霧島家日誌

もう何が何だかわからないよろず日誌だ。

マスケット運用の歴史シリーズ4-2 ロイテンの戦いと斜行陣 後編

2011年02月12日 01時32分52秒 | 社会、歴史
このロイテンの戦いは、ロスバッハの戦いと同様フリードリヒ大王の指導能力とプロイセン軍の機動力がものを言った会戦であった。敵軍の配置と地形を見て使用戦術を即断した彼の作戦指導は英断として今も称えられており、後年「大王が健在ならば私はドイツに指一本触れられなかった」と述べたナポレオンの絶賛するところでもある。

まぁ、フリードリヒ大王の軍事的天才は置いておくとして、問題はこの軍事強国プロイセンの強さの秘密である。それは勿論機動性であるのだが、その機動性はどこから来ているかと言えば、緻密に計算された移動の手順と将兵に課せられた高度な訓練であった。

まず第一に、プロイセン軍には同調行進が導入されていた。これは前回の記事でも述べた事だが、横隊がいちいち途中で止まらず動き続ける事が可能になったという点は大きな成果である。しかしそれだけに留まらず、この同調行進の導入により閉縮隊形での行進が可能となった。要するに兵の肘と肘が擦れ合う様な縦隊や横隊が組める様になったのである。であればこそ、前回説明した縦隊で戦場突入→右向け右→射撃開始も可能となったのだ。

同調行進導入前の軍隊、つまり七年戦争後半までのプロイセン軍以外の軍隊では、そういう事ができなかった。横隊は行進し始めたら頻繁に立ち止まっていたし、縦隊による行進も開列縦隊によるものだった。これは簡単に言えば、左右の兵士と兵士の間がやたら開いてる縦隊である。勿論歩幅なんか合ってないし、兵と兵の幅は事によっては三メートルもある。だから、戦場に到着してから高速で横隊に組み替えるなんてのは到底不可能なのだ。いやまぁよく訓練された兵士ならできるかもしれんがよく訓練されてればそもそも同調行進が出来るという話である。

そして、この同調行進を基盤とした、機械的で正確かつ緻密な動きこそが、ロイテンの戦いで見せた斜行陣を可能としたのである。

斜行陣は、まぁ簡単に言ってしまえば敵の側面に回りこむ戦術である。しかし、普通に横隊のまま機動して敵の側面に回りこむのは難しい。いくら同調行進の導入でプロイセンの行進速度が速いとは言え、横隊のまま敵側面に回り込むのはちょっと無理がある。相手も回り込ませない様にと邪魔をしてくるしな。そこで、斜行陣では縦隊になって敵の前面を横切って側面へ進出し、そこで横隊へと再展開して側面を取る、という無茶苦茶な荒業を行うのである。

当然、相手の目の前の横切るのだから相手は物凄い勢いで撃ってくる。故に、囮部隊を配置して敵の攻撃を逸らしたり、地形を使ってこちらの行進を隠したりといった搦め手も必要になってくる。特に、本隊の機動中囮となる翼側の部隊はその間耐えねばならず、大変重要だ。この為、耐久力を増すべくプロイセン軍では普段から翼側には重砲隊が重点的に配備されていた。又、騎兵はともかく大砲は歩兵縦隊の動きにそのままではついてこれない為、大砲を馬で牽引し大砲の操作役等全ての砲兵科兵員を乗馬兵とする乗馬砲兵部隊も編成された(戦況図二枚目でそれっぽく再現してみたのがそれ)。

だがそれ以上に注目すべきは、幾何学的とも芸術的とも呼べるその計算されつくした機動である。画像を交えて解説しよう。




まず、敵軍の目の前を縦隊で横切る。ここで注意してほしいのは軍全体は縦隊だが個々の部隊は横隊というところである。



こういう事。



そして、途中で全体が階段状になる様、徐々にずらして進軍していく。尚、軍隊の人数が明らかに減ってるただの気のせいである。



全隊が予定の位置についたら、左向け左(右向け右)で縦隊に変化して横一線に並ぶ。



そして、再展開して縦隊を横隊に組み替えれば、後は相手の側面を撃ち放題、という訳だ。途中で全体を階段状に配置したのは、もし全部隊がまっすぐなまま縦隊に変化しようとすると



こうなってしまう。外側の部隊は長い距離移動せねばならず、内側の部隊はちょっとしか移動しなくていい。内側の部隊が外側の部隊に合わせようとすれば棒立ちのまま待つしかなく(まぁ先頭の兵は撃ってもいいかもだが、縦隊なので火力はたかが知れてる)、勿論その間に物凄い撃たれる訳である。故に、階段状に部隊を配置する必要があるのだ。

ほれ、アレだ。陸上競技場と同じである。○○m走とかで、外側のレーンを走る選手はスタートラインが前に出っ張ってるだろう。あれは、内側の選手はコーナーを回るときちょっとしか走らなくていいから外側は不利だからそうなってるのだ。勿論、陸上競技と同様外側の部隊が前に出すぎてても内側が後ろ過ぎても駄目なので階段状にする時どう部隊を配置するかは数学的計算の上で決定される。

又、縦隊から横隊に変化する場合は、



この縦隊を




この横隊にする場合



こういう風に隊形を変化させる。


斯様に、この斜行陣の旋回運動は緻密な数学的計算の上に成り立っており、同時に訓練されつくした将兵の精密な機動によって達成されるのである。前からもう何度も言っておるし今も言ったが、プロイセンの軍隊は大変厳しい訓練によって鍛え上げられている。又、平時から厳しい規律を課して、そういう意味でも鍛練を積んでいる。だからこそ、こんな変態機動が可能となったのである。

そしてこの斜行陣は、七年戦争のプロイセンに栄光をもたらした。プラハでの戦いでは失敗したものの(銃剣突撃ばっかやってたから)今回のロイテンでは大成功を収めた。ただ、斜行陣は奇襲であり、何度も何度も使える戦術ではない。クレシーの戦いにおけるイングランドのロングボウガン待ち戦術と同じである。最初から相手が斜行陣を使うと判っていればそれに合わせた陣形を組めばそれで乙だからな。

事実、七年戦争の後半にもなるとフリードリヒ大王は斜行陣を使わなくなる。しかしながら、斜行陣を使わずとも斜行陣を可能にした機動力は大変な戦力であった。又、フリードリヒ大王はその機動力にのみ頼らず、砲兵の火力や騎兵の突撃力も重視しており、それらの力で勝利した会戦もある。だが、彼の軍隊の一番の力はその機動力、そしてその機動力を可能にした練度にあったのは間違いない。その練度があるからこそ、迅速な機動や陣形変換以外にもマスケットの高速連射による大火力も得られたのである。


七年戦争のプロイセン軍こそ、まさに横隊戦術の到達点であった。


しかしながら、プロイセン軍に弱点があるとすれば横隊戦術しかできないという点にあったろう。例えば横隊は縦隊に比べればどうしたって機動力が劣る、とかな。その辺については次回に持ち越しとしよう。そして次回以降こそ、いよいよナポレオンの登場する、マスケット戦術の総決算となる…筈である。ナポレオンまでいけば。

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (こんにちわ)
2012-02-09 12:57:15
すみません、こういった話をあまり詳しくは知らないのですが、
恥ずかしながら私見を書かせていただきます。

斜行陣の本質は
味方の強力な部隊を敵の重要なポイント
にぶつける、というかと思います。

プロイセンでいうと
擲弾兵というエリート部隊を縦に並べて
圧力をかけていくことになります。

側面に回り込むのは必須がどうかはわかりませんが、
側面に回り込んでいる間に敵も同じように構えを取るので、
側面を取るという点を強調する感じではなく、
(そもそも側面を取りたいなら前面を攻撃し、
 敵の向きを固定する必要がある事が多いかと)
1.倒すべき敵戦力を限定できる(一日の戦闘時間が限られている事もあり)、
2.味方の有力な部隊を有効活用できる、
3.敵の動きを限定できる(逃亡を阻止できる)
という点のほうが重要な気がします。

3はあれ?と感じるかもしれませんが、
Zorndorfでロシア軍の後ろ側を取った時の意図として
強調されても良い点だと思います。
ロシア軍はそのまま反対側を向いて戦闘が開始されていますが、
背面が川と泥地、湿地なので逃げづらくなってしまっています。
プロイセン軍はロシア軍をちゃんと叩いた後は
すぐにオーストリア軍へ向かいたかったので、
わざわざキュストリン要塞から大回りしてまで
ロシア軍を戦闘で逃がさないような位置取りをしたのです。
(その前にロシア軍の別動隊との連携を分断しつつ)
ロシア軍より戦力的に圧倒なわけでもないのに。

すみません、あとは余計かもしれまえんが、
この陣の中核が騎兵ではなく歩兵よるものである事も
ポイントだと思います。
敵に対する衝撃だけ高ければよいのではなく、
他の部隊と安定した連携ができ、
獲得した個所を支点として利用する事も
想定にあったと思います。
側面への機動⇒斜行陣⇒占拠した個所からの旋回機動
が攻撃的なプロセスという考えられますが、
いかがでしょうか。

意外と見落とされがちなのでは
斜行陣のもう一方の端にも同じような
状態だったことです。(ロイテンで)

あ、すみません。書き過ぎました。
それではこれくらいにさせていただきます。


返信する
Unknown (霧島)
2012-02-09 22:56:00
私も無知なもので、こういった建設的な議論は参考になります。最近キチガイコメントばっかりで気が滅入ってるところでして。


斜行陣は、私は文字通り側面を取る戦術行動だと捉えています。いかんせん私も素人なのでアレなのですが、真正面の敵に向かって最大の火力を発揮する様設計されている横隊というものは、側面が最大の弱点です。

なので、斜行陣の事は、私は「味方の強力な部隊を敵の重要なポイントにぶつける」ではなく「味方の強力な部隊を敵の弱点にぶつける」と考えている訳です。無論、重要なポイントと弱点というのはある程度かぶるんですが。


んで、側面を取るという事を強調しすぎるとよくないという点についてですが、「側面に回り込んでいる間に敵も同じように構えを取る」というのは、相手の練度次第でして、横隊は一度組んでしまうとよっぽどプロイセン軍ぐらいまで訓練しておかないと、旋回するのは無理です。七年戦争後半に入ると、プロイセン軍以外も旋回機動が可能になるまで錬度を上げていた様ですが。

むしろ、この記事に書いてある通り、前面を横切るプロイセン軍をバシバシ撃った方が効率的でしょう。その為もあって、ロイテンでは少数の部隊による陽動攻撃を仕掛け、そちらに敵主力の注意が向いている隙に側面へ回り込んだ訳です。


前回の記事(だったかな?)に書いたとおり、斜行陣は奇襲の一種であって、お家芸みたいに何度も何度もやるものではないと考えています。実際、七年戦争後半の戦闘では、フリードリヒ大王も斜行陣をやろうとはしていませんし、それ以前でもやろうとして失敗し大損害を受けている事もあります。

ただ、横隊戦術において旋回機動が重要というのは仰るとおりだと思います。ただ、斜行陣と旋回機動は違うと考えているのが私で、あくまで斜行陣は側面を取って攻撃するという奇襲攻撃の一種と捕らえているだけです。

あんのうんさんは、むしろ横隊戦術の基本戦法である旋回機動と斜行陣を同一視している、ゆえに解釈の齟齬が生まれているのではないでしょうか。いや、もしかしたら違うのかもしれないですが。いずれにせよ、素人の私には、どっちが正しいのか判らないんですよね…資料も今手元にないし
返信する