おっさん先生と愉快な仲間のぶろぐ

先生って楽しい仕事だと思い続けることができたしあわせな爺っさまのつぶやきです。

僕があなたたちと同じ年の頃2

2012-06-06 20:28:31 | Weblog
僕があなたたちと同じ年の頃ことを
もう少し話しておきます。

その頃は、今では「団塊の世代」といわれる
たくさんの先輩がいて、僕なんかは、
そうした先輩の姿から、何かを盗もうと
虎視眈々としていました。

いろいろ個性的な先輩がいて
一つのことを聞くといろいろな答えが返ってきました。
その中から、自分でやれそうなことを選んだり
実際にやってみて、効果があったものを大切にするのは
僕自身の判断でした。

その先輩たちが見てきたのは
戦争という状況のなかで
「教師」という仕事を担ってきた人たちであり
そうした人たちが歩んだ道ではない
「自分たちの道」を模索していたのだと思います。

新しい「正義」を求めていたのかもしれませんね。
僕はそんな「正義」にはなんとなく距離を感じて
いました。「正義」という得体の知れないもののために行う教育より
目の前の子どもたちを喜ばせることができればそれでいいのでは?という
稚拙な考えだったのかもしれません。

でもたくさんいた先輩たちは
自分たちの正義にまっしぐら(笑)
でも、そのおかげで
いろいろな指導方法や細かな「技」を教えてもらいました。

職員室で「くっつきの"を"を教えるのにどうしたらいいんですか」って聞くと
まずだれかが「それはな・・。」とうんちくをたれ、放課後に「さっき
あの先生はああいうてたけどな、 こんな方法も・・」なんて
ことを教えてくれました。

ノートのとり方も「学年や教科によって違うのが当たり前」
「いやいや系統立てた記述やルール化した指導が必要」など
論議が始まり、そなんや 「自分の教え方を作るのがいちばんなんや」
とへんな納得ができました。

選択肢をたくさん提示してくれる環境こそ大切なんだと思うのです。
「いってることとやってることが一致しないのに」
「子どもが楽しそうに学校に来ていないのに」
そんな先輩の「正しいマニュアル」を
あなたたちが求めているのなら
それは 幻想なんじゃないかなっと思っています。

これからの時代
あなたたち自身が新しい選択肢を見つけ
その中から必要なものを選び出すという
「活用力」が求められているのです。

また、吉本隆明でも読み直しますか。



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