霧島家日誌

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マスケット運用の歴史シリーズ5-2 ナポレオンへの道:タギネーの戦い(タギナエの戦い)と軽騎兵

2011年02月27日 18時52分18秒 | 社会、歴史
ごきげんよう諸君、いかがお過ごしかな。なんだか寝起きが最悪な霧島である。一応八時間睡眠ぐらいでおきるのだが、頭が痛かったり気分が変だったりで、とてもではないがそのまま起きる気にはならないのだ。しかしながら、これのお陰でここんとこ十二時間睡眠余裕でしたとかそういう事態が多数発生しており、昼間の行動時間が著しく制約されておる。どうしたものかな…


さて、前回の記事で「この兵種は猟兵という単語のみでくくるべきものではなく、散兵、軽歩兵といった言葉も含めて語られねばならない」と書いたな。実際にその通りで、猟兵というのは欧州発の単語でありアメリカの兵隊に使われる事は無いといっていい。アメリカ独立戦争で活躍した彼らは、一般には散兵と呼ばれる存在だ。強いて言っても軽歩兵。ただ猟師が兵隊になったと言うと非常にイメージしやすい為、敢えて猟兵と呼んでいたのである。

で、だ。これまでのマスケット運用の歴史シリーズで、私は意識して重騎兵とか軽歩兵といった台詞を使ってこなかった。読み返してもらえば判ると思うが、重装騎兵とか書いてある筈だ。重騎兵も重装騎兵も似た様なもんじゃないかと言われるかもしれん。まぁ実際似た様なもんだ。ただ私は、重装○○とか軽装○○というのは装備によって兵隊を類別する言葉だと考えており、同時に、重○○とか軽○○は役割によって兵隊を分類する言葉だと考えているのである。

例えば、重騎兵というのは一般に重装備(つまり重い鎧とかを着けてる)で、敵戦列の綻びに突撃し、突破、蹂躙して勝敗を決める決戦兵種の事である。この場合、分類の上で重要なのは敵戦列に突撃するという役割であり、装備の別ではない。役割上どうしても敵の槍や剣による反撃に晒されやすいから重装備になりやすいだけで、突撃を旨とするなら軽装騎兵でも重騎兵になりうると私は考えておる。

実際、重装備か軽装備かってのも結構相対的なところがあるからな。ビザンツのクリバナリウス(騎手は全身装甲、軍馬も全身装甲)に比べれば大抵の重装騎兵は軽装騎兵だし、ポーランド重装騎兵に比べれば西欧各国の騎兵は軽装騎兵なんて時代もあった。又、七年戦争とかの時代になると重騎兵も鎧をつけなくなるので、果たしてどの辺で重装と軽装を分けるべきなのかというのも難しくなってくるのだ。

この辺の問題もあって、私は今まで徹頭徹尾、重○○とか軽○○という言葉を使ってこなかった。だが一番の理由は、その概念を説明しない限り使うべきでないと考えていたからだし、一番最初にこれを説明すると聞いた方は何が何やら判らず混乱すると思うからだ。だが今こそ、説明する時だ。そういう訳で説明するが、まぁ、なんだ、さっき半分ぐらい説明しちゃったな。

重騎兵は、さっき言った通り一般に重装備で、敵戦列の綻びに突撃し、突破、蹂躙して勝敗を決める決戦兵種の事である。一方重歩兵とは一般に軍隊の主力であり、やはり重装備が主で、密集隊形をとり攻撃力防御力の双方に長けている。ローマのレギオン、ギリシャのファランクス、スイス傭兵の密集槍方陣といったものが代表的だな。一般に重装備な為投射兵器では容易に傷つかないし(だから密集もできる)、密集した重歩兵の圧力は並みの事では跳ね返せない。

ちなみに投射兵器に強いから密集したのか、それとも密集してると投射兵器に弱いから重装備になったのかというのは卵が先か鶏が先かみたいな問題で、私にもわからん。両方の要素がそれぞれちょっとずつ成長し、互いに影響しながら自然と重歩兵の基本スタイルに帰結したのだろう、としか言えん。

この両者には、共通点が色々ある。例えば密集隊形という点。重歩兵が密集するのは勿論だが、実は重騎兵も密集する。各員バラバラに散発的な突撃をするよりも、密集して一点突破を図った方がする衝撃力は遥かに大きい。実際、以前話したフランス近衛騎兵は速歩で突撃する様訓練されていたのである。人間で言えば早歩き、ジョギングぐらいの速度だ。その方が密集隊形で突撃しやすい訳だな。勿論、襲歩(全速力)で突撃する騎兵もいくらでもいたぞ。ポーランド騎兵とかな。

又、主力というのも鍵である。以前の話でもしたが、結局戦争(と言うか会戦)というのは重歩兵の密集陣形をどうやって崩すかという話である。重騎兵が決戦兵種なのも重歩兵という主力部隊を突き崩せるからという理由によるものだ。そういう意味で、重歩兵の密集陣形は揺るがない。又同時に、その重騎兵も、勝負を決めてしまう兵種という意味では主力と呼んでも過言ではない存在であるといえよう。

一方、軽歩兵、軽騎兵はその逆である。軽歩兵は前回説明した猟兵(散兵)みたいな部隊だと思えば良い。軽騎兵は戦争では投射兵器(弓、投槍、拳銃)が主力だ。一応接近戦用の剣とかも装備はしている場合が多いがな。また、 装備の面で言うと、重騎兵は重装備の為に騎兵の最大の特徴である足の速さを殺してしまう場合が多いが軽騎兵にはそれが無い。即ち機動性を身上とする為装備は最低限のもののみであり、機動性を殺しかねない密集隊形も、必要にならなければ取らない。

彼らは偵察や追撃といった機動性を生かした作戦を主任務とする。戦術、戦略機動によって敵の後方に回り込み補給線を破壊する事もあるし、ロイテンの戦いの様な大会戦となれば、迂回機動による包囲だけでなく密集隊形を取って敵を強襲する場合もある。重騎兵との大きな違いはやはり必ずしも密集しない事、投射兵器も使う事、そして機動性に長けている事であろう。


これらの特徴が特長として端的に表れたのが、タギネーの戦い(タギナエの戦い)である。この会戦は、東ローマ帝国と東ゴート王国の間で行われた。AOCではゴートは歩兵文明だが、特に東ゴート王国は騎兵の国である。欧州で騎兵と言えば後年のフランスが有名だが、今でいうハンガリーやポーランドといった東欧の騎兵は当時から強力な騎兵を持つ民族として名を轟かせていた。しかしながら東ゴートの騎兵はそれすら圧倒的に上回る強力な部隊だったのである。

東ゴートの騎兵は全員が重装槍騎兵であり、典型的な重騎兵であった。東ローマ帝国軍の司令官ナルセスは、件の東欧出身の騎兵を多数雇っていた。が、東ゴートの重騎兵に重騎兵で対抗するのは不可能と判断していた。正規騎兵と傭兵騎兵、あわせても3000~4000程度であり、一方の東ゴート王国は午後に到着した援軍もあわせると6000の重騎兵を配していたのである。数の上でも劣勢であった。但し、全軍の数においては三万と一万五千と、逆に圧倒していた。



東ゴート王国軍の配置は単純である。第一陣、前衛として重騎兵のみの部隊を配置。そして後衛に歩兵のみの部隊を配置。ただそれだけだ。一方、高地に陣取った東ローマ帝国軍について注意すべきは全軍に弓を配置したというところである。AOCには弓兵兼歩兵なんていないので表現に困ったんだが、東ローマ正規歩兵も、ロンバルト人傭兵も、ハリ族傭兵も、皆弓を持っていた。又、中央の傭兵部隊前衛の槍を持った部隊は多くが下馬騎兵であり、東ローマの老将ナルセスの苦労が知れる。

東ゴート王国軍の戦術は、その配置と同様単純であった。彼らは重騎兵による突撃の力を信奉しており、前衛の重騎兵のみが綻んでもいない完璧に整った敵戦列に突撃した。普通なら、槍に刺さったり弓で撃たれたりしてすぐに蹴散らされるところである。しかしながらここが東ゴートの恐ろしいところでむしろ数度にわたる攻撃で東ローマの陣は何度も脅かされたのである。しかしそれでも、やはり東ゴート軍の損害は増える一方だった。午前いっぱい突撃を繰り返した東ゴート軍は一旦引き上げ、援軍を待つ。

そして午後に入って援軍の重騎兵2000を加えた東ゴート軍はまたしても重騎兵単独での突撃を敢行する。その重騎兵に向かって、ロンバルト人及びハリ族傭兵の後衛、東ローマ帝国正規兵からの射撃が殺到する。何せ、東ローマ帝国軍は基本的に全ての兵隊が弓を持っている。配置図を見ながら、これの中央に東ゴート騎兵が突撃し、それに十字砲火(というか矢)を浴びせる姿を想像してみれば、どんな状態だったか大体判るだろう。

しかしながら、ゴート騎兵の突撃は止まらない。以前話したクレーシーのイングランドに比べれば、東ローマ帝国軍の対騎兵準備は疎かだった。落とし穴や柵といった障害物が無い訳だからな。このままでは危険と察知したか、東ローマ帝国軍司令のナルセスは、右翼の東欧人騎兵隊を投入する。この絵では東欧人騎兵隊が弓騎兵になっているが、実際には剣も装備していた。彼らは逆襲とばかりに、全力で東ローマ帝国軍中央に突撃をかけているゴート騎兵の横腹へ突撃を開始した。

しかし、ゴートの重騎兵はそれでも崩れない。不死身の軍隊かと思うほどの剽悍さを誇るゴート騎兵は、一度は崩れかかったもののすぐに体制を立て直し今度は東欧人騎兵に向かって突撃を開始した。これにはいかな東欧人騎兵とて成すすべもない。だが、そのまま崩壊する事もなかった。彼ら東欧人騎兵は剣を納めると弓を取り出し、弓騎兵として後退しながらの射撃を開始した。

これが功を奏した。東欧の騎兵は軽騎兵であり、軽装騎兵である。装備が軽い故に機動性は高く、その上射撃兵器も持っている。一方のゴート騎兵は重騎兵であり、文字通りの重装騎兵だ。武器も槍しか持っていない。つまりゴート騎兵は東欧騎兵より遅いのに射程が短いのである。だから、東欧騎兵が逃げ始めたが最後絶対に追いつけないし、東欧騎兵は逃げながら一方的に攻撃を加えることが可能だ。

しかも悪い事に、東ゴート王国軍は前衛(騎兵)と後衛(歩兵)の距離が、今や絶望的なまでに離れていた。そもそも戦列の綻びに投入しなければならない重騎兵を正面突撃に使ったのも愚だが、前衛が騎兵、後衛が歩兵という配置も愚であった。何故なら重装騎兵が遅いと言ってもそれは軽装騎兵に比べれば遅いというだけで歩兵と騎兵なら騎兵のが圧倒的に速い。そして、前に騎兵、後ろに歩兵なんて配置にして騎兵が突撃したら歩兵と騎兵の距離は離れて当たり前なのである。

結果、ゴートの重騎兵は敵中に孤立した。しかも、東欧軽騎兵の巧みな逃走(誘導)と気付けば凹型に進出した東ローマ帝国軍歩兵により、前方と側面は敵歩兵に、後方は敵騎兵に完全に包囲されていた。相変わらず東欧騎兵は逃げ撃ちしかしない。ゴート騎兵は戻って東ローマ帝国軍中央を攻撃するが、相変わらず守りは堅く、しかも四方八方から弓が撃ち込まれる。本来なら東ゴート王国歩兵が騎兵を救援しなければならないのだが物凄い離れてる為不可能であった。

又、東ゴート王国軍司令官にして東ゴート王国の国王である"中世最初の騎士"トティラは、前衛で陣頭指揮を執っていた。ゴート族の歩兵は、ゴート族の騎兵が強い為必要以上に敵の騎兵をも恐れるという傾向があり、これも又、指揮官不在の歩兵隊が積極的な行動をとる妨げとなった。結局、ゴート騎兵は包囲を破れず戦闘力を喪失。そしてついに、虎の子の重騎兵であった東ローマ帝国軍正規騎兵が投入され、流石のゴート騎兵も敗走を開始し、東ゴート王国軍は総崩れとなった。実際に戦えば精強な戦闘員であるゴート歩兵も、肝心要の時に参戦せず、総崩れとなってから追撃してきた敵と戦っては戦闘力を発揮できる筈も無い。


この戦いでは、軽騎兵が非常に役立っている。重騎兵の攻撃をいなす部隊として大きな役割を果たしているのだ。重歩兵や重騎兵といった重部隊は、確かに主力となる重要な部隊だ。しかしその重部隊ばかりに偏重していると、軽部隊を含めた総合力に優れた軍隊に敗北する。これこそ、このタギネーの戦いから得るべき戦訓と言えるであろう。

しかしながら、軽部隊は長らく欧州の軍隊では重視されてこなかった。ただまぁ、軽騎兵の場合は技術的な問題もあった。特に西欧では、基本的には馬を使う生活とは無縁の文化圏が形成されている。なので、特に中世では、騎兵になれる技術、即ち馬に乗れる技術というのは生活に密着していない。こういう技術は、余暇が多かったり戦闘訓練を特別に受ける事になりやすい貴族ぐらいにしか身につかないのである。そして、貴族の騎兵というのはその財力が反映される為、大抵重装騎兵になる。結果、重騎兵が量産されるのである。

長らく、軽騎兵と言えば、東欧とかを出身とする馬に乗った荒くれ傭兵の事だったのだ。しかしながら、時代が下るにつれて状況は変わってくる。近代軽騎兵の発祥はハサー(一般にはユサールとか剽騎兵とか言われるな)だと言われておるが、それはともかくとして、七年戦争の時代ともなると軽騎兵隊も整備される様になった。プロイセンも、大規模な軽騎兵隊を組織している。しかしながら、軽騎兵と口では言いながらその用法は重騎兵的なものが大半であった。

次回は、この辺を踏まえながら、いよいよナポレオンの戦術に入っていきたい。まぁ次回っつっても、その前に最低一回はAOC記事挟むだろうけどな。

5 コメント

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Unknown (Unknown)
2011-02-27 22:01:57
いくら重騎兵でも射程と機動力が両方とも劣れば
傭兵の軽弓騎兵にとってはこれ以上ない鴨ですよね

軽装でも機動力と配置を活かせば一方的に蹂躙できるし
重装でも相手の編隊の核を付く事ができれば数で負けていても突破力が出る
逆もまた然りと

採用した兵の人心を掌握し各自に適した編成
相手の軍の特性を理解し兵を配置
考えると戦争ってかなり気難しい仕事ですね
命がかかってるので当然ではありますけど
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Unknown (トッポ)
2011-02-27 23:32:37
とりあえず、枕を変えてみてはいかがかな?
(´・ω・)っ「あまぞんぬ」
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Unknown (霧島)
2011-02-27 23:47:48
>あんのうん氏

ですねぇ。まぁ馬上でも弓が使えるぐらいの兵隊を揃えるのが農耕民族だと大変なんですが、傭兵ならって話ですからね。

そして二段目以降もその通りです。よくACとかミニ四駆みたいなので「最強の機体はない、最適の機体があるだけだ」なんて言われますが、最強の軍隊があるとするなら、各兵隊を最適に配置し運用する軍隊だと思います。勿論その配置と運用の上で人心の掌握も必要ですしね。

>考えると戦争ってかなり気難しい仕事ですね
>命がかかってるので当然ではありますけど
まぁ、戦争で偉大な功績を挙げた将軍や王でも実際には戦争をやりたがらなかったってのも多々ありますからね。別に平和がどうとかそっちじゃなくて、仰る通り難しい仕事な上にどうしても博打要素がつきまといますから。だから、七年戦争やスペイン継承戦争とかの時代ともなると、最良の指導者というのは戦争しないで、戦争になったとしてもできるだけ大会戦を行わないで所期の目的(領土割譲とか)を達成する人とされてます。


>トッポさん
あ、本当にコメしてくれた。ありがとうございます。

枕か…実際、今の寝台は安物だし枕も安い奴なんですよね…結局そこからになっちゃうかなぁ。
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Unknown (まっつん)
2011-03-01 00:13:02
頭痛や交感神経の調整には、アロマテラピーが自己暗示効果でなかなか有効ですよ。


ライフルも騎兵も、文化に適した戦術が有効ですね。

日本の、長篠で作った馬防柵や水攻めで作った土嚢なんかも
民衆に土木技術が浸透してたからこそですし


大陸の戦いは文化のぶつかりあいがあって面白いですね。
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Unknown (霧島)
2011-03-01 00:38:23
アロマテラピーかぁ…うち犬いるからそこが心配ですね。鉄筋コンクリみたいな空気の流れを完全に遮断する家じゃないんで換気は大丈夫だと思うんですが……

文化に合わせてってのは、軍事に限らず何にしても重要ですよね。その民族(とは限らないけど)の短所を補い長所を生かすのが勝利の秘訣の一つでしょう。実際、武田は馬の産地なのを生かして戦略機動性の高い軍隊を構築しましたし、織田は自軍が弱兵なのを何とかする為に様々な戦術、戦略を試しましたし。

まぁ大陸じゃなくても、今言ったみたいに日本国内みたいに小さいところでもちょこちょこ特徴があるんですけどね。あと大陸でも、同じ文化圏に属する西欧でもそれぞれ違ったりしますね。プロイセンは厳しい訓練と規律で機械的な軍隊の構築を可能としましたし、フランスは知的交流の中心地というのを生かして計算が重要となる攻城戦を極めたり、誇り高い騎士の末裔ってプライドを利用して強力な騎兵隊を構築したりしましたし。
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