霧島家日誌

もう何が何だかわからないよろず日誌だ。

フン族と西ローマ帝国の滅亡 3:ゲルマン民族の侵入と西ローマ帝国の衰退

2011年08月16日 23時05分01秒 | 社会、歴史
ごきげんよう諸君、いかがお過ごしかな。DQN達に荒らされたお陰でやる気がブレイクしてた霧島である。あまりのブレイクっぷりにより、記事を書く気どころかACfAやる気すら起きなくなって今はAC3Pをやっておる。やっぱりブレード強いと楽しい。まぁ3系は対人戦がクソな仕様だが、レイヴン時代にガチ対戦やりたかったらAAやってろと思っておるので何も問題ない。ぶっちゃけ、4までは「基本一人用だけど友達と対戦も出来るよ!」っていう程度のゲームと捉えてるからな。まぁ4系はオンライン対戦以外が酷いとも言うが。

取り敢えず2ch本スレから涌いてきた人について何か言うとしたら私がミサイラとかに勝てないっていう電波を何処で受信したのかという事ぐらいである。コメントでも述べたが、連ザのデュエルASとか連ザ2のストライクノワールとか、勝てても嫌いって奴だっていくらでもいるだろうに。強アセンとかについては見解の相違もあろうが、ぶっちゃけあんな書き方してる時点でただの煽りである。こんな芸風の人間が煽りに対してまともに相手する訳なかろうが。

ただまぁ、私がミサイラとか相手に勝率悪いのは事実だけどな。相手がミサイラーとかだと判った途端さっさと殺せよとばかりにやる気のない動きになるから。場合によっては動かなくなったり領域離脱するしな、そりゃ勝てない。勝てなくて悔しいです><ってなもんだ、勝つ気もないし。正直言って対重量機戦、特にガチタン戦の方が余程苦手である。対戦経験が少ないから、本当に苦手だ。

まぁ2chの厨房相手すんのは痛いからやめとけと某ぶぶり深い森1900の人に言われたので、以降、ロボゲ板本スレとかから突撃してきた阿呆がいても、基本全削除する、とだけ宣言しておく。まぁ氷って人みたいに長文書いたとかなら相手する事もあるが、あれもちゃんと文章読んでないしなぁ…まぁ煽り書いてくる連中に期待はしとらんと言えばそうだが。


さて、前回でフン族が出現した時点でのローマ帝国の状況については説明したな。

前々回、フン族が欧州に出現した当初は、フン族は一人の王の下に統率された単一の存在ではなかったと述べた。これは、西暦398年に東ローマ帝国によって撃退された時もそうだったし、それからしばらくの間、フン族内の統一は成されなかった。しかも、以前話した通りフン族というのは書物とかそういうものを全くと言っていいほど残さず消えてしまった民族である。

と言うのも、そもそも文字を使っていなかったらしいのだな。最後まで定住型の国家を作らなかったガチの遊牧民族だから、書物を持って移動するのも面倒だったろう。ローマ帝国の資料では、男は馬の上、女は馬車の中で育つとまで言われておる。そんなんだから、彼らは本当によく判らない。

例えば、395年の東ローマ帝国襲撃から398年に撃退されるまでの対ローマ戦最初期、この時期のフン族は名前がわかってる奴が一人もいないのである。いくら当時のフン族に単一の王がいなくとも、有力者なり勇将なり何なりがいた筈である。しかし名前は一切判っておらん。

基本的に、連中が文字を使わなかった以上彼らについて述べられている歴史資料(記録)というのはフン族に襲われた奴の記録であり、そういうので残っていると言えばやはりローマ帝国の記録である。当時あの辺に存在してた国で、歴史資料を後々まで残せる国と言えば、しばらくして西が滅んだとはいえ東西ローマ帝国ぐらいしかないからな。

つまり、奴らはローマ帝国と関わっていない時何をしていたのかというのがよくわからん民族なのだが、ローマ帝国と関わっててもよく判らない事多々なのである。

んで、こういう話をしたという事は、フン族は398年の敗戦後しばらく何をしておったのかよく判っておらんという事である。しかも一人の王の下に統率されていた訳ではないから、尚の事よく判らんのである。一応、どうやら西方に移動していたらしいという事、又、各部族ごとにゲルマン人や東西ローマ帝国の傭兵をやっていたらしいという事は判っている。

この時期に限らず、フン族は結構傭兵をやる。のちにアッティラの宿敵となるアエティウスも、フン族の傭兵を使って戦争した経験があるぐらいだ。又、フン族は強力な傭兵としてかなり広汎に使われた様で、西ゴート王国がフン族の傭兵を使って西ローマ帝国を攻めようとしたら西ローマ帝国もフン族を雇ってたという事もあった。

これは、それだけフン族が強力な戦闘民族だったという事であろう。又、彼らは傭兵稼業の合間にもゲルマン人国家や東西ローマ帝国を襲撃、略奪して稼いでおり、別に傭兵やらないと死んじゃう、という訳ではなかった様だ。全くの想像だが、傭兵は小遣い稼ぎぐらいに思っていたのかもしれん。何にせよ、単一の王を持たないフン族は、その戦闘力を武器に、略奪から傭兵まで幅広く稼いでいた様である。欧州がその舞台だった。

その略奪相手は、無論ローマだけではなくゲルマニアに広く住んでいたゲルマン人達も対象であった。まぁゲルマニアにはゲルマンだけじゃなくスラブ系、ケルト系の連中も多数住んでたんだが、めんどくさいのでゲルマンでひとくくりにする。一昨日頑張って地図を作ったので、まずはそちらを表示しよう。



いつもどおりクリックで拡大。そしていつもどおり、ウィンドウを切り替えながら本文と照らし合わせて読む事を推奨する。まず北のスカンジナビア半島…スウェーデン、ノルウェー、フィンランドを構成する半島の事だが、この辺が赤で囲ってあるな。この囲ったところがゲルマンの原住地であると言われている。スカンジナビア半島と、欧州大陸のバルト海沿岸部だな。

その後、寒冷化か何かでゲルマン人が南下を始める。それが赤茶色で示した、ゴートやらブルグントやらフランクやらジュートやらである。フン族が入り込んでくる前はこういう場所に住んでいたのだ。一方移動しなかった連中もいて、それがノルマン人でありバイキングである。

この、ゲルマン人が住んでいた一帯をゲルマニアと呼ぶ。基本的には、ローマ(イタリア半島)から見て、ドナウ川以北かつライン川以東がゲルマニアである。このドナウ川とライン川はゲルマニアとの国境として機能していた川である。こういう、川とか山によって国境線を引くというのは歴史上多数例があり、現代でも山や川を国境線にしている国があるぐらいである。

例えばこの地図でも、ライン川はスイスとドイツ、ドイツとフランスの国境に一部重なっている。ドナウ川もが東の下流のあたりでルーマニアとブルガリアの国境として機能しているな。又、フランスとスペインの国境、アンドラって書いてあるところに山があるが、このピレネー山脈も国境として機能している。

ちなみに、カエサルの「ガリア戦記」で有名なガリアはアルプス山脈の北、ライン川の西の地域を指す。もう一枚地図を用意したからこっちを見てくれ。えーと、アルプス山脈は、地図を見るとイタリア半島の北側に山脈あるだろう、それだ。ちなみにガリアの南端はさっき言ったピレネー山脈、西端は大西洋。

まぁ共和制ローマの頃はイタリア半島北部もガリアって呼ばれてたんだけどな。ローマ帝国になった頃には、もう「イタリア」とされておりガリアとは呼ばれておらなんだ。尚、フン族が襲ってくる前のローマ帝国の領土も二枚目の地図に書き込んである。

西ローマがイタリア半島とガリア全域、イングランド、イベリア半島(スペイン+ポルトガル)、北アフリカの西側。東ローマがドナウ川以南のバルカン半島ほぼ全域(ブルガリアとかボスニアとかギリシャとかある半島)、アナトリア半島(現トルコ)、北アフリカ東側。又、シリアやレバノンといった地中海沿岸の中東も支配に収めている。鉄道も電話もない時代にこんな帝国があったというのは一つの奇跡と言えるな。まぁずっとこんな大きさだった訳じゃないが。

あああと、結構適当に線引いてるから細かいとこまで信用しない様に。

さて、一枚目の地図に戻ろう。フン族襲撃直前は、ゲルマン民族は皆ドナウ川、ライン川の向こうに住んでおった。川を越えて略奪に来る事はあったがな。しかし、こいつらがフン族に襲われ、玉突き事故の理論でドナウ川やライン川を越える事になる。その最初が東西ゴート族であり、それによって東ローマの皇帝が戦死した事は前回話したな。

さっき、フン族は398年の敗戦後傭兵と略奪をしてたらしい、と書いたな。そして、どうも、彼らはローマ帝国だけでなくゲルマニアに住む様々な部族にも攻撃、略奪をしていたらしい、とも言ったな。このブルグントやらランゴバルトやらといった部族も攻撃を受け、次々と西進、ないしは南進したのである。明るい紫色で囲ったのが、ゲルマン民族の大移動によってできたゲルマン諸王国だが、西ローマ帝国の領土とかぶりまくりである。

かぶってないのってフランク王国だけじゃないか。

まぁ、西ローマ帝国が滅ぶのが476年なので、イングランド諸王国や東ゴート王国は滅亡後にできてるんだけどな。西ローマ帝国の本拠地を東ゴートが思いっきり制圧しているのはもう既に滅亡してるからである。この地図で注目すべきは東ローマ帝国の領地にはゲルマン諸王国がまるで入り込んでいない事である。まぁ入り込んでいないからこそ東ローマ帝国は長生きした訳だが。尚、東ローマが生き残った理由は多分次回に説明する。

さて、フン族とは関係ない様に思うかもしれんが、ゲルマン民族の大移動による西ローマ帝国の弱体化についてはやはりフン族と密接な関係があるので、説明しておきたい。


まず一つ理解しておかなくてはならんのは、ゲルマン民族の移動が発生した以上ゲルマン王国ができなくてもローマには大打撃という事である。何故なら、例えばヴァンダル族がゲルマニア時代に住んでた居住地とヴァンダル王国の位置を見比べて欲しい。

彼らは元々シュレージエンに住んでいた。これはポーランド、チェコ、ドイツの国境あたり一帯の事で、フリードリヒ大王が七年戦争の前のオーストリア継承戦争で獲得した土地である。一方、ヴァンダル王国はアフリカ北部とコルス島(ヴァンダル王国の島の北の方)、サルデーニャ島(同じく南の方)。つまり、最短コースだとしても、ヴァンダル王国建国にはヴァンダル族が皆でイタリアを縦断する必要があるのである。

勿論、その経路上にある都市やらは攻撃されるし略奪される。と言うか、前回も言ったが、そもそもゲルマン人は安住の地探しとその日の食料確保が目的なので、あっちへ行ったりこっちへ行ったりウロチョロウロチョロし、行き当たった都市で略奪するというノリである。ブルグント族も、ランゴバルト族も、東西ゴート族もそうだ。建国前であってもローマ帝国領土内を放浪してるのである。

となれば、ローマ帝国が大打撃を蒙るのも至極当然という訳だな。しかしそうであればこそ、東西ローマ帝国は平等に被害を受け、東ローマ帝国領内にもゲルマン王国が建てられててもおかしくない。では、西ローマは何が問題で、東ローマは何に成功したのか。

まず、西ローマ帝国は皇帝が大変お馬鹿だったという問題があった。前回説明したテオドシウス大帝は、ゲルマン人を使った騎兵中心の軍隊を作り上げて西のローマ皇帝位を簒奪した連中を討伐、その翌年に死んだ。彼は死にあたって、次男であるホノリウスを西ローマ皇帝に指名した(東は長男のアルカディウス)。が、こいつら、本当にテオドシウスの息子かというぐらい無能だったのである。

ただ東の場合救いだったのは、アルカディウスは無能な怠け者であって無能な働き者ではなかった事である。東ローマにはやはり有能な政治家、軍人達が沢山おり、政務、軍務は彼らがやった為特に問題は起きなかった。元々東の国内は結構まとまっており、そこまで無茶苦茶じゃなかったのも大きかった。

一方、西は深刻である。テオドシウス大帝は元々東の皇帝であり、コンスタンティノープルからわざわざ東から遠征してきたのは西の簒奪者を倒す為だ。要するに、西は皇帝位が簒奪される程度には荒れていたのである。そんな時に無能が皇帝になっちゃったから大変だ。

ホノリウスは皇帝になったのが十歳でしかもバカだった。故に、初期はスティリコという将軍が政務を行っていたのである。彼はゲルマン人といわれているが、実際にはヴァンダル族とローマ人のハーフであり、父は元ヴァンダル出身でありながらローマ軍人だった。テオドシウス大帝の側近の一人として軍功をあげた、優秀な壮年軍人であった(ホノリウスが皇位を継いだ時点で30歳)。

彼は有能であり、かつ斜陽の西ローマを支えた英雄であった。まぁ自分が皇帝位を乗っ取るつもりだった可能性もあるが、彼が西ローマ帝国を内外の敵から守り続けたのは事実である。西ゴート族の王、アラリック一世征服王の攻勢を退ける事四度に及び、他のゲルマン人も悉く撃退、その一方で、アフリカでのギルドーの反乱も鎮圧している。

しかしながら、いかにスティリコといえど広い西ローマ帝国の領土全てを守る訳にはいかない。結果として、ガリア、イベリア半島、ブリタニアあたりは軍隊もいないがら空き状態となった。ゲルマン人はこのガリアへ大挙して侵入。しかも、ブリタニア駐留のローマ軍がこの混乱に乗じ皇帝を名乗ってガリアへ上陸、ガリア、イベリア半島の連中はこれに従ったのである。

これはまぁ、仕方ないと言えば仕方ない。スティリコはガリアとかの兵隊をかき集めてゲルマン人からイタリアを守ったが、その分ガリアとかはガラガラであった。略奪し放題だったのである。そこに、軍隊を引き連れた者がローマ皇帝を名乗って現れたら誰だって従うだろう。とは言え、西ローマ帝国として放っておく訳にはいかない。

スティリコは、どうやらアラリック征服王と同盟し、彼らに反乱者を撃破させ、そのままガリアの防衛を任せるつもりだったらしい。ところが、だ。ホノリウスが兄にして東の皇帝アルカディウスの様に無能な怠け者なら良かったのだが、24歳になって野心が芽生えたのか、彼は実権を握るべくスティリコ謀殺を画策(側近の讒言を信じたともいう)。釈明の為ラヴェンナに訪れたスティリコはそのまま処刑されてしまう。

無能な勤勉が味方にいると非常に怖い。

話は前後するが、ホノリウスは即位当時、ミラノ(地図でいうと、東ゴート王国の「493年建国」の9と3の間)を首都としていた。が、ゲルマン人が西ローマ帝国領内を荒らし始めると、危ないってんでラヴェンナ(同じく地図でいうと「イタリア」のリの上あたり)に遷都。まぁそれだけなら問題ないが、以降そこから出なくなる上、スティリコ死後は軍隊をラヴェンナにだけ駐留させるという暴挙に出る。

軍隊がラヴェンナにいるという事は、当然ではあるが他の西ローマ帝国領土を守れない。属州にあたるガリアやイベリア半島(スペイン+ポルトガル)、ブリタニア(イングランド)どころか、本土イタリアすらゲルマン人によるヒャッハーし放題になってしまうのである。

テオドシウス大帝が死んでホノリウスが西を継いだのが395年。ブリタニアで反乱が起こった(と言うか皇帝僭称者が出た)のが407年、スティリコ暗殺が408年。そして410年にはそのホノリウスが、ブリタニアに向かって「おめーにやる軍隊ねーから!って事で独立させてやっから自助努力すれ」という感じの手紙を書いている。

当時、ブリタニアにもサクソン族等のゲルマン民族が多数侵入しており、又、ブリテン島に元から住んでたケルト人からの攻撃も続いていたのだが、イタリアすら蹂躙されてるのにどうせいっちゅーねんという話になったのである。当地に駐留していた軍隊も、例の僭称者がガリアに連れて行ってしまっていた。以降、ブリテン島は七王国時代(もしくは暗黒時代)に突入する。

更に…先程言ったとおり、斜陽の西ローマの柱石だったスティリコは、ゲルマン人とのハーフであった。彼自身がどう思っていたかは判らないが、周囲からは「ゲルマン人」と見られており常に偏見の目があったという。しかし逆に言えば、彼は帝国内のゲルマン人の防波堤だったと言える。ゲルマン人の攻撃により日々劣勢に立たされているのだ、ローマ人達が、ローマ帝国内に住むゲルマン人達を差別、殺傷する可能性は充分にあった。

しかしスティリコ存命中は、同じゲルマン人である彼こそが西ローマ帝国を支えていた。そのスティリコが謀殺された後、ローマ帝国内でゲルマン人殺傷事件が多数発生。これによりそれまでローマ帝国に従っていたゲルマン人諸部族が大挙して離反するという緊急事態が発生する。彼らが合流した先は、かの西ゴートのアラリック一世征服王の下。

彼は宿敵スティリコがいなくなったのを好機と見て(直接の契機は帝国との賠償金支払いの関係だが)イタリア侵攻を再開。ホノリウスの命令で、西ローマ帝国の軍隊はラヴェンナだけを守っている。アラリックはラヴェンナを攻撃する愚は犯さず、迂回してローマを包囲する。慌てての和平交渉が行われたが、これのやり方が又マズかった。

元々、アラリック一世は「征服王」なんて名前がついてるが、そこまで好戦的な王ではなかった。つうか、テオドシウス大帝の治世の頃、西ゴート族は東ローマ帝国の同盟部族であり、アラリック自身も西の傀儡帝エウゲニス討伐に軍功のあった人物である。それが、テオドシウス大帝のバカ息子その1ことアルカディウスが西ゴート族に給料を支払わなくなった為、略奪の為西に向かい、結果、スティリコ率いる西ローマ帝国軍と何度も激突した…そういう話なのだ

基本的に、ゲルマン人にとってローマ帝国は憧れの地であって豊かで高度な文化を誇るローマに自分も住みたいというのが多い。そうでないのもいるがな。大体、ローマ帝国があんだけでかいのにゲルマン民族は各部族の人口がそれぞれ何十万という程度しかいないのだ、全土の占領なぞ土台無理である。ゲルマン諸部族を統括する単一の王がいれば話は別だが、そんなもん無理だ。

この為、ローマ包囲時の和平交渉でアラリック征服王が要求した内容も大したものではなかった。賠償金と、パンノニアへの移住である。パンノニアが何処かと言われると凄く説明しづらく、wikipedia先生みたいにオーストリア、クロアチア、ハンガリー、セルビア、スロベニア、スロバキア、およびボスニア・ヘルツェゴビナの各国にまたがるとでも言うしかない。地図で確認してほしい。

しかしながら、愚帝ホノリウスはこれを拒絶。対立帝の擁立にも失敗したアラリックは、最終手段に出る。

そう。

ローマの陥落と略奪である。

ローマ帝国がまだ都市国家だった時代から難攻不落を誇った、かつての首都にしてローマ帝国栄華の原点は、ホノリウスというお馬鹿のお陰でもろくも壊滅したのである。…まぁ、そうは言ってもアラリックの略奪はそこまで酷いもんではなく、後の東ゴートの略奪や中世のランツクネヒトによる略奪(サッコ・ディ・ローマ)のがよっぽどヤバかったらしいが。

その後、アラリックはアフリカを目指して進軍するも途中で病死。後を襲ったアタウルフ、更にその後を受けたワリアはローマ帝国との和解に成功し、ガリア南部への定住、及び建国の許可を得る。西ゴート王国の誕生である。



ようやくアラリックが死ぬとこまで来たか。次回からは、いよいよ神の鞭と呼ばれた西ローマ帝国末期の風雲児アッティラと、最後のローマ人と呼ばれたその宿敵アエティウスの物語が始まるぞ。

アエティウスだけで終わりそうだが。


8 コメント

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Unknown (ごてぃ)
2011-08-16 23:56:53
>無能な勤勉が味方にいると非常に怖い。
チョクト「ね、怖いよね」
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Unknown (霧島)
2011-08-16 23:57:41
お前そのものだろうがwwwwwwwwwwww

まぁ民主党にはスティリコすらいない訳ですが
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Unknown (ごてぃ)
2011-08-17 00:40:07
朝鮮民族の防波堤ならいっぱいいるよ!
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Unknown (2の18乗)
2011-08-17 00:40:57
小沢さんをハメ殺した鳩山さんはきっと無能な勤b(ry


んー、すごい続きが楽しみですw
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Unknown (霧島)
2011-08-17 01:18:39
こうして、民主党政権が倒されると同時に在日朝鮮人虐殺事件が多数発生したのであった。

…微妙にリアルだなオイ。



続きが楽しみと言っていただけると幸いです
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Unknown (ごてぃ)
2011-08-17 01:44:48
>…微妙にリアルだなオイ。
先の大震災もあって割と切実に過去が繰り返されそうな気が
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Unknown (FishBLUE)
2011-08-17 11:43:41
この調子で全文明制覇したあかつきには
どうにかして金にできねぇかな・・・

ぐへへへへwww
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Unknown (霧島)
2011-08-17 13:42:33
>ごてぃ氏
しかも在日朝鮮人は朝鮮半島にも戻れないし逃げ場は無いのであった


>鯖さん
コミケとかで、同人誌にして売るぐらいしか思いつかないでござる
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