おっさん先生と愉快な仲間のぶろぐ

先生って楽しい仕事だと思い続けることができたしあわせな爺っさまのつぶやきです。

ふっと頭に浮かんだことがあります。

2013-11-04 00:47:25 | Weblog
今日は、友人の会社の
設立二十周年パーティに参加。
30歳で会社設立50歳の社長さん

中小の企業が
二十年続くというは
0.3パーセントしかないという現実に
打ち勝った友人の晴れやかな顔、
久しぶりに社会の荒波を乗り越える
という言葉が頭をよぎった。

僕の友人は
比較的教員以外が多い。。
というかほとんどが教師ではない
といった方がいいかもしれない。

だから
そうした友人の姿や考え方を通してしか
「現実の社会」というものにふれる機会は
なかったように思う。

若いころは酒に弱いくせに
よく飲んだのですが、
年を経て、友人の多くとは
たまにしか出会わないようになると、
「現実の社会」から離れて、
学校という違う世界に住んでいるような違和感を
感じたことがあった。

若いころには、
学校というものが
実は非日常の世界なんだと
気づいていなかったのかもしれません。

学校は
「現実の社会」というものの
条理すら知らない
純粋培養された教師が
夢とほんの少しの現実が
いりまじった理想郷をかたる世界だったのかも
しれませんよね。

学校では、
「従業員の家族の生活を
担わなければならない重さ」なんかは
教えることができなかったのかもしれません。

でも、昔は子どもや親を怖れる感性では
教師として生きていけない時代だったのかも
しれませんね。
結局大事だったものは「出会い」と「つながり」
だったように思います。

ただ子どもの笑顔にかこまれ、
ただ子どもがすきだということを
日常の糧として生きてこれたことは、
確かにあなたがいうように
幸せだっんだと、
今思います。

時には自分を犠牲にしても
仕事を優先したいと思ったのは
高尚な信念なんかではなかったと思います。

ただやってみたかった
その程度のものかな。

「現実の社会」では
後継者の育成と技術革新が
再び叫ばれ始めている今日。。
教師の世界もそうした大きな潮流に
巻き込まれていくのでしょうね。

「子どもたちの将来を
担わなければならない重さ」に
もう少し早く気づけばよかったと
慚愧の念が頭をよぎりました。
コメント
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