霧島家日誌

もう何が何だかわからないよろず日誌だ。

何故ルター訳ドイツ語版聖書は標準ドイツ語の祖となったか 前編

2011年04月29日 16時48分04秒 | 社会、歴史
※この話に出てくる福嶋亮太というのは、実際には福嶋亮大であるらしい。紛らわしい名前をと言いたいのは山々だが他人の名前にケチをつける訳にもいかんのでここに訂正し謝罪するものである。


ごきげんよう諸君、いかがお過ごしかな。連日の徹夜作業(社長のPC弄るのは社長が絶対に仕事しない夜と決めており、長引いて徹夜になる事多々)、PS3死亡や私のメインPC死亡による心労がたたって頭痛が痛い霧島である。…頭痛が痛い? どこもおかしいところはないな。まぁ冗談言ってるが、本当に痛いのである。あまりに痛くて寝られないぐらいだ。頭痛にナロンエースのみまくってなんとか生き残っておる。

それもあってか、ここんところ更新が滞りがちだな。まぁ、先日からよっぽど書きだめしてた筈なのに更新に穴が開いてるのはだいたいメインPC故障のせいな訳だが。後まんぶるにいても反応しないのは、むしろ寝てるか頭痛くて布団の中。まぁ、結局OSごと一からインストールし直したんだが、今度はドライバが上手く入らずこの作業だけでも一日かかった。もう自作とかしたくないでござる。絶対にしたくないでござる。次は絶対BTO買うと心に決めておる。

つうか、社長PC含むPC関係のトラブルさえなければ、今頃は書きだめも十分あって優雅に更新しながらROのクルセイダー光らせたり、AOCに復帰したりできている筈だったのだ。どうしてこうなったと言いたいが、それは自明と言わざるを得ないので言わない事にする。

ちなみに、脱ニートに向けて家庭教師をする事になった。強化は算数である。不安でしょうがないが、わざわざ家庭教師呼んでまで国語とか歴史教えてほしいって家もないのであり、仕方ないと言えば仕方ない。とは言え、なぁ。この間一次方程式が解けなくて真剣に悩んでた重症患者としては不安が一杯である。

まぁ、なるようになるだろう。


さて、今日は録画環境も揃った事だしジルオールのレビューでもしようと思ったのだが、mixiでごてぃ氏と福嶋亮太とかいう人の発言について話が極僅かに盛り上がったので、その話をちょっと膨らませてみたい。ちなみに福嶋亮太というのはこの話題で初めて知った人物だが、はてなダイアリーによれば基本的には支那文学者らしい。ただ、同郷の京都出身であり批評家でもあるというただそれだけの理由で私の中では評価が駄々下がりである。まぁ、とは言ってもこの人の事なんざこれっぽっちも知らないので下がろうが何だろうがどうでもいい話なのだが。

さて、その盛り上がった話というのが以下である。mixiにはつぶやきというついったーみたいな機能があるのだが、ごてぃ氏がそれで福嶋の話を転載しておったのだな。


一部転載:福嶋亮大 日本語のスタイル(和漢混淆文)のモデルは、平家物語や太平記によって提供されてる。で、ふと考えたら、中国語のスタイル(白話文)のモデルも『水滸伝』みたいな、まぁ一種の「戦記物」によって構築されてるんですね。東アジアの国語は、どうも戦記物を媒介にして広がってる。戦争(闘争)で言葉をリニューアルする。なんでかなーと思ってたわけだけど、やっぱり宗教がないからってことは大きいんでしょうね。ドイツ語はルターの聖書訳。イタリア語はダンテの神曲。って具合に神学的な世界がベースになってる。それがない東アジアは戦争が超越的だったってことかも。





まぁ多分冗談じゃないのであろうし、だからこそ問題な訳だが、これについてごてぃ氏は中国の場合、天って概念は宗教と同じようなもんですから、天命がどうのとか言ってる三国志も水滸伝も宗教文芸としての一面があるんですよね。(中略)そうするとそもそも宗教って何なのさ?どこまで宗教の範疇として扱えば良いの?という考えに普通行きつくもんですが、そういう発想が出ない辺りが(中略)底が浅いと言われる所以ですと述べておる。

これについては私も同意である。それに痛恨事として、神曲を神学的作品とするなら(まぁ実際神学的作品だけども)封神演義は道教的な意味で神学的作品だからな。封神演義のせいで、これにしか出てこない架空の神様の廟ができて信仰されてるなんて事すらある訳だし。そして、そもそも前提として間違っておる事として、神曲やルターの聖書は超越的存在を扱ってるから広まった訳ではない。いやまぁ超越的存在を扱ってるから広まったという面も多分にあるんだが、それだけが理由ではない。

神曲についてはあまり私は詳しくないので、最早日本史放り出して専門になりつつあるドイツ史によく関連しているルターの聖書訳とドイツ語の関係について述べよう。


元々ドイツ語というのは、統一された言語ではなかった。そもそもがまず高地ドイツ語と低地ドイツ語に大別される上、特に古い時代は同じ高地ドイツ語であっても方言によって非常に大きい違いがあり、高地ドイツ語という区分けすら大量に存在するドイツ語諸派の総称に過ぎないと言われている。今回はルターの聖書訳についてだから書き言葉についてな訳だが、ドイツ語の書き言葉は長らく統一はされなかった。

と言うのも、まず第一に昔の書き言葉の標準語はラテン語だったというのがある。これは現在の英語にあたる言葉がラテン語だったというのもあるが、それ以上に大事なのは中世までは学問を教会が占拠しており、教会の公用語はラテン語だったという事実だ。と言うか、カトリック教会の公用語は今でもラテン語であり、例えばバチカン市国の公用語はラテン語である。まぁ日常生活にはイタリア語を使っている様だが、それでも公式な場ではラテン語だしカトリック教会の正式公用語はラテン語なので、バチカン市国民になるならラテン語は必須と言える。

まぁバチカンは置いておくとして、教会の公用語はラテン語だ。そして学問を支配しているのは教会だったので、ラテン語が非常に強かった訳である。しかしながら、一般的な読者はこう思うであろう。「学者様はそれでいいかもしれないが、一般人はドイツ語を書いたり読んだりする必要があるだろう」と。

しかし実はそうでなかった。と言うか中世の人間ってのは大半が文盲だったのである。例えば、読みは同じなのに綴りは違う、という名前が結構あるが、これは自分の名前すらまともに書けない奴が間違って記帳したのが延々と続いてきたせいである、ともいわれている。それぐらい中世の識字率というものは低く…と言うか、正直に言えば近代に至ってもそんなに高くなかった。

何せ、代書人がいたぐらいである。これは本来なら司法書士なんだが、別に公文書の代筆に限らず何でも(それこそ恋文に至るまで何でも)代筆していた職業で、非常に儲かる職業であった。司法書士としてでなく、ラブレターでも何でも代筆しますよ、という意味での代書人は20世紀になってもまだいたとされており、又、これをやっている人間は高収入であったというから当時の識字率が判る。字の読み書きができる、ただそれだけで生きていけるという恐ろしい時代である。

そしてこの識字率の低さは、中世の場合、意図的に維持されていたと言ってよい。これには当然、当時学問を支配していた教会が大きく関与している。…しているのだが、この問題は学問の支配とかそんな小さい話ではなく、もっと一般平民と密接に関わった…まぁ、要は中世支配の構造と深く関わっている。

そもそもキリスト教というものが中世において圧倒的な力を持つ様になった原因はカール大帝、即ちカール・マルテル、いわゆるシャルルマーニュの治世(まぁこれ以外にも色々あるが)に求められる。この当時というのは、西ローマ帝国の崩壊で西欧自体がえらい騒ぎになってた時期である。一番問題だったのは、西欧全域に張り巡らされたローマの行政機構が悉く破壊されていた事であった。

というのも、だ。諸君は日本という国に所属している訳だが、その支配は日本国政府によって行われている。だが、民衆の支配ってのは中央政府だけでできるもんじゃない。日本という国を県(もしくは都道府)に分割し、その県が又市、町、村に細分化され、それぞれ村役場やら市庁が、○○という名前の人間が××という所に住んでいて生年月日は△△で■■の税金を納めてて、という感じで管理しておる。最後のは国税庁が絡むとかそういうのは置いておく。

国税庁はともかくとして、この様に日本という国を細分化して、一人一人の国民を管理している訳だ。逆に言えば、今仮に大漢中人民共和国が日本に攻め寄せて勝利し、日本を支配しようとした場合はこれら市町村の管理機構を掌握すれば良い。それで、日本人一人一人を管理できる訳である。ところが、西ローマ帝国が崩壊した後の西欧ではこういう管理機構が見事に消滅しており、カール大帝が新たにローマ帝国の中央政府を作ったところで帝国臣民一人一人を管理できないという状況だったのだ。

そこで出番となったのがローマ・カトリック教会である。カール大帝がキリスト教と組んだのは、教皇、そして彼に付き従うカトリック教会によって自らの権力に権威を付加するのが目的だったと語られる事が多いが、それ以外にも理由があった。西ローマ帝国の行政機構が崩壊して久しい当時、欧州を全国的に組織していたものと言えばカトリック教会以外になかったのである。故に、カール大帝はこの力を利用した。

例えば、大帝の出した詔勅は(それが平民にまで及ぶものだった場合)教会を介して全国の住民に伝えられた。既にカトリック教会は西欧全域をその支配下に収めており、西欧の住民と言えばそれはカトリック教徒に他ならなかった。数式で表せば西欧の住民→カトリック教徒だった訳である。特にカール大帝が十分の一税(聖書のすべての農作物の十分の一は神のものであるという記述に基づき、収入とかの10%を教会に納税するもの)を制度化して全帝国民に義務付けてからは徴税権を行使する為の住民台帳確保は必須となった。実利的にもな。

まぁそれ以前からも住民票みたいなものはあったみたいだが、ともかく。中世の西欧では、カール大帝が住民支配と言うか臣民一人一人の掌握に教会を使った為教会が確固たる支配基盤の一つに食い込んだのである。よく○○司教領なんてのを持ってる連中の事を聖界諸侯なんていうが、領地を持った、まるで普通の領主の様な連中が西欧カトリックに登場するのはこれも一つの理由である。普通の市町村の庁みたいな機能を持っておるから、政治に口出しする事もまた充分に可能なのだ。

神聖ローマ帝国では皇帝は選挙で選ばれたが、その選挙権を持っているのは七人。ブランデンブルク辺境伯、ザクセン公爵、ライン宮中伯、ベーメン王、そしてケルン大司教、マインツ大司教、トリーア大司教。そう、七人中三人までもが聖職者なのだ。まぁこの選帝侯ってのは増えたり減ったりするのだが、特にマインツ大司教はその筆頭であった。

又、ドイツ語で首相はカンツラーというが、中世の場合この単語は書記官長という意味であり帝国の宮廷文書を管理していた聖職者、と言うか司教を指した。マインツ大司教はそれでドイツ大書記官長(Erzkanzler durch Germanien)と呼ばれていたのだが、選帝侯筆頭になるに及んでこの言葉は神聖ローマ帝国宰相の意になり、時代が下って首相になる訳である。首相の語源が、教会の人間を指す言葉なのだ。ちなみに現在の首相は正確にはbundeskanzlerで連邦首相の意で、それ以前はReichiskanzlerで帝国(or国家)首相と呼ばれておった。

話は少しずれたが、カトリック教会というのは司教を指す言葉が今では首相という意味になってしまったぐらい、深く民衆支配に関係しておったのである。少なくともドイツではな。日本と違い、ドイツでは領主が教会を介して民衆を支配するのが普通であった。そして中世ともなれば村には必ず一個は教会が存在するという状態になり、民衆支配の原動力はまさしくローマ・カトリック教会にあるという状態になった。



はいはい一万字一万字
もう書き終わっておるので、明日には確実に後編をうpすると確約しよう。

5 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (まっつん)
2011-04-29 20:01:50
歴史の家庭教師なら喜んでお願いしたいが、学生ではない…


住民の戸籍管理は日本だと寺ですよね。
宗教の力は偉大ですな。
返信する
Unknown (Unknown)
2011-04-29 20:02:57
一応福嶋氏はその直後に「まぁたわいない仮説ですが」と付け加えていたので、軽い気持ちで適当にそれをつぶやいてみたんだろう、と付け加えておきます。弁護になるかどうかはさておき。
ちなみに福嶋亮大氏は、東浩紀一派の優等生的な扱いをされてる人で、多分これから若き知識人の代表として持ち上げられるしれない人です。中文系の学者からの評判はすこぶる低いですが。

しかし文盲の多さは中国も相当なもんですね。士大夫以上の層は(科挙のために勉強するし)本買って読めるくらいの教養持ってたとはいえ、魯迅の小説にもあるとおり、看板に字を書く仕事で飯食ってる人いましたし、民国初頭の頃は雑誌出しても文字読める人がいなくて早々に潰れてますし。

ただ、漢字という公用語が古くからずっとあるのが決定的に違いますけどね。
科挙は言ってみれば、西洋で言えばラテン語にあたる標準語を使えるか否かを、言葉の違ういろんな地方から集まってきた人間に対して試す試験ですし。
返信する
 (ごてぃ)
2011-04-29 20:03:24
あ、名前忘れた。自分です。
返信する
Unknown (2の18乗@りっか)
2011-04-29 22:30:25
僕のPCもBTOですねぇ。自作は無限地獄に堕ちそうで怖かったw
AOCも順調でVooblyでもたまひよでも楽しくやれてます。攻略記事改めて感謝です。



こういった話を読んでいると、昔の人達の中で、少なくとも心の奥底では神の存在は否定されてたんじゃないかと思います。とりあえず現実みてそれに合わせていった感じです。

神の存在を盲信してるのは一部だけかな?


>まっつんさん

戸籍管理で色々と調子に乗ってた寺が、廃仏きしゃく(漢字わかんね)で民衆にボコられるのも当然だよねーって話ですね。


>ごてぃさん

こういう歴史の背景みたいな面白いものを知っていると、僕も子供の頃から歴史に興味を持てていたんでしょうけど……

ちょっと損だったなと今更になって思います。
返信する
Unknown (霧島)
2011-04-30 06:10:40
>まっつんさん

宗門人別改ですね。ただ日本の場合、律令時代は国が作っててそれが崩壊ってのまでは同じですが、その後まともな全国規模の戸籍帳作ったのって吉宗が初なんですよね。寺の作ってたのはキリシタン取締りが主でしたし、人別改もそこまで全国的に組織されて作ってたものではなかったので。


>ごてぃ氏

ああそれは、日誌の最後に書いた通り…って、前編だとそこまでコピペしてなかったのねん。後出しじゃんけんみたいだけど、ついったーはあくまでつぶやくところだから変な事言ってても別にいいと思うのねん。

あ、伊豆に逃げたナイスガイの一派ですか。更に評価がだだ下がりなんですが、元より福嶋の本とか読んだことないので果てしなくどうでも(ry しかしかの国は科挙があるから識字率が多いと思われてますけど、実際そうでもないんですよね。


>りっかたん

AOCやりたいお(;ω;)

んー、どうでしょうねぇ。何せ人が心の奥で何を考えてたのか、なんてのは資料に残らないですからね。ただ、後編で話したとおり、「俺はカトリックでもプロテスタントでも儲かればどっちでもいい」という諸侯が多かったのは事実、そして一般民衆が教会に人生を強力に拘束されてたのも事実。それ以上言うのは難しいですが、少なくとも無神論を言って生きていくのは物理的にも精神的にも難しかったのは事実ですね。

まぁ廃仏毀釈は、激しい地域ほど国学が浸透してるなんて事もあるので一概には言えないんですが、なまぐさぼーずが民衆に嫌われててその分エスカレートしたってのは間違いじゃないですからね。神仏分離令とか自体は寺ぶっこわせなんて書いてませんし。

取り敢えず、歴史をつまらなくした山川出版とかあの辺は腹を切るべきだと思います。
返信する