おっさん先生と愉快な仲間のぶろぐ

先生って楽しい仕事だと思い続けることができたしあわせな爺っさまのつぶやきです。

若い先生

2020-03-14 09:48:22 | Weblog
「しつけ」を必要としない「若者言葉」による若者社会と「しつけ」をまだ必要とする「大人言葉」による大人社会
若者言葉で育った「子どもたち」は大人社会で必要とされる「大人言葉」や「大人たちの文化」を知らずにいる。
教師の多くは「しつけ」は「躾」と書き「我が身を美しくする、品位をそだてるものだ」と理解してきた。
しかし語彙や知識として子どもたちに伝えることはできても、学校教育の中で「教育」することにしり込みしてきたのではないだろうか?
生徒に送ったメールに「了解」とかえって来ても、何のこだわりを感じない若い先生。
学年で任務分担時に、まず「楽な仕事はどれですか」と聞く若い先生に、それが、おかしいと指摘すれば「お局様」とレッテを貼られ悩むミドルリーダーたち。
そんな若い先生が「道徳」を教えても、子どもたちは建前だけしか理解できないように思います。
廊下を走る子どもを高圧的な言葉しか制止できないことに悩むのは真面目な若い先生なのです。
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これからの教育用アブリは既製品ですか。

2020-03-13 22:27:17 | Weblog
今までの教育用アプリは、システムも含めて「企業用アプリ」「企業用システム」の転用でした。

いわば効率主義、機能主義的な発想で「授業」をとらえています。

端的なのが成績処理です。どんな大がかりな成績処理システムを、作っても教師は電卓と同じ価値しか認めないと思います。

「授業」は「成績の診断」ではないと思える先生がまだ小学校には沢山いると思います。

今、発達障害を考えるとき「自由な思考」に価値を見いだせたり、「人の存在や人との関係性」を考えるアプリが必要なのです。

アンガーはそうしたことへのアプローチのひとつでした。

デジタル社会での新しい授業を具体化することができる勉強会にしていきたいですね。

そのヒントはテキストで古い教師が作ってきた紙切れの指導案のなかにあることはみんなわかっているのですが。
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考えること

2020-03-11 00:07:26 | Weblog
深く考える時間が古ぼけた時計みたいにとまっているのはなぜだろう。

今日のままの明日が来ることが当たり前で、明日なんかそれほど変化しないと思い込み始めたのはいつからだろう。

不確定な出来事になんの期待もせず、ただ昨日と同じ明日が来ないことを怖れる平凡で変化のないことを期待する自分に気づいていたけど誰かに話すことすら忘れかけていた毎日。

自分が何もしなくても明日は来るが、その明日が光輝いているとは限らないのになぜテレビを見つめ続けることができるのだろう。

次の歩みを始めなくては。

時折浮かぶ恩師の言葉
「私に感謝はいらない、もし感謝という気持ちがあるなら、それはあなたの後輩のためにあなたが尽くすことだ」

ほんの少し、恩返しができたかな。

五年間あなたたちと出会えたことが、幸せだった。



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最後の宿題です(笑)

2020-03-10 18:51:35 | Weblog
今日は遠いところからはるばる、ありがとうございました。

先生やってて一番嬉しいのは「ありがとう」の言葉をもらえることです

卒業式もなく、少しさみしい気持ちもあるかもしれないけど、やっとスタートラインです。

沖縄TIMESのコラムです。今考えておいて下さい。最後の宿題ですね(笑)

https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/544438

前を向いて頑張って下さい。困ったらいつでもラインありますから、連絡下さい。
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まっ どっちでもいいかな

2020-03-01 20:43:59 | Weblog
不完全でもいい、人間だから。
なんか相田みつおさんのぱちりみたいだね(笑)

まっ どっちでもいいかな
自分で自分を規定するなんて
なんか 嫌ですよね

もし不完全だとわかれば努力したらいいだけだし
そこをするのか、しないのかが、自分と向きあえるどうかと関わっているように思います。

そんなこと真剣に考えるより、
パーと飲んで忘れる方が僕は好きでした(笑)。
落ち着いたら飲みましょう🎵

それより 明日、子どもたちの「宿題」(たぶん2週間分の課題と2週間の春休みのワーク)をどうするかがこの土日の仕事だったのかな。

これってどのようにして作ってるんだろうね

学年であわてて頭をつきあわせて作っている学校や
誰かのパソコンに入っていた個人の財産のデータを
学年ごとに作っていたり
すでに学校で共有している今までの課題データを
流用できる環境があってすぐに対応できていたり

まさに学校間のデジタルデバイドの現状があきらかになっているから、
明日または早められた終業式までに子どもたちにどのような「宿題」(2週間分の課題)を提示できるかで学校の質が見えるよね。

ワークといういうに休み期間中に行わせる課題を
市販教材で作るのが当たり前の時代の先生たちには
大変な作業らしいけど
市販のワークがなかった時代は自分たちで作っていたんだよね

自作のプリントを作ることが前提で
授業をしていた先生たちは自分のパソコンの奥に
宿題を含めたデータをひそかにもっていたけどな。

イントラ内で先生たちの作成したデータを共有しておけば、
各学校の各学年の先生が同じような
「宿題」を別々に作る作業をしているという非能率的な作業は
行われることがなかったはずですよね

ネットワークがあるのに機能していないといことに気づかないと
宝の持ち腐れですね。こんな状況の時こそ
教育ネットワークにおける情報共有が有効なのですが。
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