リッスン・トゥ・ハー

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ひとつめはここじゃどうも息が詰まりそうになった3

2006-11-22 | 東京半熟日記
(沖縄編8-2・「ハンカチーフは万年雪の底に」)


 振動にはすぐに慣れた。
 最初は怖かった振動も何発か打てばすぐに慣れる。意外と簡単に機関銃は操れる。もう、ちょっとした射撃手のつもりだったしあたしなんて。誰もがそう感じているのかもしれない。まだ力の弱い、物資も不足し、ろくに栄養だって摂っていないので、体力もない女学生でも簡単に操れるようにできている。目をギラつかせて、狙いを定め、引き金を引く。米兵め。ズドン、ズドン、と響く。この振動だ。身体の底にまで響いてくる。この振動はこれから奪う命の震えなのかもしれない。ぐるんと身体を揺らして命を奪う。一瞬だけ何も聞こえなくなって、耳が痛くなる。すぐに蝉が鳴きだす。ほんの少しだけ恍惚感も感じる。的をバラバラにしたときに、なんともいえない快感が体を包む。周りのみんなが褒め称えてくれる。米兵を沖縄に上陸させるな。沖縄は私たちが守る。わたしたちに怖いものなど何ひとつないし。なんだってできるし。なんにだってなれるんだ。
 セーラー服が機関銃の錆や土で汚れてしまう。低い体勢になって撃つのだから仕方ない。それは、名誉の汚れだ、ということにしている。みんなほんとは汚したくないくせに。なんでもない汚れを、名誉の汚れだといって喜ぶ。このセーラー服にあこがれて学校に入ってくる子だっているんだから。セーラー服は上級生が下級生のために縫うのが伝統だった。あこがれの綺麗なおねえ達が私のために縫ってくれるなんて。ああ嬉しい、嬉しい。誰かは、入学までの間、何度も何度も出来たてのセーラー服を着て、お母さんに怒られたとかなんとか。私も文学好きの幸子だって例外ではない。できれば綺麗にしておきたいに決まっている。みんな強がっているんだ。仕方ない、これは戦争だから。これは戦争だから。贅沢は敵だ。汚れが何だ。兵隊さんは、泥まみれで戦っているんだ。それを思えばちょっとの埃ぐらい、泥ぐらい、錆ぐらい。何かあるごとに大人はその言葉を口にする。だから、名誉の汚れだあはは、と私たちは笑う。笑顔を決して絶やしたくない。だってまだ箸が転げても笑う年頃なんだし。楽しいことがこれからいくらでも待ってるんだし。だからちょっとぐらい、セーラー服が汚れるぐらい我慢してあげる。
 最近では授業はなくなった。学校ですることといえば、たいてい陣地構築だった。その合間に農業をして食料を作る。それから看護訓練、たまに射撃訓練、どれもまあ戦争に関すること。本当はもっと勉強がしたい。私は教師になりたいのだし、私の恩師の島袋先生のような、素敵な先生になりたいのだし、そのためにはしっかり勉強しなくちゃ。戦争が終わったらこの分を取り返さなきゃ。うん。

「やめーい」
 という三段先生の号令で私は我に返る。あかんわ、ぼうっとしてた。
 皆が射撃を止める。額に汗が滴る。埃まみれの額を手で拭う。空は青く、ちいさい雲がひとつだけ、ゆっくりと優雅に流れていく。ゆらゆら泳ぐくらげのような形をしている。拾い海の上に浮かぶ小さな島のようにも見える。なんとなく危なっかしいや。あの小さな島は、弱々しくてすぐに消えてしまいそうだ。そう思うとなんだか急に不安になる。消えないで、ずっとずっと消えちゃダメだから。そんな乙女心分かっていただきたい是非。強い風が吹いて、前髪が舞い上がる。先生は「よし」「終了」とつづけて短く言う。

 訓練が終わって私たちは学校に戻る。次の時間は卒業式の練習だ。楽しいことのひとつ。まぎれもなく楽しいことのひとつ。一度しかない卒業式、あまり派手にできないことはわかっているけど、それでもちゃんと卒業式をしたかった。みんなで「別れの歌」を歌って、手紙とか好きなものを交換するの。できることなら、そういうちゃんとした、ずっと昔からあったような、卒業生として涙のひとつでも流せるような卒業式をしてみたいなア。あこがれなんだ、みんなと歌って泣いて卒業。でも、あーあ、もう卒業なのかア、とかそんなことをつぶやいていたら、誰からともなく歌い出す。いつものことだ。本当は歌など歌ってはいけないのだけれど、ましてや英語がでてくる歌など。歌を歌っている場合ではないのだけれど、射撃訓練の帰り、誰からともなく歌い出す。やがて合唱になる。ハローもグッバイもサンキューも言わなくなって。そのうち、誰かが手を打つ、手拍子が、丘にたんたんたんと鳴る。踊るように私たちは、歌いながら歩いていく。この歌も兵隊さんに届くのかしら。みんなで歌うのだから、届くのかしら。でももし届いたなら怒るかしら。いいじゃない、いい歌だもの、いい歌だなあ、て目を細めてくれるような人と結婚したいなア。うん。それ重要だし。ふふ、幸子ったら、眼鏡ずれずれだし。「ガンジー、眼鏡」て教えてあげる。「あらあら」と直す姿はとても可愛らしくて、キュンてなる。幸子が「これ誰にも言わんといて、うち、好きな人ができてもた」と私だけに告白してくれた、その相手、三段先生は後ろ、少し離れて歩いている。私たちの歌が確実に聞こえているはずなのに、この、射撃訓練の帰り道で歌う事に関しては何も言わない。それどころか、誰も歌いださない日など「今日は静かだな」とつぶやいて、歌うのを促したりする。そんな時少しだけ三段先生の事がわからなくなる。どうして先生は歌っちゃいけない、とか、歌っている暇があったら訓練のひとつでもしてみろ、とか注意しないんだろう。そりゃあ歌ってたら楽しい、けど先生だし。そんなところが幸子は好きなのかなあ。まあいいけどね。こんなにもすれ違ってそれぞれに歩いていく。今日は風が強すぎて歌があまり聞こえないや。めずらしく雨が降るのかな。




(改めて断る必要がないかもしれませんが、この物語は事実を基にしたフィクションであり、登場人物等は、実在する人物等とは関係ありません。ですことよ)