おっさん先生と愉快な仲間のぶろぐ

先生って楽しい仕事だと思い続けることができたしあわせな爺っさまのつぶやきです。

個人懇談でどのように保護者に子どもの様子を伝えるかですか。

2013-07-13 11:40:18 | Weblog
 個人懇談でどのように保護者に子どもの様子を伝えるかですか。

 これは意外と難しいことだと思います。

 難しいというのは、
ただ単に「こんなことをしてますよ」
「こんなことがありました」という
出来事を伝えることが大切なのではなく、
それをあなたがどのようにとらえていて、
これからどんな手だてをとろうとしているのかを
伝える必要があると思うからです。

 年配の先生の中には、
保護者の思いをくみ取って
受容していくことが大切という先生もいますが、
そのひとつの方法が
すべての保護者に当てはまると思うのは
早計だと思うのです。

 反対に
こんな状態のままだとこうなってしまう的な決めつけや、
レッテル張り的な言動は
保護者を不安にさせ、
子どものためになるとは言い難い部分もあるので、
断片的な知識からの見立てには十分注意が必要だと思います。

 「家での状況を聞くこと」は大切ですが
「この子をこのように温かく見ています」という
あなたの気持ちを素直に伝えることが、
まず大切なように思うのです。

 「家でもそうすか」
「学校でもそうです」という
「困っている感」の共有だけでは
何も生み出せないし、
教師としてのあなたの資質も
疑われてしまうかもしれませんよね。

 だからといって、
その子の行動を○○的だと
カテゴリーに分けてレッテル張りをしても、
「じゃ、そのために 何をすればいいの」という
保護者の思いには答え切れていないように思うのです。

だから
「こんなこともあったのですが、
私はこうとらえていて、
その子だけにではなく
クラスの課題として、
こんな取り組みを始めています」という
具体的な指導の内容を伝えることが
大切になるんじゃないかな。


特にあなたの持つ低学年の場合、
子どもの「注目行動」をどうとらえるかは、
担任の「教師としての子どもの見方」が
反映される部分があるので、
難しいかもしれませんね。
毎日次から次と起こる出来事の対応に
後追いしまくっている毎日だとは思いますが
それがあなたの選んだ仕事なんですよね。

 高学年の「生指的課題を伴う行動」も
ある意味同じで、
その子をどのように見ようとしているかが
保護者には分かるように思います。

 しんどさから逃げる先生に
しんどい子どもの気持ちや
保護者の気持ちは分からないのかもしれませんね。

 まず
この入り口で保護者と教師が
子どもへの「思い」をひとつにできなければ、
懇談の中身は薄っぺらなもので終わるように思うのです。

 子どものそうした行動の背景にあるものを、
この先生になら話しても良いという関係ができて
初めて、教師は「聞く」ことに専念できるのだと思います。

 保護者は
どうせこの先生に話しても分かってもらえないと思っているのに、
教師の大変さだけを保護者に伝え、
家庭の状況からその共通点を取り出すことに力を注ぎ、
レッテルを貼ることにより、
自分の責任が果たせたと安堵しているような教師は
いないと思いますが、
近年何かといえば、
発達障害を起因としたがる風潮があるように思うのは、
年のせいでしょうか。

 「保護者と同じ目線での言葉」というものは
「保護者と同じ愛情を持った教師としての言葉」で
なければならないと思うのですが・・。

 経験を積めばいいというものでもなさそうです。

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