霧島家日誌

もう何が何だかわからないよろず日誌だ。

国史歴史学者の視野狭窄

2009年05月20日 20時24分32秒 | 社会、歴史
ごきげんよう諸君、いかがお過ごしかな。私は多忙のあまりガンスリ祭に参加しこねたというのは前に言ったが、どうやら忙しかったからではなく精神的に相当キておったからという方が原因らしい。んで、日曜日にそれに気付いて、そこから火曜まではずっと寝てた。自分でも危ないんじゃないかと思うほど寝てた。…どうにかしてノート入手せねばな。

さて、なんだか前回書いた記事が大反響を呼んでおるようであるから、その続きでも書く事にする。通勤時間使ってるから祭の報告とかと違って気軽に更新できるのがいいとこだな。あっちはそういう訳にはいかんし。


日本の学者は、とは言っても日本史の学者に限定した話ではあろうが、ただの古文書オタってのが非常に多い。世の中にはアニオタから軍オタやら鉄っちゃんからジャニオタスイーツまで色々いる訳だが、そんな世の中故か、学者も大体オタクなのだ。古文書のオタクだ。

どういう事かと言えば、伊達で教授やってる訳じゃないんであって(まぁそんなんも結構いるが)、なんだかんだで頭は良いのだ、学者というのは。ちゃんと頭は回ってるのである。じゃあ何で日本の学者は残念かって、学者はその頭脳を間違った方向に使ってるからである。


古文書、まぁ歴史学では「史料」(資料ではない)というのだが、これには色々区別の仕方がある。今回は○次史料という概念で説明しよう。

例えば一次史料は、その古文書の製作者、製作意図、製作年代が完璧に判っておるものである。例として、私が今書いてるこの記事が百年だか二百年だか先に古文書として、史料として使われたとしてみよう。すると、製作者は霧島薫であり製作意図は無能な学者どもに石を投げる為であり、製作年代は平成二十一年の五月下旬だ。

ここまで判っていれば、そのまま引用しても特に問題は無い。と言うか、非常に信憑性の高い古文書として珍重され重用される。私がもし仮に、哲学やら何やらでのちの時代に有名な人間になってたとしよう。すると私がどういう思想の持ち主だったのか、どういう事を考えていたのかといった事を調べる上で非常に役立つのである。何せ、私自身が自分自身の思想を語っているのだからな。

これが二次史料になると、誰がどんな目的で書いたかが完全に明らかになっていないものとなる。どっかの由緒ある家の倉庫引っ掻き回してたら日記が出てきたとして、普通日記には名前とか書いておらん。その家の主人のかもしれんし、その家の主人が親戚とか親しい者が死んでしまってその人が忘れられず残しておいたのかもしれん。

年代測定なら、究極的な手段はいくらでもあるからどうにでもなるが、流石に誰が書いたとかその意図が何かとかは判らん。古い写真でもそうである。一般人を軍人が先導してる写真があったとして、一般人を拉致しようとしてるのか、それとも民間人を避難させる為に護衛しているのかどっちか判らん訳だ。

んな訳で、ちょいとばかり使い難くなる。

更に三次史料というのもあって、これは一次もしくは二次史料を書き換えたものである。これはその意図に限らず使いにくい。新聞の切り抜きスクラップブックとかならまだしも、ある偉人の日記をそのままにせずに不要な部分を削るなどして編纂してしまうと、途端に三次史料になってしまう。重要な部分が抜けている可能性もあるし、甚だしくは意図的に改変を加える場合もある。

典型的な本で、「篭城」ってのがある。…あった筈なんだが、色々調べてみたものの出てこない……義和団事件っちゅうのがあったのは皆知っておろう。あの時、駐留していた各国軍は各国在中邦人保護の為北京の各所で篭城した。その時の日記みたいな奴を本として出版したのだが、その邦訳が酷い。日本軍のやった良い事は全部カットである。

意図的な改竄という訳である。本の頭に「諸般の事情で妙出訳になったが、著者の意思は伝わる様配慮した」とか書いておけば何の問題もない。原本読まない限りバレないという事である。

故に、史料としては使いにくい。

こんな感じで、古文書っていうのは扱いにくいのだ。一次史料だったとしても、朝日新聞とかだと使い物にならん。あの新聞は第二次大戦前は極右だったのに戦後は極左になったってので有名だが、何せイデオロギーに完全に染まってるから普通の歴史を語る上では使い難くてしょうがない。


この辺、歴史家はプロである。どういう意図で作られた史料で、作られたのはいつごろで、誰が書いたのか、それを判断したり類推する能力には長けている。手文字の古文書で、既に文字になってない文書すら容易に解読し、史料として詳細な検討を可能にする。

こんな訳で、その辺はプロってだけはあるのだ。問題なのは、学者連中は古文書を読む事しかできないところにある。要するに専門バカなのである。

とある人に紹介された論文がある。史学雑誌に載ってた、「ロンドン海軍軍縮会議と日米関係」である。史学雑誌というのは天下の東大様が出してる歴史研究雑誌で、つまり天下の東大様が認めた一流論文ということだ。

んで、題名にあるロンドン海軍軍縮会議ってのは、これは日本の軍オタの中じゃ基本中の基本、知らない奴は軍オタじゃないと言えるぐらい有名でかつ重要な国際会議だ。世界史上日本史上でも欠くことはできん。

ところが、駄目駄目である。

古<話にもならんな
霞<興味も無い 失せろ
赤<死に腐れ 雑魚が
ア<失望した お前にはもう何も期待しない
ロリ<お前は糞の様な男だ 犬の糞になってしまえ
少<腰抜けの上官を持つと苦労するよ
髭<こいつ死ねばいいんだよ


読んでてこの辺の台詞が浮かんできたぐらい駄目駄目であった。

じゃあ何で駄目か。

史料については問題ない。当時日本公使を務めていた外人の日記から、新聞を含むいわゆるメディアの報道も一次史料に沿っておる。実際の会議の様子もちゃんと史料に即しており、間違っている部分は無い。少なくとも私の知識の中でその辺の間違いは見当たらない。一応天下の東大様だからな。間違いはなかろう。

が、これじゃ論文としては駄目だ。まぁ、これが調査報告書って名前なら素晴らしいかもしれんが、論文としては何の意味もない。何故なら、前後関係が全く明らかになっておらん、と言うか、著者が見事に専門バカで何も判っておらんからである。

この会議で問題になったのは、「対米七割」である。これは軍縮条約会議な訳だが、アメリカが10としたら日本は7までの軍隊(軍艦)を作ってもいい、という意味である。ある意味相対的な軍縮だな。

この対米七割ってのが大問題で、日本政府の首脳陣ですら意見が割れた。一部の連中は妥協して6.5割ぐらいでいいやと考えたりもしておったのだが、そうは問屋がおろさぬ。新聞もラジオも国会も対米七割絶対維持を断固主張し、最終的には米100%に対し69.75%という事実上七割で決まったのだが、にも関わらずこの会議の責任者は大顰蹙を買って国賊呼ばわりされてしまう。七割を維持できなかった売国奴どもめは腹を切れみたいなノリとなった。

…という感じで論文は進む。一応、論文の目的は日本民主主義の成熟具合をこの事件を手がかりに探ろうという話なのだが、それよりも七割七割ってお前らバカじゃねーのという結論が出る。そんな馬鹿な話に拘るとは日本人の民度も低いとか、軍部の圧力はこの時点で既に強かったとか著者はそう思っているだろうし、それを読んだ奴もそうだと思っておった。

全く持って馬鹿げた話である。読んだ奴はまだいいが、書いた方はもうどうしようもない専門馬鹿だな。古文書の読み方しか知らず、この会議がどういう歴史的意義を持っているのか理解していないし検討もしていない。



そもそも、この会議はどういう流れの中で行われたのか。世界最強国家の没落、これに伴う海軍力の弱体化、その代わりに台頭してきた日本とアメリカ、日英同盟の解消と英米同盟関係の確立、といった様々な要素を検討しないと全く意味が無い。


一応説明すると~…まず、世界最強を争っていたイギリス、フランス、ドイツ、ロシアといった面々が第一次世界大戦で没落したというのが第一点となる。

イギリスやらは勝ったやないかと思うかもしれんが、戦勝国も若い元気な人間から金から鉄とか資源から何から何まで全部使い潰したから、どっちにしても国力は下がったのだな。だから主に後方支援ばっかりしてた日本とかアメリカが相対的に強くなった訳だ。ここで特筆すべきはイギリスの没落である。

と言うのも、何度も言っている通りロイヤルネイビーと言えば世界最強の海軍である。世界中の海軍を敵に回しても勝てるというその海軍の力こそが、北海道ぐらいの大きさしかないイギリスが世界最強という地位を一世紀以上保てた理由である。

また、イギリスは大陸国家のフランスとかドイツと違い、海があるからそう簡単にはイギリス本土戦争とはならない。極端な話、海軍さえ強ければ、イギリス上陸前に全部輸送船沈められるからそれでおしまいなのだ。また、列強と呼ばれる欧米の強国は何で強いかって、植民地で黒人やら黄色人種やらから搾取してたからである。

この植民地と列強本土を結ぶのは海であり、もし植民地の取り合いになったら、当然兵員輸送やらに海軍は不可欠である。で、イギリス海軍の強さに目を向ければ、後は判るだろう。海を制する事、制海権を取る事は取りも直さずイギリスを最強たらしめた理由の多くなのである。

日英同盟はこの点において画期的である。イギリスは世界最強を続けていた間、どことも同盟しなかった。いわゆる「名誉ある孤立」という奴である。実際、世界最強なら同盟する必要ないしな。ところが、東洋の辺鄙な日本という国と同盟を交わす。これは、イギリス海軍単独では太平洋大西洋の両方を抑えきれなくなったという告白に等しい。勿論それだけが理由ではないがな。

その後第一次世界大戦を経て英国が没落し、日英同盟は解消された。以後イギリスは英米同盟方針をとる事になる。んで、イギリスという抑えがきかなくなったという事は、まぁ大西洋は全部死んでるからいいが、太平洋に変化が訪れるのは必然であろう。


まぁ、アメリカの市民感情はそうではなかったのだが、米英同盟成立後のアメリカと日英同盟解消後日本という二項対立は、それぞれを仮想敵として認識させることになった。これが第二の点である。

んでまぁそこに至るまでは紆余曲折があるのだが、第二次世界大戦が近づくにつれ、各国は貿易をあんまりしなくなった。ひきこもる様になったのである。自分の国と自分の植民地だけで石油から鉄鉱やらが全部まかなえるなら、そのテリトリーにひきこもろうという話である。自国警備の時代だ。

こうなると、ドイツや日本は困る。何故かって、ひきこもれないのだ。特に石油が出ない。日本は、朝鮮台湾満州(まぁ前者二つは何もないが)ぐらいしか自分の生活圏が無く、今でこそ出ておるが当時の満州は石油が出なかったのだ。ここに門戸開放やらが絡むのだが、ともかく。

ひきこもる為の金か親がいなければ、外に出て働かねばならない。植民地獲得運動である。ところが、当時植民地になってない場所など世界のどこにもなかった。列強or植民地だったのだ。となれば、南方の欧米列強の植民地を取るしかない。しかしそうなると、植民地体制の代表者であるイギリス、更にその保護者と化したアメリカと戦争する事になるのは必然である。

とは言っても、アメリカが「石油くれてやるから俺の言う事を聞け」とか滅茶苦茶な事を言わなければ戦争にはならなんだんじゃないかと言われると全否定はできんのだが。日本の海軍にしても対米作戦は専守防衛でが基本で、大量のアメリカの軍艦が日本近海に来るまでに潜水艦とか飛行機で減らして最後の最後に戦艦を出して撃ちあいして米軍を撃退する、という攻めの思想をもうちょっと持ってもいいんじゃないだろうかって感じの構成になってはいる。

まぁ、とは言っても陸軍はソ連に出ようとしたりしておって北守南進だの北進南守だの色々あるから一概には言えんのだが、この辺は複雑になるから置いておく。一方アメリカだが、中米北米を開拓してる間に世界中が植民地になってしまい、新天地と言えば満州やら何やらの支那大陸ぐらいだったから、日本と利害は対立する訳である。とは言ってもアメリカもモンロー主義やら色々あったんだが、政府と言うか大統領は俄然攻めの姿勢であった。

大事なのは、日本とアメリカは太平洋の二大強国であり、互いに仮想敵だったという話だ。ドイツもよく似た境遇だからよく比べられる訳だが、まぁ何にしろいずれアメリカと日本は戦争になる「かもしれない」という事になる。

んで、日米戦はやはり海軍と海軍の対決になろう。東南アジアに点在する島々には陸軍が出張るが、その島に兵隊を下ろしたり補給物資を送ったりするのは海軍だ。だから、海を支配する事、制海権を取る事は極めて重要である。

で、WW1が終わってからこっち軍拡大競争になった。どちらも相手が相手だ。しかも、戦争というのは一回で全部終わり、やり直しはきかない。どんなにアメリカがデカくて数も多くても、ワンチャンスで死亡する場合もありえるのだ。

そんなこんなで日本もアメリカも国家予算の多くを軍隊に回した。すると流石に、いくら二大強国でももたぬのである。日本とか国家予算の半分以上突っ込んでたからな。このままだと戦争もしない間に共倒れになるって事になり、軍縮条約を結んでしまいましょうという事でこの軍縮会議開催に至った訳だ。

まぁ、とは言え。軍縮条約を結んでも、戦争しないと約束した訳ではない。互いに軍隊の数を制限するにしても、互いに戦争をためらう程度の軍隊は揃えておかねばならない。戦争は弱い国とやると儲かるが、強い国とやるとイギリスの二の舞になるからな。この国は油断ならん強さだ、と思わせられる数と質のある船を作っておかねばならん。


それでようやく、対米七割って話になるのである。本当なら軍隊の数がトントンならいいんだが、日本とアメリカでは国土の大きさも違えば海軍のそれぞれの船の強さ、や生産コストやらが全然違う。んで、軍人さんとかが色々検討した結果、日本:米国=7:10なら予算も浮くし、仮に戦争になっても(と言うかアメリカが攻めてきても)日本を守りきる事は出来るだろうという話になった。

こういう背景を踏まえれば、対米七割というのは大問題である事がわかるだろう。これが維持できるかできないかは死活問題であり、国家の安全保障の問題なのだ。そしてついでに言えば、これは会議の形をとった戦争である。

確かに会議というのは「意見のすりあわせ」をするものだ。それぞれ原案を持ち寄って、ここはこっちが妥協するからあれはそっちが妥協してくれ、とかそういう風にやる訳だ。ディベートみたいに相手の案を全否定するのは会議ではない。ありゃ裁判みたいなもんだから高校生とかにやらせるべきではないと思う…のだが、まぁソレは置いておいて。

日本にとって絶対に譲れないのは、やはり対米七割である。対米七割を貫き通すという事は、その七割の軍隊をもってアメリカに「こいつと戦争したらあかん」と思わせる抑止力を生み出すという事である。妥協は即ちアメリカの意思に従う、軍門に下る事を意味する。つまり敗北宣言だ。であるからこそ、事実上七割でも妥協は許されなかった訳だ。まぁ事実上七割で妥協しないと会議そのものが物別れに終わっていたろうから、難しいところではあるんだが。


以上の話を踏まえた上でこそ、初めて対米七割論者の言いたい事が判る。確かにこれは譲れない一線だ。しかし、会議そのものが物別れに終わる事は、取りも直さず日米開戦決定を意味する。日米戦争はまだ回避の余地がある。それをわざわざ潰して、一か八かの賭けに出る訳にもいかないという事で、難しい話である。なんだかんだで国力の差は歴然としとるからな、日本とアメリカは。



ま、こんなとこだろう。

結局、ただの古文書オタに過ぎない学者の書く論文というのは、こういう「大局的なものの見方」というものが抜け落ちておるのである。別の言い方をすれば、極めて近視眼的、視野狭窄的なのだ。古文書の語る世界が全てであり、古文書が語らないものはどうでもいいのだ。

しかし、ほんっと駄目だな。そりゃ日本近代史ってか昭和以降の歴史については学者よりも一般の知識人のが良く判ってるって話にもなるわいな。前回言った通り、「軍人は下劣で卑劣で不潔極まりない最低のクズであり、不遜な危険思想家であり煽動者であり世界から根絶されなければならない最悪の生物」って放置してりゃこうもなる。



>いんぜる

そりゃ誰も問題にしないさ。もう三回目になるが「軍人は下劣で卑劣で不潔極まりない最低のクズであり、不遜な危険思想家であり煽動者であり世界から根絶されなければならない最悪の生物」だから、戦争を、ひいては軍人を肯定的に考えてる奴なんて異端の中の異端、存在そのものを抹消しなければならないってレベルの生命体だもの。なくて当たり前、っていう。まぁ、だから兵頭みたいな民間の研究者(素人ともいう)が気張って本書いてる訳で。


>ごてぃ氏

なるほど…そういう世界なのか……私は結構発展史的なものの見方してるからなぁ。例えば、映画で言えばマッドマックスは後のハリウッド映画に物凄い影響を与えた、当時にしてみれば画期的な映画だけども、今見ても特に面白くない。そりゃそうだわな、マッドマックスを元に発展していったのがハリウッド映画なんだから、進化した後より前じゃ当然差があるあわな、っていう。

後は、共有する知識ですかね。ある程度内容に関する知識がないとやっぱり楽しめないじゃないですか。三国志なら三国志で、正史から演戯からちゃんと知ってると知ってないとじゃ大違いだし。最近アーマード・コアの世界にどっぷり漬かってる間余計にそれを感じる様になりました。fAとか、今じゃ殆ど全ての台詞、キャラ名、機体の名前、パーツの名前と性能、企業とその特性、ブリーフィング内容と何から何まで暗記しちゃってて、それぞれのパロディの世界にどっぷりなのですよ。

でも、何も知らなくても楽しめるものも存在する訳で…難しいです……

3 コメント

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Unknown (ジャスミン青田)
2009-05-21 17:26:18
歴史学において、どの説が正しいだとかはタイムマシンンが出来ない限り検証できるものではないので、

―そのうち俺は深く考えるのをやめた。

歴史っつったらやっぱり戦記物ですよね。特に多対多。同盟対同盟のWW2は俺の欲求を全て満たしています。ロマンなわけですよ。

で、そのロマンを追いかけていくうちに歴史をよく知るようになって結局深く考えるわけで。

面倒くさいので

―考えるのをやめた
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Unknown (霧島)
2009-05-21 18:43:38
タイムマシンあって無理だろ常考

と言うか名前変わってからこっち明らかに故障してるとしか思えないんだけどもまさかの別人だったりするんだろうか。
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Unknown (ごてぃ)
2009-05-23 02:23:10
以前自分が述べたのは戦後、現代の話であって、歴史の中で作品を位置づけるのはやはり必要不可欠な作業です。昔に書かれたものならなおさらです。むしろ昔の常識の中で書かれたものを現代の視点で語ること自体が傲慢なのであり、過去の作品は結局歴史の中でしか位置づけられないです。そりゃ当然のことです。んで、その大半が現代のよりも古臭いのも仕方ないことで。

ちなみに、1930年代に書かれた中国のある小説を「脱構築(これを提唱したデリダは1930年当時まだ0歳児)をまさに体現した小説だ」と臆面もなく言う阿呆の論文が東大の紀要に載ってたりするお茶目がないわけではないです。

まあそういうジレンマは避けられないので、とりあえずはあまり知らなくても面白いならそれでいいと思ってます。なぜ面白いのかもっと知りたいと思った人がいろいろ調べればいいわけで。


あと、ある特定の作品が好きで好きでしかたない病に冒されて盲目状態になってる趣味学者が、文学方面における古文書バカに相当するんだろうなあと、「泉鏡花の狂った感じがたまんないんですよゲヘヘ」で思考停止して、狂気を扱うなら必須であろうと思われるフーコー等との比較を全力で見逃す某国文学者を思い出しながら考えてました。
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