霧島家日誌

もう何が何だかわからないよろず日誌だ。

第一次大戦における日本の第二帝国捕虜(中編)

2009年09月28日 22時12分21秒 | 社会、歴史
ごきげんよう諸君、いかがお過ごしかな。最近また不眠に悩んでいる霧島である。しかも明日は思い出しただけで殺意が湧く例のオナニー概論である。夏休み明け初の授業だ…いい加減あのカス死なないかな。

死ぬと言えば、最近1stガンダムのホワイトベース隊でどうやれば終戦後も罪にとらわれることなくブライトを殺せるかという命題をよく考えておる。嫌いなのだ、ブライト。まぁアムロも好きではないが、民間人にガンダムという兵器を乗り回させて自分の身の安全を確保しておきながら、いけしゃあしゃあと修正してやるだの俺ができるなら俺がガンダム乗るわだのすき放題言いまくりである為、見てて殺意が湧く。その点についてはSEEDはきちんとしておったな。

まぁ監督がキチガイだからしょうがない訳だが。


で、本題は前回の続きである。本当は後編をやるつもりだったのだが、色々書き足してる内に二記事分ぐらいに増えた為、中篇である。アフターにならんよう願っておいてくれ。



さて、青島陥落後、第二帝国の青島守備隊は捕虜となる。俘虜ともいうが。んで、現地にそのままほっとく訳にもいかんから内地へ連れてきて収容所に入れることになる。予想してなかった(戦争捕虜の発生を予想できるのもどうかって話だが)事態であるから当初はかなり狭い空間にぎゅうぎゅう詰めだったのが、習志野とかに大型の収容所が出来るにしたがってその点は改善された。

さて。

収容所である。習志野なら習志野俘虜収容所。

凄い嫌な語感である。

収容所というと、アウシュヴィッツであるとかなんかよくわからん支那人を適当に放り込んでおく豚箱みたいなのとかを連想しがちだ。また、収容所=牢屋みたいなイメージがあって、収容所入りの連中は禁固刑もしくは懲役刑の服役囚と同じに思いがちでもある。

が、収容所というのは読んで字のごとく誰かを受け入れる施設、という程度の意味合いしかない。ドイツ人捕虜受け入れ施設、とでも言い換えれば大分おとなしい印象になるだろう。まぁオーストリア=ハンガリー二重帝国人とかもいたんだが、さておき。

一般に、現代の日本人は軍隊について驚くほど無知だから、収容所と言えばとにかく強制労働で居住環境は粗悪で~、というイメージがある。しかし既に収容所はあくまで収容する場所に過ぎないと述べたとおり、実際はかなり違うものである。

まず給料が出る。

え? 何でって? 金がなかったら食べ物も買えないではないか。ちなみに、職業軍人じゃなくて徴兵で出征してきた奴は会社では休職扱いになっている為、第二帝国本国の本社から休職給が送られてきたりもする。さっきも言ったろう。捕虜は犯罪者ではないのだ。本来なら彼らは兵隊として第二帝国から給料貰ってそれで生活してる筈なのである。捕虜である以上、好きな場所に住む権利については我慢してもらって収容所で集団生活という話になるが、だからと言ってそれ以上の権利を奪う理由にはならん。

何度目か判らんが、彼らは犯罪者ではないのだ。禁固刑でも懲役刑でもない。ただ、ニートと化していた訳でもない。日本は収容所作ったりそこの管理したりしてる訳である。更には捕虜に給料まで払ってるのだ。税金で。ちょっとぐらいは働いてくれないと割に合わんのだな。戦時国際法(と言うかハーグ陸戦規定)でも、過度でなければ役務はOKということになっておる。

それが滅茶苦茶過酷な労働というのが定番イメージだが、実はそうでもない。むしろ元俘虜の回想では最大の敵は暇というのが定番になっておる。とにかく暇で暇で仕方なかったらしい。為に、その暇潰しは想像を絶するものがある。第二帝国軍捕虜の日本での活動、そして日本へ与えた影響、その多くは暇潰しの産物である。それほどに暇だったらしい。


いくつか話そうと思うが、まずはボトルシップである。元々ボトルシップというのは海軍の兵隊さんが暇潰しの為にやりはじめたもので特に目新しいものではないのだが、どれだけ暇だったかよく判るから取り上げる。

海軍というのは暇な職業で、長期航海に出ると本当に暇らしい。これは船の上からでもネットに繋げるようになった現在でも変わっておらず、海上自衛隊などはこれのせいでオタの巣窟と化したらしい。と言うのも、乗組員は各自好きな本であるとかゲームだとか暇潰し用品を持っていくのだが、どんなに好きなもんでも航海中に飽きる。んで、乗組員同士でその本とかを交換する訳だ。すると、その中に一人でもオタが混じってると艦長以下全員洗脳されて帰ってくるらしい。

萌え漫画とかエロゲとか、一般人は馬鹿にしたり気持ち悪がったりしてなかなか手を出さんのだが暇だから手を出してしまう訳だ。んでエロゲなんかそこいらの文学作品なんぞ屁のつっぱりにもならん名作が山ほどあるからな。グッバイ三次元こんにちは二次元になるらしい。

そんな暇で暇で仕方ない海軍の暇潰し法でしかも今に至るも廃れてないだけあって、ボトルシップはとにかく手間がかかる。そもそも帆船模型というもの自体が曲者で、こち亀でも言っておったが、一隻半年はかかるとみた方がいい。また、キットであっても説明書どおりやれば完成するとは限らない。これが恐ろしいところで、木の板を火で炙ったりして微調整しないと、右舷と左舷の長さが合わなくなったりするのだ。

それだけではない。気づいたら木材が足りなくなったりするのは日常茶飯事、船底の張り合わせなんかもさっき言ったとおり炙ったりなんかしないと本物だったら沈むだろコレっていう穴があくこともある。しかし実はこれでも簡単な方で、木材はなんだかんだで曲げたり伸ばしたりできるからミスってもそこそこ調整ができるのだ。鋳物なんかで作り始めたら一回ミスったが最後である。溶接業とかの経験みたいなものが必要になる。

キットでこれだ。帆船模型サンタ・マリア~とかでかでかと書いてある箱に入ってる大量生産品でこれなのだ。木材を一から削りだすとかなるとそれはもう言語を絶するものがある。帆船模型というのはこれほど大変なのだ。ところでボトルシップというのは、ビールとかのビンの中で模型を作るものだ。

当然、ビンの入口より中に入っている船の方が大きい。何がどうなって中に入ってるんだという話だが、こうやるのだ。しかもこの人のはまだやりやすい方で、本気で大変なのになると、ピンセットを使ってボトルの中で組み立てるという荒業をすることになる。当然、道具は基本的に自作。海軍の軍人さんがどれだけ暇だったか判ろうというものである。

このボトルシップだが、第二帝国の捕虜も結構積極的に作っておったらしい。青島守備隊だったから海軍組も多く、作り方を知っている人も多かったのであろう。歌田貫氏宅に今も伝わるボトルシップは、小学校の教師だった氏の母が生徒を連れて収容所に見学に行った時に貰ったものであるらしい。収容所に遊びにいくという発想も今の人にはないであろうな。

ちなみに、最初に俘虜を収容していた浅草収容所は新東京名所と化したらしい。観音様詣でついでにドイツ兵見物だそうである。


最後はちょっと話がずれたが、以上に述べたぐらい、ボトルシップというのは手間がかかる。そしてそんなボトルシップを作る奴が多数出現するぐらい、収容所暮らしは暇だったということである。彼らのした暇潰しは色々あるが、極めつけが「勉強会」である。一体何かって、あまりに暇で暇で仕方ないから、学のある捕虜が先生になって授業しようという企画だ。内容は電子工学みたいな実用モノから数学とか学校でやりそうなの、他にはフランス語とかの語学講座もあったらしい。

ちなみに捕虜達の給料はその多くが食費に割かれる訳だが、その次に多かったのが書籍代だったらしい。当時も丸善とかが洋書の輸入販売を行っていた為、捕虜達は本国から書籍を取り寄せて勉強していたそうだ。

お前らほんと暇だな。

とは言え、ただ暇潰しの為だけにやっておったのではない。これは終戦後に向けた就職活動でもあったのだ。意外かもしれんが、軍人というのは結構不安定な職業で、定年まで働くというのは殆どない。将校はともかく、特に戦時中兵隊になった奴は戦争が終わればお役御免になる。

さっき勤めてた会社とかによっては休職給が出ると言ったが、戦時中に兵隊になるのは、大抵元々どっかの会社に勤めてたりしてた社会人だ。しかも比較的若い連中が多い。だから、戦争が終わって兵役を解かれても復職せず、退職金貰って心機一転転職しようという奴もまた多いのである。

これは自衛隊でも同じだ。自衛隊の普通の兵隊は二年契約で、二年で退職、そうでなければ四年で、そうでなければ六年で…という人は結構多い。自衛隊は給料がいい(月給自体もそこそこある上食費、光熱費、水道代、服飾費、家賃などなど全て無料)とは言え定年も早い。軍隊じゃないことになっておるがまぁ軍隊だから、身体が元気でないと務まらないのだな。将校にしたって将軍までなれるのはごく一握りだ。幹部の数が余ってるもんでな。

その為、自衛隊では大型とか危険物取扱とかいった各種免許を取らせる為の教室みたいなものがあったり、援護室という自衛隊による自衛隊の自衛隊の為のハローワークがあったりする。自衛隊で何をやってたか次第で就職先が決まる事も多いようだ。名古屋鉄道は車両整備系の元自衛官が多いことで有名だしな。IT関連会社にも元自衛官は結構いる。警察、消防、海上保安庁は元自衛官特別枠があったりもする。

そういった、再就職先を考えるというのは人生設計で大事なのだな。だからこそ暇で暇で仕方ない捕虜生活中こそ就職活動(もしくはその準備)は大事なのである。暇潰しは暇潰しでも、将来を見据えた人生設計なのだ。収容所のハローワークである。


まだまだある。青島まで私物のカメラを持ち込んで写真撮ってた暇人もいるが、趣味のものをやってたという意味では収容所オーケストラをやってた連中もいる。戦前で唯一メジャーに行けた男沢村が硫黄島で戦ったように、青島にも色々な職業を持つ奴がおった。その中に音楽関連の人もいたのだが、その先が凄い。

こやつら、他の捕虜を教育してオーケストラ楽団を作ったのである。各所の収容所でオーケストラ楽団や男声合唱団が誕生し演奏会を開いてたが、特に板東収容所のオーケストラは著名である。この楽団は大正七年の六月一日、日本で初めて第九を演奏したのだ。ドイツ捕虜こそ日本に第九をもたらした男達なのだ。

ベートーベンの交響曲第九番を年末に聞くという風習は近年廃れつつあるが、一昔前までは日本の風物詩であった。その始まりがこの楽団なのである。六月一日の初演奏は第二帝国捕虜らだけの視聴であったらしいが、最終章では皆感極まって楽団と一緒に大合唱となったらしい。これはこれでいい話だな。

この板東収容所オーケストラについては、収容所の所長松江豊寿少将の話がよく美談として伝えられておる。あの会津出身で、捕虜については彼らもお国のために戦ったんだからが口癖だったという男だが、彼が"武士の情け"で演奏会を許可したというのである。この辺の話は、映画の「BANDO」とか、小説の「二つの大河」に詳しい。私はどっちも見てないがな。特に後者、直木賞(笑)受賞だからな。果てしなく地雷の香りがする。

しかし、これらについては評価のされすぎでもある。維新~敗戦の間の日本について褒める時は、「○○氏による指導により例外的に」だとか「海外列強に日本人が文化人であると示さねばならなかった」とかいった条件付けをするのが基本である。とにかく戦前の日本及び日本人を貶めないと気がすまないのだ。

そんなに日本嫌いなら出て行けや。

まぁそんな連中にとってはまことに残念ながら、他の収容所でもオーケストラなどの楽団による演奏会は普通に行われている。習志野では大正四年のクリスマスコンサート以降活発化し、確認されただけでも、大正八年ともなると年に八回もやってる。別に板東だけの特異な現象だったのではなく、板東は一例に過ぎんということだな。第九を持ってきたという意味で特筆されるべきであるのは変わらんが。

また、音楽ではなく演劇をやっておった連中もいた。特に習志野にはなかなか面白いものが残っている。入場券である。見ると、NARASHINO-THEATERと書いてある。習志野劇場入場券といったところだな。続いて12,April,1919とあり、その後にあるのを訳せば右側、座席番号三十二番、入場料七十五銭である。

指定席かよ。

また、映画もやっていたらしい。同じく入場券が残っているが、日にちが書いてない。おかしいと思ってよく見ると定期券であった。


どんな暇なんだお前らは。

第一次大戦における日本の第二帝国捕虜(前編)

2009年09月27日 09時13分09秒 | 社会、歴史
まーたPC故障か。

という訳でごきげんよう諸君、いかがお過ごしかな。霧島である。ここんとこ全然更新しておらぬ訳だが…まぁ忙しいかと言えば比較的忙しいかもしれぬが、それよりも問題なのはパソコンである。PCは我が魂の故郷である。まぁそうまでは言わぬにしても、私にも仕事とか用事とかがある訳で、その仕事が終われば息抜きしたいのである。んで息抜きにメインPCの(モニタの)電源入れてニコニコ見たりして一息ついて、それで寝て、また明日も頑張ろう、という訳だ。

メインPCが動かんと、その一息がつけないのだな。勢い、日誌更新の作業もなかなかはかどらん。一応ノートPCもあるにはあるが、あらゆる意味で雲泥の差がある。私は物心ついた頃には既にパソコンやってたと言うか、幼稚園生の時代からPC98とかパソコン通信とかテレホーダイとかそういう世界にいたのであり、その当時からのデータがまとめて保存されている我がメインPCは、ある意味魂の故郷と言えるのだ。

んで、当霧島家では八月の末からこっち家電製品が不具合起こしてない日はゼロであり、パソコン関連だけでもマザーボードが死んで交換、外付けHDDのデータが死亡してサルベージ、電源の二度にわたる交換といった事件が発生しており、もうキレそうである。

交換とかサルベージとかさらっと言えば大した労力ではなさそうだが、その原因究明とか内部の配線をしなおすとかだけでもBGM代わりに聞いてるインデペンデンス・デイがエンドロールまでいきかねない勢いなのだ。それに加えて洗濯機とか電子レンジが逝くから、ほんと、萎える。あの巨大な製品を運んだり運ばなかったりするのにどれだけの労力と時間とやる気が…

んで、また今日も壊れた。パソコンのメモリがな。んでこのメモリが曲者でな…私はなんだかんだ言って十年ぐらい前から自作をやっておるから古い部品が沢山ある。しかし、私の今のメインPCはi7規格でな。DDR3という規格のメモリじゃないと動かない。と言うかさすとこにささらない。このDDR3というのは比較的新しいもので、我が家のジャンクパーツは全部DDR2という古いタイプなのだ。つまり流用ができない。何が言いたいかって、買い替えなきゃいけないってことだ。

まーた一万弱飛ぶのう…


さて、本当は別の話題をしたいのだが、研究会で色々書かなきゃいけないからその草稿でもと思う。研究会で論文集を作ることになったのだが、まぁ、何せ日本最高学府(笑)の研究会(笑)である。会話のレベルが2ch軍板を遥かに下回る集まりだ。つまり論文集(笑)であり、大した内容のものを書く訳ではない。適当に流せばおkという感じだ。とは言えあまりに適当すぎると同類になってしまう為、一定以上のレベルに保っておかんといかん訳だがな。

んで、今回の論文集のお題は大正だ。大正時代について書こうという話しである。んで私の担当だが、何を隠そうドイツ捕虜である。第一次世界大戦が始まって、日本が日英同盟に従って連合国側で参戦した時陥落させた青島守備隊の連中だ。相変わらず指導教授に大学院行くなら西洋史行けよって言われた私らしい内容だな。

第一次世界大戦において、日本が参戦したのは基本的には青島攻略戦のみである。そもそもドイツ第二帝国は日本と同じ『遅れてきた先進国』という奴で、植民地らしい植民地は持っていないに等しい。よーし植民地取るぞーと思った時にはイギリスが世界制覇済みだったのだ。まぁ、フランスの方が植民地の面積自体は広いんだが、石油が出るとか金山があるとかそういう意味で重要な植民地は全部イギリスがかっさらっておってな。「何がありますか?」「土地があります」みたいなロシアとか中国みたいなノリなのだ。

フランスと言えば、二度の大戦を経て先進国なんだけどな~…う~ん…先進国ではあるんだけどなぁ…みたいな微妙国家に成り下がるまでは超一流国家であった。ナポレオンどころか太陽王ルイ十四世の時代よりも前から、今のアメリカ並みの国だったのである。そんなフランスですらイギリスにモコモコにされてる訳で、後発国のドイツはそれこそ青島とかその辺ぐらしか、アジアにおいて拠点はなかったのだ。

当然、そんな大した戦力があった訳ではない。しかも相手は、あの軍事大国ロシア帝国を(色々とギリギリだったとは言え)叩きのめした日本帝国軍である。しかしここで彼らの名誉の為に特筆しておかねばならんのは、勝てる要素が全くないのにも関わらず第二帝国軍将兵は勇敢にも戦い義務を果たしたことである。最終的には降伏したものの、それはあくまで刀折れ矢尽きるまで戦っての話だ。

軍人というものは、普段生産的な事を何もしとらんにも関わらず税金で食っていけるという大変素晴らしい職業(まぁ徴兵も絡むとちょっと複雑だが)である以上、戦争になったら戦う義務がある訳である。ヘルシング五巻にて、吸血鬼やグールに襲われ勝ち目のない戦いをしている軍隊や警察に向けてペンウッドが「義務を果たせ」と言ったのはそういうことだ。

平和ボケと言われて久しい(と言うか日教組とかの思想に染まって久しい)現代の日本人にはピンと来ないかもしれん話ではある。どうせ勝ち目がないんだったら、さっさと降伏すれば日本人も死なないしドイツ人も死なないから一挙両得じゃないかとか言う奴もおるであろう。

阿呆か。

責任逃れもいいところである。そりゃ要は自分が死にたくないだけだ。銃で武装した連中の銀行強盗に居合わせた警官が、どうせ勝てねぇからしゃーねーだろと知らん振りを決め込んで両手あげて、それで警察のつもりか? 勿論一概にその場で戦って死ねとは言わん。ハリソン・フォード化して後から悪人をやっつけるというのも有効な一手段ではある。問題は、己が命を捨ててでも自らの責務をやり遂げようという心意気があるかないかだ。

しばしば日本人はこの辺を勘違いしがちであるが、軍人の仕事は人を殺すことではない。何らかの理由で戦わねばならなくなった場合、戦争しなければならなくなった場合、国民を代表して銃を取る。それが軍人の仕事である。まぁ結局殺したり殺されたりするのは変わらんが、あくまでそれは結果であって理由でも目的でもない。


ここが非常に重要である。

軍人というものは国が違えば戦争してなくても敵同士、そう思いがちだ。日本の軍人とアメリカの軍人がいたとしたら、互いに将来敵になるかもしれぬ相手であり、隙あらばブチのめしてやろう、どちらもそう思っていると考えがちである。しかし実際にはそうではない。同じ職業の外人さん。それが他国軍人に対する軍人の認識だ。

これは戦争していてもそうである。たまたま敵同士になっているだけだし、戦争が終われば酒の一杯でも一緒に飲もうじゃないか…そんな感覚だ。嘘じゃないぞ。事実、日露戦争では夜になると帝国陸軍の兵隊が日本酒とか持ってロシア帝国軍の陣地に行ってウィスキーとかと交換したり、むしろ一緒に酒盛りしたりという事がよくあった。前にも言ったかもしれんが、第一次世界大戦最初のクリスマスは全員キリスト教徒であるから全軍戦争する気ゼロであり、同盟軍vs協商軍対抗サッカー大会まで開かれた。戦場のメリークリスマスならぬ戦場のワールドカップである。

そうであるからこそ、捕虜となった敵軍兵士には敬意を払う。相手は所属する軍隊こそ違えど同僚。しかもこの場合、勝てる見込みがないにも関わらず勇敢にも責務を果たそうと戦った漢達であるから尚更だな。

こんな話がある。大空のサムライって本を書いた、坂井三郎という帝国海軍の戦闘機乗りがいてな。戦争中はずっと零戦乗りで押し通した人なのだが、硫黄島戦にも参戦しておった。んで当然空襲があって迎撃にに出たんだが、エンジンの調子が悪くて高度が上がらん内に十五機からのF6Fに囲まれて、逃げに逃げていなした後反撃して追い返したという戦闘があった。

その後、硫黄島守備隊玉砕前に坂井は内地へ帰還命令を受けて死なずに済んだんだが、終戦後、元米航空兵との交流会があった。その席上で、結構な数のアメリカ人が集まってきて、「俺らが、硫黄島のあん時の戦闘機に乗ってたのさ」と自己紹介してきた。しばしの沈黙の後、坂井が口を開く。

「ヘタクソ!」

場は大笑い。で、そのまま一緒に酒を飲んだそうである。こういうのが、軍人同士の、ある意味においての戦友同士の友情というものだ。圧勝だったとは言え青島攻略戦では日本人も少なからず死んでおる。が、それは戦争だから仕方ない。あのドイツ野郎は俺の大事な友達を殺しやがった、徹底的に痛めつけて殺してやる、なんて発想が出てくるのはもっと別な場合である。パレスチナのカスどもとかな。

私は中東問題では断然イスラエル派である。PLOのやり口が汚すぎるだけとも言うが。判りやすい例を挙げると~…そうだな。PLOは当然、イスラエルに大砲撃ったりして戦争紛いのことをする(連中はそこらの弱小中東国家を制圧できるぐらいの軍隊を持ってる)訳だが、そういう時、司令部をパレスチナの一般人が住んでるマンションとかに設置するのである。

イスラエルにしたってそんなとこ攻撃したくはないが、しないことには大砲の雨は振る戦車は突進してくるという事態になるから、仕方なく空爆する。すると当然、パレスチナの一般人は巻き込まれる。で、PLOが「ユダヤのクソどもはこうやって民間人を手にかけるんだ」とやる訳だ。するとユダヤ人を憎むパレスチナ人がPLOに参加。本来パレスチナ人の中でもごく一部のハネッかえりだけだったPLOの人員は増強、ついでに海外に情報流してイスラエルは民間人も無差別に攻撃すると世界的に宣伝する、と。

最低すぎる。



そして順調に話題がそれた。

まぁ、こういう連中には敬意を払うとか払わないとか以前の話になるというのは判るだろう。戦争という、5m進むか進まないかで死んだり死ななかったりする極限の状況においてなお、互いに認め合うことができるというのは両者がちゃんとしてないと不可能なのだな。

んまぁ、敵国の軍人同士にもこういう意識があるというのが判ってくれればそれで良い。



取り敢えず今日はここまでである。この日誌では今日はここまでであるとか言うとその後ずっと放置されるのが通例だが、今回は問題ない。もうほぼ書きあがってる。

ん? 何でそのまま全部アップしないのかって?

だって…

長すぎるだろう。単純計算でこれの二倍だぞ…

RPGのキャラの生命力と銃

2009年09月17日 08時58分37秒 | アニメ、ゲーム、映画等
ごきげんよう諸君。いかがお過ごしかな。第一志望の試験も終わって余裕が出てきた霧島である。まぁ基盤が修理中でデスクトップPCはまだ死んでおるが…

しかし、今は大学院受験の真っ最中な訳だが…初めて修士の試験受けたのだが、受ける奴って少ないんだな。百人もいかないとは思ってなかった。大学までの受験は何千人と受ける上に学校も多いから受かったの落ちたのって話も合格発表当日に言える訳だが、これではそういう話はできんな。身元が割れたら終わりブログだからな、これ。


さて、先日何故銃は魔法に勝てないのかという話をしたが、あの後またちょこちょこ考えておったからその話でもする。

RPGにおいて、戦闘中そいつが生きてるか死んでるかというのはHPで判断される。HPが0なら死ぬ訳である。エンカウントしたモンスターとか、ボスとか、そういった敵はHPを0にすると倒した=殺したということになる。しかし、アンチ和ゲーマーが言うとおり、HPがゼロになろうが何だろうが、蘇生魔法なり回復アイテムなりを使えば味方キャラは何事もなかったかのように生き返るのである。

HP0の状態をあくまで『戦闘不能』であって『死亡』とは違うとするのが通説であるが、じゃあモンスターは?という話にもなる。また、深手を負って死にそうでも、上位の回復魔法を使えば簡単に全回復できたりもする。ステータス異常も同じで、まぁ気絶や睡眠からの復帰はともかく、HPの減り方からして生命に関わるのが判る劇毒も一発で治るのである。

ここに、銃は何故魔法に勝てないのかという命題を導入してみた。


まずだな…戦闘中攻撃を受けた時、恐らく、RPGのキャラは物凄い傷を負っているのであろうと考えられる。

ミノタウロスにでっかい斧で殴られたりすれば、それはもう腕が千切れたり脳味噌ぶちまけたりする筈である。魔法もそうだ。そうだな、冷凍ってバッドステータスあるだろう。氷系の魔法食らった時になる奴だ。文字通り凍るのだが、考えてみてくれ。南極のブリザードの中ですら、人間が一瞬で氷像になることはない。つまり、絶対零度とかそういうレベルの凍気を食らっていると考えられる。

いくらファンタジーの世界であるとは言え、そんなんで平気な顔してるのは人間とは呼ばない。相応のダメージは食らっているとしか考えられない。では何故、それでも普通にモンスターとの戦闘を続けられるのか。そこで鍵になるのが回復魔法及び回復アイテムである。これらは、ダメージを一挙に回復してしまうのであり、上位魔法ならHP0からHP全回復にすることだってできる。そう、RPGの人間が丈夫なのではない。敵回復魔法の効果が鬼なのだ。敵の攻撃で手足が吹っ飛んでも、プリーストの回復呪文で腕も脚も生えてくるのである。

RPGではやったら軽装な奴が多いにもこれで説明できる。鎧がついていようがついていまいが、どうせ攻撃食らえば腰の上と下で真っ二つに千切れたりするのであり、どうせプリが接着してくれるから頑丈な鎧を着込む必要がないのである。鎧を着けるのは、耐える能力を上げるのではなくかすり傷(我々の世界では重傷と呼ぶ)でわざわざプリーストの仕事を増やさない為であろう。

鎧つけてても兜を被らないのもこのせいではないか。被ってもどうせ頭に強烈な一発を食らえば頭蓋骨は割れるし、兜のせいでそいつが誰なのか識別しにくいこともある。それに視界も制限されるしな。無駄に露出度の高い装備してる女が多いのも理解できるというものである。どうせ一撃で吹き飛ばされるなら、装甲を限界まで減らして敏捷性にかけたいというのは、身軽ではあるが肉の力は男に劣るしその男すら一撃でミンチということを考えれば当然であろう。

ゲームの画面上では全くそうならないが、まぁ負傷の表現のリアルを追求しすぎると、それだけで膨大な3Dモデリングだとかドット絵のドット打ち作業でえらい騒ぎになるからな。ゲーム上では再現されていないだけであろう。初期テイルズチームとかがその内やりそうな気もするが。


さて、既に述べたようにRPGにおいては攻撃というものが絶対的な性能を誇る。どんな人間でも殴られれば死ぬ。銃がイレギュラーとして登場するゲームはいくつかあるが、この攻撃絶対有利、そして回復魔法の威力が銃の台頭を阻んでいるのではないだろうか。

先日人間ってのは頑丈だと述べたが、まぁしかし、銃も武器としては充分な殺傷能力はある。2、3発あれば大抵死ぬ。しかしその程度では何の役にも立たないのである。銃創は弾丸によって生まれるが、基本的に穴である。弾の回転具合によって穴の周囲がグズグズになったりもするが、腕や足がニョキニョキ生えてくる世界では不十分である。直径5.56mmとか9mmとかだからな、弾。

一番大きくて威力があるのは問答無用で12.7mmを使用する対物銃であろう。コンクリートブチ抜く銃だが、後衛(魔法職とか)の技としてみると竜巻起こしたり砂漠で渦潮作ったり火で氷系の敵を蒸発させたりする連中と比べると、どうしても見劣りするのだな。イラクじゃ兵士を真っ二つにちぎったということでその威力は大変に評判なのだが、その程度なら斧とか大剣持ちの前衛でもできる。敵の攻撃がなかなか後衛だからこそ、一撃で敵を肉塊に変える威力の技が必要なのである。

そう考えると、銃系の武器では無理である。一応バズーカであるとかパンツァーファウストだとかあとグレネードランチャーとか、そういった爆弾を飛ばすタイプのものでなければならなくなるのだが、これは作るのに手間がかかる。弾丸なんぞより余程大変で、先日言った弾の生産能力を遥かにしのいで大変だ。金属の塊の中に火薬入れるのとは訳が違う。

というか、それこそ魔法でいいじゃねぇか。

元々威力が低く、弾を生産するのが大変で持ち運びも購入も大変な銃を無理に使い続けるより、魔法に頼った方が余程効率がいい。


しかしでは、グチャグチャのミンチにされても何事もなかったかのように復活してくる世界で、何故キャラは死んでしまうのだろうか。味方キャラでも死ぬ奴はイベントで死ぬし、ボスなんかは問答無用でブチ殺される。

これは、生命力の枯渇が原因ではないかと思う。ロマサガでいうLPだ。そもそも回復魔法によって何故元に戻るかという点からが問題になるのだが、いくら素材(肉の塊)があるとは言え、回復させたい対象の身体を創造するのは無理というものである。創造は膨大なエネルギーが必要であるというのは諸君も知っておるだろうし、むしろそれができるなら誤って回復じゃなくドッペルゲンガー生成をしてしまったというケースが多発する筈である。

ではどうやって回復させるかだが、それは代謝の促進などによる生成であろう。対象に何らかの処置を施すことで、一秒に何万何億何兆という速度で代謝を行い、手足を再生したりするのである。つまりその、アレだ。スーパータイラントである。創造するのではなく再生するのだ。再生には当然、細胞分裂であるとかそういったことをする訳でエネルギーの供給が必要なのだが、回復魔法はそれを供給して可能にするものであろう。

回復は創造ではなく再生なのである。

しかし、再生というのはあくまで生物が行う代謝能力である。いくら回復魔法で外側からエネルギーを供給しても、限界がきてしまうのではないか。MGSのヴァンプも結局、何で死ななかったかってナノマシンが代謝能力を限界まで高めてたからだったし、生命力を使いすぎて30台(40台?)で身体が限界にきている。

多分、雑魚モンスターはこの生命力が大して高くないのであろう。だから適当に攻撃してれば勝手に死ぬ。逆にボスモンスターはHPが明らかに異常な訳だが、これはゲーム的な処理によるものであろう。回復可能な生命力を全部最大HPに上乗せしているのだ。

さて、こうなると、敵を倒すという行為は生命力を根こそぎ奪うことになる。再生しようにもできないぐらい徹底的な、全的破壊が必要なのである。するとまたもや銃は劣勢である。剣の突きも銃の射撃も基本的には同じ貫通系の攻撃だが、剣の突きはただ突いて終わるものではない。剣術においては刺したらひねるのが基本である。ブスッと刺したら、グチャグチャ音を立てながらひねって肉をグズグズにするのだ。ただでさえ攻撃範囲が小さい銃は、対象にあまり打撃を与えられない。

言い方を変えれば、銃はエネルギーを無駄にしすぎなのだ。確かに銃弾の前ではどんな鎧も役に立たないかもしれんが、貫通したところで傷は小さい。こう考えると、銃によるダメージはかすり傷なのかもしれんな。さっき鎧の役目をかすり傷を回避する為のものって言ったが、確かに銃弾は貫通するだろうし剣に裂かれるかもしれんが剣を刺した後グジグジとひねるのは防止できるからな。


かように、ファンタジーRPGの世界では、ますますもって銃は役に立たないのであろう。さて、私も手足千切られたり千切ったりしつつプリに生やしてもらう作業でもするかな。

古代日本の時間

2009年09月11日 17時23分47秒 | 社会、歴史
実は大学院受験が迫っておる。第一希望は十五日に試験なのだ。流石に記事を書く暇はないから、大分前に書いた奴をはっつけて終わる。色がついてなかったり語調がおかしかったりするがその辺は勘弁してくれ。



古代日本の時間の感覚というのは、今この平成二十年代を生きる我々にしてみれば、なかなか特殊である。即ち、一日は朝昼夕夜の四つに区分され、人間が活動する時間帯は昼であり人ならざる者が活動するのが夜となる。

今かなりさらーっと昼がどうこう夜がどうこう言ったが、これは極めて重要な概念である。物理的には同じ場所でも、昼と夜では別世界と化すのだ。この概念の説明は難しいが、例を挙げて説明することにする。

日本という国は大変治安が良く、日本に長期滞在したアメリカ人の女性が帰国後夜に平気で出かけようとしたら「おまえ、殺されたいのか?」と家族に止められたという風説まである。しかし日本でも治安が悪い場所はある。東京なら歌舞伎町、大阪ならミナミといった場所だ。しかし、普通の日本人は昼の日中の新宿を平気で歩く。何故なら新宿は安全であり治安が良いからである。しかし新宿では他の場所と比べて明らかに犯罪の数が多い。圧倒的なまでに。つまり新宿は危険であり治安が悪い。

これは、日本という国の『特定の場所』の『特定の時間帯』だけ『治安が悪い』のである。昼の新宿は安全で一般人も通行して良いが、夜の新宿は治安が悪く危険であるから一般人の交通は避けるべき場所となる。物理的には全く何も変わらない同じ場所同じ土地にも関わらず、昼と夜では全く違う場所に変わってしまうのである。

規則が変わってしまうのだ。ルールが変わってしまうのだ。昼の新宿には昼の新宿のルール、夜の新宿には夜の新宿のルールがあるのである。この現象こそ、古代日本において発生していたものである。どんな村にも、昼のルールと夜のルールがあったのだ。そしてそのルールに則って、昼の世界を人間が、夜の世界は『人ならざるもの』が活動するのである。この人ならざるもの、それを(知識人様によればは差別用語であるらしい為)仮に人外と呼ぶ事にするが、人外とは何であろうか。

まず一番最初に思いつくのは鬼である。いや、鬼とと言うより、鬼という言葉で代表される妖怪、魔物、魑魅魍魎といったところであろう。では妖怪だけが夜の世界に生きるのであろうか。どうやらそういう訳でもないらしく、今昔物語には夜に活動する霊の存在が記されている。

熱心に祈りを捧げた女を仏様自らが動いて助けたという話があるのだが、仏像が動く場面は全くない。そもそも助けるとは言っても獣に襲われた女を助けたとかそういう訳ではなく、金に困った彼女の為に動いて、寺の金を彼女の家に届けてあげた、というものである。仏像は夜の内に動き、朝になると元の位置に戻っている。しかし確かに寺の金が減っているし、仏壇の扉を開けた形跡もある。という事は夜に動いたのであろう、という事である。他にも幽霊が出てくる話もある。

鬼、神(仏)、幽霊。これら三つ(四つ)の人外の共通点は何であろうか。ここでは、これらは『異界』のものであるところとしたい。人間の知る世界ではなく別の世界からやってきた魔物達である。地獄でも天国でも平凡な別世界でも何でも良く、とにかく異界の住人という事だ。人間世界の常識など通用しない者達なのである。

しかし、人間は物理的にものを考える。例えば天国なら、とてもとても遠い世界であり人間が生きて行く事などまず無理で、肉体が滅びるという手続きを踏んでようやくそこに行くことが出来るという事だ。世界の端もそうである。かつて西洋では地球は平らであると考えられ、何処かしらに端っこがあり、そこから海は滝と化している…そういう場所だ。その滝の向こうは別世界と言って良い場所であろうが、物理的にとても遠い。とても普通の人間が行ける場所ではない。

ところが、人外はそんな遠い場所には生きていない。生活圏は人間と被っているのである。場所は同じなのだ。違うのは時間であり日が出ているか出ていないか、昼か夜かで決まるのだ。夜の世界というのは異次元であり別世界なのだ。非常に身近なところに人外はいた。当時の人間は別世界の住人であるところの人外と土地を共有していたのである。


さて、今回私が注目したのは、夜に行動する『人ならざるもの』である。今まで述べてきた人外は全て、物理的には人間と全く異なる存在であった。医学的にと言ってもいい。とにかくホモ・サピエンス・サピエンスにはとても収まらない者達である。しかし、人間は夜全く何もしなかったのか?ただ家に引籠もって寝ていただけなのか?

その答えは、断然、否でなければならない。人間は夜でも行動していた。その例を挙げれば、典型になるのが夜盗であろう。夜の世界を闊歩し、夜の世界では行動しない、もしくは行動してはならない、『人間』の財宝を奪う『人』である。『人』ではあっても『人間』の範疇には入らぬから『人外』なのだ。この『人外』こそ本論の要諦である。

網野善彦ら『中世の罪と罰』には、笠松氏が筆をとった夜討ちについての研究がある。これによれば、中世以前の価値観では、夜討ちというのは大変重大な犯罪であったという。

当時の戦争には厳格な規定があり、互いに伝令を出して日時場所を決定、その上で双方名乗りをあげようやく戦争が始まる。開戦を知らせる鏑矢を撃つのも必須である。しかも戦争中、非戦闘員の殺傷は禁止された。太刀を持つ武士は殺しても良いが、その太刀を戦場まで担いできた従者は傷つけてはならないのである。更に、戦争に使っているとは言え本来人間同士の喧嘩とは関係ない馬も、又殺傷は禁止された。「昔の武士は馬を狙わなかった」と後の時代で嘆かれるのはそういう起源がある。

ともあれ、これほど厳格でクリーンな戦争が当たり前であるとされる価値観の時代である。戦争をするのは当然。但し戦争は枠に嵌めて行い、戦場にいたとしても民間人に手出ししてはならない。となれば奇襲すら卑劣と言われる筈である。

ところが、保元の乱をみてみると全然話が違う。当時は既述の戦争観が当たり前だったにも関わらず、清盛らは夜襲を仕掛け一撃で一切合切何もかもを終結させている。普通、こんなものは武士の風上にも置けぬ不逞の輩とされるべきである。しかし、実際には、むしろ夜討ちを断行したのは素晴らしいと褒め称えられているのである。

これは何故であろうか? それは夜だからではなかろうか。即ち、夜に行動する武士は人間ではなく人外なのである。何故ならそれは夜だからである。夜の世界は昼の世界とは何もかも違う。昼のルールでは重大な戦争犯罪でも、夜のルールでは正当且つ効果的な戦法とされたのだ。清盛らは、まさしく人外だったのだ。別の世界なのである。


さて、この世界像、価値観は日本独特のものと思われるだろう。しかしそうでもないようである。私は日本史ではあるが西洋史を多くやっている為、西洋の世界観に非常に近いものを感じる。

J・ル=ゴフというフランスのとても偉い学者がいるのだが、彼はこう言っていた。中世は西洋にしか存在しない、とな。では西洋の中世とはどんな時代もしくは世界なのだろうか。その世界に生まれたとして考えてみよう。

まず生まれる。生まれた瞬間、すぐその場所の持ち物として登録される。リッチランド農業プラント村だとすれば、リッチランド村の住人として登録されリッチランド村の持ち物となる。本人の自由意志は認められない。リッチランド村の農民(予定だが)以上でも以下でもない。『リッチランド村の農民』ともう確定してしまう。又、同時に生まれてすぐ洗礼を受け、キリスト教徒と登録されキリスト教社会に組み込まれる。

人道主義などあの時代に存在しないからな。重要なのは、キリスト教的世界観である。キリスト教的世界において、人間はイコールキリスト者である。逆に言うと、非キリスト教徒は人間ではない。イスラム教世界との国境線あたりなら又話は別だが、基本的に人間としては認められない。と言うか、認められないどころかサタンの手先でありむしろ殺されてしかるべき存在なのだ。

前言を翻す様だが、あの時代にも人道主義はあった。但し人道主義が適用されるのは人間だけつまり、キリスト教徒のみが『人間』であるから、そうでない『人』つまり人外には適用されない。つまり、人道主義はあっても非常に限定的だったんである。

我々は一つの世界で生きている。白人黄色人褐色人黒人全て人間として扱われる。思想信条の別なく。勿論犯罪者は取り締まれ逮捕されるが、あくまで人間として裁判にかけられ法に基づいて処罰される。しかし中世は違う。二つ世界がある。人間の世界とその他の世界である。そしてこの二つの世界は場所によって区別されない。同じリッチランド村の人でも、キリスト教徒でなくなれば『人間世界』からは追放され『その他の世界』の住人とされてしまう。んで物理的にも村から追放だ。

『その他の世界』に行ってしまったら、もうどうしようもない。野盗とかに襲われて殺されても、アバロンのダニが一匹減ったなという話で、その野盗が罪に問われるって事はない。相手はサタンの手先だからである。であるからこそ、破門というのがいかに怖いものか判ろう。どこに行っても社会的な保護は受けられず、むしろ襲うのが推奨される存在になってしまうのだ。当然、元いた村からも追い出される。どこに行っても受け入れられない。


…この話を書いたのは勿論私だが、自分で読んでみても似ていると思う。日本における二つの世界。昼の世界と夜の世界。そして西洋における二つの世界。『人間世界』と『その他の世界』。どちらも、土地を共有し物理的には同じ世界に生きている。しかし、実際には二つの世界のどちらかに生きているのだ。

人間と人外の関係性。人間でありながら人間でない人、即ち人外。そしてそれらが属する二つの世界。日本では、昼の光と夜の闇が二つの世界を作り出した。キリスト教はキリスト者であるか否かで作り出した。こういった二つの世界、多層構造世界観とでも言うべきものは汎人類的なものではないかと、最近の研究では考えられている様である。例えば宮田登はその著書『日和見』でこの考えを表明している。

もしそうだと仮定するのであれば、日本古代の時間概念は、ただ単に昼と夜の違いであるだとか朝と夕方の人と人外が交わる特殊な時間帯であるとか、そういった関係に留まらないのではないだろうか。人間という種にとって極めて重要な部分、根源的なところから生まれた概念が時間に適用されたのであって、ただ日本人がそういう発想で時間というものごとを考えていたのではないのではなかろうか。

勿論、既述に挙げた例にも決定的に違う事はある。日本では場所は同じでも異世界になったり元の世界に戻ったりする。一方、西洋では時間に関わらずただ人であるか人外であるかだけで違う世界を形成する。欧州の人外は大抵都市部周縁や傭兵組織といった『吹き溜まり』に集中する傾向はあったが…

しかしそんな違いがあったとしても、多層構造な世界観が汎人類的なものであったかというのは魅力的な題であるし、少なくとも日本と欧州では重なっている以上、それだけでも比較史の対象になろう。以降は、日本及び欧州の多層世界観の追求、そして他の地域にも多層構的世界観がみられるか否か、この二つを対象に研究が進む事が望まれるであろう。




参考文献
日和見 宮田登 平凡社
時間と習俗の社会史 福井憲 新曜社
中世の罪と罰 網野善彦 東京大学出版会
中世ヨーロッパを生きる 甚野尚志,堀越宏一 東京大学出版会
中世の森の中で 堀米庸三 河出書房新社

適材適所

2009年09月09日 20時47分23秒 | 雑学
ごきげんよう諸君、いかがお過ごしかな。ようやく我が霧島家に帰ってくることに成功した薫である。スポンサーである以上しょうがないのだが、対人関係やら色々と面倒で萎え続けなければならぬ毎日がようやく終わった。

いや、別に介護するだけなら全然構わぬのである。しかし親戚、特に甥とか姪みたいなちっこいのが混ざってくるともう本当にだるい。すぐ喧嘩するし、精神的に参っておるからその親とかはすぐキレるし。おかげさまで、院試の勉強や会社の仕事どころか願書すら書けておらん

しかし…大学院の入試では、大抵研究計画書というのを出さねばならぬ。しかもこれが八割方の合否を分けるそうだ。故に重要であり、何度も書いては消し書いては消ししてるんだが、指導教授が全く何も教えてくれぬ。まぁ私の指導教官であると同時に大学院入試の試験官でもあるからある程度しょうがない部分はあるんだろうが、せめて頼りになる人か参考になる本でも紹介してくれてもいいと思うんだが…おかげで個人の人脈頼りだ。まぁ教授が悪いんではなく学科全体が悪いんだろうが。

大学全体が悪いのかもしれんが。もしくは日本の大学全体。


さて、先日映画をやたら見てたという話をしたが、ジャケ借りで見た『アサルト13-要塞警察』という題名からしてハズレオーラ全開な奴が意外と面白かった。先日のニュース速報スレで日本人は警官を勘違いしてるとかいうニュースもあったが、実際アメリカの警察ってのは結構汚職が酷いらしい。その辺はダークナイトでもよく表現されてたな。

んで、この映画も汚職が鍵を握る。ローレンス(マトリックスのモーフィアス)扮する街一番の悪党が逮捕されるとこから話は始まる。その前は特に見る必要はない。で、この悪党が警察と全力で癒着しているのだが、警察の木っ端役人が欲を出したせいで彼の利権を侵害。交渉決裂となり、裁判に出る事を決意する。

アメリカは司法取引があるからな。それに有能な弁護士を使って上手く立ち回れば、裁判で警察の汚職を洗いざらいブチまけて木っ端役人どもを破滅させ、自分は牢獄に入ったとしても一ヶ月もあれば出てこれる。そんな訳で、汚職警官どもはこの大悪党をブチ殺そうというのだ。

折りしも時期は大晦日、しかも舞台となる21分署は新年からは新しい建物に代わる為引越し中。その引越しも殆ど全部終わっており、夜勤の警官三人だけが署の中にいる状態である。しかも大型の雪嵐で外部との連絡は取れないに等しい。そこへ、例の悪党を載せた囚人護送車が、雪が酷くて進めないというのでこの21分署に避難してくるのである。

で、汚職警官どもが襲ってくる訳だな。対する21分署は囚人と協力し、篭城するのである。ほら、あれだ、超一流のB級映画ゴースト・オブ・マーズみたいな感じだ。実際、この映画の元ネタはゴースト・オブ・マーズ監督のジョン・カーペンターの映画であるから、似ていてもおかしくない。バリケードを築き防衛戦を展開する21分署、攻め立てる汚職警官隊という図式で、だから要塞警察という題名なのだろうが、要塞って程のもんじゃないだろ、これとかそういうツッコミはしてはならない。三人だけで夜勤だが気にしてはならない。


さて、この映画が気に入ったのは、従来の映画では考えられない要素がいくつかあるところである。普通、ヒロインっぽい奴は主人公と色々とフラグを立てたりして、後半敵に教われたりすると何故かそいつだけ殺されず捕虜になるというのが基本である。しかしこの映画では、確かにそいつだけ殺されないで捕まるのは同じなのだが、その後何事もなかったかの様に射殺される。


素晴らしい。


見え見えの展開をこれまた見え見えの展開で裏切る。簡単な事だがこれが意外と難しい。あんまりあっさりと殺してしまうと、登場人物が死ぬという事件によって視聴者が感じる哀切とか悲しみみたいな効果が薄れてしまうのである。酷い例がVガンダムである。あのアニメにはシュラク隊というのが主人公一行に同行し戦ってくれる。何故か女ばかりの量産型Vガン部隊である。最近のエロゲ的展開だが、監督の冨野は20年以上前に1○歳の幼女のヌードを全国放送したナイスガイであるから、疑問に思う事はない。

んでこのシュラク隊だが、次々に死ぬ。本当に物凄い勢いで死ぬ。何せ、死にすぎて欠員補充されたぐらいである。あんまり死にすぎて、最初はともかく中盤ともなると全く感慨が湧かぬのである。次々と死んだとしても蒼穹のファフナーみたいに一人一人ストーリーがあってその上で一人、また一人と櫛の歯が抜けていく様に死んでいくとかそんなんではない。監督に殺されすぎて、シュラク隊員が死ぬのが番組の恒例行事になったのである。展開も見え見えでな、あーどうせこいつ最終回で死ぬんだろうな~あ~死んだ、みたいな感じだ。

ま、本題とは関係ない。


んで何でわざわざこの映画を取り上げたかと言うと、戦闘も結構よく練りこまれておったからである。前回はアニメ的戦闘術について語った訳だが、近距離ではナイフのが銃より役立つとかそういう書き込みもあった為、この映画を題材にもうちょっと深く踏み込んでみようというのが今回の魂胆だ。

さて、拳銃なんてもんはライフル(と言うか突撃銃)とか短機関銃(サブマシンガンとかSMGとかマシーネンピストーレと色々名前はあるが…拳銃弾を連射する、突撃銃より小型の銃)に比べれば命中率、火力ともに低い。だから実戦では役に立たん(キリッ)というのが初心者軍オタによく見られる傾向である。あとデザートイーグルをやたらめったら叩くのとかも見るな。マグナムを初心者が撃てば肩が外れる、ゲームで度素人があんな銃使いこなすのはおかしい、とかな。まぁ、あれだ。誰もが一度は通る道だから生暖かく見守ってやるべきである。

ま、そこで永遠に止まる阿呆もいるがそれは放っておこう。んでは実際にはどうかというと、確かに拳銃無用論が流行した時期はあった。ちょっと詳細な時期は覚えてないのだが、一昔前(少なくとも911前)はアメリカの軍隊でも拳銃廃止論が流行った。使わないから。

が、そもそも今の軍隊(と言うかアメリカの軍隊)ってのは戦闘機爆撃機それにミサイルで徹底的に痛めつけて、歩兵の仕事は何もできなくなった敵兵をホールドアップするだけである。まぁ流石にホールドアップオンリーとはいかんが、真面目に撃ち合いする事は殆どない。

軍隊において、拳銃というのは本来補助武装である。歩兵の主武装は大抵突撃銃であり、その突撃銃が何らかの理由で使えなかった時に使う緊急時用の兵装だ。んで、米軍は伝統的に歩兵が弱い。強力な敵に出会うと、基地に連絡して航空支援(爆撃な)とかを頼む。んで、後は任せてスタコラッサッサであり、徹底的にやられて虫の息になってる敵をホールドアップしたりサルの捕虜なんていらねぇよって言いながら銃殺したりする訳である。

ま、戦争ではこれが正攻法だ。多少セコいが、真面目に銃撃戦をやると被害はどうしても大きくなる。曲がり角が一つでもあれば敵はそこに隠れられる訳で、それを制圧しようと前進すればどうしたって撃たれる。つまり曲がり角一つ曲がるにも死んだり死ななかったりするのである。スターリングラードはコレである。しかし、アメリカ様のパーフェクトゲーム以外では事情が異なってくる。

例えば警察を例にあげ…そうだな、銀行強盗が立てこもったとしようか。んで、警察は犯人を無力化したい訳だが、一番安全かつ確実なのは銀行を爆破する事である。怪しい伝説風に言えば爆破実験をやるチャンスだ。

しかし、そういう訳にはいかん。金は燃える人質は死ぬでえらい騒ぎになるだろう。だから、警官隊を突入させ銃撃戦を展開して、犯人を倒さなければならない。SWATとかSATが特殊部隊と呼ばれているのは、これに特化している『特殊』な部隊だからである。この映画でも、汚職警官の中には特殊部隊連中も入っており、この戦闘の考証がよくできておる。

それが例えば、前衛(ポイントマン)の装備である。後ろに続く奴がサブマシンガンで武装しているのに対し、前衛は拳銃を二挺装備している(一挺は予備)。M16とかの突撃銃は、狭い空間では取り回しが悪い。実際にエアガンを買って諸君の家の中でやってみるとわかるが、普通に使うと壁にがっつんがっつん当たる。これは短いサブマシンガンでも避けられない。もし不意に敵と遭遇した場合、正面とかならいいが細い通路の横に出られたりすると、咄嗟に銃口を向けようとしたら壁に引っかかってオワタとなる場合がある。

拳銃はその辺心配がない。どんな方向にでも振り回せる柔軟性がある。狭い空間でも動きやすく機動性も確保できるから、前衛は拳銃を装備する事が多いのだ。これは近年のCQB(閉所戦闘術)の研究によって明らかにされたもので、MGS4のメリルが拳銃装備なのも同じ理由でしょう。しかし、もっと近い位置での戦闘となると、今度はナイフの方が有利になる。

何故か。なんとなればであるな、銃とは柄が無限に伸びる槍みたいなもんである。しかも突きしかできない槍だ。槍の穂先を突き刺すには、柄をよく握って、先端を敵に向けて構える必要がある。この構えの動作は、銃である以上拳銃だろうが何だろうが避ける事はできない。長射程という銃の長所は、同時に弱点でもあるのだ。

その点、ナイフはわざわざ構える必要がない。また、その小ささ故に格闘の邪魔にもならない。普通の刀剣は大きすぎる為投げなどの肉体術を阻害してしまうのだが、ナイフの場合はその心配もないのである。バイオ4でレオンが「近距離では銃よりナイフの方が速い」と言っていたのはそういう事だ。


結局のところ、最強の兵器なんてもんは無いのである。あるのは最適の兵器だ。戦争では突撃銃や機関銃の天下だが、閉所戦闘では無用の長物…とまでは言わんが、SMGや拳銃のが使い勝手が良い。散弾銃は、まぁものがものだけにちょっと距離を取られただけで何もできなくなるが、いわゆるドアエントリーでは必需品である。

戦車だってそうだ。確かに装甲は厚いし火力もあるが、歩兵の協力がなければ待ち伏せされて対戦車武器で乙るし、敵爆撃機が空を自由に舞っておれば爆弾で乙る。むしろヘリが飛んでるだけで乙る。イラク戦争じゃボコボコで何の役にも立ってなかったが、イラクは戦車保有数世界三位だったのである。




まぁそんな訳で、剣でも銃でも魔法でも何でも適材適所が大事であると結論しておこう。

これは腐らざるを得ない

2009年09月06日 09時13分14秒 | アニメ、ゲーム、映画等
ごきげんよう諸君。いかがお過ごしかな。最近HPも当日誌も更新してないどころか、霧島銃砲店の露店は出さないわむしろログインすらしないわ何やってんだゴルァという向きもあろうが、一応理由はある。まぁ理由とは言っても、そもそもネット繋いでないからとかそっちではない。

実を言うと、ここんところ電子機器関係の環境が悲惨なのである。まず最初にノートPCが死亡、完全に死ぬ前に外付けHDDに重要なデータは移動させたものの、肝心のそのHDDが死亡。同時にサーバー用のPCがハードウェア関係で不具合を起こした。

取り敢えずデータの救出が先だとか言いながら色々やってサルベージを試みていたのだが、今度はメインPCが起動しなくなった。。しかも電源つけると30秒後に電源が落ちるという意味不明な状況であり、電源が死んだんだろうと思ったんだが、試行錯誤している間にどうやら原因は違うところにあるのではないかという結論に至った。多分マザーボード。

で、修理に出したい訳だが諸般の事情で領収書が手元にない。それに現在使ってるのはGIGABYTEので正規代理店だからちゃんと対応はしてくれるだろうが、修理に出したとしても事によっては5~7日ぐらいかかる訳である。最早発狂の境地だ。こんな騒ぎの中な訳で、しかも介護とか僻地隔離とか色々あったのであって、身動きが取れなんだのだ。

ちなみに現状だが、領収書を請求したところで止まっている。泣きたい。


まぁ、この間から記事にする記事にするって言ってて記事にしてない話がいくつかある訳だが、これも原因はコレである。…これ以上この話してるとへこむから他の話でもする。


結構前の話だが、テイルズ・オブ・ディスティニー ディレクターズカットを買ってやった。テイルズシリーズは、私はSFC版ファンタジアに直撃した人間である。歳いくつだと言われそうだが、元不良小学生であるから見逃してほしい。

んで一応PSリメイクもやったが、その後は全然やらなかった。エターニアとかシンフォニアとかはまだやってないのだ。が、デスティニーはやった。OP見て萌えて購入余裕でした。まぁ萌えたキャラの性別が違ったりした訳だが今となってはいい思い出である。むしろそっちのが好みだしな。んで、↓とかを見てまたやろうかな~と思ってたらディレクターズカットとかいうのが近所のゲーム屋にあったから、ついつい買ってきてしまったのだな。

テイルズオブデスティニー、夢であるように Full ver. 


実際のところいいか悪いかと言われれば、大変良い。が、今回はんな事はどうでもいい。

と言うのもデスティニーは数あるテイルズシリーズの中では少々特殊でな。腐女子の支持が阿呆ほど強いのである。まぁそう言うからには勿論腐女子の大好物なキャラがいる訳だ。リオン・マグナスって奴である。女と見紛う程の美貌を備え、華奢な身体で二刀の剣で華麗に舞う戦士……んー、百聞は一見に如かずか。

↑の動画でいうと1:09あたりからとか2:42あたりから映ってる奴だ。いかにも連中好きそうだろう。

しかし改めてやりなおしてみると、どうもこいつだけのせいではないということが判ってきた。そもそも私は、腐女子の好きそうなキャラも好きだが、BL自体にはあんまり興味がない。男女問わず、あくまで可愛い子が好きなだけであって、可愛い男の子同士を絡ませてしてハァハァする趣味はないのである。

しかし。しかしだ。



あれは腐らざるを得ない。



何でかっていうとだな。

主人公がスタンという奴で、金髪ツンツンのアレだ。んでさっき言った奴がリオン。この二人なんだが、もの凄くらぶらぶなのである。いやそれはもうほんとに。何せスタンとルーティ(ヒロイン。一番最後で林檎食べてる奴)がくっつくのはとても遅い。あのゲームは異常に長く、普通にやってると一周するのに三十五時間ぐらいかかる。この為、二人が恋仲になるのは終盤なのだ。

故に、序盤で仲良くなるスタンとリオンはルーティを寄せ付けず、賀茂川等間隔の法則が適用されるぐらいラブラブな場面が演出される。京都の賀茂川は絶好のデートポイントとして知られているが、やはりカップルとカップルは遠慮するところがある為、ある程度離れていちゃつくのだな。等間隔に。これと同じである。二人が楽しそうにしてるのに混ざるのをルーティが遠慮するイベントがあるぐらいだからな。

しかし、リオンは早い段階で離脱する。十八時間ぐらいかな、それで第一部が終わるのだが、第二部では序盤でリオンがいなくなってしまう。と言うか死ぬ。問答無用で死ぬ。オリジナル版ではまだ生きてる可能性が無いではなかったのだが、ディレクターズカットは徹底的に救いがなく死体に限りなく近いものまで出てくるという状態になってしまってテラカワイソスである。

まぁそれはいいんだが、リオンを殺されたスタンは激怒。それはもう大激怒。総統閣下シリーズなみに。リオンが死んだ直後に魔王様みたいなのが出てきて世界は破滅の危機に晒されるのだが、主人公スタン君にとっては世界なんぞどうでもよく、リオンの仇討ちの為だけに戦う。プレイ時間でいうと5時間ぐらい。

当然この間は女に構っておる暇などない。んで、ようやく冷静になって世界の為に戦おうって話になるのだが…こいつの一番の戦友は、実は愛剣である。ソーディアンっていう物言う剣のディムロスだ。超古代の技術で出来た凄い剣なのだが、扱う剣士の人格を剣に転写するという特徴がある。剣を使う剣士とその剣そのもの、二人の自分がいるってことだな。

千年前に作られたこのソーディアンは六口あるのだが、その内のディムロスがスタンの剣となった。人間のディムロスはとっくの昔に死んでおるが、剣としてのディムロスは残ってた訳だ。本来ならばスタンの人格を転写すべきなのだが、技術が残っておらんからか仕様なのか、しなかった。

んでこれが、剣が喋るだけならいいのだが、バストアップの絵付で話すのである。しかも表情の変化とかもアリで。

序調子にのりがちなスタンを嗜めたり、時には説教したり、時には喧嘩したり、時には共に喜んだり、時にはスタンの成長を感慨深く褒めたり…と、父の様に、兄の様に、友の様に接してくれるのである。まぁこれだけなら別に腐る要素はないんだが…

さっき言った通り、序盤リオンとラブラブで過ごした後、リオンの敵討ちに燃える訳である。大悟して世界の為に戦わねばならないとなるのは大体プレイ開始二十五時間後ぐらいだ。これでようやくルーティとくっつくのかと予想され、まぁ確かにそんなイベントもあるのだが、今度はディムロスとラブラブになるのである。

ずっとスタンを叱ってばかりいたディムロスなのだが、スタンが大悟したのとほぼ同時に、主人公達は詰む。魔王に対して勝てる要素がなくなるのである。んでディムロスが「もう無理だ」とか言って諦めるのだが、スタンは、十年かかろうが百年かかろうが絶対に諦めず戦うんだと説得する。立場が逆転した瞬間である。

で、デレた。

最後の方、「我こそはディムロス!スタン・エルロンの剣なり!」とか言い始めるしな。しかもルーティは今で言えばツンデレに属するキャラで、重要なイベント以外ではあんまりデレた事をしない。最終的に、スタンとルーティが想いを伝え合ってくっつくのは、だいたいクリア二時間前ぐらいである。

まぁ互いに想いを寄せていたのが判るイベントはもっと前からあるんだが、何せ二人ともさっぱりした人間でな。言いたい事を言い出せなくてもじもじするとかそういう事が全くない。おかげで、そもそもスタンはルーティを仲間の一人としか認識してないんじゃないだろうかというノリであり、ディムロスのが断然嫁なのである。ルーティもスタンにアタックする事なんてほとんどないしな。まぁルーティの場合は婿がいないからいいんだが、何せスタンは嫁ばっかりである。

んまぁラストでディムロスも消滅する(と言うかソーディアン五人と千年前の地上軍総司令官のあわせて六人が千年前からの続投組だったんだがこいつらが全員消える)んだが、EDではスタンが手紙を書いている。俺たちも精一杯頑張るから、これからも皆見守っていて下さい、みたいな内容である。んで宛名の最初がリオン、その後ソーディアン四人と司令官が続き、最後は『…そして、ディムロス』と特別扱いである。なんという嫁。


しかしあのゲームが神作として今でも語り継がれているのは、やはり内容自体は腐ってないところにあるだろう。あのストーリーを見せられたら特定の人間は腐ってしまうが、しかしそれはプレイヤーが腐っているのであって、別にデスティニーの話そのものは腐っていないのである。見る人が見れば、それは熱い友情と感じられるだろう。

言ってみれば、あのゲームは一種の鏡だ。腐っている人は腐っている自分が見えるのである。つまり私は腐ってた。



まぁそんな訳で、あのゲームやってる間中腐ってた。まぁしかし、スタンxリオン本とかディムxスタン本とかあっても手を出すかどうかは微妙だがな。萌えとエロは違うが霧島家のモットーである。




>ごてぃ氏

まぁ世の中にはダークシュナイダーというスーパームキムキ魔法使いがいるぐらいですからね…年齢と見た目にギャップがあると楽しいキャラになるのと同じ寸法でしょう。


>黒楓ちゃん

実は意外と結構いるんじゃないでしょうか。ただ脳味噌が足りなくてハイパー(事実上の)増税タイムになったり日本経済崩壊したり特定アジアに日本切り売りされたりするって予想がつかなかったっていう。

何故銃は魔法に勝てないのか?

2009年09月02日 15時00分10秒 | アニメ、ゲーム、映画等
ごきげんよう諸君。いかがお過ごしかな。かなりの勢いで更新しておらぬ訳だが、そんな滅茶苦茶忙しかったんではないんだが…まぁ色々と事情があって更新できなんだ。日本友愛党とかのせいである。選挙関連だけが原因ではないが。

しかしまぁうちも潰れるかもしれんな。早速補正予算執行停止という凶カードを切ってくるとはおもわなんだ。うちの会社はあまり関係ないが、顧客が潰れたら一緒に潰れるしかないからな。路頭に迷う可能性が本気で出ておる。まぁ、どっかの党首が落ちた党よかいいかもしれんが。


さて、前置きはこれぐらいにして、この間から話題になっておる、アニメとかゲームとかの剣vs銃の話でもする。とは言っても剣と銃についてはある程度既に話しておるからつまらなかろう。そこで、今回はRPGとかでよくあるファンタジー世界での話だ。銃vs魔法といったところかな。

ファンタジーRPGでも銃を装備したキャラは出てくるが、大体異端で魔法こそ王道の遠距離攻撃とされてしまっておる。常識的に考えて銃が勝ちそうなものだが、確実に邪道扱いされており、軍隊の主力遠距離攻撃も魔法である。何故なのだろうか、ということだな。

ん? ダークナイト? 前編があったからと言って即後編が来るとは限らん。


まず、銃というのは非常に強力な兵器である。戦争において、射程距離というものは極めて大事である。単純に鉄砲隊と槍兵隊を比べてみればすぐわかる。鉄砲はかなり遠くまで届く武器であり、射程距離という意味では槍とは比較にならんし威力もかなりのものだ。距離があれば鉄砲隊は槍兵隊を一方的に攻撃できる訳であり、槍は非常に不利なのである。槍兵は鉄砲に撃たれて物凄い勢いで集団自殺しながら突撃、肉薄し接近戦に持ち込まなければ勝てないのである。

一方、魔法も遠距離攻撃…兵器? である。ファンタジーRPGとかをやっている限りでは銃よりも射程は短いものの、威力は強烈である。冷凍魔法は対象の周囲を一瞬で凍らせてしまうし、特に注目すべきは召喚魔法である。召喚は文字通り異次元の生命体を呼び出して使いまとして使役する魔法だが、次元に穴をあけるのである。しかも穴をあけるだけではなく、対象を召喚した後は閉めるのだ。その上召喚する対象が存在してるピンポイントの所に穴をあけるということである。

天地開闢(ビッグバン)のエネルギーでもできるかどうか怪しい。

まぁ召喚魔法ごとに指向性のエネルギー運動があるのであろうから、そこまでの力は必要ではなかろうが驚くべき力である。魔法対銃の勝負は、威力に関しては魔法の完勝と言ってよい。一方、魔法はそこまで遠くに飛ばない。届くならラスボスさん在住のダンジョンの入口で主人公がボコられる。

まぁ大抵ラスボスは紳士だというのはあろうがな。誇り高きラスボス様は狙撃みたいな姑息な真似はしないというのもあるかもしれぬ。しかし、この世の中には数え切れないほどのファンタジーがある訳で、誰一人そんな事をしてこない事を考えると、物理的に無理なのだろう。


さて、この二つの遠距離攻撃兵器だが、どちらも同じ欠陥がある。一つは連射が遅いこと、もう一つは近付かれると何もできないことである。銃は銃で弾の装填に時間がかかるし、接近されると銃はどうにも使いようがない。鈍器として殴ってもいいが、銃身を曲げてしまったらアウトだ。もう一回撃ったら自分の頭が吹き飛ぶ。魔法も使うには呪文の詠唱が必要だし、魔法に特化した奴はどうしたってひ弱になる。

ところで、諸君は長篠の合戦とかを習って、日本では戦国時代ぐらいから鉄砲が最強で槍も刀も馬も役立たずのクズになったと思っておろう。鉄砲隊に抜剣突撃するのは集団自殺だと思っておろう。

しかし、意外であろうが、この集団自殺戦法が完全に駆逐されたのは第一次世界大戦の話である。効果がなくなった時期を早く見積もっても、日露戦争あたりだ。結局、兵隊が手に持った鉄砲程度の火力では、銃剣突撃とかを完全に止めるのは不可能なのである。これには地面に設置して一回引き金引いたら百発撃てるみたいな機関銃の開発を待たねばならん。

いくら何でも、ファンタジーの世界の銃にそこまでの火力を求めるのはアレだ。第一次世界大戦時と同等程度に技術が発展していた場合、戦争にでもなろうものなら上空を戦闘機が飛びまわり、地を圧して戦車が驀進する戦場が誕生する。あとインクリボン使ってセーブしたりな。ファンタジーの欠片もない。

また、銃は使うのに弾が必要である。これが最大の問題だ。銃も弾がなければただの筒。もし火縄銃だとしても、最低限黒色火薬と鉄球が必要になる。当然火薬はほいほい作れるもんではない。また、連射性を重視していわゆるカートリッジ式(弾頭と薬莢に分かれてる今の銃の弾)を導入すると、これはもう工場でないと作れない。となると産業革命が必須となり、電車で旅するファンタジーRPGになる。

つまり、銃を大量生産し配備するにはファンタジー世界では技術力が足りんし、もし可能だという設定にしたらファンタジー世界ではなくなる。故に銃は魔法とかを駆逐できぬのである。


また、銃が魔法を駆逐できぬ理由は技術力だけではない。仮に、機関銃とは言わんまでもアメリカの南北戦争ぐらいの技術と魔法が共存する世界があったとしよう。FFの6、7、8なんかはそれっぽいな。これなら、さっき言った銃の問題は解決される。弾を工場で大量生産するのだ。

しかし、だ。ひとくちに弾を工場で作るとは言うが、これが結構な手間だ。まず、国内で鉄鋼脈を見つけなければならん。どこからかで弾の材料を調達せねばならん訳だからな。で、製鉄所を建設。鉱山からせ意鉄所までに鉄道をひき、採掘した鉄鉱石を鉄とかに変える。それからこれをまた鉄道で銃弾作成工場に送る。言うまでもなく銃弾は大量に消費されるから(二十分間の戦闘で百人の舞台が一人一分にちき三発としても、六千発使う)大規模な工場が複数必要だ。

勿論、一言で言っておるが大変な事業である。製鉄所も鉱山も鉄道も弾を作る為だけに使われるということはないが、本来ならもっと違う用途、儲かる用途に使える筈だったものを弾にしてしまう訳で、丸損となる。戦争がない時は弾なんて猟ぐらいしか用途ないしな。また鉄道も、これの為だけに列車が増発されダイヤは過密になるし、場合によっては専用の線路をひかなければならん。

斯様に、銃を軍隊の主力装備にするのはかなり手間がかかるのだ。いやまぁ火縄銃でいいならまぁそりゃいいんだがな…当たらないしな、アレ。敵ではなく敵のいる方向に向けて撃つ兵器である。

まぁ話がずれたが、銃を主力にするにはとにかく金も手間もかかる。一方、魔法は、まず旧来から使われてきたものであるから、新規に工場(魔法の場合は魔法アカデミーとかか)を作ったり技術者を育成したり鉄道敷いたりする必要がない。また、威力も非常に強力であり、銃を上回っている事は間違いない。銃兵隊と魔術師隊、どっちが強いかはやってみなければわからんが、いい勝負にはなるだろう。




だったら魔法でいいじゃねぇか。




これが、銃が魔法に勝てない一番の原因だと思う。フランスみたいな強国にナポレオンみたいな夢の溢れる人が現れたら、金を投入して軍備を整え時代遅れの魔法使いを~…というシナリオもないではないだろうが、難しいだろう。

主人公ご一行に凹まされるだろうしな。


ちなみに、意外かもしれぬが、火縄銃は槍をほぼ駆逐した。まぁ駆逐したとか言っても安土桃山時代の日本とか最先端の先進国だけの話ではあるが、火縄銃は槍を戦場からほぼ消してしまった。例えば秀吉の朝鮮征伐の時、島津軍の兵員構成は槍20%弓40%銃40%である。結局、なんだかんだと言って銃は強いのである。射手は長いし威力も馬鹿みたいにある。銃の弱点は連射の遅さと近接戦の弱さだから、そこを他の兵種で補強している訳だ。

まぁ、弱点も長所も似てるから、残念ながら余計に魔法でいいじゃねぇかオチになる訳だが。




>五時にコメしてた暇人
残念だが私は独逸国家社会主義労働者党信者だ


>他のコメ
また記事にするから待ってくれor2