霧島家日誌

もう何が何だかわからないよろず日誌だ。

マムルークとイェニチェリ 後編

2011年01月21日 18時57分45秒 | 社会、歴史
イェニチェリは、オスマン・トルコの奴隷軍人だ。皇帝直属の親衛隊である。親衛隊というとドイツ第三帝国の親衛隊(シュラハトシュタッフェル)が有名だが、他にも色々あるし歴史も異なる。フランス共和国親衛隊とか、日本の近衛師団とかな。ヴァチカンにだってスイス衛兵隊があるのだ。そう言えばこいつらはヘルシングの第九次空中機動十字軍に参加してたな。

大体において、親衛隊というのは二つの要素がある。まず第一に精鋭部隊である事。場合によってはこれが先鋭化し、単純に精鋭部隊を親衛隊と呼んでるだけという事もある。ソ連の親衛隊とかはこれが該当する。第一親衛狙撃師団とか、第八親衛軍なんて風に名付けられているが、基本的にただの名誉称号である。たとえば第八親衛軍は、元はと言えば第六二軍だったのがスターリングラードを最後まで守り抜いた功績を表して親衛の名を冠されたのだ。

どうでもいいが、ここの司令官ワシーリー・チュイコフはおっぱいぷる~んぷる~んで有名な某総統シリーズの元ネタ映画にも出てくる。ヴァイトリングが降伏交渉しに行った先で相手をしてるのがワシーリーだ。ニコニコで見る機会はあんまりないが総統閣下達がけいおん!の世界に移動するようですシリーズには出てたな。

もうひとつの要素は、国家元首直属の部隊である事であり、又、主な任務として国家元首の身辺警護を行う場合が多い。その為、戦争になっても国家元首が戦場に出ない限り出征しないという場合も又多い。まぁ、イェニチェリの時代には王自ら軍隊を率いて戦場に出向くから当然出征する訳だが、近代の親衛隊は本国に鎮座している場合も多い訳である。


さて、これを中世の国家であるオスマン帝国(オスマン・トルコ自体は1900年代まであったが、イェニチェリができたのは中世)にあてはめるとどうなるか。AOCのトルコの文明解説で説明した通り、トルコ人というのは元々テュルク系遊牧民が南下してアナトリア半島とかに住み着き、イスラム化した民族である。

このテュルク系遊牧民というのは、世界史でよく名前を見る匈奴、突厥、ウイグル、キルギスなどを含み、又、キプチャク・ハン国とかチンギス・ハンとかの「ハン」はテュルク系言語で皇帝を意味する言葉である。ここまで言えば判ると思うが、テュルク系遊牧民はモンゴルのマングダイの様な軽装騎兵を軍の主力としていた。勿論、重装騎兵隊もあったがな。

そしてオスマン帝国を創始したオスマン一世は、テュルク系遊牧戦士団のリーダーであった。つまるところ、初期オスマン帝国の主力である遊牧騎兵は皇帝(の祖先)の昔の同僚な訳である。故に、皇帝が頭ごなしに命令しようとすると何だあの野郎俺らがいなかったらふんぞり返ってもいられない癖にとなってしまう訳である。

又、オスマン帝国では在郷騎士団も重要な戦力であった。これは、いわゆるティマール制によって任命された地方の徴税官達である。普段は地方の徴税官として働き、いざ戦争となれば馬を持って騎士として馳せ参じるのだな。しかしながら、徴税官と言っても要するに地方領主であり、封建領主である。ぶっちゃけ戦争になんか行かないで税金取ってた方が儲かる。痛い思いもしなくていいし、戦争に行くとなると武具、食料品、馬、従者の給料と色々金がかかるからな。だからできれば戦争に行きたくない訳である。

初期オスマン帝国は、こういう連中に軍事力を依存していたのである。皇帝の意のままに動き、どんな命令でも黙って忠実に実行する軍隊は持っていなかった。なので、遊牧騎兵や在郷騎士団に不利な法律を施行しようとしたり、大規模な戦争を起こそうとしたりしようとすれば、良くて反対運動、悪いと反乱が起きる可能性があった。実際、王が強力な軍隊を持たなかった欧州中世では、貴族と王の争いが頻発している。

こんな状況の中、イェニチェリが誕生した。キリスト教徒居住区の幼少男子を徴集して奴隷軍人とし、厳しい訓練を課すのである。幼少から訓練を重ねる事により彼らは屈強な兵士となり、精鋭イェニチェリ軍団が誕生するのだ。又、訓練という鞭だけでなく、免税とか高給といった特権を与えるという飴も与え、皇帝への忠誠心を育てた。又、彼らは皇帝と会食する権利があり、一般人には雲の上の人である皇帝と触れ合うという行為は彼らのエリート意識を大いに高めただろう。尚、奴隷が皇帝と会食ってどういう世界だと思うかもしれんが奴隷軍人王朝よりはまだ現実的だ。

ともかく、結果として、皇帝の命令に絶対服従する精鋭軍団が誕生したのである。まるで人形の様に統制された動きとまで言われた精鋭部隊だ。こうなれば、遊牧騎兵や在郷騎士団と皇帝との立場は一変する。今までは彼らの権益とかに配慮して、言わば部下に遠慮する政治をやってきたのである。変な事を言ったら、彼らが反旗を翻す可能性があったのだ。しかし、今や皇帝には強力なイェニチェリ軍団がある。「俺の言う事が聞けないのか? あん?」「や る か ?」という感じで脅しをかけられるのだ。そこまでしなくとも別にいいよ、俺の言うこと聞けないなら出てっても。もう君用済みだからとも言えるのだ。

こうなっては、遊牧騎兵も在郷騎士団も皇帝に従うしかない。彼らの権益は、何だかんだ言ってオスマン帝国あってこそのものだからな。こうして、皇帝の命令は確実に実行される事になりオスマン帝国は欧州より一世紀以上早く中央集権体制(絶対王制)を確立したのである。お陰で、オスマン帝国は地上最強の国家として中世終盤の大陸に君臨する事になった。


一般的に、封建制国家よりも絶対王制国家の方が強い。当たり前である。封建制国家は、言ってみればイェニチェリ誕生前のオスマン帝国みたいな側面がある。何か新しい法律を作ろうとしたりした時に「その権益俺によこせ」「いや俺によこせ」「好きにやれよ、でも俺の権益は保障してもらうぞ」なんてどっかでよく見るような光景が繰り広げられる国と、国家元首が「やるぞ」と決めたらそれを押し通せる国ではどっちが強いかなんて考える必要もない。

まぁ勿論、絶対王制側の王が余程の間抜けではないという条件はあるがな。そうは言っても、間抜けな王ってのは権益の亡者に権力をむしりとられて体制が後戻りするってのが大多数なんだが。それはともかく、オスマン帝国はこの中央集権体制と優秀な指導者、そして優れた軍事力と経済力によって史上稀に見る大発展を遂げた。見ての通りな。

黒海を手中にし、東はカスピ海西岸やイラン西部まで。紅海も完全に手中にし、ホワイトアフリカも制覇、アナトリアは勿論ルーマニアやギリシャを含む東欧諸国が存在するバルカン半島も完全に制圧している。オーストリア、ドイツに十分手が届く距離であり、事実、神聖ローマ帝国首都ウィーンは二度にわたって包囲されている。


しかし盛者必衰は世の常。歴史上日の沈まぬ国のひとつであったオスマン・トルコの衰退の主原因(の一つ)は、皮肉にもオスマン帝国の躍進を支えたイェニチェリであった。つまりだな、オスマン・トルコのスルタン(君主)はイェニチェリという手駒があったから強権を振るえた訳である。

ではイェニチェリが皇帝に反旗を翻したらどうなるか?

答えは一つだな。元々幼少期からの訓練という鞭、そして特権階級という飴の二つがキーだった。しかしながら、イェニチェリの拡充(元は歩兵だったのが砲兵、騎兵まで持つ様になり人員もかなり増やした)に伴い、幼少期に徴集するという体制を維持できなくなっていく。更に、特権に目がくらんだ連中が制度を破壊し、妻帯したり子供をイェニチェリにしたり(つまりイェニチェリの世襲化)する様になる。これでは首都にいるだけで地方領主と変わらない。

こうして肥え太ったイェニチェリ軍団はやがて政治にも介入する様になり、イェニチェリの気に入らない政策があれば皇帝、宰相を廃位、更迭したり、最悪の場合監禁したり暗殺したりするという事態に発展する。それでもオスマン帝国が強国ならばいいが、ティマール制の崩壊によって在郷騎士団が崩壊。つまり重騎兵隊が消滅し、欧州でテルシオやスウェーデン式大隊が開発される間、イェニチェリの装備と戦術は何も進化しなかった為、オスマン帝国の軍事力は急速に弱体化した。

やがて、オスマン帝国は瀕死の重病人とまで言われる弱体帝国と化し、欧州列強に領土を蚕食されていくのである。




どうでもいいが、今回の記事は一万三千字ほどある。そして、昨日一万字書いたところでフリーズして吹っ飛んだ。泣けるな。

マムルークとイェニチェリ 前編

2011年01月20日 18時56分42秒 | 社会、歴史
ごきげんよう諸君。いかがお過ごしかな。私は最近忙しかったり体調悪かったりフリーズしたPCが再起動中windowsを起動しています画面で再度フリーズしたりと大変困った毎日を送っておる。本当に寿命だな。そんな訳で、新発売となったsandy bridgeのCPUとマザーを注文した。他の部品が原因じゃないかと思うかもしれんが、USBポートがマイクロソフトのマウスしか受け付けないからまぁ原因はマザーだろう。

しかし何でここまで外れ引くんだ私は。

又、ノートPCもいい加減死に掛かってたんで買い換えた。新型のCF-F9も持っていたのだが個人的にvista以上の糞OSと認定したwindows7搭載であり、AOCができない。いや、できるんだが色バグを起こして16色になるのだ。

ゲーム自体はまぁ普通に動くんだが、いかんせん私がやるのは4vs4である。青色の味方が来た!と思ったら紫色の敵だったとかザラである為、大変問題である。解決法としてはexplorerを落とすしかない(つまりAOCが終わったら再起動必須)。ぶぶりじゃなければバッチファイルで事足りるんだが…

又、ROが動かない。windows7でROは動く筈なんだが、あのPCだと動かない。よって、私が京都を留守にしてデスクトップPCが使えなくなると露店が開けなくなる。そんな訳で、新しいXP搭載のノート購入を決意したのである。CF-N9JCCP。さっきのサイトにも多分載っておる筈だ。マイクロソフトと契約の関係上XP搭載PC出荷は去年で終わりらしいので、あわてて買ったという側面もある。

あと、マウスも新調した。こっちは別に壊れた訳じゃなかったんだが、AOCをやってるとボタンがいっぱい欲しくなってな。ゲーム中左手を全然使わない私としては、色んな操作を右手でやりたいのである。そこで、某インゼルって人にお勧めされた何を考えて作ったんだかわからないマウスを買った。

MMORPG向けを謳った17ボタンマウスであり、サイドボタンとして電卓状に12個ボタンがついてる大変お馬鹿なマウスである。どうでもいいが、これの宣伝ページの開発経緯に「彼らは一日中MMORPGで遊んでいるのにMMORPGにはどんなマウスがいいのか考えてこなかったのです」とか書いてあるんだが遊んでないで仕事しろよ。


さて、本来は前回に続いてようやくドイツ三十年戦争後のマスケット戦術について述べたいのだがいい加減このシリーズ飽きてきた人もいるだろうと思うので小休止といこう。先日、mixiで2の18乗氏の日記にコメントをしておったら、「AOCに出てくるユニットで世界史に出てくるユニットってあるんですか?」とか言われたんで、又元ネタでも探っていこうと思う。

ま た A O C かとか言われそうだが、今回はゲームに関係なく、単純に歴史の話であるから勘弁してくれ。

さて、AOCのユニークにはそれぞれちゃんと歴史がある。ロングボウについてはクレーシーの戦いで記事にしたし、三国志好きならば連弩についてある程度知っているであろう。しかしながら、これが世界史に出てくるかと言われると出てこない。何故なら、ロングボウとか連弩が世界史に大きな影響を与えたかと言えば…結構重要なんだけどなぁ。

いや、連弩は正直どうでもいいが、ロングボウはイングランド軍の主力であり、その編成は自由農民である。これは百年戦争とかで中小貴族層が没落して、貴族(騎士)から農民へと軍隊の主力が移った非常に象徴的な出来事なのだ。それに向こうの貴族ってのは日本の貴族と違って戦う人だからな。西欧の貴族身分は日本史でいうと武士身分に近いのである。

戦う人だからこそ、連中の城ってのはどんなに壮麗でも大変住みにくい環境にある(ベッドだってただの巨大なソファで、背もたれに寄りかかって寝るのだ。襲われた時戦える様に)し、王だろうが何だろうが戦場へ出かけていく。イングランド王リチャード一世獅子心王は中世騎士道の体現者であり十字軍の英雄として有名だが、十字軍とかにかまけてイギリスには一年も滞在しなかった王様である。アーサー王伝説だって、アーサー王は自ら軍を率いてローマ帝国を滅ぼしておる。

そんな、戦う人である貴族・王から耕す人である農民に軍隊の主力が移ったというのは、大変象徴的な出来事なのだ。そういう意味で、ドイツ人傭兵ランツクネヒトやスイス人傭兵ももっと世界史で取り上げられるべきものなのだがいい加減話がそれまくりなのでやめておく。

さて、世界史に単語として出てくるユニークといえば、まず何よりもイェニチェリ、そしてマムルークコンキスタドールであろう。あと、名前は出てこないがそれらしきものを学ぶ機会がある、という意味ではマングダイがある。尚、チュートンナイトはチュートン騎士団所属騎士って事で、ユニークと言えるユニークが思いつけないこの文明で色々無茶した結果だが、こいつのドット絵は十字軍時代の典型的な騎士の格好である。なので、絵でこういうのを見る機会はあるだろうな。今回は、マムルークとイェニチェリを扱う。



さて、まずはマムルークである。

マムルークは「所有されるもの」という意味であり、要するに「奴隷」という意味の単語である。しかしながら、実際にはイスラム世界の白人の奴隷軍人という意味で使われる場合の方が多い。ちなみに白人というのは黄色人種を含む。と言うのも、一般的にイスラム世界では黒人以外は全員白人と考えられているからだ。現代とかはともかくな。

奴隷と言うと、普通はアメリカ南部の黒人奴隷とかそういう悲惨なものを思い浮かべる。勿論一般的には悲惨である。しかしながら、イスラム世界における奴隷制というのは非常に独特だ。例えば、イスラム世界の奴隷は信仰の自由が認められている。(゜Д゜)ハァ?となるかもしれんが、認められておった。

ユダヤ教、キリスト教、イスラム教は旧約聖書を聖典とする一神教の三兄弟な訳だが、イスラム教はその中でも独特な部分が多い。例えば、キリスト教はカトリックとプロテスタントの言葉では言い表せないぐらい残念な争いを見ての通り、他宗教に対する態度が非常に排他的だ。と言うか、カトリックとプロテスタントにいたっては同じ宗教だからな。同じ宗教なのに解釈が違うだけで殺し合いまくっておる訳である。まぁ同じ宗教だからこそ、自らの信じる神を歪める異端を許せないというのも判らんではないが…

キリスト教的世界観においては人間と認められるのはキリスト教徒のみである。平氏にあらねば人にあらず、なんてのは割と比喩的表現の気が強いがこっちはマジだ。例えば、ちょっと前の記事で「ボウガンは非人道的兵器であるとしてローマ教皇により使用が禁止された」と書いたが十字軍なんかでは普通に使っている。

非人道的兵器であろうとも異教徒相手ならOKなのである。ヘルシング外伝(?)のクロスファイアで、キリスト教徒にはヴァチカンの人道主義を適用するけど異教徒はサタンの手先だから人間じゃないし皆殺しだよみたいな事を旧式の課長が言っておったが、リアルにそんな感じである。

だからこそ、教会が非常な権力を有する事が出来たのだ。何せ、教会には破門という伝家の宝刀がある。破門すれば、そいつはもうキリスト教徒ではない。キリスト教徒でなくなった瞬間そいつは人間ではなくなり盗賊に襲われようが殺されようが誰も助けてくれない。だってサタン様の手先だもん。むしろ死んでくれた方が世の為人の為だ。欧州ではどんな小さい村にも教会はあったが、教会がまるで領主であるかの様に振舞えた理由の一端はここにある。

話が逸れ気味だが、キリスト教徒はこれぐらい排他的な訳である。イスラム教徒など、キリスト教の支配する欧州世界では生存するのも難しい。しかしながら、イスラム世界にはキリスト教徒もユダヤ教徒も普通にいた。基本的に二等国民扱いではあったが、一般的に信仰の自由も認められていた。

つうのも、キリスト教にしろユダヤ教にしろ、彼らにとって他の宗教は悪魔の手先。異端扱いである。しかしながら、イスラム教はイスラム教誕生以前の両宗教の功績を高く評価しておる。イエス・キリストはイスラム教でも聖人なのだ。しかしながら、ユダヤ教にもキリスト教にも欠点や矛盾はある。

そういった問題をすべて解決した、最高にして最後の宗教こそイスラム教であると、彼らはそう考えているのだな。

故に、他教徒の扱いにも余裕がある。彼らはまだ古い考えに縛られているが、やがては真実の教えであり最高の宗教であるイスラム教に帰結するだろう、そう考えているのだ。逆に言えば白人見ただけで殺しにかかってくる現代アフガンの方が異常なのである。この間も白人医者が10人ほど殺されたな。

これは多分、それだけイスラム世界に余裕が無いからだろう。中世はイスラム世界が先進国、欧州が後進国という今から考えるとありえない状態で、政治はともかく、経済、軍事、学問、あらゆる面でイスラム世界が圧倒的な優位にあった。であれば後進国の宗教にそう目くじらを立てる理由もない、そう言ってしまえばまぁその通りである。

実際、資本主義国家である現代の日本に社会主義者がいても生暖かい目で見られるだけである。しかしこれが一昔前であれば、社会主義者は危険思想の持ち主として特高警察に逮捕されたり赤狩りで職場から追放されたりしたのだ。資本主義の本場アメリカでも、赤狩りでは偽証、証拠捏造、自白強要、密告強要とやりたい放題やったのだからな。それぐらい社会主義が脅威だったのだ。

それと一緒だろう。今のイスラム世界はどう見たって後進国の塊だからな。


話が盛大に逸れた気がするが、取り敢えずイスラムというのは独特である。これは奴隷制も同じだ。さっきも言ったとおり信仰の自由があったし税金も取られた。奴隷制についてはマホメットがちゃんと言及しており、彼は奴隷制を肯定している。その上で奴隷に教育を施し解放して自由市民とする事を推奨していた。解放奴隷を出した者は天国で二倍の見返りを得られるといわれておる。

一般的に、イスラム教は現実的な宗教だといわれる。一夫多妻制なのも、イスラム教創始当時のあの辺は長引いた戦争で男の数が激減しており、一夫一婦では人口が減る一方だと考えられたからだそうだ。奴隷制も、その教義からして存在が認められない筈のキリスト教圏である欧州でさえ廃止されたのは十九世紀だった。それを考えれば、無理に廃止しようとするより奴隷制そのものは肯定して、解放奴隷を増やした方が現実的だろう。

そんなイスラム奴隷制だが、イスラム法によって色々と厳格に決められている。例えば新規の奴隷は戦争捕虜からしか採ってはならない(つまり欧州みたいにアフリカとか行ってそこらの黒人をとっ捕まえて奴隷にするのは駄目)し、それ以外で増やすなら購入のみ、とかな。マムルークも基本的には購入された奴隷である。

しかしだ、いくら解放奴隷即ち自由市民になったと言ってもそのまま一人で生きていくのは難しい。なんとなればだな、諸君は就職する時履歴書に学歴を書くし、採用する側はそれを参考にする。言ってみれば、解放奴隷ってのは学歴とかそういう部分が白紙みたいなもんなのである。これでは就職するのも難しい。なので、元主人が職を世話したり金銭的な援助を行ったりと解放後も関係は続くのである。

それに、考えてもみたまえ。一歩間違えれば、アメリカ南部の黒人奴隷みたいな素敵な環境に放り込まれてたのが奴隷である。それがイスラムの理想的な主人に当たった場合、教育を受けさせて貰ってその上自由市民にまでしてもらったのだ。親子の様な関係が出来て当然である。実際、一般市民はともかく、権力者の奴隷というのは労働者と言うより子飼いの軍人もしくは商人とでも言うべき存在であった。親子の様な信頼関係を持つ部下、これほど頼もしいものは無いからな。

その子飼いの軍人が強ければ、もう何も言う事は無い。そしてその強かった奴隷軍人こそマムルークだったのである。833年にアッバース朝のカリフとなったアブ・イスラク・アッ=ムウタスィム・イブン・ハルンは、テュルク系遊牧民をマムルークとして大量に雇い入れた(?)。遊牧民の常として勇敢且つ優秀な弓騎兵だった彼らは精鋭部隊として名を馳せて各地の戦場で活躍、以後、イスラム世界の軍事力はアラブ人orペルシャ人軍人からマムルークに取って代わられるのである。

その勇猛さは、十字軍の際西欧各国にも知れ渡った。サラディン(サラーフ・アッ=ディーン)と言えば、諸君も名前ぐらい知っているであろうクルド人の英雄だが、何で有名なのかってエルサレムから十字軍を追い返したのである。当時、十字軍はエルサレムを制圧して王国を築いていたのだが、そこにサラディン率いるアイユーブ朝が攻撃を仕掛けたのだ。この時勇猛をもって鳴ったテンプル騎士団すら壊滅したが、その立役者はやはりマムルークだった。

このマムルーク、最初は戦争捕虜から補充していたのだが、イスラム世界の各王朝が採用する様になった事でそれでは足りなくなった。結果、奴隷商人から買う事になったのだが、我々にとっては驚くべき事は「マムルークになる奴隷を探してるんですがお宅の息子売りませんか?」と言われると割と躊躇なく売ってるという事実である。

マムルークは確かに奴隷だが同時にエリート軍人でもある。こんな糞田舎で燻ってるよりはと喜んで差し出したらしいな。勿論別の場所に売り飛ばされた連中も多数いるだろうが、マムルークにするから売ってくれと言われると普通に自分の子供を売っていたらしい。しかも、自分をマムルークになれるようイスラム世界に連れてきてくれた奴隷商人ありがとうという意識まであったらしい。実際、何度も言っている様にイスラム世界の奴隷というのは独特で、奴隷の聖人までいる。

ビラール・ビン=ラバーフ・アル=ハバシーという人はイスラム初期の聖人で、理想のムアッジン(て職みたいなのがあります)として今でも尊敬を受けているが、こいつはマホメットの黒人奴隷だ。しかも、その直系のハバシー家は非常に格の高い家として尊敬を集めているというから、我々の常識では測れない世界だ。さっき言ったアッバース朝のカリフ、ムウタスィムの母も女奴隷である。皇帝の母は女奴隷。14世紀に入るとテュルク系遊牧民の確保が難しくなり、マムルークの供給源はカフカス人、アルメニア人、ギリシャ人、スラブ人など多岐に渡った。


さて、その14世紀より前。第七次十字軍の時、対峙したアイユーブ朝(サラディンが開いた王朝)の君主サーリフが急死する。すると奴隷出身のサーリフ夫人シャジャル・アッ=ドゥッルはマムルークの支持を受けて政治の表舞台に登場、更にクーデターを起こした。彼女はマムルークのアイバクと結婚して君主の地位を譲る。こうして奴隷軍人が君主の国マムルーク朝が誕生する。まぁ、奴隷軍人とは言ってもある程度昇進した後は自由市民扱いにはなってるがな。

マムルーク朝は軍人の王朝だけあって強い文明で、1291年、ついに最後の十字軍領土を制圧。十字軍を完全に打ち砕いた。当初、宗教的理由で来たとはまったく気づかずなんか野蛮なフランク人が襲ってきたとか思われてた第一回が1096年。それから約二百年、ついにマムルークのマムルークによるマムルークの為の王朝によって終止符が打たれたのだ。又、この王朝は軍人らしく世襲ではなかった。スルタン(君主)が死ぬと一番有力なマムルークがスルタンとなるのである。

アレキサンドロスかお前らは。

そんなマムルーク朝だが、やがてマムルーク同士の内紛が元で弱体化していく。そして、次にのべるイェニチェリを擁するオスマン・トルコに敗れ、滅亡するのである。



前々回の記事(西欧における射撃兵器の歴史)の補足(マスケット運用の歴史シリーズ2)

2011年01月12日 00時03分38秒 | 社会、歴史
最近歴史群像の欧州戦史シリーズを読み返しておる。このシリーズは後半に入るとマニアックな本が増えるが、1~10巻は第一次世界大戦終結後のヴェルサイユ体制から開戦までの流れ、ポーランド戦、フランス戦、バトル・オブ・ブリテン、バルバロッサ作戦…といった感じで第二次世界大戦の欧州戦線を判りやすく解説しておる。

それで、独軍ソ連侵攻という本を読みたくなった。従来、独ソ戦でドイツが負けたのはヒトラーのせいだというのが主流だったが、最近の研究ではドイツ軍そのものにも限界とか問題があり、理由はもっと総合的だと考えられている。そういうのを研究した本なんだが、いかんせん売れそうにない本なので絶版になっており、アマゾンにもない。しょうがないからぐぐる先生で探したら、アマゾンで引っかかった。

どういう事かと思ってクリックしたら、同じ作者の「ドイツ参謀本部」という本である。で、中古本一覧の内一番下の方にある奴の注釈にご注意:同じ作者の「独軍ソ連侵攻」ですとか書いてあった。

…いいのか?


さて、いい加減火縄銃シリーズの続きを書かんとなので書くが、その前にいい加減銃ってものそのものについて書いておかないとマズい気がするのでそっちを先にする。以前も銃についての記事は書いたが、間違ってる内容も散見されるのでな。尚、本日誌においては昔記事にした話を再度書く場合があるが内容に相違がある場合新しく書かれた方が正しい。

まず、最初に発明されたのがいわゆる火縄銃、アルクビューズである。前装式(銃口から火薬と弾を込める)であり、発火方式はその名の通り火縄式(マッチロック)だ。又、瞬発式と緩発式の二つがあり、前者は引き金を引いた瞬間に発射し、後者は引き金を引いてからしばらくして発射される。

アルクビューズの欠点は、取り扱いが難しいという点にある。銃は現在に至るも湿気が大敵(現代銃の弾でも保管方法が悪いと火薬が湿気って撃てなくなる)だが、アルクビューズの場合、銃口に入れる火薬だけでなく発火に使う火縄も濡らしてはいけない。この火縄の生産、管理が面倒(何せ火薬を練りこんだ縄)なのもあって、とにかく扱い難い兵器であった。

そこで、次に開発されるのが歯輪発火銃(ホイールロック)である(本当はこの前にもう二種類あるがマイナーすぎるので割愛)。これは発火に火打石を使う銃で、引き金を引くと現在のライターと同じ感じで歯輪が回って火打石に擦り付けられ、火花が散って発火する。これによって火縄がいらなくなり、ただ火薬と弾を入れて引き金を引けばいいだけになった。

ただ、百回に一回確実に不発になる感じだったので、大量運用しないと信頼性が低く、その上高価だった為あまり広まらなかった。が、スウェーデン王グスタフ二世アドルフの軍隊の様に大量配備し成果を挙げた例もある。

そして、ついに開発されたのが火打石式(フリントロック)である。これはその名前のまんま、火打石を打ち合わせて火花を発生させ発火するもので構造も簡単なら取り扱いも簡単という夢のアイテムであった。日本じゃまるで広まらなかったがな。

と言うのも、火打石式は命中率が低いのである。前回のコメントに書いたが、諸君がライターを発火させる時、ライターの歯車を回すとどうしたってライターが跳ねるな? 完全に同じ理屈なのは歯輪発火銃なのだが、火打石式も引き金を引くとどうしたって銃が跳ねるのである。これでは当たるものも当たらん。しかも日本の火打石は質が悪いから日本産火打石式は不発も多かったのだ。しかも高温多湿で雨が多い関係上、日本産でなくてもアルクビューズのが確実に撃てる始末。広まる要素がないな。

それ故に日本ではアルクビューズが後々まで残ったのである。まぁ、言っても火打石式発明は1610年なので残すところ大坂の陣しかないんだが。まぁともあれ、アルクビューズが当時の銃としては狙撃向きの日本人好みな武器だった事は確かだ。日本のは瞬発式だし余計だ。しかし、朝鮮水軍の記録に狙撃されたってのが出てくるんだが水上戦で狙撃ってどういう腕してるんだろうな、ほんとに。船って意外と揺れるんだぜ…


この時代になるとマスケットという単語が前装式銃の一般名詞となる。今まで敢えてマスケットという単語を一般名詞として使わなかったのは、本来マスケットというのは大型で威力の高いアルクビューズのことだったのだ。実際、テルシオの前面銃兵はマスケット、他は通常のアルクビューズ兵である。それが、時代が下って一般名詞となったのだ。ここからは、前装銃の一般名詞を火縄銃からマスケットに切り替える事にしよう。

マスケットの、次に重要な発明は銃剣である。これについては前の前の記事で詳述したが、とにかく重要な発明であった。ちなみに発明した逸話そのものは間抜けで、フランスの田舎町バヨネ(これがバヨネットの語源)で農民同士の喧嘩の時若者がマスケットを持ち出し、その火薬が尽きた為ナイフを銃口に差し込んで振り回した。

そう、この頭がいいんだか悪いんだかよくわからん若者の思いつきで槍が戦場から消えたのである。

ちなみに、さっき「銃口に差し込んだ」と言ったとおり、初期の銃剣というのは装備した状態で撃てなかった。一応、差込式は刺した後抜ける事が多いので改良されたのだが差込式→ソケット式というアレな進化だった為、結局銃剣装備では撃てなかった。銃剣装備状態で撃てる様になるのは、大体ナポレオン戦争からである。尚、マスケットは大体2メートルあり銃剣も40cmぐらいはあるので、装着すれば結構な長さの槍になる。


さて、ここまでは前々回の記事で書いた範囲内だな。んで次に行きたいのだが、その前にちょっと砲兵の話を。砲兵というか、統合作戦の話と言うべきか。統合作戦というのは、例えば歩兵と騎兵と砲兵がいたとしてそれぞれの兵科がバラバラに好き勝手に戦うんじゃ効率悪いから、それぞれが協力して機能的に戦い戦果をあげよう、という概念である。

さて、当たり前の話すぎて説明が逆に難しいが、A軍という軍隊があるとしてだな。そのA軍が実際に戦闘をはじめる時、A軍の司令官は普通一人である。A軍には歩兵、騎兵、砲兵がいるだろうが、その全兵科が司令官の命令に従う。これはどんな軍隊でも基本的に変わらない。

だが、司令官が砲兵に支援攻撃を命令した時、即これに応じる場合と部内で前向きに検討しますと言われてしばらくしてから攻撃が始まるのでは話が全然違う。この差がどうして出てくるのかという点については二つ考えられ、一つは組織の編成の問題、一つは技術的な問題が指摘できる。

特に古代はそうだが、騎兵などは傭兵が多かった。前々回の記事でも書いたが、ローマのレギオン(ローマ式密集槍方陣)の両翼には騎兵が展開している場合が多い。しかしその騎兵というのは大体雇った外人部隊だ。前回の記事で書いたクレシーの戦いにおけるフランスのクロスボウ隊も、ジェノヴァ人傭兵部隊だ。

傭兵というのはその時代によってあり方が変わるが、中世からこっち、傭兵隊長の下に集う戦争請負会社という面があった。私がある程度詳しく知ってるのはランツクネヒト(ドイツ人傭兵)ぐらいだが、隊長が戦争を請け負うとまずリクルートが始まる。

来たれ若人みたいな広告を打ち、大体3グルデン(ドイツ金貨)で一人雇う。雇い主から貰った金を使って槍とかの装備を買って彼らに与え、軽く訓練を施して編成し、後は戦場に出るのだ。

こういう部隊が戦場で自軍に加わっていると、機敏に軍隊を動かすのは難しい。傭兵隊長は司令官と契約してるから、司令官の指揮下にはある。だから一応命令も聞く。しかしこの傭兵部隊は傭兵隊長の部下であって司令官の部下ではないので色々と不安なのは避けられない。練度も違えば指揮系統も違うからな、同じ命令を発しても他の部隊と同じように反応するとは限らないという致命的な問題がある。

それこそまさに、命令によっては追加料金を頂きますという世界だ。ちなみに、こういうタイプの傭兵部隊を率いた最大最後の傭兵隊長こそヴァレンシュタイン(アルブレヒト・ヴェンツェル・オイゼービウス・フォン・ヴァレンシュタイン)である。

このタイプの傭兵部隊には大きなメリットがある。戦争する時だけこういう傭兵を雇い、戦争が終わったらクビにする。そして普段(戦争してない平和な時)は軍隊を持たない。こうしておけば金がかからないのである。いや、無論金がかからないだけじゃないが。そもそもランツクネヒトの起源はスイス人傭兵の模倣にある訳だし、中世世界の特性によってランツクネヒトが要求された訳だし。まぁ細かくなるので割愛する。

しかしまぁ、当たり前だがこんな傭兵部隊、強い訳がない。基本的に戦争を請け負ってから兵隊を集めるし、訓練期間も三ヶ月がいいとこ。しかも金目当てのごろつきばっかりである。又、このタイプの傭兵は使いにくい。傭兵隊長の扱いを間違えると隊長が増長し雇い主に刃を向ける可能性すらある訳だからな。

そこで、テルシオ登場以降は傭兵をこういった形で雇わなくなっていく。テルシオでは、傭兵を雇うにしても常備軍として、普段からずっと雇い続けた。又、兵士三百人につき四人から六人の士官をつけた。つまり50~75人に1人隊長がつくという状態にし、この士官は貴族が任命された。つまり傭兵を雇っていてもそれを率いるのはスペイン正規軍なのだ。これなら、傭兵もちゃんという事を聞く。スペイン軍では以前から士官を配属していたらしいが600人に一人だったのであまり効果がなかった様だ。

全軍がいう事を聞かなければ、各兵科各部隊を機能的に運用する事はできない。砲が耕し騎兵が蹂躙し歩兵が制圧するといっても傭兵の騎兵部隊が命を惜しんで真面目に突撃しなかったらそこで躓くからな。

実際、カラコール戦術なんか酷かった。カラコールというのは、歩兵のどいつもこいつもが密集槍方陣を組むもんだから騎兵が突撃を諦めた時代に流行った戦術である。大体テルシオ登場前から三十年戦争までぐらいか。拳銃を持った騎兵が敵歩兵の陣列に近付き、至近距離で発砲して反転逃走、敵マスケットの射程外で再装填しもう一回近付いて撃って又逃げる、というAOCというゲームでよく見る光景である。

ただこれ、意図してやった場合も勿論多いのだが司令官が意図せずに発生した場合も多いのである。どういう事かって、死ぬの嫌な傭兵の騎兵が敵前で一回だけ撃ってほら、給料分働いたよ、撃ったもんって言ってさっさと逃げた結果カラコールになったのである。

使えないことこの上ないな。


第二の技術的問題だが、これは特に砲兵特有の話である。

大砲は誕生以来、重いものだった。まぁ今でも重いが、とにかく重いものだった。なので半固定で使うものであり、機動させるのは難しくてかなわない。よって、攻城戦なら相手が動かないからいいが、野戦だと運用が難しい。

決戦場まで持っていくので一苦労だし、いざ戦闘が始まっても敵が射程外に行ったが最後追いつけないからな。しかも射程だってそんなに長い訳じゃない。七年戦争の野戦砲で300mぐらいだ。マスケットの有効射程が100mなのを考えても、敵が襲ってきたら大砲を放り出さない限り兵隊全員即死である。又、自軍が敵とある程度近付いてしまうと味方を撃ちかねないので撃てなくなってしまう。

それでも、大砲は使用実績を確実に重ねていった。やはり強力な兵器だったのである。特にこの時期は密集槍方陣が主力だ。「砲が耕し」の言葉どおり、密集している槍兵に大砲を撃ちこめばヒャッホーイと言わざるを得ない状態になる。又、その密集槍方陣を強化したテルシオとの相性は意外にも抜群だった。何せ、テルシオは馬鹿デカくて動くのが難しく、攻撃よりも迎撃向きだ。なら、大砲を置いて敵を砲撃しほらほら攻撃してこないなら狙い撃ちだぜwwwwwwwとしてしまうのである。

とは言え、いくらテルシオの動きが鈍いと言っても大砲の動きはそれ以上に鈍かった。これを解決したのがグスタフ二世アドルフである。彼は連隊砲とか歩兵砲とか呼ばれる新型の軽量砲を開発、多数配備したのだ。連隊砲の配備により、大砲は歩兵の機動についていける様になった。いやまぁ完全についていける様な技術革新が達成されるのはもっと後の話なのだが、スウェーデン式大隊の密集槍方陣+マスケット隊には結構ついていけた。

というのも、テルシオほどではないにせよ当時の陣形は機動が遅いのである。横隊のまま進軍するとどうしても陣列が乱れる為、ある程度前進したら全隊止まれを命令し士官が見回って変な位置にいる兵隊を元の位置に戻すという体育教師と生徒みたいな事をしていたのだ。しかしこれをしないと陣列が乱れてしまい、密集槍方陣もマスケット隊も意味がなくなくなるのでやらない訳にはいかないというジレンマ。

まぁともかく、連隊砲の配備により砲兵は歩兵との協同作戦が可能になった。さっきも言った通り三兵戦術の基本は「砲が耕し騎兵が蹂躙し歩兵が制圧する」だが歩兵についていけなけりゃ耕そうにも耕せない。この点で、グスタフ・アドルフの軍隊は非常に画期的だったのである。これ以降、砲兵は重要な戦力として統合作戦の一角に組み入れる事が可能となったのだ。

ちなみに、彼の軍隊がもう一つ画期的だったのは騎兵改革である。この時代、騎兵は殆ど突撃せず、さっき言ったカラコールばっかりやったおった。しかし彼の軍隊の騎兵は、手にした拳銃はほぼ持ってるだけ。スウェーデン軍騎兵の仕事は抜剣しての突撃だったのである。当時、拳銃の射程は5mと言われており、カラコールでは正直歩兵を蹂躙するのは無理だった。しかし騎兵突撃が復活した事により、騎兵による蹂躙というプロセスが復活、「砲が耕し騎兵が蹂躙し」が可能になったのだ。


…ようやくここまで来たか。実は、スウェーデン式大隊以降の話は私も他人に説明できるほどには知らんので本を買って読んで調べたり、現実逃避したりしてたのである。まだ書きあがっておらんのだが、いい加減前の記事アップしてからから時間たってるしな。と言うか、今回の記事はその話の前段階なのだが、字数確認したら既に7000字以上あったのでこれで上げる。

AOC攻略記事その11 文明攻略編6

2011年01月11日 00時01分59秒 | AOC
トルコ

文明ボーナス
・火薬を使うユニットのHP+25%
・火薬に関する技術(要するに砲台)の研究コスト-50%
・化学の研究コスト0(帝王に入れば即大砲と砲撃手が作れる)
・金を掘る人の作業速度+15%
・斥候系のアップグレードコスト0(城主IN、帝王INのたび自動進化)

チームボーナス
・砲撃手、大砲、イェニチェリの作成速度+20%

ユニークユニット
・イェニチェリ→エリートイェニチェリ

ユニークテクノロジー
・砲術:砲台、大砲、キャノンガリオンの射程+2

現代のトルコは、アナトリア半島を主な領土ととし、たった一機のネクストを基幹兵力とする民主国家である。ビザンツの歴史でアナトリア半島がどうとかこうとかとよく言ったがそれも当然で、ビザンツの首都であったコンスタンティノープルは今のトルコの首都である。イスタンブールの昔の名前がコンスタンティノープルなのだ。ちなみに、更にその前はビザンティウムと呼ばれておった。

ここから判る通り、この辺の地域の歴史は結構複雑である。EEに出てきたヒッタイトだった時代もあればアケメネス朝ペルシア領だった事もあり、ビザンツとササン朝ペルシアが重要地域として取り合った事もある。そんなアナトリア周辺地域を「トルコ」としたのは、セルジューク朝であった。いわゆるセルジューク・トルコである。

セルジュークの人々は、元はと言えば突厥の人々である。突厥は六世紀ごろに存在した遊牧民族国家で、カザフスタン、モンゴル、中国北部、ロシア南部を支配した大帝国であった。これが滅んだ後、人々がだんだん南下していく内にイスラム化し、やがてセルジューク朝を打ち立てる事になったのだ。

ちなみに、元はと言えば、突厥はモンゴル高原などに住んでいたテュルク系遊牧民である。この連中がアナトリアなどに入植する事によってトルコ人が形成され、やがてトルコという国家も誕生する。ところでこのテュルク系遊牧民、匈奴もこれに属する。又、確証はないもののフンは匈奴の子孫であると言われている。つまり、これが確かならトルコ人とフン族は同じ民族なのである。

セルジューク・トルコは一般にトルコと言われるが、実際にはペルシャ(イラン)を中心とした国であった。この国は版図を拡張し、トルコとイラン以外にもイラク、グルジア、アゼルバイジャン、アルメニア、トルクメニスタン、アフガニスタン西部、ウズベクスタン、キルギス、タジキスタン、カザフスタン南部と中東をほぼ一極支配した大帝国になった。第一回十字軍で戦ったのもセルジュークである。

まぁ、そんなセルジューク朝も盛者必衰。後継者争いに端を発した争いが尾を引き滅亡する。それに代わって登場したのが、かの有名なオスマン・トルコである。

日本では知名度の低い帝国だが、この国は中世後期から近世初期にかけて大陸最強国家として拡張を続けた驚くべき国だ。東はティムール帝国と戦い、南は紅海を完全制圧、西は北部モロッコまでを掌握し北は二度に渡ってウィーンを包囲した。ウィーンと言うとピンと来ないかもしれないが、要するに神聖ローマ帝国の首都であり東ローマ帝国に続いてもう一つローマ帝国が滅びかかったのである。

ちなみにこの時トルコと戦ったルーマニアの英雄こそ、ワラキア公爵のアーカードことヴラド三世串刺公である。小説「吸血鬼ドラキュラ」ではトランシルヴァニア伯爵になっているが、本来はワラキア公爵だ。だからヘルシングの後半で零号解放した時もワラキア公国軍が出てきたのである。この頃のオスマン・トルコは欧州にとって本当に脅威であり、神聖ローマ帝国領内では対トルコ戦の軍資金を集める為の新税が導入された。

その名もトルコ税。

その強さの秘密は、このゲームでも出てくるイェニチェリにある。マムルークと同じ奴隷軍人である。幼少のキリスト教徒を徴収して兵士としたもので、厳しい訓練の末兵士となる。その統制のされようはまるで人形の様に整然と動くとまで言われている。元々遊牧民族だったので軽騎兵が主力だった訳だが、そこに歩兵となるイェニチェリが合わさり強力な軍隊が形成されたのだ。

このオスマン・トルコの軍事的な特性はやはり火薬にある。この国は火薬帝国とまで言われた国で、何と十五世紀にはもう火器を装備してた。十五世紀なんて欧州じゃまだ薔薇戦争とかやってる時代だし、日本もまだようやく応仁の乱で戦国時代が始まったぐらいだ。

コンスタンティノープル攻略戦はその十五世紀の終わりだが、既に攻城砲を使って城壁を壊す戦術が取られておるし、サファヴィー朝ペルシャとの戦いではサファヴィー朝自慢の重装騎兵部隊「クズルバシュ」を鉄砲と大砲で蜂の巣にし、イスマイール一世の不敗神話を崩壊させている。

さて、そんなトルコだが、その最大の特徴は火薬ユニットの鬼の様な強さである。つまりゲームでも火薬帝帝国なのだ。何せテクノロジーも入れればボーナスの七割が火薬関連であり、金堀速度上昇も火薬ユニットを出す為に有益、火薬系の壁にする斥候系も自動で上がるとそういう意味では全てのボーナスが火薬関連である。しかもユニークユニットのイェニチェリは強い砲撃手であり、ユニークは城主時代から作れるので砲撃手が城主から作れると火薬ずくめだ。

しかもこの火薬ユニットが強い。ただでさえHPが上がっているというのに、火縄銃も大砲も砲台も阿呆である。まず火縄銃は、砲撃手はただHPが上がっているだけだが化学の研究が必要ないというのが重要である。化学の研究には100秒が必要であり、砲撃手自体も生産に24秒かかる為、帝王に入っても数を揃えるまでには結構時間がかかる。

しかしトルコは帝王に入った瞬間から作れる。100秒あれば、弓小屋一個につき4体の砲撃手が作れる。つまり、例えば射手育成所が四個作ってあったとして且つ相手と同時に帝王に入ったとしても相手が一匹目を作り始めた頃には16匹の砲撃手が揃っているのである。この100秒の差は大きな差だ。南米即帝イーグルに対抗する上でも重要である。

又、イェニチェリは強い砲撃手だと言ったが本当に強い。何せ素の状態で砲撃手と同等、エリートになると通常の戦闘ユニットでは一番攻撃力が高い。22だぞ、22。近衛騎士でも鉄工所フル強化で14+4だからな。それよりも4高く、射程が8あるのだからその強さは推して知るべしだろう。

射程を完全に無視すると、精鋭散兵と重石弓の相対戦力は0.7、砲撃手は1.29匹(精散70匹=重石弓100匹、精散129匹=砲撃手100匹って事)。しかし、エリートイェニチェリが相手の場合3.02でありELイェニ100匹を相手にするのに精鋭散兵302匹が必要になる。この恐ろしい数値が全てを物語っていると言えるな。302だぞ302。って言うか、散兵は射手系に強いんじゃなかったのか。

いや強いんだけどさ。イェニチェリがおかしいだけで。

又、単純に強いだけでなく、さっき言った通りイェニチェリは城主から作る事ができる。これが味噌で、普通城主の時代は金ユニ射撃兵は石弓しか作れない。この石弓は当然重石弓より弱く、状況によるにせよ重石弓は砲撃手より弱い。そしてイェニチェリは砲撃手とほぼ同等。即ちイェニチェリ=砲撃手>重石弓>石弓(尚砲撃手と重石弓は帝王ユニット)という大変愉快な事態が発生する訳である。

ただ城主ユニットとして考えると、当然ながら数が揃わないと辛い、弓と違って領主から作って数を溜める事ができない、しかも城からしか作れないので余計に数が揃わない、結局ぺったんされると終わると欠陥も多数抱えている。これを解決するにはやはり後衛or前衛との緊密な連携が大事になるだろう。後衛でイェニチェリ作るのはどうかと思うが。帝王目指す状態になった時以外。

ただ、城主ユニットである為城主から作って数を溜める事はできる。城主から数を溜めておいて、帝王になった瞬間エリート化し一気に攻めるという使い方も大いにアリである。又、弓とかの援軍としてイェニチェリを作るのもいいだろう。どっちにしても投石が来ると本気でヤバいのでそこには細心の注意が必要である。

又、砲術のお陰で大砲もやたら強力になっている。射程が2延びるだけと言えばその通りだが、その射程14は遠投が16である事を考えれば充分過ぎる長さだ。又、砲撃手と同じく化学の研究不要というボーナスによって他の文明より100秒速く作る事が出来、しかも大砲の製造には56秒かかる。大砲は最低2、できれば4ぐらいいないと攻城兵器として不安な事を考えれば、かなりの時間的優位性を持っている事がわかる。まぁ包囲攻撃技術が無いから抜く速度はアレだが、改良強化破城槌あるしな。

又、砲台も研究コスト半額セールによってかなり早い段階から作れる。砲台はただでさえ化学を研究してからでないと作れないのに、研究コストが高い(肉800木400)のせいで帝王に入ってからしばらくしないと研究できないのが一般的だ。しかも研究に60秒かかるのだから、帝王序盤に出てくる事は殆どない。しかしトルコならばそうとも限らない訳である。しかも砲術が適用される為、敵の大砲よりも射程が長くなるという事態になり、大砲で攻めてくる敵に対して非常に強力な抑止力となる。無論そうでない敵にも強力だ。

結論から言うと、帝王がえらい強い上に帝王序盤が阿呆みたいに強い文明だという事である。例え相手が騎士でも、重騎士の段階ならハサー肉壁なしでも余裕で撃ち落とせる(何せ血統なしならタイマンで勝てる)し、帝王中盤以降でも脅威な火縄銃系や大砲がこっちの生産開始よりも絶対的に早い為、えらい勢いで押し寄せてくる訳だ。

帝王中盤になって帝王編成が完成すれば、ハサー+ELイェニチェリ+大砲(砲台)という鬼の軍隊になる。ハサーは当然肉壁。肉壁の後ろからイェニチェリが散兵なり剣士なりの敵を狙撃し、天敵である投石はキチガイ射程大砲でベチャッ。ハサーで潰してもいいが、大抵槍が護衛についてるしな。敵の城とかも大砲で壊しそれでも不利な戦況になったら砲台を立てた場所に逃げ込む、と付け込む隙の少ない編成である。

しかし反面、悪い点も多い。まず、結局近衛騎士のゴリ押しには勝てないという事。重騎士ならともかく、近衛騎士ともなれば当然騎士のが強い。肉60金75と肉60金55だからコスト的に当たり前と言えばそうだが、ゴリ押しに勝てないのは本気で辛い。しかも向こうは育成所から出てこっちは城から出るという差は、生産速度と壊滅してからの補充速度に重大な影響を及ぼす。

正直、イェニチェリが壊滅した場合は砲撃手で代用する必要が出てくる。やっぱり数が揃ってないと射撃ユニットは弱いからな。しかし、砲撃手だとサラセンとかそこらの文明と変わらないので、一度でも壊滅するとそれだけでトルコの神通力は格段に落ちる。帝王になってしまえば壊滅する事は殆どないが、それでも絶対に死んではいけないAOC24時は辛い。

一応、トルコは鉄工所が騎兵に限らず全て研究できるし血統あり繁殖ありで且つらくださんが重装駱駝騎兵になるのでそれで対抗できない事はない。但し、イェニチェリと大砲という時点で相当の金を消費しておりその上まだ使う金があったらもう既に勝ってると言えばその通りである。一応金の採掘速度速いし、金の掘削もあるけれども。あるけれども。あるけれども。

ちなみに、イェニチェリを作るには城が必要で、当然石が大量に必要になる。最低二個建てるとして、それだけで1300。んでもって砲術も何故か石を使う上に石の掘削は無い。

さて、さっきの壊滅できないという話は、近衛騎士のゴリ押しに限らない。特に、帝王初期はイェニチェリを溜めるのとエリートへのアップグレード、鉄工所強化などで肉が足りず肉壁ハサーを作るのがかなり難しい。ハサー一匹肉80だから、20匹用意するだけでも1600かかるのであり、つーかそんな肉ねーよ。勿論、この時期は一方的に火縄銃ユニットと大砲を作れる時期であるから有利なのは違いないが、気をつけないと一気に終わりかねない。

また、意外な事だがイェニチェリに射撃戦で勝てるユニットはいくつか存在する。と言うか重石弓で勝てる。と言うのも、イェニチェリの強さは攻撃力の高さにあって攻撃速度は遅く、又、石弓などの徒歩射撃兵は体力が低い。この為いくら攻撃力が高くてもオーバーキルで無効ダメージが発生しやすく、そして向こうは弓懸がある為連射速度に隔絶した差がある。

まぁAIの気分次第なとこも多々あるので確定的には言えない(計算上ではイェニチェリには絶対に勝てない)し、少人数同士の撃ち合いだと負ける確率が飛躍的に上がるが、それでも射撃戦で勝てない場合があるというのは大きな不安要素の一つである。砲術大砲とハサーのお陰で、投石でぺたーんされる事は少ないにしても大砲でぺたーんされる可能性は結構あるというのも問題である。

又、イェニチェリは散兵には強いが意外とハサーには脆く(それでも戦力比は2:1だが)、延々とハサーを出され続けると結構辛い。後で話すが槍が出ない上、ハサーは同じ兵種だしらくださんも前述の通り出すのは辛い。と言うかハサーの為にわざわざ金使うユニット出すのかという話だな。らくださんは対馬以外の用途ないし、ある意味近衛騎士が襲ってきた時より対処に困る。

しかしながら、本当の問題は別にある。

最大の問題はセルジューク朝をdisってるとしか思えない火薬ユニット以外の使えなさである。

一番酷いのが安物で、考え方によっては安物に入るらくださん、自動アップのハサーは確かに最後まで上がる。しかし一方で槍は槍兵まで、散兵は散兵まで。つまり槍も散兵も全く上がらないのである。お陰で、ただでさえ馬鹿みたいに金を使う文明なのにいざ金がなくなったら斥候系を流すしかする事がない。

一般的に、領主とか城主で一度大打撃を受けたり、遷都までさせられた場合は金など掘らない。肉と木のみと取ってさっさと帝王に入り、ひたすら槍散を流すのが仕事だ。何故なら、槍散なら肉と木だけで作れるが金ユニは肉、木、金の三種を農民に取らせないといけないからである。そして、一度大打撃を受けた時点で農民の数は減っている訳で、広く浅くより狭く深くの方が理に適っているからである。

これは、例え長槍までしか行かない文明でもそうだ。矛槍の方がいいに決まっているのは道理だが、正直40とか80とかいる血統あり近衛騎士でもない限り長槍で充分であり、取り敢えず槍散を出し続ければ敵軍を食い止められるのだ。まぁ近衛剣士が来たら終わるけどそこは味方の支援を期待するしかないな。どちらにせよ一度滅びかかった(もしくは滅んだ)以上、そのプレイヤーはそのゲーム中まともな戦力として期待する方が間違いである。よっぽど長引いた試合なら交易完成させて復活できるが。

しかし、トルコはそうはいかない。流石に素散兵と素槍では無理だ。さっきイェニチェリは補充するのが大変だからどうこう言ったが、実際には暗黒から帝王までずっと、絶対に死んではいけないAOC24時なのである。何せ斥候系が上がるとは言っても、斥候系が勝てるのは基本散兵と農民だけであり原則肉壁しかならない。むしろ溜まったハサーの使い方は敵軍と戦うよりも敵本陣に流す荒らしだ。

さて、一応弓は上がるので領主時代は弓で頑張ってくださいという文明なのだが重石弓にはならないという鬼畜ぶり。まぁ城主後半からはもうイェニチェリ作れという事だろうが…まぁ、それでも槍散は意外と怖くない。と言うのも、槍散は24人進化でないと無理で、24人進化ならはっきり言って攻めてくる前に自陣を囲えるからである。

又、血統あり文明なので斥候Rも可能であり、万が一領主時代にガチ戦争が発生したら散兵は斥候で蹴散らせば良い。弓で槍を射殺し、斥候で散兵を殺す訳である。ただ操作量が半端じゃないのと資源がめっちゃ辛い(何せ斥候は一匹肉80)ので余程腕に自信が無い限り現実的ではないがな。

むしろ、弓Rを食らった場合の方が問題だろう。内政ボーナスが金堀以外に無い為、内政ボーナスあり文明相手だと苦戦しやすい。もし弓を出し負けてしまった場合、精鋭にならない散兵を出す事になる為、その時点でオスマン、アウトーになる。必殺の斥候も、後手に回った場合は弓相手だと焼け石に水になりやすい。そもそも育成所の木と肉あるのかという話もあるし。

何にせよ、領主時代の基本戦術である槍散が使えない以上、領主戦はかなり辛くなる。そしてぬくればぬくるほど強くなるトルコが対面と見るや、敵は九割がた物凄い勢いで攻めてくる。なので、自陣を全囲いして全力で守りぬくるのが常套手段となる。こちらから積極的に打って出て機先を制すのもいいが、間違ってもアウトーとならないように。後、弓籠で領主時代にぬくぬくしすぎて先に城主に入られ城を横付けされてオスマン、アウトーとなっても駄目である。

私の事だが。

一方、後衛を引いた場合はかなり安定する。後衛は元々ぬくりやすい配置な上にトルコは騎兵育成所が結構強い。騎士が重騎士にならないだけ(まぁそれが致命的に問題なんだが)で、前に述べたとおり鉄工所は全部上がるし血統も繁殖もある。なので、城主時代の騎士の出し負けはほぼ心配しなくていい。むしろ心配すべきは帝王に入ってからの不良在庫化だ。それを考えると重装に上がるらくださんを主力にしたいところだが、何せ中心の矢で即死する上対騎士以外で用途がないのが悩ましいところだ。

まぁ、状況に合わせてと言うしかないな。どちらにせよあまり数を出しすぎるのは問題なので、20~30ぐらいの数に留める、石をある程度掘ったら味方or自分の陣地に城を建ててイェニチェリを作り始める等の工夫が必要になる。

尚、元トルコ使いの千万氏によれば前衛or後衛を見捨てて帝王までぬくりきるという裏技も存在する様である。この場合、中心を自陣の全ての資源(つまり7金、4金ふたつ、4石ふたつ)に建てて全ての中心の周りに畑を張り、当然全囲いして徹底的にぬくるのである。こうすれば帝王初期からハサー肉壁も問題なく生産できるらしく、2文明ぐらい余裕で貫けるらしい。まぁ、一応後衛の場合は前衛に騎士10ぐらい送るらしいが。

ただ、当たり前だが失敗した場合ハイパー戦犯である事、そして成功して勝ったとしても見捨てられた前衛or後衛にとってはただのクソゲーである事に注意が必要である。

AOC攻略記事その10 文明攻略編5

2011年01月08日 01時55分06秒 | AOC
●射撃文明

ブリトン

文明ボーナス
・町の中心のコスト-50%(木のみ、城主の時代以降)
・散兵以外の歩兵射手の射程、城主の時代+1、帝王の時代+2
・羊を狩る人の作業速度+25%

チームボーナス
・射手育成所の作業速度+20%

ユニークユニット
・ロングボウ→エリートロングボウ

ユニークテクノロジー
・ヨーマン(歩兵射手の射程+1、塔の攻撃力+2)

ブリトンとロングボウの歴史はこちらを参照。射撃文明は、その名の通り射撃ユニットを主力とする文明である。ブリトンは特にその傾向の強い文明だ。正直に言って4v4文明としてはかなり厳しい部類に入る。逆に2v2では異様な強さを誇る。

ブリトン最大の特徴は、射手育成所を使った速攻の強さである。内政ボーナスはモンゴルの劣化とは言え、領主IN時間を早めるには充分な能力。そして領主に入れば本領発揮、チームボーナスの射手育成所の作業速度+20%が大変意義のあるものになる。

領主ラッシュといえば、槍散、弓R、斥候R、軍兵即、TR(タワーラッシュ)の五種類だ。この内、斥候R、軍兵即、TRは奇策に属する為、普通は皆槍散か弓Rを選ぶ。そして槍散は、槍散という名前ではあるが実際の軍編成はほぼ全員散兵である。そして散兵も弓も射手育成所から出てくる。

ここまで言えば、ブリトンの領主戦が異様に強い理由を理解できるだろう。ブリトンは、領主時代の主力ユニットをどこの文明より早く作れるのである。何せ20%速いので、相手が5匹作る間にこちらは6匹作る事ができる。城主の時代以降なら、育成所を三つ以上建ててフル回転生産というのも可能だが、領主の時代では育成所二つで止めておかないと進化どころか農民生産に支障が出る

つまり、戦闘時の操作の上手い下手を無視すれば相手がどんなに完璧にプレイしても絶対勝てるのである。勿論こちらが余程進化ミスしなければの条件付だが。しかもこれがチームボーナスなので、2v2では非常に選ばれやすいのである。

もし相手が斥候Rしてきても基本通り対処すれば問題はないし、軍兵は弓で射殺できる。軍兵即は弓よりも早い段階から兵隊を作れるが、だからこそ弓の作成速度増加が効果を発揮する。TRだけはやられると射手育成所が関係なくなるが、逆にこちらがやる場合、弓をタワーの援護につける時効果を発揮する。まぁ当霧島家ではTRを推奨していないがな。

そして弓籠でも強い。

この場合、内政ボーナスはほぼなかった事になるが、まず籠もっている間に作る弓の数が劇的に増える。さっき、相手が5匹作る間に6匹作れると言ったが、そんな次元ではない。本来40匹作れる状態で進化するなら、48匹作れる。そしてランチェスターの法則に当てはめれば、40vs48は1600vs2304である。弓籠合戦で負ける要素はない。

更に、城主に入ると町の中心を増設できるようになる訳だが、この時建設費用が半分になる。石は相変わらず100必要なのだが、木が138でいい。普段は木275が重くて城主IN直後の町の中心増設は一個が限界、場合によっては城主に入ってもしばらくは中心を作れないものなのだが、ブリトンは増設が非常に手軽だ。極端な話、普段のノリで中心を作る木を集めたら二つ中心が作れるという状態になるのである。

これにより、城主IN直後の内政拡大は非常に迅速だ。お陰で、城主初期までは非常に強力な文明と言える。弓を主力にしているなら、射程も延びているからな。ところがここから急に転落人生が始まるのである。

と言うのも、文明テクノロジー表を見ると判るが、砲撃手、近衛騎士、ハサー、砲台、大砲といった帝王常連ユニットがどいつもこいつも全然作れないのである。辛うじて矛槍と近衛剣士が作れるぐらいで、包囲攻撃訓練所に至っては一つとして最後まで進化するユニットがないという悲惨さ。

しかも何を血迷ったか弓懸が無い。そう、火縄銃持ち以外の射撃ユニットの能力を劇的に向上させる超重要テクノロジー、弓懸が無いのだ。多分これ考えた奴馬鹿だと思う。お陰で、ブリトンの重石弓は射程が長いだけであり他の文明のフル強化重石弓に負けるという醜態を演じるのである。ちなみに弓騎兵は重弓騎兵になるが、弓懸が無いばかりかパルティアンもないので扱いに困る。

一方、戦士育成所は全兵種作れ、鉄工所も全部上がる。歩兵文明じゃないのかこれ。

そんな訳で、帝王になったらユニークのロングボウを作るしかない。史実のロングボウは育成に20年かかったらしいがこのゲームでは19秒で出てくるから安心である。ただ、石の掘削を研究できないので、他の文明よりも余程頑張って石を掘っておく必要がある。

さて、ロングボウは数字の上での能力は石弓の上位互換である。攻撃力が1高く、射撃防御も1高い。攻撃速度と射程は同じだ。一応、槍兵への攻撃力ボーナスは1低いが、その分素の攻撃力が1高いからな。

このロングボウの最大の特徴は射程距離で、基本射程は5しかないが、鉄工所の技術を全部研究して+4。文明ボーナスで+2、そして固有テクノロジーの自由農民で+1。結果、射程12という馬鹿みたいな長さになる。これは大砲の射程と同じでありフル強化した城より1長い。この為よく訓練されたロングボウは城をも壊す。

この射程12というのは本当に驚異的で、ロングボウには投石すら通じない。まぁ演習投石とお怒りになられた投石は大量に来るとキツいが、それ以外なら近付く前に射殺できるという恐ろしい事態が発生するのである。

しかし。

しかしだ。

ロングボウには致命的欠陥が存在する。

弓懸が無い為純粋な射撃戦性能が死ぬほど低いのである。どれぐらい低いかって弓懸あり重石弓に勝てないどころか同数の精鋭散兵にすら勝てないのである。本来、安物vs金ユニは同数だと金ユニが勝つ。その代わりコストが死ぬほど割に合わないし、安物は金を使わないから数を揃えやすく、故に数を揃えにくい金ユニに勝てる、そういう風に設定されたユニットが安物だ。

だがロングボウは同数の安物にすら勝てないのである。

当然、これだけ射撃戦性能が低ければ近衛騎士なんか来たら糸冬だし近衛剣士が相手でも同数なら半分ぐらいは斬り殺される。なので、肉の壁となる壁役を大量投入せねばならないのだが何故かハサーが作れない。しかも血統なし文明なので、血統なし騎兵という死ぬほど頼りない壁に頼る事になる。よって、ブリトンでは馬壁ではなく槍を壁にしてしまうのがやむを得ない事態として発生する事も多い。

一応言っておくと、ブリトンの黄金編成はELロングボウ+騎兵or矛槍+遠投だ。嘘みたいだろ? 同数の槍散で倒せるんだぜ、これ…

以上に述べてきたブリトンの特性を考えると、ブリトンは領主~城主序盤に致命的なまでの優勢を確保し、そのまま押し切る文明であると言える。ぬくりきっての帝王合戦では正直勝ち目が無い。4v4だとどうしても帝王戦に発展しやすいので、帝王までにどうにか主導権を握っておきたい。

尚、後衛を引いた場合だが、血統が無く内政ボーナスがある関係上30人手押しありよりも28人や30人手押しなしに適性がある。後衛でも先に主導権を握れるかどうかが課題なのである。先に城主となり、農民を殴り倒していこう。又、内政ボーナスと射手育成所のお陰で後衛直も強い。帝王がアレなので時代が下れば下るほど不利になるのは変わらない。何とか先手を打とう。

クレーシーの戦い(クレシーの戦い)にみる射撃兵器による騎兵突撃阻止の可能性

2011年01月04日 20時41分02秒 | 社会、歴史
ごきげんよう諸君、いかがお過ごしかな。最近寝込んでばっかりの霧島である。と言うかここんとこの記事で私が調子いいって書いた事ないな。取り敢えず昨日は16時間寝たし、一昨日も十二時間以上寝てる。頭痛は多少マシになったんだが。


さて、続きをリクエストされてたんでこの間の話の続き…といこうと思うが、もう少し火縄銃の話をしておきたい。と言うのも、前の記事で

では、ALL射撃兵とALL重装歩兵で戦争したらどうなるかと言えば、その射撃武器が機関銃とかでない限り確実に歩兵が勝つ。

どうせ射撃兵は近接戦闘ができないんだから、歩兵は何も考えず射撃兵の群れへ突っ込めばOK。射撃兵は自分達の所へ歩兵が到達する前に連中を全員射殺せねばならないがそんなもん不可能なのである。それこそ機関銃が必要だ。弓やボウガンでは、否、それが火縄銃であっても余程の兵力差がない限り無理と言える。


こんな事書いたな。しかし、これを読んだ読者諸君の中にはムッと思った者もいただろう。何故なら、日本には世界的に有名な合戦である長篠の戦いがあるからである。長篠では武田の騎兵突撃が織田・徳川連合軍の火縄銃射撃によって阻止されており、私の説は覆っている様に思える。騎兵は歩兵よりも足が速い訳で(武田の騎兵は怪しいけどな)、普通に考えれば歩兵よりも射撃兵に強いのだしな。

これについて、世界の戦史研究では長篠・クレーシーといった形で長篠と並び称されておるクレーシーの戦いを例にとって解説しよう。AOCの文明の歴史解説にもなるし。


クレーシーの戦いは、百年戦争初期においてイギリスの優勢を決定的にしたエドワード黒太子の演出した会戦の一つである。この会戦について述べる前に、ある程度イギリスの歴史、特にロングボウ隊の歴史について触れてこう。

イギリスの正式名称がUnited Kingdom of Great Britain and Northern Ireland、つまりグレートブリテン及び北部アイルランド連合王国である事は有名である。ここを見ると判りやすいが、この国は大まかにいってイングランド(ブリテン島南東)、ウェールズ(同西部)、スコットランド(同北部)、北部アイルランド(アイルランド島北部)、及びブリテン諸島(アイルランド島とブリテン島の間にあるマン島とチャンネル諸島)に分かれている。

元々、ブリテン諸島はケルトの住む場所であった。ここにゲルマン人であるアングル人、ジュート人、サクソン人の三部族(いわゆるアングロ・サクソン人の事)が移民してきたのがイングランドのはじまりであるといえる。そしてこのアングロ・サクソン人の侵攻からウェールズ、スコットランド、アイルランドは逃れている為、それぞれ独自の歴史を持つ事となった。

つまるところ、これらは本来なら違う国になっててもおかしくないのであり、スコットランドとかをイングランドが征服するのがこの国の歴史大半と言えるぐらいである。

なので、イギリスの歴史上の人物だからって安易にイングランド人と呼んではいけない。

例えば、AOCのチュートリアルでプレイヤーを指導するウィリアム・ウォーレスはスコットランド独立戦争でスコットランドの為に戦った英雄である。彼はスコットランド人であり、イギリス人だがイングランド人ではないグリートブリテン及び(ryの人間だがイングランドの人間ではないのだ。逆に、彼を打倒したエドワード一世長脛王はイングランド王であり、イギリス人でもありイングランドの人間でもある。この二人は映画「ブレイブハート」で出てきたな。

こういう歴史的経緯がある為、公式な場でイギリス人が自分を「イングランド人」と名乗るのはNGであり、voobly等多くの場で略称は「UK」(United Kingdom)とされている。あくまでこの国は「連合王国」なのだ。

そんなグレートブリテン連合王国の軍事的な特色は、やはりロングボウである。長弓だ。前の記事で少し触れたが、弓は習熟に時間を要する上、個人的な才能にも左右されるところがある。特にロングボウはそうで、例えば物凄い筋力が必要だ。

ゲームに出てくる弓使いは軒並みSTRが低いから意外かもしれないが、長弓というのは力が要る。イギリスでは自由農民(ちなみにこれをヨーマンという)を訓練して弓兵にしていたが、弓兵にすると左胸筋が異様に発達する為左右非対称の身体になる。それ以外にも、指の骨が変形したり左右の手の長さが違ったりもする。結果、当時のイギリスの農村には岩兵衛みたいな農民がそこかしこにいたのである。

そんな農村嫌だ。

又、習熟にも時間がかかる。逆に言うと普段から使っていれば手足の様に使えるので、狩猟民族の軍隊では主戦力になりやすい。騎馬遊牧民族であるモンゴルやフンの軍隊の主力が弓騎兵だったのは彼らが狩猟民族でもあるからである。欧州は農耕民族だからそういう訳にはいかないのだが、ブリトンは例外であった。ちなみに武士という名の重装弓騎兵を擁する日本も何故か例外だった。

ちなみに時間がかかるってどれぐらい時間がかかるって、イングランドのロングボウ兵養成には20年かかると言われておる。モンゴルとかが使った半弓と違って連中のは非常にパワーが要るのもあって、養成は大変なのだ。ちなみに前回紹介したスウェーデン式大隊とかの戦列歩兵を訓練するには大体二年必要だといわれており、まぁ時間はかかるがロングボウ兵よかマシである。

んで、前述のエドワード一世長脛王スコットランドへの鉄槌という名でも知られたが、彼が隷属させたのはスコットランドではなくウェールズである(スコットランドはこの後も幾度となくイングランドと戦っている)。そしてこのウェールズへの侵攻の際、イングランド軍は何度も酷い目にあった。その武器こそウェールズ人ロングボウ隊だったのである。

そう、イングランドの国民的武器となるロングボウも元を辿ればウェールズの武器だったのである。んでこのロングボウ、非常に強力だった。どれぐらいかって火縄銃より余程強力であった。あちらは最大射程でも精々200mが限界でしかも連射速度も一分2~4発程度。一方ロングボウの射程は最大で500mにも達する。

ただ何せ訓練が大変なのはさっき言ったとおりで、火縄銃登場後は徐々に衰退していった。だがそれでも、清教徒革命戦争(スウェーデン式大隊を作ったグスタフ・アドルフがとっくの昔に死んでる時代)ではどっちかがちゃんとしたロングボウ隊持ってれば一瞬でカタがついてたとまで言われている。


さて、話はようやくクレーシーに戻ってくる。クレーシーはフランスのカレーの南にある村だが、この村の近くに小山があった。フランドルへ撤退中だったイングランド軍は追撃してくるフランス軍をここで待ち受ける事とし、この小山に布陣する事にする。判りやすい図がないものかとぐぐったらなかったので自分で作った。



どうでもいいがこれ作るのに一時間かかった。いや、一時間半かかってるかも。以降の記事はできるだけこの図を見ながら読むといい。

さて、解説だ。イングランド軍は小山に陣取った。風車小屋を本営とし、司令官であるイングランド王エドワード三世羊毛商人王はここ。前面には丘陵に沿ってV字型になる様ウェールズ人ロングボウ隊を配置。その前方には防柵と落とし穴を配置し、歩兵隊は二個の方陣を形成。エドワード黒太子はここの一隊を受け持った。又、騎士による強力な重装騎兵軍団を持つフランス軍に対し、イングランドは騎兵戦力で大幅に劣る。これに鑑みて騎士も下馬して歩兵として布陣し、槍等で騎兵に対抗する。

一方、フランス軍はどういう布陣かよく知らないので壊滅的に適当な図になってるが、取り敢えずジェノヴァ人傭兵のクロスボウ隊を前面に配置していた事、その後ろには大量の騎士が控えていた事は確かな様だ。尚、この図だとイングランド軍のが多そうだが、実際にはイングランド軍一万二千に対しフランス軍は三万から四万いたらしく、数的劣勢は明らかだった。

ちなみに、イングランド軍自慢のロングボウ隊がウェールズ人になってるが、当時はイングランド人弓兵隊はまだ整備されておらなんだ。英軍にて弓兵が主力となる時期は私には判らんが、一般的にイングランド人弓兵はヨーマン、即ち自由農民で構成されているとされておる。そしてヨーマンが勃興するのは百年戦争や薔薇戦争で中小貴族がお亡くなりになられたからで、つまり十四世紀後半の話である。

さて、緒戦は当然撃ち合いから始まる。ウェールズ人ロングボウ隊とジェノヴァ人クロスボウ隊の撃ち合いな訳だ。一般的に、クロスボウは威力と精度に優れ、更に射程も長いと言われるがそれは近距離での直接照準に限った話である。

世の中には直接照準と間接照準という二つの射撃法がある。直接照準ってのは、普通に敵に向かって狙いをつけて撃つ射撃方法だ。一方間接照準は、大砲なり弓なりを空に向かって撃ち、放たれた砲弾なり矢なりがやがて重力に負けて落ちてきて、それが敵に当たる、という射撃法である。



長弓は間接照準が得意であり、山なりの弾道を描くこの射撃法でも強力である。しかも、この戦いでは見ての通りロングボウ隊が高所に陣取っている。大落角で落下してくるロングボウ隊の矢に対し、ジェノヴァ人傭兵の矢は重力に逆らうだけの直接照準射撃しかできない。しかも熟練したクロスボウ隊は一分に6~12発も撃てるが、クロスボウは一分に二発程度が限界である。

お陰で、ジェノヴァ人傭兵隊はたちまち撃ち負け総崩れとなった。これを見たフランス軍司令フィリップ六世(フランス王)は騎士による突撃で挽回する事を決定。元々フランス騎士達は血気に逸っていたので、命令が下るや邪魔なジェノヴァ人傭兵を斬り飛ばして(本当に斬ったらしい)突撃を開始した。

しかしながら、この突撃は大変な困難を伴った。イングランド軍が事前に用意した落とし穴と防柵によって進路は塞がれており、更にイングランド軍が待ち構えているのは小山。つまりこの坂を駆け上がらなければならないのだ。その上前日に降っていた雨のせいで足場も悪くなっており、騎兵を使った機動戦には最悪だった。

障害物に足を取られている間、フランス騎兵隊にはウェールズ人ロングボウ隊の矢が容赦なく降り注いだ。当時の鎧はファンタジーでお馴染みの板金鎧(プレートメイル)はまだ開発されておらず、騎士の高級装備でも鎖帷子(チェインメイル)止まりであった。

鎖帷子はその名の通り鎖を束ねた鎧である。口で言っても判りにくいのでぐぐったら人形用のチェインメイル作り方講座があった。絵だけ見るので充分だが、構造が非常に判りやすい。こういう構造なので斬撃には強いが、要するに鉄のリングを束ねただけなのでレイピアの刺突とか矢の射撃とか食らうと隙間から入ってきて終了する。

どうでもいいが、チェインメイルで画像検索してたらこんなん出てきたんだが何考えてんだろう。まぁでも極限まで手抜きしたチェインメイルってこんな感じだろうな。

話が逸れたが、ロングボウの威力については諸説あるものの、こんな鎧ではとてもではないがロングボウ隊の射撃には耐え切れない。その上騎兵は馬に乗ってる分シルエットがでかいので、余計にがしがし当たる。足踏みするフランス重騎兵隊は次々と落馬する。

しかしそれでも、フランス騎士は名誉にかけて突撃を敢行する。やがて障害物帯を突破し、前面に展開していたロングボウ隊は後方に撤退。フランス騎兵は側面に展開するロングボウ隊には目もくれず、イングランド歩兵隊に殺到すべく丘を駆け上がる。実際、騎兵というのは一人二人ならともかく、全員で全力突撃してる時に方向転換するのは至難の業なのでこれは間違っていない。

しかし、結果として側面にいるロングボウ隊、更には後方に撤退したロングボウ隊による十字砲火を食らう事になり、余計に大損害を蒙る結果となった。お陰でイングランド歩兵隊に到達した時には本来の衝撃力の半分も発揮できる状況になく、イングランドの陣列を突き崩すのは不可能だった。イングランドが頑強な密集槍方陣を形成したかどうかは判らないが、それでもフランス騎士の突撃を受け止めた事は事実である。

結局、フランス軍は十五回も突撃を発起したが全て失敗に終わった。流石にこれは無理だと判断したフランス王フィリップ六世は撤退を指示し、戦いは終わった。記録によって変わるが、フランスの損害は六千から二万に及ぶといわれ、一方イングランドは僅か百五十の被害で済んだという。ただこの数字は誇張(と言うか過小評価)ともいわれ、実際には千人ほどやられていたともいわれている。

しかしそれでもイングランドの圧倒的な完全勝利であり、百年戦争の年代記で有名なジャン・フロワサールに大いなる、そして恐るべき敗北とまで書かれた。父と子が皇帝であるボヘミアのヨハン・フォン・ルクセンブルク盲目王や、フィリップ六世の弟であるアランソワ公シャルル・ド・ヴァロワすら戦死し、司令官でありフランス王であるフィリップ六世までもが負傷した悪夢の敗北であった。

尚、一般にはプレートメイルすら貫通できるといわれるロングボウの矢だが、その一方でディスカバリーチャンネルによる実験ではチェインメイルすら貫けなかったという実験結果も出ている(どういう実験したのかまでは知らんが。火縄銃で鎧撃った誰か限りなく間違った実験みたいな胡散臭い実験という可能性もある)し、イングランドの矢はフランス騎士の鎧の上を滑り傷付けられなかったという史書もある。

ただ、騎士は貫けなくてもお馬さんは即死なので、落馬したところを歩兵に討たれた可能性は高い。フランス騎兵の大半は圧死、もしくは窒息死したという意見もある。どちらにせよフランスがどうしようもなく大負けした事だけは確かである。


この戦いで重要な事は、イングランドは別にロングボウの力だけで勝った訳ではないという事である。確かに、ジェノヴァ人傭兵にしろフランス騎士にしろロングボウの強力な制圧射撃によってやられた。しかしこの結果は、高地に陣取り、更に防柵と落とし穴による障害物を構築するという野戦築城、更にフランス騎士が突撃すればするほど十字砲火に晒されるという巧妙なロングボウ隊の配置、そして騎士を下馬させてまで作った騎兵の衝撃を殺す事に特化した歩兵の配置

これらの要素が組み合わさって、初めてクレーシーの勝利は実現したのである。エドワード黒太子の軍事的天才と羊毛商人王の適切な戦争指導の賜物と言えるだろう。もしロングボウ隊が平地にフツーに陣取っていれば、フランス騎兵に容易く蹴散らされた事は想像に難くない。これだけやってもフランス騎士は十五回突撃できたのだから。

基本的に、長篠もこれと同じである。長篠も織田・徳川連合軍は先に戦場に到着、馬防柵を戦場の各所に配置している。武田軍はこの防柵を越えようとしている間に火縄銃で撃たれまくり、えらい目に遭ったのだ。ただ、クレーシーと違って長篠の場合もっと複雑な戦闘経過を辿っており兵隊の構成も歩兵の割合が圧倒的に多いので、この話題としてはクレーシーを選ぶのが妥当だと考えたのだな。

この様に、機関銃誕生以前の射撃兵器で敵の突撃、特に移動速度の速い騎兵の突撃を粉砕するには障害物に頼る防御戦術しかない。しかも、長篠やクレーシーの様な大成功した場合でも、何度かは敵軍の突撃が到達しているのである。

又、この様な野戦築城戦術は、先に戦場に到着していないと使えない。更に、野戦築城が成功しても大砲などを持ち出されてバカスカ撃たれ、擬似攻城戦を仕掛けられるとどうにもならない。更に言えば、敵が馬鹿正直に突撃してきてくれないと意味がないので、どんな戦場でも使える戦術でもない…と、欠点は多いのだ。


これも又、銃剣が発明され、銃を槍として扱える様になるまでは火縄銃が(射撃兵器が)戦場を席巻する事はなかった理由の一つである。どんなに射撃能力の優勢を確保していても、軍隊には槍が必要だったのである。

新年あけましてトッポを食え

2011年01月01日 19時07分42秒 | ラグナロク
あけましておめでとうございます。更新遅い日誌ですが本年もよろしくお願いいたします。

という訳でごきげんよう諸君。新年いかがお過ごしかな。私は新しく飲み始めた(まぁ前も飲んでた事あったが)薬が身体に合わないと気付いていきなり断薬した為頭痛が痛い状態で困っておる。ちょっとずつやめればいいという話なのだが、やはりあれを飲むと気分は向上するもののストレスゲージが極端に短くなる故に簡単に暴発する様になるからな。やめた方がいいという結論に至った。

さて、新年一発目の記事だが完全な内輪向けなのでRO友人以外は見てもわからんと思う。取り敢えず昨日の北斗七星ゲージ光ってるのに舐めプで開幕投げに行ったら一撃コマ投げ入っちゃいましたって試合でも見て笑ってくれ。ちなみに開幕一撃入るのは6:40秒あたり。



さて、今回の記事は例のねんどろいどアークビショップ某店長カラーにしたのでその写真集である。年末のこの時期の塗装作業は寒かったぜラヴィ。

全てクリックで拡大である。




前から。




トレードマークのバルーン。




座ってみた。写り悪いな。




マグヌスエクソシズム!!




新装備シールドティエリアリボンのヘアバンドとぽりーん。





さて。





こんな写真で満足かね?
























































お 待 ち か ね だ





まぁ指の穴ちっちゃくてこういう持ち方が限界だったが。





個人的にはこっちがお気に入り。



以上。

ちなみに塗装に使用したのはMr.カラーのスプレー、サフとキャラクターホワイトだ。