霧島家日誌

もう何が何だかわからないよろず日誌だ。

カワーラ

2009年07月30日 14時51分49秒 | 雑学
ごきげんよう諸君、いかがお過ごしかな。ようやく生活に余裕が出てきた霧島である。ま~た長い間更新をあけてしまったが、記事をファイルしたのがまるごと吹っ飛んだり痙攣発作起こして失神したりしていたからである。まぁいつものことだからいいんだが、記事がまとめて飛んだのは痛いな…

まぁそれ以外にも作業はしておったが。特に鯖用PCのセットアップに目処が立ったのは胸をなでおろした。が、私の先代PCのwindows2000をOSとして入れたんだが、カスペルスキーもウィルスバスターも対応取り止めになってて発狂した。どうしよう、ウィルスソフトの入ってない鯖なんぞ何の役にも立たんし、XPもう一つ買ったら一万近く飛ぶし、マカフィーは一応対応しとるのだが以前使った時物凄く重かったし…誰かXP余ってません……?

んま、それ以外にもPS3のグラフィックキャプチャボードを現役PCに取り付けたり卒論書いたり大学院試験勉強しないとだし色々大変である。特に受験勉強全くやってない。椅子に座ってひたすら本を読み続けるゲームが始まるが、英語とかどうしよう…という感じで色々と余裕がない。いつものことだが、院の試験はやらないと本気でマズい。卒論なんぞ四十八時間かければ仕上がるからな。私はただ真面目にやってるだけである。


さて、そんな話をしてもつまらんだろうから違う話である。



先日、ROで知り合った人がおる。臨港と言って、臨時公平の略なんだが、何処か狩りに行くのを一緒にやらないかというのがあってだな。私はペアか大人数ならいいんだがトリオは駄目だ。呪われてるのか知らんが九割がた地雷を踏む。それはもう、昔からの友人からどころか知り合って一週間も経ってない人にも言われるぐらい地雷ばっかり踏む。

まぁ地雷だったねぇとその地雷支援君が落ちてから話してたんだが、なんか話を聞くに瓦そばを作りたいから瓦が欲しいそうで。うちの会社は瓦はドーンと来いだから相談にのってカタログ渡したんだな。で、ここんとこネタが無いと言うか余裕がないから瓦の話でもする事にする。ちょこちょこと遊んではおるが、息抜き程度だしな。


さて、現在瓦は屋根材としては急速に衰退しており、新築で瓦葺の屋根なんぞ京都ですら見られない昨今である。これは阪神大震災以降加速したんだが、あの時は木造瓦葺の家がぺったんぺったん潰れまくったのだ。これは木造がヤワい構造をしてるのと瓦が重いからだ、という話である。

阿呆か。

建築に関わってる者ならすぐ判るだろうが、確かに瓦は重い。しかし、あの時は潰れるべくして潰れた家ばっかり潰れたのである。要は手抜き住宅だ。先日の記事にしたほどはまだ酷くないが、既に当時から手抜きの家が結構あったのである。

瓦は、重い分ハイスペックなのが特徴である。GA風にコメントをつければおしなべて性能の高いハイエンド屋根材。負荷は高い。となるのである。勿論重いから、しっかりとした家を建てねばならない。んで、50階とかある高層ビルはどうだか知らんが、一般住宅程度の建物であればむしろ木造こそ最適だ。

何でかって、鉄筋コンクリで作った家は、それから改造できない。コンクリが痛んできたから直したいと思っても、またコンクリート流すのは無理だ。鉄筋だって新しいのに交換できない。この点、木造の家はその辺の融通が利く。まぁ、と言うか、京都とかの神社仏閣が悉く木造で築数百年経ってるのを見れば判るであろう。鉄筋コンクリ建築は最低五十年もつように法律で決まっておるが、高層ビルとかどうなんだろうな。ちょっと流石にそこまでは知らんのだが、普通の家で百年以上鉄筋コンクリでもってるとこは無い筈である。

まぁ、現慶應義塾高等学校の校舎ぐらいになれば話は別になるがな。取り壊して新しい校舎建てようと思ったら頑丈すぎて崩せなかったとか、戦時中はあそこに海軍省の航空本部があったりして狙われたのだが12.7mmの機銃掃射に耐えたとか色々実績がある。支柱だけでそこらの小さい学校支えられそうだからな…

あと、先日ビッグベンが百年だか百五十年だかを記念しておったが、あれもあれで手抜きと言えば手抜きだったりする。と言うのも、欧州というのは地震が全くもって起きないのだ。だから、レンガを積み重ねただけの家でも百年以上もつ訳だな。その分地震が来るとこの間のイタリアのアレみたいになるのだ。まぁ、あの地震は崩れた家よりも救援隊が当然の様にシエスタとってたところに突っ込みどころがある訳だが。

まぁ、閑話休題。で、瓦はハイエンドである。CPUでいうとi7みたいなもんである。8コア。こういう高性能なものは動かす為のパワーとかエネルギー、要は原動力が相応に必要となる。例えばi7を使ってパソコンを組むなら、500Wぐらい、できれば600Wぐらいの電源が欲しい。そこらの家電量販店で売ってるのは300Wもなかったりするから、どんなEN馬鹿食いか判ろうというものだ。

瓦もこれと同じだ。手抜き住宅なんぞに瓦を載せるのは、軽量脚に社長砲積むようなものだ。


又、地震についてはもう一つ話さねばならん事がある。飛行機事故もそうだが、地震というのは地震によって潰れた家とかマンションにぺったんされて死ぬと皆思っておる。が、これは間違いで、実際には地震の後発生する火災で死ぬ奴のが断然多いのだ。この間のフランス製の飛行機が事故った(だから仏製使うなってあれほど言ったんだ)はどうか知らんが、飛行機事故でも八割ぐらいは墜落時生きており、その後火災で煙にまかれて倒れてるところに火が来て死ぬのである。

故に、地震の際は、建築物によっては耐震構造以上に防火性能が必要とされるのである。んで、実は瓦というのはとても優秀だったりする。何せおしなべて性能の高いハイエンド屋根材である。んまぁ瓦は元はと言えば土で、しかも土を焼いて作ったものだからな、これで逆に熱に弱かったらそれはそれで困る。そんな訳で、屋根から延焼しにくいというのも大きい特徴である。地震に限らず火災は火の性質上屋根から貰い火、つまり燃え移る事が多いからこの辺も評価してもよかろう。

しかしながら、やはり金がかかるのが問題になる。新築でまともな家を建てようとしたらローンなど一生かかるだろう。まぁそれ以上にもう家を作る必要が無いというのもある訳だが。この間言った通り、不動産業や建築業は欠陥住宅を作りまくっておるが、できるだけ安くして売って生き残ろうとしておるのだ。



まぁ、そんな訳で瓦のハイエンドさを説明したりしてみた。

しかしアレだな。



地獄の沙汰も金次第。

マスコミの情報操作の現実

2009年07月24日 13時27分57秒 | 社会、ニュース
ご…きげn……よう…諸君。自分の手で自分の首を絞める真っ最中の霧島である…いかがお過ごしかな……ぱたり。

まさかこんなに手がかかるとはな…単純な作業だと思ってたんだが、レポートの提出と会社の仕事がぶつかって死んでおった。まぁ現実逃避で映画見てた私が悪いんだが。遊星からの物体Xは名作だと思う。


取り敢えず、記事を更新する気力が湧いてこない。悪いが↓で我慢してくれ。と言うのもだな、以前から新聞とテレビはあてにならんし吐き気を催す害悪であると言ってはばからぬ私だが、電車の中でノートPCを開けぬ時は大人しく携帯で新聞を読んでおる。その新聞の記事が、速報と吟味された後の表現が全然違う。

要は、情報源にあたるAP通信とかからまだ情報が来たばっかりの記事(ネットになら載る)と、それを整理再構成した記事(新聞にはこっちが載る)が全くもって違うのだ。特高警察も真っ青な情報操作である。

今回、携帯で見た速報はPCでどうがんばって検索しても出てこなかった為、手打ちした。速報と新聞記事を見比べてみてくれ。ほんと酷いから。私も流石にここまで酷いとは思ってなかった。逆朝日といわれる産経新聞がこれである。








新聞に載った記事



執行部と官邸スタッフの力不足 麻生政権弱体化の一因
2009.7.18 19:54

このニュースのトピックス:自民党

記者団の問いかけに無言のまま官邸に入った麻生太郎首相 =16日午前9時35分、首相官邸(酒巻俊介撮影) 自民党内の混乱が麻生政権の弱体化に拍車をかけているが、その一因が「麻生太郎首相の盾となるべき党執行部や官邸スタッフの力不足にある」(ベテラン議員)との批判が党内で広がっている。今の陣容では、今後も一層、党内の亀裂を深めかねず、衆院選に向けて一枚岩の体制づくりは困難な状況だ。

 「一連の地方選挙について謙虚に受け止め、総括して対応していく。その方法は細田博之幹事長に一任してある」

 東京都議選敗北を受けて、麻生首相がこう述べたのは、14日の代議士会だった。しかし、任された細田氏がその対応を固める前に、中川秀直元幹事長ら「反麻生勢力」は、都議選敗北の総括だけでなく「麻生降ろし」をも視野に入れた両院議員総会の開催を求める署名活動を本格化させていた。

 細田氏に代わって事態の早期収拾に動いたのは、各派閥の事務総長たちで、15日に細田氏に対して、「一般の国会議員の意見を聞く場を速やかに今週中に開くべきだ」と申し入れた。これに対して、細田氏の腰は重く、同じ執行部の保利耕輔政調会長や笹川堯総務会長も慎重論だった。

 ただ、党執行部には事務総長の提案に代わる知恵はなく、逆に反麻生派切り崩しで動いた形跡もない。また、内閣の番頭役である河村建夫官房長官も同様で、与謝野馨財務相や石破茂農水相の署名の動きを阻止できなかった。

 結局、執行部が手をこまぬいている間に、両院総会開催要求の署名が130人を突破。あわてた執行部は両院総会に代えて、議決権のない両院懇談会を開く妥協案を17日に決め、なんとか乗り切ったものの、細田氏や河村氏がもっと早く動き、懇談会開催で軟着陸させていれば、混乱はここまで拡大しなかった。

 都議選投開票日当日の細田氏の行動も党内をがっかりさせた。この夜、各党幹事長クラスが党本部に陣取ってテレビ出演する中、細田氏は石原伸晃幹事長代理(都連会長)に任せて早々に帰宅したのだ。このため、16日の自民党都議団の議員総会では落選候補から「地方議員を大事にしていない」と叱責(しつせき)が飛んだ。

 マニフェスト(政権公約)づくりでも執行部の影は薄い。本来中心になるべき保利氏ではなく、園田博之政調会長代理らが主導権を握っているのが実情だ。

 中川氏は18日の日本テレビ系の番組で、「党のマニフェストで足りないとしたら、補足する努力をすることはあり得る」と表明するなど、党内では独自のマニフェストづくりの動きが活発化している。これでは、衆院選に向けて自民党は政策的に分裂しているとみられてしまう。

 これに対して、河村氏は同日のTBS番組で、「完全に党を分けなければいけない」と述べ、別の政権公約を掲げるのなら離党せよと牽制(けんせい)した。だが、そんな脅しで、党内の混乱はおさまりそうにない状況だ。











一方、速報






【衆院解散】自民最終攻防 反麻生の「敗戦」濃厚 水面下で何が…
(2009/07/16 23:58)


 自らの手による衆院解散を狙う麻生太郎首相と、退陣を求める反主流派による自民党の攻防は、首相側の辛勝という形で終わった。党執行部や各派領袖は、16日アサに「勝利宣言」をした反麻生勢力をどのように封じ込めていったのか。

 「オイ!何の権限があって写真をとっているんだ」

 16日午前9時すぎ、党本部4階の幹事長室。中川秀直、加藤紘一の両元幹事長らが、細田博之幹事長に両院議員総会開催を求める133人の署名を渡そうとした瞬間、石原伸晃幹事長代理の怒号が響いた。秘書がカメラを構えたことに講義したのだが、石原氏のあまりのけんまくに加藤氏までビクッと首をすくめた。それほど党執行部には緊迫感が漂っていたのだ。

 中川氏らは両院議員総会長の若林正俊元農水省にも署名を渡し、党本部で記者会見。フラッシュの嵐を浴び、出席議員はほおを紅潮させた。

 中川氏「地方選の敗因を総括し、衆院選に向け体制を建て直すために真剣な議論を行うため、両院議員総会の週内開催を求める」

 建部勤元幹事長「自民党は開かれた政党でなければ終わりの終わりになっちゃう。総裁の沿う最たる名誉ある判断を求めたい」

 勝利宣言とも受け取れるが、この時点で既に党執行部の猛烈な切り崩しが始まっていた。細田氏に渡した書名には谷津義男元農水省、岸信夫参院議員の名があったが、若林氏に渡した書面では2人は消え、宮路和明衆院議員らに差し替えられていた。世耕弘成参院議員は「都合により一部差し替えました」と語ったが、険しい表情は水面下の激しい攻防を物語った。


    × × ×


 16日午前11時。新宿の東京都庁都議会棟では自民党都連の「お別れの総会」が開かれた。有力都議が相次いで落選したため、出席者は一様に沈痛な面持ち。細田氏は「われわれ党本部がさまざまな要因できわめて大きな悪影響を与えてしまったことを心からおわびしますと頭を下げたが、都議らの発言は辛辣(しんらつ)だった。

 「政策が悪いわけでも首相や執行部が悪いのでもない。一部の国会議員が好き勝手なことを言うのでエライ批判を浴びた」(三原將嗣都議)、「苦しいときに踏ん張る努力をしないで人気にあやかって選挙を戦おうという人たちが都議選に影響した」(古河俊明都議)-。落選した高島直樹都議会幹事長は「残念で悔しくてたまらない。わが党のドタバタ劇をやめてほしい」と声を詰まらせた。

 いずれも怒りの矛先は、首相ではなく反麻生勢力に向けられた。都連の総括がこういう結論ならば、「首相に総括させ退陣を迫る」という反麻生勢力のもくろみは根底から崩れる。これを聞いた自民党幹部はほくそ笑んだ。

 「これでジ・エンドだ」


     × × ×


 午後から切り崩しはさらに本格化した。

 「署名した先生方の気持ち、反麻生と言う生やさしい言葉で片づけられるものではないと信じている」

 古賀誠選対委員長は古賀派総会で声を震わせながら自民党の凋落(ちょうらく)を嘆き、「私は麻生さんの元で結束し、選挙をまっしぐらにやる強い意志を固めている」と断じた。首相との不仲がうわさされてきた古賀氏の一言に出席者は縮み上がった。

 伊吹文明下幹事長は午後4時、「全国保育議員連盟」の会合で津島雄二元厚相に耳打ちした。

 「両院議員総会は政権にとって危険だ。党執行部はそれに変わる緊急集会を開くと言っているので、あなたの派閥の署名はすべて撤回できないか」

 もともと倒閣の意思がなかった津島氏にとって「渡りに船」だった。すぐさま派内の署名活動のとりまとめ役だった船田元事務総長を派閥事務所に呼び出し、こう告げた。

 「わが派で署名した33人のうち10人ほどを撤回したいのだが…」

 背後に執行部の影を感じた船田氏は、「われわれは首相と率直に語り合いたいだけだ。首相の集会への出席を確約してくれるならば撤回してもいい」と応じた。

 他の各派閥領主裏も署名した議員一人一人に電話をかけ、真意をただすと「勝手に名前を使われた」「署名はしたが麻生降ろしにはくみしない」など釈明する議員が続出した。

 もはや週内の総会開催は望むべくもなく、議員たちは次々に地元選挙区に帰っていった。


     × × ×


 実は加藤氏はこの予兆を感じていた。15日深夜、反麻生勢力の拠点となった都内のホテルで中川氏らが、「署名が集まった」として祝杯を挙げる姿に違和感を覚えたからだ。

 たとえ総会を開催できても署名は党内の3割。その中で「麻生降ろし」まで熱望しているのは半数以下。つまり「麻生降ろし」の勢力は全体の6分の1に過ぎない。「大喜びするほど磐石ではない。明日は一気に逆襲されるぞ…」。加藤氏は酒が妙に苦く感じた。

 反麻生派の敗戦が濃厚となった16日夕、首相は記者団にこう語った。

 「そういう(話し合いの)場を設けてくれるならばぜひ出席し、話を聞き、私の考えも述べたい。にげるつもりはまったくありません」

 事実上の勝利宣言だった。(石橋文登、水内茂幸)











さっきも言ったが逆朝日の産経でこれだ。読む気はないがどうなってるんだろうな…

人間が神の似姿とされる事の意味

2009年07月13日 19時53分54秒 | 社会、歴史
ごきげんよう諸君。いかがお過ごしかな。都議選で民主が第一党になった訳だが、衆議院選挙ももうすぐだ。麻生留任以外日本が生きていけそうなビジョンが見えないが、どうなるんだろうな。小泉プロレス劇場はここからが正念場であろう。

が、やっぱり時間はないから、またしてもレポートを書く事になった為、日誌の更新がてらまた書こうと思う。

今回のお題は『人が神の像と似姿に作られた(創世記)ことの意味とは何か』である。いい加減日本史の勉強したいんだが駄目かな。ミスターカミサマや。まさかこの間みたいに聖人にするつもりじゃなかろうな。パウロとかアウグスティヌスみたいに。


さて、人が神の似姿なのはどんな意味を持つのであろうか。この神と人間が似たよーな姿をしているというのは、我々の住む物理世界に対して我々人間が持つ絶対的優位性の現われだと私は考えておる。神は人間を作った時、解釈にもよるが天使を含め、動物だの何だの全てが人間に仕える事を命令しておる。故に、人間と動物では大きな違いがあって、それが『魂』なのだ。

人間には肉がある上魂があって、動物には肉があっても魂が無い。これは言い換えれば、人間には本能と理性があるが、動物には本能しかない、という事になる。この辺の問題は、中世までは基本的にガクシャサマの議論するところで、一般人、つまり農民であったり中世都市の市民だったりという連中は全然意識していない。

と言うか、当時は聖書を読んではいけなかったのだ。もし読もうと思っても、一般人は読み書きが全く出来ない。高地ドイツ人なら高地ドイツ語を片言(カタコト)で読み書きできなくはないが、聖書はラテン語であるからさっぱりだ。つまり、聖書を読む事は神父様の特権だったのだ。故に、一般人がキリスト教信者として登録されても、神父様が言うとおり祈ったりパンを食べたり油を塗られたりするだけで、キリスト教がどんなものかは具体的にには知らんのだ。

だから、ルターが聖書をドイツ語訳したら㌧でもない事になったのだ。しかも活版印刷技術も開発され、大量生産されてドイツ(と言うか歴史的ドイツ)全域に広がってしまう。それで農民戦争が起こり更にドイツ三十年戦争にまで色々ごちゃごちゃしたんだがその辺は置いておいて、これでプロテスタントが誕生したのだという事が重要である。

元はと言えば、プロテスタントはカトリックへの疑念…と言うと語弊があるがこう言えば判り易いからそのままで進む。で、ルターはカトリック的キリスト教に疑念を抱いていた。別に無神論者だった訳でもなくむしろ信心深い模範教徒であった。しかし、だ。普通、キリスト教信者は神父様とか司祭様と一緒にお祈りするだろう。しかしじゃあ祈ってればそれでいいんかいと思ったのがルターなのだ。祈るにしても、どう頑張ってもそこには欲望が混じる。ロンドン在住元ワラキア公アーカードさんが言っておったのと結構似ている。彼はこう言った。「神は助けてくれと祈る者を助けたりはしない。それは祈っているのではなく神に陳情しているだけだ。死ねばよい」とな。

つまり、祈り一つとっても危険な要素が混じる。又、教皇ならともかく、どんなに偉いキリシタンだって、上司は必ずいる。ならば、汝は上司に頼ってはいまいか? 自分は適当に祈っておけば上司が代わりに教皇へ届け、その祈りを教皇が神に託してくれると考えてはいまいか? 権威にすがってはいないか? 怠慢の罪を犯してはいないか?

で、ルターは悩み悩んだ末プロテスタントを誕生させたのだ。権威に頼らず、人間一人一人が神に向き合い一人一人の祈りを一人一人の責任によって行う訳である。んでその上聖書なんて読んだ日には、人々は神のもとに平等なのにおかしいじゃねーかって話になったりするのだな。それで農民戦争とかユグノーだとか三十年戦争だとかごちゃごちゃするのだがそれは置いておく。んでは、どうやって祈ればいいか?

それこそが理性である。

人は各自の理性をもってものごとを判断し己の意を実現できるのだ。だから、祈る時も自らの理性をもって神に祈りを捧げるのである。神父様とか司祭様とかに丸投げせずに、自分の理性で、自分の責任で祈る。それこそがプロテスタントである。


となれば『理性』が重要である事は火を見るより明らかだ。理性とはひいては魂であり、神が人間を似姿として創造した要諦はここにある。魂を、ひいては理性を人間に与える事によって、人間が物理世界を支配する事を可能にしたのだ。故にそれを命じた、とも言える。人間は物理世界を支配できるのだ。理性を使って世界の真理を探求し、科学を発展させ、森を切り開き人間世界に従わせようとすべきでありそれは可能なのだ。

近世から近代(と言うか第一次世界大戦まで)にかけての思想。積極的で、人間の業を褒め称え、理性によって発達した科学をもって自然を従わせ、人間はどこまでも前進する事ができる――みたいな思想。この思想の背景にあるのは理性である。

科学万能主義もここに根源にある。一昔前まで、「科学は人を助ける」と思って頑張って科学技術を開発したのに、結局軍事用に使われたりして人を殺したり、環境汚染を引き起こして地球環境を悪化させたりしてしまい、絶望にくれる科学技術者は結構いたのだな。そういう連中の、「科学は人を助ける」という発想は理性から発信されている

人間には理性がある。だから科学を研究できる。そして神様から与えられたものが理性であるから、自らのやっている事の正当性を見失う事はない。唯一絶対の神がくれたものであるから、間違っている筈が無い。この発想から神の見えざる手も出てくる。高校の世界史でやったかもしれんが…

普通、市場で人がものを買う時、買う方は出来るだけ安く且つ質のいいもの、売るほうは出来るだけ高く悪いものを売ろうとする。どちらも理性を使って自分に利益が及ぶようにする訳だ。これだと経済が立ち行かない気がするものの、アダム・スミスが「人間は売り買いに理性を使う。神が下された理性で経済活動を行えば、神の見えざる手に導かれて景気は良くなる」みたいなことを言っておる。これも理由に理性を求めている。

それがたとえ欲望だったとしても、人間の欲望と動物の欲望は違う。人間の欲望は理性から発信されているのだ。動物の欲望は本能から発信さえているものであるから悪なのであって、理性が生み出す欲望は善である。だから↑のアダム・スミスのがああ言った訳だ。

更に、実は戦争まで肯定されておったのである。つまり戦争=理性の産物。戦争も外交の一種の形態に過ぎず、理性をもって行われる戦争はむしろ良い事であり外交上非常に有効な手段だと考えられていたのだ。まぁ今の価値観で言っても似たような話も無いではないが少なくともここまでプラス思考ではない。マイナスイメージだ。しかし彼らはプラス思考である。

で、案の定、第一次世界大戦で勝つ事に理性を使いすぎて大変な事になった訳だ。ここで理性、ひいては魂、神の似姿たる本能しかない動物と違って文明を発展させられる唯一の絶対者たる人間である、という発想が挫折するのである。

だから、欧州の歴史は第一次世界大戦が一つの画期となるのである。日本とアメリカはあんまり何もしなかったから第二次大戦が画期となる訳だが、アメリカはいまだ挫折してないからあんな感じということだな。南北戦争で挫折はしたんだけどな、一応。


斯様に、キリスト教における神の似姿という発想は、ついこの間まで社会的原理として受け継がれてきたのである。場所によってはまだその発想で生きている国も存在する。アメリカの事だが。だがこうした視点を通す事で、いかにキリスト教が世界を席巻してきたか判ろうというものであろう。

鉄道発達にみる先見の明

2009年07月11日 17時01分20秒 | 社会、歴史
ごきげんよう諸君、いかがお過ごしかな。気づいたら試験が目の前に迫っている霧島薫である。いい加減スイッチ入れないとだな。取り敢えず慶應早稲田青学は受けてみようと思っておる。あと国立と言うか旧帝国大学系。しかし東大とかの大学院は何で願書配布がこんなに遅いんだろう…

まぁ、その前に学士取らなきゃいけないんだがな。


さて、↑と本題が関係ないのはいつものことである。いつものことついでに、久しぶりに大変ひどいものを見たから貼っておく。久々にダイレクトメールのリンク押した結果がこれだよ!っていう。



じゃあ何かって今回のお題は鉄道である。あ、鉄道というと、最近知ったのだがサボコレなるものが売られている様である。とある人にお祝いとして献上したのだが、なかなかよくできている。サボというのは、今では電光掲示板とかに取って代わられつつある列車のどこ発どこ行とか書いてあるアレのことだ。これがよくできており、本物と同じ素材を使って焼き入れして作ってある上、片手用両手用の仕様の違いなどを詳細に再現しておる。ついでにストラップにもなる。私もちょっと欲しくなってきた。


いつも通り早速話題が逸れた。さて、私の卒論は鉄道である。第一志望は日欧近代比較史だったが、完成まで5、60年かかる事に気付いてアウトになった。第二志望は軍事史だったのだが、以前述べた通りの理由によって切り替えたのだな。何せ我が家の書斎と書庫は某日本最高(笑)学府の図書館より優秀なのだ。鉄道関係限定だが、近代史ならそこそこ揃えておる。

お陰で、家にいながらにして研究を進められるのだ。これは大変な優位である。だから選んだというのが本音なのだが、研究を進める内に私が本来やりたかった研究に大きく関わっているのではないかと思い始めておるんだが、まぁ私自身ちゃんと整理して考えられてる訳ではないから置いておく。

んで、今日は鉄道の話でもしようと思う。


そもそも、鉄道ってのは何で鉄のわっかと鉄の床でできておるのか。これは、摩擦力の低減の為である。諸君も学校で習ったと思うが、例えばアクリルケース内のフィギュアを配置変換しようってんで、ちょいと押して移動させるとする。すると、アクリルとフィギュア(大抵PVCだ)の間に摩擦が生じる訳である。

この摩擦力だが、鉄同士の摩擦力は非常に小さいのだ。蒸気機関車とか大掛かりなものでは判らんだろうが、例えばトロッコをボーンと蹴ったら結構な距離を動くであろう。これは鉄の車輪と鉄の軌道(レール)との間の摩擦力が小さいからである。だから、戦後のいわゆるモータリーゼーションが完遂しても新幹線は有用なのである。決まった道しか動けないが、その決まった道が万人の通る道なら需要はある。まぁ、最近では貨物をトラックで運ぶ場合が多いのだが、あのモータリゼーションっつーのは間違いなくアメリカと豊田王国の陰謀である。

車はアスファルトの上をゴムタイヤで走る訳である。当然、摩擦力の差は歴然としている。…というか、自動車の車輪が鉄同士ぐらいしか摩擦力なかったら、オールウェイズ複線ドリフトである。確かに、鉄道は決まった道しか走れない。しかし、必要なエネルギー、例えばガソリンもしくは電気とかの事を勘案すれば、例えば東京から広島までものを持っていくには鉄道のが有利なのは明らかである。貨物運搬線の駅に車で持っていって荷物を預けて、荷降ろし駅で荷物を受け取って、それから車で運べば良い。車ってのは本来こう使うものだ。

ちなみに、今でこそ新幹線は最新鋭技術の結晶というイメージだが、戦後、鉄道は斜陽産業といわれ、新幹線開発当時のいわゆる知識人(笑)は新幹線と戦艦大和とピラミッドは世界三大馬鹿と言っておった。で、新幹線が完成した瞬間手のひら返した訳だ。知識人ってのはほんとに死ねば良いのである。と言うか知識ないだろお前。

また話がそれたが、そんな訳で、鉄道というものは摩擦力が極めて少なく僅かな力で大重量の荷物なり人間なりを運べるのである。しかしこの摩擦力というのがまた鉄道の弱点でもあった。と言うのは、摩擦力が低いという事は機関車のパワーを車輪に伝えにくいと言う事であり、ちょっとした斜面があると即パワーダウンという事になるのだ。

ここで、一応用語を説明しておこう。‰の事だ。まぁ釈迦に何とやらだが一応聞いてくれ。‰という単位は%の拡大発展版で、まぁ判りやすく言えば、1%=1/100であるのに対し、1‰=1/1000という事だ。

さて、明治からこっち蒸気機関車による鉄道は20‰以上の坂があると挙動が怪しくなり、30‰以上となるともう速度がかなり落ちるし機関車もいっぱいいっぱいになる。つまり、3%の坂があるだけで動けなくなるのだ。これが40‰50‰となると、もう登れないのである。

まぁ、一応30‰以上の区画を走る方法もないではないがな。蒸気機関車は先頭の機関車が後ろの車両を引っ張る訳だが、最後尾の客車なり貨物車なりに補助機関車をくっつけて、二台の機関車で無理矢理引っ張ったり押したりするとか色々小技はある。アプト式っていう歯車式機関車を使えば、70‰すら超える区画のある碓氷峠も何とか越えられた。しかし、いちいち機関車をくっつけたり外さなければならんのでは面倒でしょうがないし、アプト式は速度が残念で工費もかさむ。スイッチバックしてもいいが、どんなのかっていうと箱根登山鉄道みたいなアレであるから、物凄い時間がかかる。電車と違って逆っかわに機関車取り付ける事になるから余計だ。

そんな訳で、明治期というか蒸気機関車の時代は坂を如何に避けて線路を敷くかというのが極めて重要であった。山なんぞ隧道(トンネルな)でブチ抜けばいいではないかと思うかもしれんが、当時は掘削技術も未発達であるからバカバカ貫く訳にもいかんのだ。

しかし、これが電車とか汽車になると話が変わってくる。電車とか気動車は蒸気機関車に比べて物凄い強力な機関車なのだ。蒸気機関車の開発では、蒸気機関のパワーをいかに効率的に線路へ与えるか、つまり粘着力をどーにかして上げるのに腐心してた(まぁ逆にこれを上げすぎると摩擦が増えて遅くなる)訳だが、これは機関車の強化によって簡単に解決してしまったのだ。


これを勉強しながら、先見の明がいかに難しいか判るなとか思った。できれば20‰以内、そうでないとしたらできるだけ25‰以下ぐらいで線路を敷くとなるとこれは大変な作業である。1kmにつき2m程度以下の坂のみにする訳だからな。山なんかあった日には大変である。金も工期もかかるのを覚悟の上で隧道を掘るか、右へ左へクネクネするような線路にするかしかない。出発点から目的地に直線を描くなど論外である。

しかもさっき言ったように隧道をばりばり作る訳にもいかん。又、当時は地形図は国家秘密である。何でかって、軍事的にマズいからだ。それに衛星も飛行機もない時代だから、詳細な地図は作れない。その国家の地理担当部署でさえな。だから江戸時代に自分で歩いて地図作った某伊能なんとかが作った地図は国家機密扱いされたのだ。

逆に言えば、地図を手に入れたらその国を攻める時たいへんに有利である。今登ってる山はどこに通じてるのかとかどっち方面に歩けば東京を攻められるかとか、そういう部分が全くわからない状態で攻めてくることになるのが普通なのに、最初から詳細な計画を立てることができる。

ロシアが日本を攻めたいとし、年代は日露戦争としてみよう。旅順大連あたりから『日本の喉に突きつけられたナイフ』こと朝鮮を経由して対馬を経て九州を取る、というのは黄金パターンだ。もしくはウラジオストクの海軍を使って北海道を制圧し南進するかだな。しかしここで地形図が手に入ったら、新潟あたりに上陸し関越を経て東京を一気に抑えるという手が浮上する。関越トンネルなんてあった日にはアウトである。

うん、ここで思い出したが、戦争と鉄道は密接に結びついておる。と言うか、第一次世界大戦があんな戦争になったのは半分ぐらいは鉄道のせいである。他には銃の性能向上とか新啓蒙主義による無制限戦争化っつうのもあるのだが、鉄道はやはり大きな役割を果たしている。

と言うのも、第一次世界大戦はガン守りが強い。要塞とか塹壕にヒキコモるのが強い。何でかって、味方も敵も塹壕の中にいる訳であり、攻撃する時は塹壕から出て走らなければならない。徒歩だ。一方守る方は現代でもやる様に機関銃で弾幕張ったりする訳だ。しかも守備側は塹壕の中だから大変安全である。

んで、当時は車が無い。しかし鉄道はあった。鉄道はレールひかなきゃ走れん訳で、攻撃についていくことはできない。逆に、守る方は動かないんだから、鉄道が物凄い勢いで弾とか兵隊を補充してくれる。逆に攻撃側は、弾とか大砲とか全部徒歩で持っていかないといけないという訳だ。

その上、施条銃(ライフリングしてある銃)とかの性能向上が画期的になされ、歩兵銃の命中率は格段に上昇した。適当に撃ってりゃ立ってる奴は問答無用で死ぬぐらいにな。更に機関銃も開発される。あー、ほら、アレだ、諸君が歴史で習わされた『大日本帝国陸軍』の銃剣突撃は機関銃でバタバタやられましたー、馬鹿ですねー頭悪いですねー精神主義ですねーっての。まさにそれである。ただでさえ補給で有利なのに、こうなったらどう考えても守る方が有利だ。これが大戦末期になると機関銃を弾きながら移動できる戦車の登場とか飛行機による爆撃とか浸透戦術の開発とかによって攻撃有利に戻るのだが…

日露戦争はプレ第一次世界大戦みたいな戦争だった訳だ。故に銃剣突撃vs機関銃とかの弾幕という戦争であり、又、鉄道戦争であった。何がどう鉄道戦争かって、占領した地域の端から端まで鉄道引いて輸送に使うという戦争になるのだ。


逆に言えば、だ。

攻め込んだ場所に鉄道があったらワッホイである。

しかもあった訳だ、例えば日露戦争の頃には、既に鉄道があったのだ。そう、新潟にな。流石に関越自動車道はまだ無いが、直江津線が出来てしまっておる。直江津から軽井沢までが結ばれておりしかも貨物輸送列車だから始末が悪い。軽井沢まで来たら、中山道線に乗り換えてそのまま一気に首都東京を落とせる。これが北海道もしくは九州への攻撃が同時に決まれば、それだけで一切合切何もかもが決着する。


この鉄道という物体、日本の近代化に欠かせないのは事実である。どんなに生糸が取れても、外国に輸出できない事には金にならない。東京に帝国大学が出来たって、学生は限定される。関東甲信越以外から来るのはよっぽどの金持ちぐらいであろう。新聞だって徒歩で配れる範囲でしか展開できない。明治の初めに鉄道事業を決定したのはまことに英断であり先見の明があったと言える。

しかし、この先見の明というのは極めて難しい。先程述べた通り、蒸気機関車の時代には斜面の有無が全てを決した。しかし気動車電車の登場により、斜面の有無は問題ではなくなった。むしろ、線路の曲線が問題になった。電車とかは速すぎて、それまでのウネウネ線では速度出しすぎるとこける訳だ。結果から言えば、多少の斜面を気にせず無理な線路通したのが先見の明であり、逆にウネウネしてでも斜面のない線路を作ったのは先見の『暗』である。

しかし、当たり前の話だが、ウネウネ線路は作るのにかなり労力が必要だ。単純な長さも増えるし、買収する土地も増える。金がかかるのだな。しかしそれでも、今『だけ』を考えない。鉄道ってのは通ってしばらくすれば沿線が発達する。鉄道というのは殖産興業になるのだ。沿線の経済活動が発展すれば、鉄道の本格化が要求される。将来を見据え、今後のことを考え、多少金がかかってもウネウネな線路を作るべきであるとした者も居た。山陽鉄道などは、その為に25‰以下だけの線路を敷いたのである。

が、電車の登場で全部台無しになった。現在の山陽線は、一部は昔の線路を走っておらん。あまりにウネウネしてたからまっすぐな線路をひきなおしたのである。


まぁ、なんだ。


プロジェクトXがいかに胡散臭い番組だったかがよく判った。

マイホームにご用心

2009年07月07日 11時48分46秒 | 雑学
ごきげんよう諸君、いかがお過ごしかな。相変わらず余裕の無い毎日を送っている霧島薫である。ただでさえ大学が面倒でしかも期末試験が近付いておるというのにPCパーツはエラー吐くわガンスリ祭は盗難が発生するわ挙句完治した筈の背骨で動けなくなるわでてんてこ舞いである。大学院願書配布を見逃してそうで怖い。

まぁ、通勤中には何も出来ぬから記事でも書く事にする。

そういえば、私は一応建築業界の人間である。不動産とかではなく純粋に建築屋だ。基礎工事から屋根の仕上げまで全部やる訳ではなくて屋根専門なのだが、まぁ建築をやる以上必要であるから建築全体の知識も無いではない。と言うか、そこらの土方よか大分マシである。

んで最近、と言ってもここ一年ぐらいだが、下田町の方で建て売りの新興住宅地が結構作られておるから、それを見ておって色々と痛感している。何にって、現在の新築住宅の手抜きっぷりである。諸君らは建築についての知識は全くないであろう。精々、鉄筋コンクリートのが木造よりかは頑丈だとか、2X4とかかっこいいねとかその程度ではないか。これは当然の事である。建築業者が公にしないから。ついでに言えば、どんなに手抜きしても壁で隠せばOKという要素も大きく作用しておる。

何でこうなったかと言えば、建築業者が多すぎるからだ。戦後は大都市は殆どが消し炭になったから、建てる一方だったのだ。しかも人口も増え放題だった。だから建築業は右肩上がりだった訳だ。これがいわゆるバブルって奴がはじけるまで続いた。あん時も土地を担保にしてたらサブプライム/リーマンよろしくバブルがドーンとなった。

すると、元々存在していた問題が表面に出てくる。現在一億五千万人ぐらいが日本の人口だが、人口が増えすぎて失業者対策がヤバかった昭和ですら一億人しかいなかったんだからな。これ以上人口は増えぬ。となれば家を建てる人間も少なくなる。すると売れなくなる。しかもマイホームなんぞは金持ちの道楽であるから、不況になれば売れなくなる。ついでに土地問題でバブルが逝ったから建築業者どころか不動産業が死にそうになる。

そんな訳で、現在不動産とか建築業は衰退の一途なのだ。はっきり言えば、建築業界が適切な状態になるには現在の業者を三分の一まで減らすぐらいしないと駄目だ。しかし駄目でも、簡単には店を畳めぬ店ばかりである。まぁ当たり前と言えば当たり前だがな。三代目四代目社長が多い世襲業界だ。と言うか世襲じゃないと無理ってぐらい大変なのが本来の建築業である。


まぁ、こうなるとサービスの向上に力を入れるのが上等だ。客が増えなければいい仕事してお得意様を作るのが一番いい。それが出来ないなら値下げだ。今まで提供してきたサービスの質をあまり落とさずどうにかして値段を下げるのだ。

ところが、さっき言った通り、一般人には建築の知識など全く無いと言っていいほどである。又、サービスの向上とは言っても、例えば百貨店なら従業員を訓練してより良いお買物をお手伝い、とか、バンダイのガンダムのプラモデルであれば新商品には最新技術を導入して質を上げつつ安価なものを提供するとか、まぁそんな感じだろう。では、建築業のサービスとは何か?

それは、ほぼ全てカネである。値段だ。勿論、駐車場のあるなしや何階建てであるとか近くに駅があるとかそういった条件も重要だが、結局のところ、費用対効果で選んでるだけであるから、つまるところ全ては値段の話なのだ。しかも愚かと言うか哀れな顧客はその家に一生暮らせると思っている。

実際のところ、今の家など二十年もてば万々歳だ。

まず、水道管がゴムホースである。まぁゴムホースと言うと語弊があるが、一般人に説明するにはゴムホースと言い切った方が判りやすいからな。ともあれ、ゴムホースである。普通水道管は金属であり、ねずみとかの進入を防ぐ為にS字みたいになっておったりするのは諸君も知っての通りである。

んで、当然と言えば当然だが普通の水道管を作るには配管工を雇わねばならん。ところが、ゴムホースなら雇う必要は無い。更に良い事に、家というものは一軒一軒形が違うし土台になる土地も違うから一軒ずつ測量して設計する訳だが、場合によっては普通の水道管だと台所まで水を運ぶのが大変難しい場合がある。上水道から水が出てくる場所と真逆に設計してしまったりな。しかしゴムホースなら全く問題ない訳だ。

まぁゴムホースとは言っても強化型だからすぐ潰れはせんが、もったとしても五年である。又、最近の家は縁の下というものを作らず、地下には直接コンクリートを流す。だから、場合によってはゴムホースの為にコンクリブチ抜くという残念な事態になる訳だ。

んで又このコンクリも酷い。基礎工事というのだが、家を建てる場合土台を作らねばならん。この土台は掘って埋め、その上に家を建てるのである。んー、判りやすく言うと、家というのは地面に置くものではなく、地面に埋めるものという事だ。その埋まってしまう部分にコンクリートを流す訳だ。諸君も見た事があろう、謎の円形タンクを載せてそれがぐーるぐーる回っておるアレである。いわゆるコンクリートミキサー車という奴だ、

コンクリートというのは、一度水を混ぜたが最後絶対に固まる性質を持ったセメントによって構成されるものである。このセメントと水の量が最適な状態でかつコンクリートミキサーによる保管だと、大体三時間で固まる。もう言わんでも判るだろうが、水をたっぷり混ぜるのだ。

水を大量に混ぜると、固まるまでに時間がかかる。だから何処にでも持っていけるし、渋滞に引っ掛かってもOK、しかも水は無料みたいなもんであるから、一方セメントはカネがかかる。んで、こういうのを水コンクリと言うか、金のかかるセメントを少なく、無料に等しい水を多くすることによって便利で安い新建材に早変わりである。

んで、だ。コンクリートというのはセメントと水を混ぜる訳だが、ただ流し込むのではなくよく掻き混ぜてやる必要がある。すると、当然空気が入って気泡が出来てしまうのである。これはコンクリートの特性上避けられぬ事だ。そして、水を混ぜれば混ぜるほど気泡が出来る。気泡が入ってしまうと、空白空間が生まれる。当然これも欠陥建築の元だ。何せコンクリートの塊の筈が蟻の巣ばりに虫食い状態なのだからな。最近の家の、コンクリートで出来た壁とかがやたらめったら気泡の痕らしいツボツボが出来ておるのはこのせいだ。

尚、コンクリを注ぐ工事は雨天決行である。

又、コンクリートだけでは意味が無い。コンクリートは押されるのに強いが、引っ張られると簡単に破壊されてしまう。地震の時、コンクリートだけが地面に埋まってても意味が無い。そこで、押されるのに弱いが引っ張られるのに強い鉄筋を入れる訳だが…この間の痛にゅーを見ても判る様に大変残念な具合である。日本も流石に高層ビルはともかく、そこらの家はあんな感じだ。引っ張られるのに抵抗する筈の鉄筋がズボッと抜かれてしまっておる。


さて、前からずっと書こう書こうと思っていながら書いてなかった最近の建築事情について述べた訳だが、今回何で書こうと思ったかって、ちょっと気付いてしまった事があって頭を抱えたからだ。と言うのもだな。

最近、職人の業とか匠とか自分で言ってる奴らも多いが、現在の建築業界で実際に工事をやる連中は純度100%のドカタである。頭が悪いとか常識がないとかそういうのを通り越してしまった生命体である。だから、最近の家は簡単に作れるようになっている。即ち、







みたいな感じだ。建築の為の柱やら床やらは全部規格化されており、最初から工場が加工済みの木材やらを生産しそれを現場に送るのだ。測量する事もなく、ドカタ連中はただプラモデルを作るのと同じ様に説明書に従って家を建てるのである。現場作業員がドカタで問題ないのはこのせいだ。

そういえば、先日うちに不動産の勧誘の電話してきた奴がいおったが、私も向こうも現在の事情を知っておるから勧誘にならん訳だ。んで話を聞いてると昔は不動産ではなく建築業者で働いておったらしい。何でかって聞けば、現場作業指導をやってたんだが良心の呵責に耐え切れなかったんでやめてしまったらしい。

まぁそら相当面の皮が厚くないと出来んだろうな、あんな仕事。

閑話休題。んで、このマイホームなんだが、基本的に柱と柱とかはL字金具をくっつけて釘で固定する訳である。本来は、『ほぞ』と呼ばれるものを使う。こんなの。↓



しかし、少しでも安くする為にこれをしないのだな。まぁ、柱が細すぎるから臍きったら折れそうな気もする訳だが。

んで、だ、

最近、新ホワイト・グリントがVOB付で発売だとか破壊天使こと初代ノブリス・オブリージュだとかがプラモデルで発売されておるのを見て、ちょっと欲しいな~とか思っておったのだ。ただ、現在我が家にはMGフリーダムとか1/100デュエルガンダムだとか同じくな暁とかが積まれておるから、そっちを先に作らねばならん。まぁどうせ買っても作る時間などないんだがな。

とは言え、デュエルは塗装する為の工具とか塗料を買ってしまっておるから、あ~いい加減どうにかせんと金の無駄だな~、ってんで箱開けて説明書をちょっと読んでみた。で、気付いた。

















































ほぞが切ってあるじゃないか。























即ち、ガンダムのプラモデル>マイホーム



色々と間違ってる気がする。30年前のガンプラと同じ仕様じゃないか、これ。L字金具か接着剤かが違うだけで。

キリスト教は何をもってキリスト教たりえるか

2009年07月03日 22時04分58秒 | 社会、歴史
ごきげんよう諸君、いかがお過ごしかな。かなり長い間更新をあけてしまった霧島薫である。元気にしておったかな。私はリハビリ、とはまでは言わんが、三ヶ月ほど全く動かなかった身体を日常生活に慣らすのに苦労しておる。更新できなかったのの半分はそれが理由である。

え?

もう半分?

………

………………

………………………


大体これ↓で察しがつくだろう。








最近のROはたまに経験値1.5倍期間というのがあってな。その期間内に獲得した経験値はその名の通り1.5倍になる。ちなみに有料アイテムで戦闘教範というのがあってだな、これを使うと1.5倍になる。そして1.5倍期間に使うと2.25倍になる。久々に気張った。

ちなみに主食は執行である。そこらのSbrよりかはよっぽど強いからな、SpP特化は。ただ、強いのはいいんだが、棚ガチ構成とかでなく普通に鳥教以外に火力でWIZとか連れて適当な狩場行くとWIZが要らない子になるとか色々問題あったりなかったりした。WIZ及びHiWIZがRO最強である事に異論は無いが、やっぱり硬直してる感は否めないな…硬直してなかったらそれこそ厨職になるがな。


まぁ、とは言っても、別に常時遊び呆けておった訳ではない。研究もやっておるし、サーバーを立てる作業も進行中だ。ここまで手間取っておるところを見れば大体判るだろうが、難航中だ。この間新PCを完全新規部品で作り直し、旧PCの部品を流用してサーバーを立てようという訳だ。基本的に死んだのはマザーボード(基礎の基盤な)だけだから、大分前に買ってそのままにしてあった乙性能のマザーボードに繋いで通電させたのだが、USBのキーボードもマウスもまるで反応しない。どっかの接続が死んでるのかどうか知らんが、何を押しても反応しない為どうしようか頭を悩ませておる。

新しいマザーボードといっても、HDDは前使ってた奴だ。windowsが入っておるから、電源入れてほっとけば起動する。しかしUSBで接続しても何の反応も無いという事である。本来なら、windowsはキーボードを認識できないとエラー吐いて止まるんだが、今回は普通にwindwsが起動してしまうから良く判らん。

他のUSB機器を接続しても反応がない。やっぱりこいつ死んでるんだろうか…もうアスロンx2対応の基盤って売ってないような気がしてならんのだが…確か下位互換無い筈だし。中古を買うか……? 電源も四ピンのばっかりでSATAの形してないからな。変換コネクタ買えと言えばそれまでだが、そうしたらそうしたでIDEのHDDばっかり余ってるし。かと言って最近の基盤はIDE挿すとこ全然ないし。

どうにかして安く済ませたいものである。このままいくと鯖用PCとか買わねばならん。


ん?

なに?

RO、と言うかガンスリ祭の為にリアルマネー突っ込む気かって?













という訳でこれを読んでいるそこの君!余ってるマザーボード等PCパーツがあれb(以下、霧島家特別高等警察の検閲により削除されました)


んまぁ本題とは関係ないがいつもの事である。







私は今年素敵な名前の授業を取っておる。その名はキリスト教概論である。

はっきり言えば、正直判りにくい。だが、教えようというひたむきな熱意、学を伝えようという真摯は素晴らしいものがある。中高時代ならともかく、大学に入ってからではそれだけで評価に値する、否、私の中高時代が恵まれていただけである。よって、出来るだけ出る様にしている、ただ、アルファ波が出てるらしく何度か寝てしまった。中高大と居眠りだけはしない人生だったんだが…

んで、その授業は教場レポート試験だそうだ。お題は「キリスト教は何をもってキリスト教たりえるか」である。そんなこと言われたら、私は即「弱者のルサンチマン」もしくは「世界最大最強のカルト」と答える訳だが、それだけだとアレであるからここで日誌の記事ついでに考えてみたいと思う。今回は主に後者についてだ。


そもそも、キリスト教はユダヤ教から派生したものである。旧約聖書は本来ユダヤの教典だからな。このユダヤ教とかキリスト教の持つ宗教上の特質は、まず神様が人々を助けてくれるというところである。以前の日誌で述べた様に、普通の神様は特に人々を助けてはくれないからな。正確に言えば、直接的に言えば、普通の神様はこの物理世界に干渉してくれないという事だ。

一番判りやすい干渉がモーセのアレである。旧約のエジプト脱出だ。あの時、モーセはまず「奴隷にされているエジプトの同胞を助けなさい」と神は言う。んでモーセが色々言ったり言わなかったりして危険手当とか夜逃げ救済保障とか神様の戸籍証明書とかを貰ってエジプトに行く訳だ。んで実際にエジプト人に包囲されてもうだめぽという状況になった時、神様は海を割ったりして助けてくれたのだな。しかもシナイ山で契約を結び、この契約が守られるなら救済しようという事まで言ってくれる。

普通、神様はここまで干渉しない。以前述べた通り、ゼウスはゼウスで美少年を掘ろうと追っかけ回し、オーディン御一行はラグナロクで絶滅するしであんまり人間世界に干渉しないのだな。東洋でも、例えば支那王朝では天命ってのが干渉にあたる。三国志大戦でも曹操様が「天命は我にあり!」とか言ってたアレである。天という唯一神みたいなものがあって、それが命じる訳だ。天下を取れってな。どうやるかは丸投げだが。

普通の神も現実世界に干渉しないではない。天がそうだし、バアルとかも豊穣をもたらしてくれる。エトナっていう史上初且つ最悪のヤンデレが大変危険だがまぁ良くしてくれる。日本の神社仏閣だって金とか境遇次第ではちょこちょこと色々やってくれるからな。しかし、キリスト教の神ほどは色々してくれない。

聖書とか外典とかでもあるが、聖者伝なんか凄いぞ。例えば最終的に修道院に入った聖人が居たとしよう。まず農村に生まれたとする。んで修道院は都市にあるから移動させねばならない。そこで、神の導きで村を飢饉に陥れ流民化させるのである。んで都市に言ってから職人か何かになろうとすると、やっぱり神の導きでこれを阻む。こんな調子で何度も何度もその人の心を折ったり人生を台無しにしたりしてようやく修道院に入らせ、聖人にする訳だ。


どこの創価学会だ。


そんな訳で、ありがた迷惑であるほどに神様が色々世話をしてくれるのがキリスト教である。この為、キリスト教は非常に俗な宗教として発展していくのである。中世教会の成立までは色々変遷がある為省くものの、特に西洋ではキリスト教は万民の宗教として成立する。そして価値観も一様となり、社会制度的な側面を持つ様になる。故に、私は世界最大且つ最強勢力たるカルトであると考えておる。

カルトってのは反社会的な宗教という意味だが、反社会的であるからこそ社会的であると言える。オウムとか思い出せばすぐわかるだろう。あの教団は日本全体にしてみれば反社会集団だが、オウム内部にはオウムなりの社会がそこにあったのだ。これが世界全体を支配したのがキリスト教であるといえよう。キリスト教的な社会が西欧を支配してしまったのだ。まぁ勿論身分制と二本の柱で社会を形成する訳だが、今は置いておく。

Jル=ゴフっていうGrandMaster悪人面なフランスのとても偉い学者がおるのだが、彼はこう言っておった。中世は西洋にしか存在しない、ってな。中世という時代にもし生まれたら、例えば農民だとするとこんな人生↓になる。

まず生まれる。生まれた瞬間、まずその場所の持ち物として登録される。リッチランド農業プラント村だとすれば、リッチランド村の住人として登録されリッチランド村の持ち物となる。本人の自由意志は認められない。リッチランド村の農民(予定だが)以上でも以下でもない。『リッチランド村の農民』ともう確定してしまうのだな。又、同時に生まれてすぐ洗礼を受け、キリスト教徒と登録されキリスト教社会に組み込まれる。あとは言わんでも判るだろう。


人道主義なんぞあの時代に存在しないからな。重要なのは、キリスト教的世界観である。キリスト教的世界において、人間はイコールキリスト者である。逆に言うと、非キリスト教徒は人間ではない。まぁイスラム教世界との国境線あたりなら話は別だが、基本的に人間としては認められない。と言うか、認められないどころかサタン様の手先でありむしろブチ殺されてしかるべき存在なのだ。

あ~、前言を翻す様だが、あの時代にも人道主義はあった。但し人道主義が適用されるのは人間だけつまり、キリスト教徒のみが『人間』であるから、そうでない『人』には適用されないのだな。

この辺がなかなか表現しづらいのだが、我々は一つの世界で生きておる。白人黄色人褐色人黒人全て人間として扱われる。思想信条の別なくだ。勿論犯罪者は取り締まれ逮捕されるが、あくまで人間として裁判にかけられ法に基づいて処罰される。しかし中世は違う。二つ世界がある。人間の世界とその他の世界である。そしてこの二つの世界は場所によって区別されない。同じリッチランド村の人でも、キリスト教徒でなくなれば『人間世界』からは追放され『その他の世界』の住人とされてしまう。んで物理的にも村から追放だ。

『その他の世界』に行ってしまったら、もうどうしようもない。野盗とかに襲われて殺されても、アバロンのダニが一匹減ったなという話で、その野盗が罪に問われるって事はない。相手はサタン様の手先だからである。であるからこそ、破門というのがいかに怖いものか判ろう。どこに行っても社会的な保護は受けられず、むしろ襲うのが推奨される存在になってしまうのだ。当然、元いた村からも追い出される。どこに行っても受け入れられない。


この様に、死後の世界だとか祭で祀られるだとかそういう宗教とは、キリスト教は決定的に違うのだ。キリスト教は現実世界をも強力に拘束するのである。ルゴフが言ってた、中世ってのは西洋にしかないってのはこれを指しておる訳だ。キリスト教は、キリスト教世界を規定し作成維持する事ができたところに肝がある。

キリスト教がキリスト教たる理由はここにある。キリスト教はカルトとして完成された宗教なのだ。まぁそれだけならイスラム教とかも同じじゃないかという者もおろうが、普通こういう話をすると、「宗教のせいで近代化が遅れた」という近代史の話を思い出すだろう。実際、トルコは中世から近世にかけて世界最高の一流国家だったが、第一次大戦頃には後進国であった。

しかし、キリスト教はその意味においても完成されているのである。イスラム教は、例えば喜捨があるが、捨てる相手がいないと捨てられないのである。んで日本に諸君今住んでおって、捨てる相手いるか? 大抵いないだろう。ホームレスだって我が世の春を謳歌しておる。しかし捨てる相手がいなくてもどうにかして捨てないと教理にそむく事になる。だから、インドとかには職業乞食がいる。しかもそういう奴が意外と金持ちで外車乗り回してるとかそういう色々と間違った事態になってしまっておるのである。

結局イスラム教というのは、硬直してしまっていて誕生当時には適切でも時代が下れば非適切になってしまうのだ。男尊女卑と言うか、なんだ、一夫多妻制だって当時は男がどうしようもないぐらい少なかったから人口を増やすため取られた措置なのだ。だから当時は適切な手段だったのである。勿論今では適切とは言えん。非適切とまでは言わんがな。

何でこうなったかっていうとそれはそれで非常に長い話になってしまうからしないが、大きいのはイスラム教は変化しないのが原因だ。マホメットが最後の預言者、預言者の完成とされ、もう聖人みたいなのは現れないとされておるのである。マホメットが言った事、と言うかコーランに書いてある事はもう変わらないのだ。

キリスト教も聖書は変わらんが、或る程度信者の解釈にフリーハンドを与えているという点が違う。ギリシャ哲学などを取り込みながらこの世の真理を追究する為に神学が生まれた。要は、イスラム教がコーランを暗記する様な受験勉強、キリスト教は大学の卒論みたいなもの、という差があるという事だ。だからこそ、科学という一見反宗教的な学問(まぁその前にプロテスタントの誕生ってのが一枚噛んでるが)が登場してもキリスト教は崩壊しなかった。むしろ科学を使って、神ってのは我々が普通に考えてるのとは違うんだ、と新しい神像を探したりするのである。

こうして、キリスト教社会を構築し聖人を生みカルトとしても成長し続けたのがキリスト教の特色なのだ。であるからこそキリスト教は、少なくとも第一次世界大戦までは世界を席巻し続けたのである。




教場レポートには長いな。どうしよう。