霧島家日誌

もう何が何だかわからないよろず日誌だ。

ダークナイト雑感(の筈のもの)前編

2009年08月26日 21時45分05秒 | 雑学
ごきげんよう諸君。いかがお過ごしかな。私は昨日の睡眠時間が2時間という生活である。人間は疲れるものである。疲れるから寝るのである。よって寝る。

…だけではアレだから、書き溜めしていた分をはっつけて終わる。

おやすみなさい。



ごきげんよう諸君、いかがお過ごしかな。ようやく我が霧島家に帰ってくることができた薫である。スポンサーである以上しょうがないのだが、対人関係やら色々と面倒で萎え続けなければならぬ毎日がようやく終わった。

いや、別に介護するだけなら全然構わぬのである。しかし親戚、特に甥とか姪みたいなちっこいのが混ざってくるともう本当にだるい。すぐ喧嘩するし、精神的に参っておるからその親とかはすぐキレるし。おかげさまで、院試の勉強や会社の仕事どころか願書すら書けておらん

しかし…大学院の入試では、大抵研究計画書というのを出さねばならぬ。しかもこれが八割方の合否を分けるそうだ。故に重要であり、何度も書いては消し書いては消ししてるんだが、指導教授が全く何も教えてくれぬ。まぁ私の指導教官であると同時に大学院入試の試験官でもあるからある程度しょうがない部分はあるんだろうが、せめて頼りになる人か参考になる本でも紹介してくれてもいいと思うんだが…おかげで個人の人脈頼りだ。まぁ教授が悪いんではなく学科全体が悪いんだろうが。

大学全体が悪いのかもしれんが。もしくは日本の大学全体。


さて、先日映画をやたら見てたという話をしたが、その時にダークナイトを見た。何故だか覚えてないがこの映画のCMは何度も見ており、そしてCM以外に予備知識なしで見た為、バットマンが出てきた時は結構びっくりした。CMにしろポスターとかにしてもジョーカーばっかり出てたから、新手のサイコスリラーだと思ってた。もしくはサスペンス。新型のジグゾウみたいな。

んでこれも知らなかったが、ダークナイトはバットマン・ビギンズの続編だったんだな。何せ予備知識なしだから、ダークナイト初見は誰が誰だかなかなか把握できなかった。ちなみに、このバットマン・ビギンズもなかなか良作だから暇があれば視聴をお勧めする。ただ、最初の一時間ぐらいは字幕オンにして早送りが良い。正確には忍者の国を滅ぼすあたりまで。

それで見てみての感想だが、なかなかよくできた映画である。傑作の範疇に入るかもしれんが、それ以前にハリウッドもようやく日本に追いついてきたと思ったな。日本でも特撮は一時下火だったが、ウルトラマンのガイアあたり、平成仮面ライダーでかなり盛り返しておる。私は特に平成ライダーは好きで、クウガ、アギト、龍騎、555は全部見た。そしてオンドゥルで力尽きた。それ以降は全く見ておらんし興味もなかった。

いや、アレだぞ、私は別に旧作厨じゃないぞ。ガンダムで例えると、富野以外認めない宇宙世紀の重力に魂を引かれたアホタレどもとは違うぞ。アポロガイストとか大好きだ。スーパー1とかブラックもよく見たものだ。まぁRXが嫌いで無印ブラック愛好家だった事を考えると元々平成ライダー系の番組が好みだったのかもしれんが、ともあれ、旧作も好きである。と言うか単純にオンドゥル序盤が辛すぎるだけだ。

まぁ、一応、オンドゥルもMADとか見ておると後半は非常に熱いらしく、他にも電王も良いとかディケイドは龍騎以来の大傑作だという話も聞くから今度見てみようとは思っておる。取り敢えず新しいのも古いのも好きだ。

いつもどおり話がそれたな。

んでダークナイトだが、ハリウッドも平成ライダーとかのレベルに追いついてきたのは間違いない。ハリウッドは映画でライダーはTVドラマではないかと言われるかもしれんが、そこはさしあたり置いておこう。

ダークナイトのストーリーはなかなかよく練られておるし、何より悪役ジョーカーの狂気がよく表現されておる。世の中を狂わせる為なら自分の死すら厭わない、清々しいまでの悪意の塊だ。あそこまで練り込まれたボスは、残念ながら平成ライダーにも存在しない。別のジャンルにはなるが、それこそヘルシングの少佐ぐらいのレベルでないと対抗できないだろう。

今まではエイリアンvsプレデターvsバットマン(ハリウッドの同人映画)のジョーカーが一番と言われていたが、今回のジョーカーはそれを大きく超えた。そのジョーカーにそそのかされ、『正義』『光』から『悪逆』『闇』へと堕ちるハービー・デントも又よく作りこまれたキャラクターである。

そしてそういった魅力的な登場人物の群像を支えるのが、役者である。もう少し言えば役者の演技力だな。日本の実写作品は致命的な欠陥として役者がどいつもこいつも果てしなく大根というものがある。演技の上手さでは時代劇が最後の良心だった訳だが、見ての通りの惨状だ。と言うか、だな。先日、と言っても七月初旬の話だが、恩師の現代中国語講師に会いに行った。ネイティブ、つまり中国人だ。

…おい。コラ。そこのお前。お前だお前。


何だその胡散臭いマジシャン見る目は。


何度も言っておる筈だが、私は朝鮮や朝鮮人という民族は嫌いでも一人一人の朝鮮人………違った。一人一人の中国人が嫌いということはない。よく面倒をみてくれた人で、教えるのも非常に上手な人だ。国際感覚も高く、同時に自国文化に誇りを持っている人でもある。特に京劇(舞台なら歌舞伎、テレビなら時代劇みたいなもんだ)の愛好家であり、日本の番組も時代劇が好きらしい。

んで、この間遊びに行った時、「日本人から見てさ、今の時代劇ってどうなの?」と聞かれてしまった。私は正直に役者は大根だしその上時代劇じゃなくて現代劇になっとると思うと答えたのだが、「だよね、だよね。良かった勘違いじゃなかった」とかなんとか言われたのだが、外人にそう言われてしまうというのはどうなのか。

あとこの間の痛いニュースでデーブスペクターが語ってるニュースが出てたな。日本のドラマはほぼ全員大根、問題なのは八割方自分が下手だと理解してないことだと言っておった。

まぁまた話が逸れそうな勢いだが、ともかく、日本はとにかく役者が下手だ。その辺ハリウッドは実力社会である。考えてみたまえ。ハリソン・フォードとかはともかくとして、ブルース・ウィリスとかアレ売れる顔か?あの演技力があったからこそ、ナカトミビルを右往左往した後もアステロイドを爆破したりミラジョボをキャッチしたりできたのである。キアヌ・リーブスだって、マトリックスのCMで「なんだこのグラサンうおーカッコええー」だったが、アンダーソン君時代のショボさは異常である。救世主になった後もグラサン外れると微妙だし。

一方、日本の役者はあのザマである。しかし、ならば全員顔で選ばれているのか? 必ずしもそうではない。顔が悪くかつ演技が下手ても大御所気取ってる奴はいくらでもいる。そもそも、日本のテレビ業界というのはアメリカとは全く違うのだ。じゃあ、日本のテレビ業界はどんなのか。

それは芸能人=ヤクザと思って間違いない。まぁある程度業界に通じてれば皆知っておろうが、ジャニーズだってヤクザだ。吉本もヤクザである。吉本興業が関東進出を果たした際山口組が果たした役割は非常に大きい。まぁヤクザの話をし始めるとドモホルンリンクルのアレも実はヤクザだったりする訳できりがないのだが、ともかく、テレビ業界ってのはヤクザに汚染されておるのである。

まぁ、だから、覚醒剤とか大麻とかウヒョーとばかりに使いまくってる+簡単に手に入れてる訳である。んでもって何か大事件起こしても簡単にテレビ業界に返り咲くのだな。釣瓶とか。諸君は知らんかもしれんが、あいつは番組中隠れてオナニーしてたのが全国放送されたのである。

逆に全然戻ってこれなかった奴の場合は、ヤクザに喧嘩売ったような奴だ。中村玉緒とかな。しかし現役時代の奴は美人だな…いや今は現役復帰してるが。

故に、日本のドラマやらに映りたい場合は、演技力なんぞよりも処世の上手さと言うか、政治力みたいなものがきわめて重要になってくる。逆に言えば、そういうのさえあればどんなに下手でもどんなに不細工でもオールオッケーということだ。これではいい役者など育たぬ。

どんなに脚本が良くても、どんなに演出が素晴らしかったとしても、役者が棒読みじゃ意味がない。平成ライダーでも酷い事になってる奴はいる。龍騎のあの女とか。ただ、特撮業界はテレビ業界でも異端に属するため、ヤクザの影響力はそう強くない。だから大根が大量流入する事はないが、代わりに、ごく稀にいる上手い役者を流して貰える事は99%ない。仮面ライダーがここんとこやったら新人ばっかりなのには、そういう事情もあるのだ。

実際、最近の特撮、特に仮面ライダーは新人ばっかりである。どんなに才能があったって、新人時代はやはり演技がギクシャクするものだ。そんな時期の役者に、ジョーカーみたいな狂気に溢れる奇人を好演しろと言う方に無理がある。

果たしてアニメやゲームの回避動作は可能か

2009年08月19日 23時01分10秒 | 日記
ごきげんよう諸君、いかがお過ごしかな。私は相変わらず僻地に軟禁中である。まぁ軟禁されるだけならば構わんのだが、やかましい親戚がいると鬱陶しくて困る。大変めんどくさい。ほんとだるい。さっさと家に帰りたいものだ。



さて、ここんところ毎回毎回真面目な話でもう諸君も辟易しておるだろうから、またなんかネタっぽい記事でも書くとする。コメの返信も兼ねてな。と言うのも、二回前の記事で人間ってのはなかなか死なないという話をした訳だが、バロス氏の調査もあるからもう少し踏み込んで考えてみたという訳だ。


そういえば先日、我が霧島銃砲店の近くに深夜集まる人々と談笑しておったのだが、その時世の中変態がやたらいるな(褒め言葉)という話になった。勿論ここでいう変態は以前紹介した、爆弾落として2、3機まとめて飛行機を落とす岩本徹三であるとか、もうアンサイクロペディアでも嫁としか言えん上に戦争中5歳の女の子と結婚した(しかも籍入れた)ルーデルだとか、あの辺の事である。ルーデルの嫁は戦争中5~7歳ぐらいだが、入院中の愛する夫を見舞いに来るその姿に戦友達は震撼したといわれておる。

コラ瀬よ、やればできるのだ。

んで、その流れで日本のサムラーイとかガンマンとか人間やめてるよねって話に飛んだ。実際、連中は色々とおかしい。マーク・リードなんか本気で人間やめてるな。こいつの愛称であるマークは記録早撃ち関係のレコード更新が趣味だったからついたものである。早撃ちと言っても実戦じゃ使い物にならんものもある(確かに早いんだがいかんせん当てずっぽうで当たらん奴とかもいる)が、こいつは本物だ。一応、普通の早撃ち記録は0.16秒そして狙いが正確なのは勿論、色んな技が使えた。

一番酷いのが二挺拳銃である。奴は右腰と左腰両方にホルスターぶら下げておったのだが、これは勿論相手が多い場合も考慮してである。しかし、奴の使ってた(と言うか当時はそれぐらいしかなかった)コルトのSAA――オセロットのアレ――はその名の通りシングルアクションである。説明は省くが、連射するには両手を使わないと難しい。つまり二挺持っていても事実上一挺×2であって、同時には使えない。当てるつもりがないんなら片手でも使えないことは無いんだがな。

んでこいつはどうするかと言うと、まず右のSAAを抜いて六連射、んでもってそれを上に放り投げて左のSAAを六連射するのである。ちなみに、先に投げた右のSAAは左の連射が終わってからようやく落ちてくる。んでガシっとかっこよく受け取るのだな。流石の変態ぶりである。

しかし実際にそういう変態がいたとしても、アニメ漫画ゲーム映画の凄い人達の動きを人間はできるのか。できるとしてもヤシマ作戦なみの成功率なのか、それとも意外と結構できてしまうものなのか。先日そんな話を例の人達としておった訳だが(そして何故か物凄い勢いで喧嘩になった)、改めて考え直してみた。今回は、銃撃への対処である。


まずよく見るのは、何と言っても銃撃を回避する場面だ。悪役が拳銃を構えバーンバーンと撃つと、対する主人公はひらりと身をかわして回避、一気に距離を詰めて殴ったり斬ったりするのである。一見不可能に見えるこの動きは可能であろうか。

取り敢えず最初に言うべきことは、発射されたのを見てからじゃかわせないというものである。まぁ当たり前と言えば当たり前だがな。銃口の発射炎を見て、もしくは銃声を聞いてそれを銃撃と認識し、それから身体を動かす、なんて事をしようとしても神経の伝達速度やらの関係で物理的に不可能なのだ。この点だけでも、銃撃の回避など不可能であるというまったく夢の無い無味乾燥な退廃的常識主義常識論が圧倒的優位に立つ。

しかし、ここで提示すべき例がある。アメリカは銃社会といわれて久しいが、そうなると、当然殺人事件にも銃が多様される事になる。で、殺人事件の被害者を検死していると、前から撃たれたのに背中から弾丸が入っていると判定される例がよくでてくる。

つまり、通行人Aでも「撃たれる!」と思ってから回避しようと着弾するまでに身体を捻る事はできるのだ。

発砲を知覚してから動いたのでは遅いから、銃撃を回避するにはどの道予想回避になる。撃つ奴がいつ何処でどこに向かって撃つのか、それを予想してその射線上から外れる様に回避運動を行うのである。これならば、できないという事はないだろう。少なくとも物理的に無理という訳ではなくなる。そして一応、そういった体験も伝わっていない訳ではない。

例えば、そう、合気道の創始者、天下の大変態植芝盛平である。陸軍中野学校で体術の教官を務め、満州で実戦にも出ている。その際、目の前にいる敵兵の銃が光った様な気がして無意識に回避動作をしたところ、さっきまで植芝翁のいた場所に弾丸が命中したというのである。何をまたそんな与太話を、と思うかもしれんが、古武術の使い手というのは馬鹿にできない。どこぞの手裏剣の偉い人なんか、銃より手裏剣のが当たるってんで米兵に手裏剣投げてたのだ。

また、ここで参照すべきものがもう一つある。古文書である。と言うのは、鉄砲が登場する前の射程兵器、つまり弓矢の事例も参考にしようという事だな。弓矢と鉄砲じゃ全然速度違うだろ馬鹿じゃねーのと思うかもしれんが…弓道をやっておった人なら判るだろうが弓矢の回避はほぼ不可能である。実は、矢の速度ってアホほど速いのである。

弓矢と言うと、皆時代劇とか大河ドラマの合戦シーンで、空高く矢を撃ち上げるシーンを思い起こすだろう。確かにあれなら見てからでも何とかなる。が、ここで取り上げるのは銃とかと同じく水平に構えて射撃する場合の話だ。これ、実はめっさ速い。ほら、ニュースとかで弓道大会の様子が流れる時、的に向かって放たれて当たったと言うより何も無かった的にいきなり矢が瞬間移動してくる風に見えるだろう。アレである。

これは、銃と同じく知覚してから回避するのでは間に合わない。まぁ勿論のこと弓矢は銃弾よりかは遅いんだが、人間の知覚能力にしてみればどっちも速すぎて変わらん。それぐらい弓というのは速いのだ。これはその威力にも現れておる。矢にしろ弾にしろ命中した時のダメージは質量×速度=威力になる訳で、速度が高ければ高いほど威力は上がる。鎌倉武士(=重装弓騎兵)とか凄いぞ。元寇の時なんぞ、本陣に座ってた元軍総司令官が遠距離から狙撃されそして鎧の上から食らったにも関わらず即死したという記録が残っておる。いかに速いか判るだろう。

で、この矢だが、古文書ではしばしば矢を刀で叩き落とす変態が出てくる。名前は忘れてしまったんだが(僻地から脱出できれば確保できるんだが)、塚原卜伝の弟子の一人で罠にはめられた奴がいる。剣豪が、弱いけどプライドの高いろくでもないサムラーイに果し合いを挑まれ、んで従者二人を連れて行ってみたらサムラーイの部下の弓兵に包囲されてオワタって奴だな。

この時、この剣豪は討死するんだが、次々と襲い来る矢の雨を悉く叩き落し奮戦したと伝えられている。まぁそれだけなら後から適当にデッチあげたんじゃねーのと全く夢の無い無味乾s(ry思うかもしれんが、ここで重要なのはこいつが連れてった従者である。剣豪は血みどろになりながらも、何と血路を開いて突破、従者二人を無事逃げ延びさせたのだ。その後、退路を確保すべく死ぬまでその場に踏みとどまったというのである。

これは、弓の攻撃をある程度いなせなければできる事ではない。つまり、本当にはたき落としたかどうかは別にしたとしても、少なくとも弓矢にある程度対処できたという事になる。こういう話はこいつに限らず色々と残っておるから、やはり人間は弓矢の攻撃を回避する事は可能だということになる。つまり、三段論法を使えば、人間は銃撃を回避するのも不可能ではない、という事になる。


では、回避と言ってもどうか回避するのであろうか。それは勿論、普通に身を翻してかわすのだろうが、ゲームの世界では剣で弾いてしまう場面がしばしば見受けられる。果たしてこれは可能なのであろうか。ここでの問題は二つ。まず剣は銃撃に耐えられるのか、そして耐えられるとして実際にそんな芸当ができるのか、という話だ。

まず前者であるが、これに関しては議論の余地はあるまい。何せトリビアの泉という番組が何もかも証明し尽くしてしまったからな。あの番組では最初に.45の拳銃弾を刃こぼれ一つなく真っ二つにし、その次では.50calのブローニングM2を7発ぐらい弾いていた。大体M2は人間に向かって撃つものではなく、1km先の装甲車を撃破する代物である。

つうか、アレ、人間には撃てないからな。歩兵三人で運搬して、使う時は地面に設置、固定して使うものだ。まぁ装甲車の装甲を抜ける弾丸を使っておるからな。あの.50弾を人間が撃てるものにすると、バレットM82(+A1)とかになる。全長144センチ、重量13kgで、嘘かホントか知らんが1.5キロ先の兵隊に撃ったら真っ二つに千切れたらしい。軍用のイメージが強い銃が、実は警察とかも使っておる。まぁ、その、なんだ。

強力過ぎて警察の射撃場では射撃訓練できないらしい。

まぁ、そんな弾丸を七発以上斬っておった以上、普通の弾丸を弾く程度なら訳も無い話である。しかも、現代の日本刀は性能が低い。実用品より美術品としての需要が多いのもあって、耐久力は低い場合が多い。又、使用する素材も昔ながらの鋼鉄だ。現在では、特に日立が開発した青紙シリーズとか、タングステンやクロムを使った更に高性能な素材が開発されておる。

ゲームの主人公は大抵最高級の刀剣を装備しているから、白紙シリーズや青紙シリーズ、なかんずく青紙スーパーといった最高の素材で作られた剣を装備しているだろう。旧式でアレだったのだ、最新鋭の技術を使えば更に頑強な剣を作れるだろう。であるから、銃弾を弾く事は何の問題もないであろう。

問題は、その使い手である人間が銃弾を弾けるかどうかである。無理だろ常考と思うかもしれんが、ここで思い出してほしい。先日Darknessのレビューでもちょっと述べたが、実際の戦闘では弾幕制圧射撃がメインである。じっくり狙って撃つよりも、目標に向けて数発ずつ撃ち込みどれかが当たる事を期待した方が良いのだ。これはプロであればある程顕著に現れる戦術である。

そして、特にベトナム戦争からこっち射撃の対象となる部位は限定されてきた。昔は胸とか頭とか各兵士が思う様に撃ったのだが、最近では腹を狙う様になっている。腹に食らおうが胸に食らおうが当たれば大打撃だし、それなら狙いやすい腹を狙おうという事である。つまり、プロであればあるほど何処を狙いどう撃つか予測できるのである。

しかし、いくら予測による回避動作でも、刃を向けて斬るのは難しい。そこで私が提唱するのは、刃ではなく刀身を敵に向けて予測防御動作する戦法である。まぁ刀の様な比較的細身の剣ではきつかろうが、ベルセルクのドラゴン殺しほどではないとしても厚みのある剣を横に向けて腹を防御すれば、高い確率で銃撃を防御できるのではなかろうか。



そんな訳で、現実というのは、意外にも夢に溢れているのではないかと考える次第である。まぁ、マーク・リードとか植芝翁なみの変態度が要求されるのは言うまでもない訳だがな。

ゲームとコミュニティの重要性

2009年08月17日 20時35分54秒 | アニメ、ゲーム、映画等
※左に新霧島家のフレームが表示されてる状態だと、参考動画はニコニコにログインしないと見れない。ブログパーツで見せろゴルァって人はこっち。


ごきげんよう諸君、いかがお過ごしかな。何でだか判らんがROが起動しなくて困っている霧島である。一応、今も二、三日に一回更新しようと頑張っておるのだが、大人の事情に阻まれて週二回に留まっておるのが現状である。

とは言っても、そこまで忙しい訳ではないんだがな。放射線治療とかで毎日通院する家族の付き添いやってる様なものである。毎日準備して連れ添って病院行く訳だから時間がないし暇もないが、しかし治療中はやる事ないから暇、という暇と言えば暇なんだが暇じゃないと言えば暇じゃないと、まぁそんな感じである。いい加減疲れてきたぞ、色々と。


ところで、最近しみじみと思っている事がある。本にしろゲームにしろ、売れるものが面白いとは限らない。まぁつまりどんなに下らんものでも売れる事はあるという事である。芸術的な絵画とかな。いやまぁ普通の意味で美しい芸術が近代で出尽くしてしまったという事情は知ってるしだから変な方向に行ってしまうというのも判っておるが、アレはないだろう。

早速話が逸れた。何でこんな話したかと言うとまぁゲーム業界のこと考えてたからだが、特にアーマードコアである。あのゲーム、無印PS時代三部作、PS2の2、2AA、3、3SLと順調に進化していった。全作、掛値なしの名作と言ってよい。ところが、3SLの後に出たネクサスが掛け値なしのクソゲーであった。

どこがどうクソゲーかというと、これがまた難しい。何でって、すべての要素がクソゲーの名に相応しいからである。強いて言えば子安がかっこいい程度だ。

…うーん。

どうしよう。


クソゲー過ぎて説明が難し過ぎる。


普通クソゲーってのは、ロードが長いだとかストーリーが終わってるとか操作性が悪いだとか、何処がどう駄目か明確なものである。クソな部分が目立つからクソゲーなのである。しかし、全部クソでは説明しようがない。ロードは長いしストーリーも酷いし…操作性はまぁ全作終わってるから仕方ないんだが。


んまぁ、ともあれ順当にクソゲーだ。これが続編ナインブレイカーになると某ビューサイトのクソゲー・オブ・ザ・イヤー受賞作になる訳だからいかに酷いか判るというものだな。PS2最後の作品となったラストレイヴンについては以前触れた通り、敵が鬼の様に強い(AC=自分もしくは強敵ロボ、MT=ヤラレメカなのだが、ことによってはMTの集団に普通に殺られる)に加えて自機を構成する部品の半分以上が産業廃棄物という鬼畜難易度であった。

そう言えばむかしアンリミテッドサガというクソゲーがあったが、あれは攻略本という名の取扱説明書がないとクリアできなかった。しかし、ラストレイヴンは攻略本があってもクリアできないから悪質である。別に難易度を高くするなとは言わんが、SIRENみたいなゲームじゃないんだからノーマル/ハードぐらいつけろという話である。そこそこ簡単な3シリーズにすら難易度選択あるんだし。

そうは言っても、あれはマルチシナリオなんだから簡単なルートあるんじゃないの?っていう疑問が出てきそうだが、まぁ無いではない。ただし、無い訳ではないというレベルである。一応、やりこめばなかなか良ゲーであるらしいのだが、
まぁしかし、確実に一般受けはしない。しかもAC4に至ってはレイレナード本社施設エグザウィルとかそういう惨状である。

もうなんと言うか、未来が無い。正直、人気は低下の一方であろう。ファイナルファンタジーとかドラゴンクエストの凋落の話題も久しいが、例えばFF12にしたって、ファイナルファンタジーってついてなきゃ叩かれなかったというのはよく言われるところである。今回のDQ9もそんな感じの事が言われておるな。だからFFにしろDQにしろ、没落にしたにしてもそんなそんなクソゲーばっかりという訳ではない。一方、アーマードコアは掛け値なしのクソゲー量産体制である。

一応、今回のfAで復活した感じなのだが、そもそもネクソスからナインブレイカー、ラストレイヴン、4とシリーズが続いてる事自体がおかしい。特に開発費が物凄いかかるPS3のタイトルが二つも出てるというのは異常の一言に尽きる。


んじゃ何で続いたのか。これはひとえに、ユーザーのコミュニティにあると私は思う。

まぁつまるところ、そのゲームに対するプレイヤーの愛といったところなのだが、ACシリーズはこれが非常に強い。いや、冗談じゃないぞ。本当に凄いのだ。何せACwikiでは日夜会話が盛り上がり(2chで例えるとAC本スレが2日もすれば過去ログ行きになるぐらい盛り上がる)、三日もすれば絵師の絵かSSが投稿され、それぞれの作品に出てくるパーツ(多いと一作品700種類以上ある)一つ一つに大量のコメントが記載され、中央官庁や自衛隊からもアクセスがあるという状態だ。

あれだけクソゲーを量産しているにも関わらずこれほど愛されているものはないだろう。ACfAにしたって、あれは一応良作の部類に入るもののアーマードコアって名前じゃなかったらオンライン対戦はとうの昔に廃れてると言ってよい。特に公式戦なんぞ、どいつもこいつも同じ形してるからな。パーツが100種類あろうが200種類あろうが、突き詰めると二、三種類の組み合わせになってしまうのだな。PS3メニュー画面のゲーム説明欄にある台詞が悲惨である。100種類以上のパーツを組み合わせ、あなただけのメカを組み上げてくださいとか書いてあるからな。

しかし、それでもACは愛されている。黒歴史となるNシリーズ(ネクサス、ナインブレイカー、ラストレイヴン)もまた、愛されている。しかしゲーム自体はクソゲーであるから、普通に愛することはできない。そこでAC馬鹿(通称フロム脳、コジマ汚染患者)が考え出したのがくそみそネタである。

言うまでもなく、くそみそというのは「やらないか」とか「ウホッ!いい男」のアレである。阿部さんだな。Nシリーズがあんまりどうしようもないもんだから、ネタに走ったのである。事の起こりはネクサスのジャック・Oという奴で、任務達成率80%を誇る熟練レイヴンという設定なのだが最弱候補というぐらい弱い。機動性、特に旋回性能が死んでおり、適当に横に回りこむだけで背後を取れるのだ。しかも死んだ旋回性能でどうにか回ろうとする為、こっちに向かってバタバタとお尻を振っているようにしか見えず、ジャック=阿部さんというイメージが定着してしまったのだ。

そして、このやらないか文化はラストレイヴンにて開花した。職人が音声MADを作り始めたのである。あのゲームは音声が非常に少ないのだが、それをつぎはぎすることにより、様々な台詞が生まれた。正直私は下ネタが苦手(清十郎はこの音声MADを作業用BGMにする程度には好きらしいの)だが、一応有名な台詞を列挙すると…そうだな。

原典からの「ウホッ!いいレイヴン」「やらないか」はもとより、「ハメさせてくれ」だとか「尻を貸そう」だとか「そうだ、貴様…ハメハメしろ」とか、挙句の果てには「私のケツの中でションベンしろ」とか…スマン、これ以上は勘弁してくれ。MAD聞いて笑う分にはいいが、その、なんだ。

無理だ。


まぁしかし、こういった共同体(コミュニティ)こそ、人気が出るか出ないか、売れるか売れないかの一番重要な部分だと思う。そうじゃなけりゃACなんぞそうは売れんと言うか、会社が潰れてもおかしくない訳だ。ユーザーの愛があれば、どんなに駄目なものだって生きていけるのだ。

ROだってそうである。あのゲームももうそろそろ稼動十年を迎える訳だが、あれが今でもオンラインゲーム界の最高峰に君臨しているのはプレイヤーのコミュニティあってこそである。

ちゃんと調査した訳ではないから断言はできんが、実はあのゲームガチでやりこんでるのは少数派である。ゆるーくやっておる連中のが遥かに多い。ゲームの世界にログインしたとしても、強敵とのガチバトルだとかレベル上げだとかには行かずゲーム内の友人と喋ったり、一緒に遊んだりするのばっかりというのが遥かに多い。私もその一人だな。生活雑貨店を開いて、後は雑談したりするぐらいだ。

無論、ROがつまらんとは言わん。むしろよくできておると思う。しかし、じゃあRPG(アレはMMORPG、多人数オンラインRPGだ)としてやってる連中がいるかと言うと、まぁいることはいるが、少数派なのだ。ROは基本、ミニゲーム付mixiに他ならぬのである。

つまり、ROというゲームを根底で支えているのは、ゲームシステムではなくコミュニティなのである。あんなクソゲと一緒にするなと言う向きもあろうが、傾向は同じだ。多少つまらなくてもコミュニティがあった方が人気は出るのである。


まぁ、そんな事を考えている夏の昼下がりであった。ちなみに、我が狼鯖再開ガンスリ祭でバロス氏がやたらめったら尻を貸そうとか言ってるのはACのせいである。いくつか動画を貼っておこう…これで多少は疑問が解けるだろう。しかし、まぁ、なんだ。自重してくれ。まぁ私が張本人だから言えた義理じゃないが、今回の二次会ぐらいのノリで頼む。


・元凶

アーマードコア音声MAD詰め合わせ【高音質】


巫女茄子とジナゲド弱を見れば大抵は把握できます。


・本来のAC

ARMORED CORE NEXUS <OP>



【MAD】-Cradle-謳う揺り籠【ACfA】




・その他汚染されたAC


【MAD?】【興】カニモロ奮闘記【干】【AC】


  仕 方 な い
や ら な い か ?


【MAD?】シリヲカソウ【干】


シリガオドル。



コメ返信

>バロス氏

>極端な話、下手な学校出に仕事させるより中卒のがマシ

デスヨネー(愚民風に

三国志大戦をガチでやってた頃はゲーセンに住んでましたが、下手な大学生よか中卒派遣とか定時制のがよっぽど話も通じるし頭も切れましたね。と言うか、正直、うちのゼミ生より優秀でした。あいつら死ねばいいのに。

銃の話はまた今度。


>シャドウブレード氏

>ここが思い当たりすぎて爆笑してしまいましたので何かコメントをしたいと思った次第であります。

ああ、判ってくれる人がここにも。大学の知り合いはここ見ない(と言うか見られたら身の破滅)のと、私の交友関係が狭いのがあいまって、共感してくれる人を見つけると嬉しいのです。そう言えばこの間知り合いの研究所の人んところに行った時、彼はその道ではとても有名な凄い人だとか聞きましたね。

世も末だ。

んで、URLは…goooooooooooooooooooooooo様の不具合かな? まぁお気になさらず。言われてみればリンク先もよく判らんgooドメインになってますね、これは失礼をば。申し訳ない。


コメ返信2

>ごてぃ氏

なるほど、国語の教科書に載ってるから地位が保証されるってのは盲点でした。そして芥川賞が文藝春秋の広告塔だというのも初めて知りました。あんまり芥川賞芥川賞とか直木賞直木賞みたいに、そう、文壇の指標みたいに語られるものだから国だとか主要大学連盟だとかそんな感じの機関がやってるもんだと思ってました。アレただの小説大賞だったのね…今は芥川賞が珍プレー大賞なんでしたっけ? なんか直木賞が息を吹き返した代わりに芥川賞が没落したとかこの前聞いたんですが。

>救いがあるのは、若手の研究者の間ではそういう全共闘世代の排他的で偏狭な傲慢を見直す試みがある程度認められている点ですかね。

どこも変わらないものなんですかね…歴史学も、全共闘世代の役立たずどもの展開する歴史観に対抗するのは、大体が若手なんですよ。しかもマスゴミ連中とかには評価されないから、今回の記事でいうコミュニティは大抵ネットです…




日本史オタどもへの屈折した情念まとめ

2009年08月12日 17時44分18秒 | 社会、歴史
ごきげんよう諸君、いかがお過ごしかな。色々用事があってあっち行ったりこっち行ったり(日本各地的な意味で)してたりして疲れてる霧島である。ちょっと今日は草稿をコピペするだけで勘弁してくてくれ…



そもそも私は研究者として何がしたいのか。一言で表せば、それは歴史を常識で考える、コレ一本である。以前から何度か触れてきた通り、少なくとも日本の日本史学者というものは古文書オタである。別に古文書を読むのが悪いとは言わぬが、しかし古文書ばっかり読んでるのが問題である。

もう少し踏み込んで言えば、日本史学者は古文書から歴史を作る。これも悪い事ではない。しかし、作られたその歴史が正しいかどうか、その部分にまで盲目的に古文書のみを使ってるのがいけない――まぁそうは言っても口で説明しただけじゃ何のことか判らんだろうから例にしてみよう。それも極端な例な。


まず古文書その1に「1945年 ベルリンにUFOが現れた」と書いてあったとする。で、新しく発見された史料に「伍長閣下はUFOに乗って南極に消えた」と書いてあったとしよう。まぁ、真に受ける奴も真に受ける奴であるが、しかしここで重要なのは、もしその新しい史料が古文書学的に正しい文書だと確認された場合、例えばNDSAP党SA司令部あたりの正式な書類だと判った場合、日本史学者は結構無邪気に何でも肯定してしまうのである。

勿論、UFO自体に可能性が無いとは言わん。世の中にはフライングパンケーキとかあるからな、少なくともUFOが物理的に飛べないってことはない。時期的にもフライングパンケーキがアメリカで開発された頃だし、第二次大戦末期ドイツならば技術的には可能だ。後はUFO飛ばそうという発想が出てくるかどうかってとこだろう。伊達でジェット戦闘機とか巡航ロケット作ってた訳じゃないのだ。

しかし同時に、戦局の悪化で飛行機生産工場はほぼ麻痺しておったから生産は容易ではない。仮に作れたとして、試作機を一機何とか用意したって程度であろう。またその飛行機を飛ばす燃料(灯油とかな)をどっかから持ってこねばならない。当時の事だから燃料なんてどこの部隊に問い合わせても「ただいま輸送中」。と言うか、必死の撤退戦やってる前線の部隊じゃ、燃料ないから戦えないのみならず燃料ないから撤退時不法投棄という状態である。そんな中でどうやって燃料を調達するのか。しかも適合する種類の燃料でないと飛ばない。

更に、ベルリンから仮に伍長閣下が脱出していたとして、それならば何故その後音沙汰無しなのか。いや、そもそもそれ以前にUFOはベルリンから脱出できるのか? ベルリン陥落直前にもなると、ドイツの何処に行っても空は英米+ソ軍の飛行機でいっぱいである。迎撃に出た独軍機20数機、襲撃に来た英米軍機1000余とかそういう次元になっておるからな。JV44の偉い人が言ってた通り、特にアルデンヌ攻勢で数を減らしすぎた。

そんな中をUFOで突破できるのか? 総統閣下は軍オタ本職の元軍人とは言え、陸軍出身だ。もっと言うと歩兵隊出身であり、しかも毒ガスの後遺症を抱えている。つまり飛行機の操縦など全くできないのだ。となると、誰か他の人に操縦させる事になる訳だが、一人乗りの機体と二人↑乗りの機体では、ラディッツとヤムチャぐらい戦闘力に差がある。

であるとすれば、UFO型飛行機は普通の飛行機と比べて大変優秀な性能を持っているのだろうか?しかし、少なくとも、現代に至ってもUFO型機はイロモノである。春が目覚めなかったドイツ上空を飛び回るにはやはり厳しいものがある。もし逃げられたとして、何処に逃げたのか、そして先程軽く触れた通り、本当に逃げ延びたなら全く政治の表舞台に出てこないのは何故か、という話になる。

斯様に、そんな文書が出てきたからと言って、そしてそれがいかに古文書学的にその当時書かれた正式文書であると判断されたにしても、常識で考えろの一言で終わってしまうという事だ。更に言えば、その一言で否定されねばならない。


これをちゃんとやらないから百人斬りだとか従軍慰安婦だとか下らん話になるのである。例えば百人斬りだが、あれは日支事変から続く大陸の戦争で、とある砲兵少尉二人が敵陣に突っ込んで、どっちが先に百人撃破できるかという勝負をした、という奴である。

まぁ、な。

常識で考えろ。



砲兵将校にそんな暇はない。

以前ちょっと説明したかもしれんが、砲兵の士官さんというのは凄い大変な仕事である。基本的には照準がメインの仕事となるのだが、一言で照準と言えばいいが実際には大変だ。撃ち出す砲弾の重量、発射薬の量や種類による弾頭の初速、目標までの距離、その間の風向と風速、目標に到達するまでの空気摩擦による減速、これに伴い放物線を描く弾道も計算してエトセトラエトセトラ……。しかも当時は電卓などないから、これらを全部暗算せねばならないのである。

んでまぁ、これが対陣地砲撃なら相手も止まってるが、対空支援だと大変である。時速何百キロで飛んでる物体に時限爆弾投げ込んではたき落とすような仕事だからな。対地支援でもちゃんと計算しないと武装列車に当たらなかったり、酷い場合にはカカシばっかり撃破して肝心の敵陣地にダメージが入らなかったりもする。

とても百人斬りなんかやってる場合ではないな。ついでに言えば砲兵将校は白兵戦になりかねない近接戦闘に出張る事もない。そもそもそういう場所に布陣する部隊じゃないからな。歴史学者の、古文書学の世界には古文書界の常識があるのと同じ通り、飛行機技術には飛行機技術の、砲術には戦争遂行上の数学技術的な常識があるのである。日本の歴史学者は、とかく古文書重視が過ぎて古文書崇拝紙媒体信仰と化してしまう事が多い。

まぁ、特に問題だと私が考えているのは、結局のところこの古文書崇拝/紙媒体信仰であると言えなくもない。国文学者――正確には文学者の皮を被った有識者(笑)――が、よく調べもせず若者の活字離れが顕著とか適当な事を述べておるのと同じ路線の話だ。国文学者が言うのならともかく、有識者(笑)が言うところの『読書』の対象は本である。もう少し的を絞ってに言えば森鴎外とか最近の芥川賞受賞者とかといった正統純文学であるとか、金田一春彦の著作だとかその辺だろう。

しかし実際には、漫画はいうまでもなく、かまいたち式やサクラ式に始まるビジュアルノベル、MGSシリーズ(特に無印MG2とMGS1)に代表されるムービーorゲーミングノベル、更に、それらに刺激されたNovelsM@sterシリーズとか、その一方で今も花開くブログ文化、SNS(mixiとかな)による新たな文章文体による新たな文化交流の形も生み出されている。

こういう現実を無視して、漫画とかは駄目です普通の本を読みなさいと言うなど、虚しい妄言に過ぎぬ。私は別に、いわゆる普通の本と漫画どっちが良い悪いなんぞ評価する気は全くない。つうかそこに優劣をつけるという発想自体が嫌いである。しかしそれが何にせよ、ただ自分の好きな世界――ガクシャサマを例にすれば普通の本の世界――に引きこもって、安全な世界からただ呪いの繰言を詠っている連中、そういう奴だけは死んだ方が世の為人の為になるという話だ。

連中は、私が保守的に「正しい日本語を使おう」と言うのに対し、「言語は変わるものだから」とか言って新しい(=これまでは間違いだった)日本語を積極的に使う様奨励する。たわけめが。もしそうやって言語の変化(もしくは誤り)というものを応援するのであれば、物凄い勢いで間違いまくっておりしかも新たな言語を産むという意味でも大変流動的なブログ文化を叩く理由がなくなる。今の書き言葉なんぞインターネット上のものが過半だからな。草の根の運動を封じねば彼らの説は通せぬ。


…少し話が逸れたな。まぁ、学者様という生命体は、それが何学者であるにせよ何かあると自分の世界へ引き籠ろうとする傾向が見られるということだ。これが文学者であれば、既述の通り、ラノベとかそういう世界を一切認めず森鴎外辺りの文学世界に引きこもるとかになる訳だな。では歴史学者はどんな世界に引き籠るのであろうか。それは、既に軽く触れた通り、古文書崇拝、紙媒体信仰の世界である。

要は、古文書以外を資料として一切認めない姿勢のことだな。

例えばネット上の情報なんぞ、参照する事すら許されぬ。例えネット上に転がっていた情報でも、ちゃんとした情報が載ってて役立つものはある。だからと言ってネット上のものだけ追いかけてりゃいいって話ではないのは勿論だが、ネット上で発掘できる良質な情報というものも多い。別宮暖郎のサイトなどは、第一次世界大戦関係の情報サイトとしてかなり有益だ。日本はWW1関連の情報ってほんとないからな、手に入れやすい情報源としてありがたい。

が、ネットで情報を発掘したなど一言半句漏らしてはならない。もし漏らしてしまった場合、「なんだネトウヨの書いた文書に感化されたDQNじゃねーかイラネ。落第だ落第、こんなカス死ねばいいんだよ。これだからゆとりってのは…ったくだから俺様の素晴らs(以下某オナニーの声でお楽しみ下さい)」て感じになる。

ここで注意が必要なのは、ネット情報の使い方である。まぁものにもよるが、歴史の研究家というのは、自分で裏を取りに行く。詳しい話をすると又手間取ってしまうと言うか新しい記事が書けるからせぬが、歴史家は孫引きをせずに一応全部裏を取るのだな。だから、歴史家にとってみればネット情報であろうが本に載ってたんであろうが、最終的に行き当たる真面目な古文書というのはちゃんと存在しており、探し回れば原史料が出てくるのだ。だから、それがネット情報であれ本であれ、ちゃんとした歴史家が扱えば同等の価値になり得るのだ。資料作成者の特定性で言えば、紙媒体が一枚上ではあろうがな。

が、歴史学においてネット情報の肯定は学者生命の死を意味する。学者様はネットなんぞという低劣な物体に関わってはならぬのである。まぁそこまでは言わんが、それに近い状態ではある。

んま、学者様の気持ちも判らんではない。今の学者様の世代はパソコンを扱うのも一苦労な連中であるから、パソコンとかネットが何だかよく判らない怪物の様に見えても仕方ない。そう、まるで"リヴァイアサン"の様にな。パソコン通信~テレホISDNとかPC98、マック、win3.1といった感じでパソコン&ネット創成期から触っている私ですらしばしば御しきれぬのだからな。

そういえばこの間、PC新調時12hundredのあまりの大きさに5inchiハードディスクドライブを無意識に探してしまった。

閑話休題。

まぁ、そんな訳で学者様の気持ちもわからんではないのだ。学士のレポートでもpowered by wikipediaなのが一杯出てきて頭を抱えておるんであろうし。しかしある程度仕方ないとは言え、学者様も学生もwikipediaの使い方をまるで判っておらん。あれはゲーム、漫画、アニメを調べる為の百貨辞典であり、歴史とかを調べるという用途には全くもって向いておらん。むしろアンサイクロペディアのが有益であろう。

もう一回閑話休題。

んまぁ、もうこの記事完全にgdgdだが、ネット情報にしろ本情報にしろ、歴史学者というのは鵜呑みにはせぬ。ちゃんと著作者について調査、つまりどういう人が作ったのかを調べたりどういう本を参考にして書いたりしたのかを調べたりする、こういう資料批判はネット情報だろうが本だろうが必要である。

別に歴史学的な正しい手続きを済ませた文書の優越性を否定してはいない。しかしそういう手続きを得てない資料にもうちょっと光を当ててやってもいいんではないか、とまぁそういう話である。



一応、追伸までに書いておくが、私は国文学の先生方に恨みなどもっておらん。いやまぁ一人変なのも知ってるが、国語科、文学科の人々にはむしろ大恩がいっぱいある。ただ、国語だとか文学とかってのは典型的な駄目な子が所属してる場合がある事が多いってんで逆引きで一杯出てきただけである。恨みなら他学科に腐るほどある。

追伸2。今調べて知ったんだが、原告敗訴になってたんだな、百人斬り裁判。まぁどうせ勝っても社会的制裁にはならんがな。CIAとかKGBも黙る情報統制社会バンザイ。

↓マイナス思念の向かうままに打ち込んだ結果

2009年08月09日 06時23分06秒 | これら以外の何か
ごきげんよう諸君、いかがお過ごしかな。試験が終われば会社の仕事があり会社の仕事が終われば大学院受験勉強が待っておって余裕のない薫である。私も詳しく知っている訳ではないのだが、大学院受験はただ勉強すりゃあいいってんではなく、研究計画書とか希望指導教授の選択とか出願書類にも気合を入れねばならんらしい。めんどくさい限りである。

そもそもこの国の国史、まぁつまり日本史のことだが、日本史学の学位論文ほど下らぬものは少ないのではないかと常々思っている。日本史の研究者と一口に言っても、邪馬台国とかの古代をやる人もおれば江戸時代の文化をやる人もおろう。自分の研究がどういう分野のどういう時代のものであるか、という風な、自分の立場を明確に示すという事については私も異論は無い。

だが、日本史は立場を示すとかそういう次元ではない。ありゃ病気だ。どれぐらい限定せねばならぬって、そうだな。たとえば~…私が以前やった研究でいえば、明治二年~二十三年の、国鉄の、今でいう東海道線と中山道線建設における、碓氷峠と箱根の鉄道敷設の技術的な問題、及び政界(主に伊藤博文)と陸軍(主に山縣有朋)の介入、となる。

自分で書いておいて何だが、その技術的問題とやらと政界とか陸軍とかの介入とやらがどんなものだったか判ったとしてだ。

何が嬉しいんだ。

とてもどうでもいいこと請け合いである。正直誰も喜ばないと思う。私自身全く完全に喜ばない。むしろだるいだけだ。一応曲りなりにも大学に四年間在籍して学び研究したその成果が卒論ということになっておる訳だが、それがこれではな…その、何だ。困る。それはもう色々と。

まぁそうは言ってもたかだか四年だけの話だ。どっかの大学の教授とかになって何十年も研究を続けたプロの論文と比べれば、卒論なんぞはいはいワロスワロスである。それは勿論その通りである。しかし逆に言うと、大抵の人間は卒論を出して学士を取るのが最終学歴で、そしたらもう就職してしまう訳だ。


冷静に考えてくれ。そもそも学歴ってのは何故重要なのか。それは、学歴が上であれば上であるほど色んな知識があって、色んな数式やら語学を使えるからであり、それだけ広い視野を持ったエリートだからであろう。高卒より色々勉強してるから色んな仕事に高い能力を発揮できるのだ。

あえて言おう。こんな卒論じゃんなもん育たん。

むしろただのオタクが育つだけである。いやまぁ別にオタクである事が悪いと言っておるのではない。私自身ガチのオタクだからな。しかしオタクというのは、ある特定の物事に大変詳しい人である。その『特定の物事』が果たして社会人として生きていくにあたって重要であろうか?

私の卒論を例に取ろう。私はこの卒論作成に伴い、箱根と碓氷峠の地形、明治初期の蒸気機関車及び鉄道敷設技術、それに当時の伊藤博文と山縣有朋の動向、という知識を得ることが出来る。んで、その上で無事就職し社会人になったとしよう。んで就職先は、同じ鉄道ということでJRのどれかとでもしようか。んでは、大学で学んだ明治期の鉄道の技術とかはどう役に立つであろうか。

勿論、何の役にも立たぬ。そもそも文学部なんぞというのは、卒業するまでに吸収したものを仕事に役立てるなどほぼ不可能である。英文学科出てシェイクスピアの一節を華麗に披露したところで、特に役立つ事はない。状況を限定すれば使えんでもないんだろうが…外人と取引する時とかかな?

じゃあ、実際の仕事に役立つ、『ある特定の物事』とは何であろうか。それは、IT企業ならプログラミング言語とかアルゴリズム、レストランとかのシェフ?なら料理の技術とか食物についての基礎知識、農業なら肥料の扱い方とかビニールハウスなり何なりの知識など…となる。

まぁ、今回も敢えて言おう。


専門学校池。


そもそもそういうのを学ぶ為に専門学校がある訳で、そういう専門の技術なり知識なりだけを学んでさっさと就職したいなら、就職するのを二年以上も遅らせてしかもわざわざ金を払ってまで大学に行く必要など全く無い。何が楽しくて大学なんぞ行っておるのだ、という話である。

んじゃあ、大学で育つエリートってのはどんな奴か。

それは一言で表してしまえば、広い視野と見識のある奴である。

自分を自分で褒めるようにとられてしまうだろうが…まぁ自分以外に引き合いに出せる例がないから私自身を引き合いに出そう。例えば、アメリカでサブプライムとかが焦げ付いてた時期、私は「あ~…十年前の日本と同じ事やってるな。そろそろバブルはじけるぞ」と思っておったら、やっぱりはじけてリーマンショックが発生したのだ。まぁ、「まぁ十年前の日本見てるからアメリカも対策立ててるだろう」とも思ってたんだがな。まさか素だとは思わなかった。

要は応用力だ。北朝鮮の瀬戸際外交は対馬がずっとやってきた対馬式瀬戸際外交の現代版として理解する事ができるし、いっつも欧米欧米と呼んではいるが欧州とアメリカには明らかな温度差があるしそれが対外取引の死命を制する場合もある。同じイスラム圏でもインドとトルコでは明らかに温度差があるのと同じである。

パレスチナのPLOがやっておる事は、東南アジアやアフリカで何度と無く繰り返されてきた、自国民を大量に殺す事によって外国勢力を追い出す戦法の縮図が見られる。そのレンズを通せば、ハマスの阿呆どもが何をやっておるのか大体判る。そのレンズが通せなければ、イスラエルが何であんなことしてるのかは全く理解できん。

これらは、単独ではどうって事ない話である。アーソウデスカ アタマイイデスネ ってとこだ。しかしこれがいくつもいくつも重なる事によって、社会現象なり景気なり政局なりをより的確に捉える事が可能になるのである。


大学で育成されるエリートというのは、職人的な技術力があるかないかというそういう意味のエリートではない。それだけでいいなら、専門学校行ったり幼い頃から仕事現場にいたりしてひたすら叩き上げればいいのだ。大学卒のエリートとは、時局を的確に捉え特定の集団の指導者となりうる人物であり、ただの平社員でありながら交渉の場では人情の機微を抑え話を進める決して侮れぬ人材である。

それには広い視野が必要だ。果てしなくどうでもいい鉄道とかやってる場合じゃない。学士論文の大改革が必要不可欠であろう。んで、大学を出てすぐ就職するならいいが、私の場合教職志望だから大学院の修士課程は最低でもやっておかないとお話にならない。んで、さっき言ってた研究計画書とやらを書くのだが…

修士課程は二年である。たったの二年で何が出来る。これが、論文に阿呆ほど細かい具体性を要求しなければまだわかる。しかし現実はそうではない。


私:明治期の鉄道をやりたい
教:もっと時代を限定しなさい
私:明治初期から中期の鉄道をやりたい
教:もっと具体的に年代を限定しなさい
私:明治二年(鉄道敷設開始)~二十三年(東海道線東北線全通)の鉄道をやりたい

教:鉄道って言っても何線?どこの工事?具体的に限定しなさい
私:明治二年~二十三年の官鉄両京幹線(国鉄東海道線&中山道線)についてやりたい
教:具体的に何をやるの?
私:経営、工事、実務、資金調達、技術的指導等全体を概観したい
教:却下

私:じゃあ何やったらええねん
教:もっと限定しなさい
私:…中山道線放棄、東海道線採用の経緯
教:東海道線採用の経緯って何?
私:……技術的問題、政治的問題、軍事的問題
教:それの内どれか一つだけにするといいね
私:(#´ω`)ビキビキ

まぁ、こんな会話は実際には発生しておらん。と言うか、発生してたら「却下」の辺りでプッツン来てるからな。脳内カス教授との対話である。こんな近視眼的で視野狭窄的なものをやったところで何が判る?こんなもん、論文ではない。全く完全にfaultlessにimpeccableにperfectについでにパー璧に論文ではない。ただの調査報告書である。

勿論、調査報告書の作成というものは極めて重要な作業である。話は変わるようだが…私は司馬遼太郎が嫌いで嫌いで仕方ないのだが、中でも嫌いなのは坂の上の雲の序文(?)である。こいつは陸海軍がまとめた公式日露戦争史がゴミだと言うのである。何故なら命令の伝達、部隊の移動、死傷者及び戦果といったものに終始しておってまるで書物の用を成しておらんというのだな。

馬鹿かと。ありゃ日露戦争の調査報告書だ。別に小説でも論文でも何でもない。むしろ作成者の私的な思想が入っておったらそれこそ大問題である。現代の日本史学者は調査報告書ばっかり作らせて、肝心の論文を書かせぬ。複数の調査報告書を作成して、それらを突き合わせて吟味した結果得られる結論、それが論文の真価だ。論文が、ただの報告書とは一線を画する唯一の理由である。



まぁ、何だ。

カスの世界に入るには自らもカスにならねばならないという真理は動かぬ訳だな、どう頑張っても。ほんとは信念は曲げちゃならんのだが、私は一回曲げたと言うか折れたから、流されるままにカスの世界に溺れるしかない。

時の人の真似して、覚醒剤ダイエットでもしようかな。





米返信

>シャドウブレード氏
>東洋史の私は一応とらなくてもどうにかなるんで良かったんですがね。

な ん だ っ て

ところで、リンクをほいほいクリックしたらIPあたり抜かれたっぽいエラーが出たんですが仕様ですか。


>はじけるジャスミンの香り氏

FPSの皮を被ったバイオ4系アクションなので、ひたすら狙って撃つだけのKI械-SAGYOUゲーだと思うとアウトですね。次々に敵を倒していく爽快感(笑)はありません。常識的に考えなければならないゲームなんでね。はっきり言ってしまえば、照準は敵のいる方向に銃を向けるだけで充分で、重要なのは適切な触手の使い方や光のない場所を確保する立ち回りです。

まぁバイオ4系としか言いようがないですね…バイオ5は死体から逃げれとかのcoopメインTPS系に近いし。まぁバイオハザードとしての根っこは明らかにFPSTPSとは一線を画してますが。


>バロス氏

あー、やっぱりか…そう、意外と堅いんですよ、頭蓋骨。プロボクサーがストリートファイトで頭殴って指骨折するとかよくある話なんで。となるとやっぱりくわえて撃つぐらいしないと駄目か。ショットガンはあれですな。ヘッドショットヘッドショットと言うけども頭撃てばいいってもんじゃないと…アンブレラ・クロニクルズみたいに。

…常考ゲーだなぁ。

近況とDarknessレビュー

2009年08月05日 02時52分57秒 | アニメ、ゲーム、映画等
ごきげんよう諸君、いかがお過ごしかな。ここ一週間何をしていたかの記憶が全く無い薫である。いや、素で。ネタではなく。

取り敢えずこの期間中行われていた事について私は一切関知…したくないが……ううむ。昨日の夜ほろほろな人に夜お金貰ったのは覚えてるが、基本的に記憶があるのは今日の朝四時ぐらいからである。それ以前はぜんっぜん覚えておらん。と言うか、今横に転がってた通帳見て気付いたが、家賃すら払ってない。何をやっとったんだ私は…幸い、光熱費は引き落としだから問題はなかった。

電気代一万五千持ってかれたがな。

まぁ当たり前と言えば当たり前だ。電源つけっぱとかそういう次元を軽く超えつつある。まぁそれもこれもROで露店を出す為なのだが、私んとこの露店でしか買わないよとか言われたら生活雑貨店主として露店出さない訳にはいかん。何か根本的に間違ってる気もするがな。



さて、一つ思い出したが、今更Darknessをプレイしてた様である。このゲームは私にとっては色々と因果な内容になっておってな。

誰も信じないだろうが私はFPSは嫌いではない。断じて嫌いではない。嫌いなのは、あらゆるゲームをFPSの枠にはめようとするFPS厨である。バイオ5お通夜とかいうスレが存在してるのを知った時には吹いたぞ。つうか、バイオ5が映画ゲーならFF3~6あたりも映画ゲーである。

んまぁ、FPSは嫌いではない。そしてFPS厨の言い分も尤もだと思う事も少なからずある。RPGなど、ラスボス戦ではラスボスが何だか偉そうな事をくっちゃべるのが定番である。実際、FPSやった後そういうシーン見ると(スナイパーライフルあれば20回は殺せるな)とか思ったりもする。実際その通りだからな。その辺でいうとMGSシリーズは流石と言える。偉そうに喋ってても狙撃する隙がない。

また、FPS的な発想と言うよりは常識で考えろって話だが…アクションとかの主人公で、そうだな、デビルメイクライのダンテ。奴はどんなに銃撃たれても動じず脳天撃たれても平気なのに刀で腹刺されると死にそうになる。これもおかしいと言えばおかしい。と言うか間違いなくおかしい。イベントシーンだとは言っても限度がある。

それに、これもアクションでよくある事だが、デカイ敵=強い敵=重装甲大火力みたいな公式があるだろう。バイオハザードも2とか5だとどんどんボスが大きくなっていくな。しかし、FPS的と言うか常識的な発想で、大きければ大きいほど戦略的に脆い。極端な話、サタン様が復活してもそこに核落とせばどうとでもなるのだ。

大抵の場合、サタン様は核なんぞ食らっても平気だが、ここは物質世界である。物理的な法則がある訳であって、核なんぞ食らっても何ともないわいと言える様になる為には物凄く大きくならねばならない。最低限月ぐらいの大きさは必要であろう。遊星クラスだとやりようによっては粉砕できるからな。

まぁ核がどうこうってレベルの話じゃなくても、どんな特殊能力やら体力があるからと言っても、どんな銃弾どんな爆弾でも無効化できる訳ないだろうjkという話である。


で、ここでDarknessの登場である。このゲームは、主人公がダークネスという能力を手に入れるところから始まる。この能力は、黒い蛇の形をしたものを操る能力で、まぁ、その、なんだ。

要は触手である。

んでこの触手を展開させると、触手で敵の銃撃を弾く事ができる。が、撃たれすぎると問答無用で死ぬ。どんな特殊な能力だって、いつまでも耐えられる訳がないからな。無論、ちゃんと動けば警察の特殊部隊だって敵じゃないが、どう逆立ちしてもヘリには勝てん。20mmガトリングガンで狙われたら即死であるし、いくらアメリカでもそこらにRPGとかスティンガーとかが転がってるって事は無いからな。触手もあんな高くまでは届かん。

また、触手も使い放題ではない。ダークネスは光に弱く、電灯でもへたってしまう。太陽なんぞは最早興味の埒外であり、昼のステージそのものが無い。そんなんだから、夜の歩道歩いててもすぐダークネスがへたる。電灯を一個一個丁寧に破壊してあげないと、ダークネスは「無理www」とばかりに消えてしまうのだ。

んで、これが警察の皆さんとかを相手にする時はもう、サーチライトで物凄い勢いで照らしてくる訳である。必死に裏通りとかに逃げねばならない。袋小路に逃げ込んで「やれやれだぜ」とか言って一息ついてたら警察のヘリに蜂の巣にされたりするからそっちにも注意が必要だ。ダークネスガード無いから即死だし。


斯様に、夢のある特殊能力を手にしてはいるものの調子に乗ると蛇に「常考」と言われて「デスヨネー」って言いながら死ぬゲームである。


又、このゲームは他の部分でも「常考」という要素が導入されている。と言うのも、一応これはFPSなのだが、FPSでは銃の弾というのはまっすぐ飛ぶ。指示された場所へまっすぐ。実はこれ自体が大きな間違いで、実銃も結構へたった放物線を描くのだ。ようつべの動画が削除されてしまっておって例を動画で示せないのが残念だが、拳銃を普通に撃つと見事な聖水ラインを描いたりする。

故に、実際にはちゃんと狙ったからと言って当たるとは限らないのである。スナイパーライフルなんかまさにそうで、何せ相手が遠いからな。風の影響とかで初弾が外れたとして、じゃあ実際にはどの辺に弾が飛んだのか、これは双眼鏡持った相方に見てもらうものだ。銃持ったままじゃ正直見つからん。

又、人間は弾が当たったからと言っても即死はしない。勿論走ってる最中に被弾したらもんどりうって転倒するが、だからと言ってすぐには死なない。実際、被弾して死ぬか死なないかは結構運勝負な部分もある。胸とか腹に被弾しても内臓さえ傷ついてなければ問題ない。

世の中には、八発の.45弾を食らったにも関わらず自分で止血してきれいな服に着替えて運転して帰るという猛者もいればFBI特製弾を何発食らっても元気に撃ってくる強盗がいたりするのである。シルバーチップ弾の事だが、FBIみたいな組織の専用弾でもそういう事はある。

そんな訳で、従来のFPSは常識的に考えて命中率が良すぎる事、また人間は意外と感情である場合が多い事を念頭に置いた修正が加えられている。流石に弾に放物線を描かせるのは難しいからまっすぐ飛ぶのだが、人間が堅い。どれぐらい堅いかと言うと、2、3人相手にしたらアサルトライフルのマガジン一個カラになるぐらい堅い。

…と言うと語弊はあるがな。攻撃食らっても常時元気なのではなく、一度倒れたり大きくのけぞったりはするのだ。だがそこで綺麗にとどめを入れておかないと、体勢を立て直したり起き上がったりして撃たれるという具合である。だから瞬間的に弾幕を展開せねばならず結果として無駄撃ちが増えてしまうのだな。10発ぐらい叩き込まないと死なないとかそういう訳ではないのだ。10発ぐらいあれば確実に殺せる、という事である。


んま、こんな感じの後ろ向きに前衛的なゲームである。尚、ここまで紹介してアレだがゲイツ箱勢は北米版を買うように。日本語箱360版は物凄い勢いでフリーズしまくる不具合があり、まぁフリーズするだけならいいが、知っての通りフリーズすればするほどハードの寿命が縮まる為、お勧めできないのだ。

まぁ面白いゲームではある。良ゲーの範疇には入るだろう。日本では全く持って売れておらんが、普通のFPSとか普通のアクションに飽きてきた人は手を出してみてもいいのではないか。

ああ、後、序盤の謎解きは正解が判りにくいから攻略を参照するといい。


こんなところか。諸君もプレイしてみてくれ。誰もしないだろうけど。