼったくりに近いけどちゃんと払って家帰った。ちょうど綺麗な月夜であった。

Concord,Massachusetts,USA(世界のドア)

2006-11-08 | 若者的字引
Page14

ドア-は巨大なかぼちゃによって塞がれている。かぼちゃは中央に敷き詰めた藁の上にどっかと座る。左右に鉢があって、赤い花が植えてある。かぼちゃを守る騎士のようにしゃんとして背筋を伸ばして両脇に。上は薄いピンクのリボンで結ばれたブーケが、遠くまで見渡して敵の来襲を見張っている。この布陣は強力だ。信長であろうが、秀吉であろうが、どんな戦国の武将だってなかなか崩せないに違いない。守っている誰もが自信満々に、来るなら来いと、意気揚揚。黒猫。ブーケの目を盗んでするりと近づく、花の誘惑を、花粉の槍を避けて、いとも簡単に本丸に近づく。尾がぴんとなったあと、丸まる。藁の上で寝る気だ。もぐりこんで、むちゃくちゃにして、国はあっけなく崩れさ、

ぱーぱーぱーぱっぱぱ、ぱーぱーぱーぱっぱぱ2

2006-11-07 | 東京半熟日記
(その後2)

あんかけうどんがでてくるのをそれでも今か今かと待っていますと、女の子の店員さんが少し離れたところからずっとこちらを伺っています。なんだろう、何か意味があるのだろうか、と少し考えてお茶をグッと飲み干しますと、すぐさま注ぎに来てくれました。ああ、店員教育がしっかりしてるじゃないの、なんかといい気になっていましたら、注いだあとも、また少し離れてじっとこちらを伺っているような、実際そちらを直視してたわけじゃないので分かりませんが、視線を感じるわけです。そして、少しでもお茶がなくなろうものならすぐさま注ぎに来る、わけか。これ気を抜けん。気が休まらんよ。見られてるって、なんて緊張するんだろう、となんか硬くなってしまいました。は、早く料理来てくれ、間がもたん、何度も意味なくケータイを開かないの、といわれているような気がする。娘さんよ他にやることないのかい?と思ってたら動いた!ふきんを持ってきて机を拭いてはる、そうそう、で一分後じっとこちらを見る。もっと丁寧にやったらええやん。高いし客こんから、暇なんでしょうね。やり尽くしたんでしょうね。お茶を注ぐ事だけが彼女のすべてなんでしょうね。気持ちは分かるけどね、ああ、はよ料理来いって。

Massachusetts,USA(世界のドア)

2006-11-06 | 若者的字引
Page13

グレーに近い色の白、11というナンバー、黒いランプ、規則的に組まれたレンガ、綺麗に刈りそろえられた芝、苔の生す石の階段、小さめだけど鮮やかなオレンジのかぼちゃ。白とピンクの花。太陽が雲に隠されて影がそういうもの全体を覆っている。ふう、とハンカチーフを手にドア-を開けた婦人。いくぶんふくよかで、しかしその分グラマーで、悩ましい。それを待ち構えていたように、郵便配達の男が通りかかり声をかける。「奥さん、まだ暑いですね」「そうね」敷地内に入る、ふたりは近づく。「これ、届いてますよ」「あら、ありがと」「では」「ええごきげんよう」郵便配達の男が次の届け先へ向かう、それを婦人は見ている。手紙は彼女の手の中。婦人は郵便配達を見つめ続けている、やがて、角を曲がって見えなくなるまで。手紙の内容は読まずとも分かる。愛のメッセージだ。それは郵便配達の男からで、婦人は毎日それを受け取る。日課となっている。どうしようもないことをどちらも互いに知っている。溜息をつく。でもきっと彼は明日も同じ時間にやってきて、同じ手紙を届けてくれるのだろう。そう考えるとほんの少し、楽しくもなる自分がいる、と婦人は苦い安心感を感じている。

ぱーぱーぱーぱっぱぱ、ぱーぱーぱーぱっぱぱ

2006-11-04 | 東京半熟日記
(その後1)

新幹線を降りる。京都の暑さが、生ぬるい風が、戻ってきたという事を思い出させる。熱気はふわんと体を包んで、うっとうしいような、なつかしいような不思議な気分。でもやはり母体の中にいるような、安心感は否めないわけです。これだから盆地は偉大だ。新幹線乗り場から電車乗り場へ向かう、途中、小腹がすいたわけで、うどん屋があり、そうだ関西風薄味がむしょうに食べたくなったわけで、入ります。外にあったメニュウの値段は高め、の設定となっていました。新幹線乗り場なんかに店出すからそうなるわけでしょうね。店内に客おらず、店員が遠慮がちに「天麩羅は終わりましたよ」と聞いてくるので、いやいやこちとら薄味のうどんを食したいのであります、という意味をこめて「大丈夫です~」と受け、隅っこのほうに案内されるままに座りますと、すぐさまお茶がでてきましたので、すぐさまメニュウを開いて、目に飛び込んできました「あんかけうどん」関西風薄味感は確実に薄いが、なんか惹かれるわけです。だって、色んな具が乗っている、里芋とかきのことか肉とかああおいしそうやな、と誘惑に負けまして、これよろしゅ、と指し示しまして「あい、かしこまりました」とそそそそそ後ろ引っ込んでいく。ふう、ああ、帰ってきたなあ、一息ついたわけです。

Dublin,IRELAND(世界のドア)

2006-11-04 | 若者的字引
Page12

レンガ造りの壁、白い柱に支えられた青緑のドア-上に分度器のような窓。何本もの尖った背の低い塀に囲まれている。呼び鈴は獅子が輪を咥えたもの。長い年月を経て獅子の牙が丸くなってしまった。鋭く睨む瞳も失った。だからといって獅子は決して悲観しない。替わりに手に入れたものだってある。俺は、と獅子は月が雲に隠れた短い闇夜の間に閉じていた瞳をかっと開いてつぶやく。俺は獅子だということを忘れようとしているのかもしれない。誰にも愛されるドア-についた装飾の一部として生きている。笑うかもしれない。奴らは俺のことをあざ笑うかもしれない、しかし。すぐに月が顔を出す。後ろで、つまり室内で甲高い笑い声。そうさ、俺はドア-なのだ、彼らを守る。ドア-なんだ、何が悪い?目を閉じる。くすんだ獅子は小さく低く唸って、輪をさらに強く噛む。