やはりと言うべきか、睡眠薬を飲んだ後の勢いで書いた昨日の記事は面白くないな(挨拶
先程まで延々と義父が他人に説教を垂れてくださりやがって、(いい加減空気嫁)と思って殺伐としておった。それはもう本当に。サイレース十錠ぐらい一気飲みして永遠にサイレースしようかと思うぐらいには殺伐としておった。
まぁ、サイレース十錠飲み程度じゃ死なんのだがな。
なのだが、ついさっき急に和んだ。物凄く和んだ。というのも、なんだか今度日米合作(?)のドキュメンタリー映画が公開されるらしいのだが、題材は『特攻隊』である。勿論、特攻隊と言っても本隊とは別に遊撃とかをやるフツーの特別攻撃隊ではなく、神風特攻隊だ。
なんというか、今の私は祖父の代(もうちょい上か?)の特攻隊の上に立っておるのであり、特攻隊というと神妙な気持ちになるのが必然である。暴走族の特攻隊とか、アレは神風特攻に行った人に対して失礼ではないのかと真剣に考えておる。ただの先鋒だろお前ら、とな。
だが。
だが、しかし。
不謹慎ながら笑ってしまった。
いや、特攻隊の人を笑ったのではない。題名だ。
特攻隊を題材にした映画、その名もTOKKO。
ほら、アレだ、普通アメリカ人が神風特攻隊を指して言う時はKAMIKAZEだろう。カミカゼ。英語風に片仮名で書くと多分カァミィカゼェ。だから、まさかストレートにTOKKOと来るとは思わなかったのである。
英語風に書くと、多分トォッコォー。
なんかもう、アメリカ人がトォッコォーとか言ってるのを考えただけで和む。日本語で『とっこう』と発音すればズシリと来るものがあるが、アメリカ人が、あの日本語に比べ陽気でなまった感じでトォッコォーって言ってるのを考えただけでもう腹がよじれて腹筋崩壊である。
「トォッコォー」じゃねぇよ「とっこう」だよばか。どんなに真面目にアメリカ人が特攻について語ってても、トォッコォーと聞いただけでもうただのコメディにしか見えなくなる。
とまぁ、勢いではあるが、言葉の違いでかくもイメージが変わるものかと思って記事にした訳である。
しかしアレだな。何で英語だと面白くなるんだろう。
なんでそんな事を思うかと言うと、ムルデカっちゅー映画が結構好きなのだ。
かいつまんで大筋を言うと、まぁ歴史の話をするのが一番になる。大東亜戦争開始された後、当然日本はインドネシアにも攻め込んでオランダ人を蹴散らす訳だが、当時の日本の国策は色々と混乱しておった(何せ東京裁判で某偉い人が「検事の方々は日本が計画的に侵略戦争を行ったと仰いますが、実際のところは北だ南だなんだかんだと言ってる内に気付いたら戦争になってしまったというのが実の所で、その様に買い被って頂いても困るのであります」とか言ってしまうぐらいだからな)とは言え、一応大きな流れとしては『東南アジアの植民地を解放し順次独立させる』というものがあった訳だ。
偉い人は色々とあった訳だが、前線の兵士はその気満々であり、インドネシアの人にも軍事訓練を施して「我々は東南アジア解放の為にここにいるのだ」という意識が強かった訳だな。が、結局日本は敗戦する。
と こ ろ が 。
先も述べた通り、前線の兵士は日本を守る為というのもあるが、インドネシア独立の為に戦っているという意識もかなり強かった。特にインドネシアの部隊はな。この為、日本敗戦後も日本へ帰らず、そのままインドネシア独立戦争に義勇兵として参加した日本人もかなりいたのだ。ムルデカはかいつまんで言えばその日本人とインドネシア人の共闘を描いた作品である。
無論、皆が皆義戦に燃えておった訳じゃない。実際、映画の中でもインドネシア人を馬鹿にする奴も結構出てくるからな。とは言え、インドネシアの為に戦った日本人も多かったのも事実だ。
で、日本がまだまだ勝っておった時期に主人公の日本人がインドネシア人に軍事教練を施すのだが、この時いくつか日本語を教えており、後の方になってもたまにインドネシア人が日本語を喋る。無論片言でな。「タイチョー!」とかそんな具合だ。
だが、なんだかこのインドネシア人の日本語台詞は何故かよく馴染むのだ。確かに片言なのだが、面白みっつーのが全くない。主人公の日本人は途中で戦死し、その一番弟子だった奴は生き残るのだが、エンディングでそいつが遺族と会うシーンがある。
この時、「隊長には軍人の魂というものを頂きました」という意味の事をそいつが言うのだが、この時「隊長」以外にも「軍人の魂」の部分も片言の日本語で「グンジンノタマシイ」って言うんだ。しかし、面白みは欠片も無い。むしろ片言とは言え日本語で言う事でむしろズシリと来るものすらあった。
ううむ。
アメリカ人のイメージのせいなのか、これは。
なんだかアメリカ人っていうとアバウトで大味で、何かヤバい事になっても「Oh, it's so great, hah?」という感じで笑い飛ばすイメージがあるからなぁ。ハリウッド映画のせいかなぁ……
先程まで延々と義父が他人に説教を垂れてくださりやがって、(いい加減空気嫁)と思って殺伐としておった。それはもう本当に。サイレース十錠ぐらい一気飲みして永遠にサイレースしようかと思うぐらいには殺伐としておった。
まぁ、サイレース十錠飲み程度じゃ死なんのだがな。
なのだが、ついさっき急に和んだ。物凄く和んだ。というのも、なんだか今度日米合作(?)のドキュメンタリー映画が公開されるらしいのだが、題材は『特攻隊』である。勿論、特攻隊と言っても本隊とは別に遊撃とかをやるフツーの特別攻撃隊ではなく、神風特攻隊だ。
なんというか、今の私は祖父の代(もうちょい上か?)の特攻隊の上に立っておるのであり、特攻隊というと神妙な気持ちになるのが必然である。暴走族の特攻隊とか、アレは神風特攻に行った人に対して失礼ではないのかと真剣に考えておる。ただの先鋒だろお前ら、とな。
だが。
だが、しかし。
不謹慎ながら笑ってしまった。
いや、特攻隊の人を笑ったのではない。題名だ。
特攻隊を題材にした映画、その名もTOKKO。
ほら、アレだ、普通アメリカ人が神風特攻隊を指して言う時はKAMIKAZEだろう。カミカゼ。英語風に片仮名で書くと多分カァミィカゼェ。だから、まさかストレートにTOKKOと来るとは思わなかったのである。
英語風に書くと、多分トォッコォー。
なんかもう、アメリカ人がトォッコォーとか言ってるのを考えただけで和む。日本語で『とっこう』と発音すればズシリと来るものがあるが、アメリカ人が、あの日本語に比べ陽気でなまった感じでトォッコォーって言ってるのを考えただけでもう腹がよじれて腹筋崩壊である。
「トォッコォー」じゃねぇよ「とっこう」だよばか。どんなに真面目にアメリカ人が特攻について語ってても、トォッコォーと聞いただけでもうただのコメディにしか見えなくなる。
とまぁ、勢いではあるが、言葉の違いでかくもイメージが変わるものかと思って記事にした訳である。
しかしアレだな。何で英語だと面白くなるんだろう。
なんでそんな事を思うかと言うと、ムルデカっちゅー映画が結構好きなのだ。
かいつまんで大筋を言うと、まぁ歴史の話をするのが一番になる。大東亜戦争開始された後、当然日本はインドネシアにも攻め込んでオランダ人を蹴散らす訳だが、当時の日本の国策は色々と混乱しておった(何せ東京裁判で某偉い人が「検事の方々は日本が計画的に侵略戦争を行ったと仰いますが、実際のところは北だ南だなんだかんだと言ってる内に気付いたら戦争になってしまったというのが実の所で、その様に買い被って頂いても困るのであります」とか言ってしまうぐらいだからな)とは言え、一応大きな流れとしては『東南アジアの植民地を解放し順次独立させる』というものがあった訳だ。
偉い人は色々とあった訳だが、前線の兵士はその気満々であり、インドネシアの人にも軍事訓練を施して「我々は東南アジア解放の為にここにいるのだ」という意識が強かった訳だな。が、結局日本は敗戦する。
と こ ろ が 。
先も述べた通り、前線の兵士は日本を守る為というのもあるが、インドネシア独立の為に戦っているという意識もかなり強かった。特にインドネシアの部隊はな。この為、日本敗戦後も日本へ帰らず、そのままインドネシア独立戦争に義勇兵として参加した日本人もかなりいたのだ。ムルデカはかいつまんで言えばその日本人とインドネシア人の共闘を描いた作品である。
無論、皆が皆義戦に燃えておった訳じゃない。実際、映画の中でもインドネシア人を馬鹿にする奴も結構出てくるからな。とは言え、インドネシアの為に戦った日本人も多かったのも事実だ。
で、日本がまだまだ勝っておった時期に主人公の日本人がインドネシア人に軍事教練を施すのだが、この時いくつか日本語を教えており、後の方になってもたまにインドネシア人が日本語を喋る。無論片言でな。「タイチョー!」とかそんな具合だ。
だが、なんだかこのインドネシア人の日本語台詞は何故かよく馴染むのだ。確かに片言なのだが、面白みっつーのが全くない。主人公の日本人は途中で戦死し、その一番弟子だった奴は生き残るのだが、エンディングでそいつが遺族と会うシーンがある。
この時、「隊長には軍人の魂というものを頂きました」という意味の事をそいつが言うのだが、この時「隊長」以外にも「軍人の魂」の部分も片言の日本語で「グンジンノタマシイ」って言うんだ。しかし、面白みは欠片も無い。むしろ片言とは言え日本語で言う事でむしろズシリと来るものすらあった。
ううむ。
アメリカ人のイメージのせいなのか、これは。
なんだかアメリカ人っていうとアバウトで大味で、何かヤバい事になっても「Oh, it's so great, hah?」という感じで笑い飛ばすイメージがあるからなぁ。ハリウッド映画のせいかなぁ……