記録者名:清十郎
原爆投下予定地選定とかのあたり更新してます。
さて、随分と更新に穴を開けてしまった訳ですが、
別に七矢さんも僕もずっと遊んでた訳ではありません。
僕ら、地元は京都なんですが、
こんなものに縁がありまして。
一応、消えたときの為に全記事載せておきますが…
こんな記事です。
企画特集1
[60年前の記憶-憲法記念日に寄せて-]
瓦職人磯崎幸典さん(76)西陣空襲<中>
市民・自治体・企業へ提案次々
西陣を南北に走る裏門通。軒を連ねた住宅の玄関の前に爆弾の破片が無造作に置いてある。
重さ48キロ、厚さ20ミリ。表面はさびの粒が黄土色に変色し、縁に亀裂が入り曲がっている。瓦ふき職人、磯崎幸典さん(76)が戦後60年、ずっと持ち続けてきた。
最初は何となく持っていた。だが、いまでは西陣空襲の証しとして欠かせないものになった。
「京都は戦争で爆弾が落ちずに良かったですね」。旅先で京都から来たと話すと、何度もこう話しかけられた。
「うちに爆弾落ちましたんや」
「うそでしょ」
「じゃあ、新幹線でうちに来てみい。爆弾見せたる」
いつもけんか口調になっていた。「私も戦争被害者ですよ」と伝えたい気持ちでいっぱいなのだが、うまく言えなかった。
■
1945年6月26日朝、西陣は空襲を受けた。17歳の磯崎さんは京大電気工学教室から駆け付けた。住宅が密集する職人のまちが、消えていた。
爆心地から10メートルにあった自宅は半壊した。母と2人の姉弟は防空壕(ごう)に逃げていた。爆撃で隣家の柱や壁が崩れた。自宅の東側に約1メートル50センチの高さに積み上げていた商売用の瓦が防空壕(ぼうくうごう)への直撃を防いだ。「瓦が守ってくれた」
2軒隣の家は4人家族全員が死んだ。よくしかってくれた人だった。家の前のイチョウの木には、爆風で飛ばされた男性が、高さ2メートルのところに巻き付くように亡くなっていた。町内会長を務めていた父は、男性を抱いて下ろした。
「50キロ爆弾数発西陣に落下、被害わずか」と報道統制下の新聞は伝えた。西陣空襲の死者数は資料によって異なる。西陣署の資料では43人、府の戦後のまとめでは44人で、負傷者は140人。「この破片だけでも48キロあるんやからね、50キロ爆弾なんかあり得ないことや。7発が落ちた。死んだ人は100人はいると思う」
■
戦後、磯崎さんは瓦屋の4代目となり、弟子として30人の瓦職人を育てた。爆心地にはマンションが建ち、空襲があったことを物語るものが次々と姿を消した。
「ここでたくさんの人が命を落とし、家を失った。その現実を忘れてほしくない。ありのままの出来事を伝えたい」
そんな思いで15年ほど前から、頼まれれば近所の小中学校で空襲の体験を語り始めている。
「戦争でどれだけの人たちが泣き、国が荒れたか。国民全員が被害者と思っている。だから戦争は嫌です。争わないでください、戦争しないでくださいというのが私の原点」
憲法も見直すべきところがあれば、見直せばいい。憲法を守るべきか、変えるべきなのか、真剣に考えるのがいいのではないかと思うからだ。
「もちろん日本が戦を起こす憲法にはしてほしくない。でも現実から目をそらすわけにもいかない。他国から攻撃された時の備え、言ってみれば日本の覚悟を示す憲法が、私は必要だと思います」(滝坪潤一)
(5/2)
まぁ、こんなものに縁がありまして。
なんか終戦六十年を記念してなのか知りませんが、
これの記念碑が作られたんですよ。
で、その関係で色々してたんです。
今日は除幕式でしたから、
この関係は一段落っていうところですね。
実は京都も爆弾落ちてるんですよねー。
今もちょっと調べてるとこなんですけど、
京都が爆撃少なかったのは、
原爆投下予定地として
そのまんま残しておきたかったかららしいですね。
原爆ってのは未知の兵器ですから、
全然資料が無かった訳ですね。
でもいくらアメリカが大きいとは言っても、
砂漠の実戦データは収集できても
人口密集地、要は都市のデータは無理です。
まさか自国に核は落とせませんからね。
で、敵国に落とす事になるわけですが。
会議の資料にしても何にしても、
ドイツの事は一切触れずに
日本に落とす事しか考えてないアメリカ首脳部が素敵です。
ウホッ、いいイエローモンキー
ってなものでしょうか。
まぁ、そんな訳で、
無傷の人口密集地=原爆投下予定地を
確保しなきゃならない米軍は、
原爆投下予定地に指定された
場所を爆撃しなくなります。
もう判ってると思いますが、
京都って原爆投下予定地だったんですね。
原爆投下予定地選定委員会によると、
京都こそ最高の原爆投下予定地だそうです。
その理由として、
一 百万都市である
二 戦時下で罹災工業が京都に流れ込んでいる
三 市街地の広さが原爆にとってほどよく
(広島とかは実は原爆落とすには市街地が狭い)、人口が密集している
四 日本人にとって宗教都市、聖地と呼べる場所であり、
日本人の抗戦意欲をくじくのに役立つ
五 三方を山に囲まれ、爆風が巻いて最大の効果を発揮しうる。
六 知識人が多く、原爆の何たるかを知る
彼らが早期降伏を呼びかけることを期待できる。
七
まだ爆撃の被害を受けていない
まぁ、そんな訳で原爆投下予定地
だったから途中で爆撃禁止令が出ちゃったんですね。
爆撃すると都市が傷付いて、
原爆の被害か通常爆撃の被害か
見当がつかなくなって、
正確に威力を測定できない、って訳です。
でも、京都に原爆落とすと
「戦後、アメリカを嫌った日本人が
ソ連に接近し、赤化する可能性がある」
という理由でのびのびになってる内に
終戦になっちゃって、免れた訳ですね。
結局政治が理由なアメリカ大好き。
まぁそれでも爆撃されてない訳じゃ
ないんで、こういう事もあったと。
そういう訳で、記念碑建てたみたいです。
あ、ブスの正解は明日にでも。