霧島家日誌

もう何が何だかわからないよろず日誌だ。

会社のPC破壊で学ぶPCの基礎

2009年11月25日 18時46分20秒 | 雑学
流行に抗うことこそ霧島家のモットーであるから、今回の記事は片仮名語をできる限り漢語訳してみた。どんなもんだろう。


ごき…げんよう…諸君。いかがお過ごしかな…(ぱたり)。先週の水曜?から本社(笑)に移動して、会社のパソコンとひたすら戦っておった。そして本日に至るも状況は解決されておらず週末まで拘束も確定。ことによっては来週も拘束。ん? ああ、連休か。まるごと潰れたよ。何せ毎日徹夜のデスマーチであり、お陰で日誌もHPも更新できなかった。

本当は昨日かえる筈で、昨日は今日帰るって話になってたんだが…(´・ω・)


で、今日はその流れを引き継いでパソコンの話である。えらい人の順序について話してもいいんだが、今から新しい話題を書こうという元気が出てこない。


さて、パソコンこと電算器っちゅーもんは、いくつかの決まった部品からできておる。自作を一度でもした事のある人なら知っているだろうが、どんな電算器も中身の形は同じである。例えば記憶槽(ハードディスク)は、日立製だろうがウェスタンデジタル製だろうがシーゲート製だろうが、もしくはヒュンダイ製であろうとも形は同じである。

嘘だと思うならほれ。どれもこれも申し合わせたように同じ形をしておる。これは、電算器の部品ってのの規格が同じだからである。

規格と言っても聞きなれない言葉であるからわかりにくいだろう。そうだな、例えば諸君の家には差込口(コンセント)があるだろう。現代のほぼあらゆる家電製品はあの二枚歯を突っ込んで動作するようになっているが、家や地域によって差込口の形が違ったらどうなるだろうか?その答えを、海外旅行で考えてみよう。

海外に一度でも行ったことのある人なら知っているが、海外の差込口は形が違う。その為、携帯電話の充電器とかを海外に持っていっても差せない。具体的にはこんな感じ。じゃあ、差込の形(日本だとAタイプ)を変えれば海外でも充電器が使えるのかと言うと多くの場合、使えない。

何でかって、国によって電圧が違うからだ。日本は100Vだが、イギリスは240Vだしインドは220Vである。しかも厄介なのは、差込口の形は一緒でも電圧が違う場合があるというところである。例えばアメリカとかカナダは差込口の形がAタイプ、日本と同じだ。しかし電圧が違う(110Vもしくは120V)為、形が同じだから使えると思ってブッ差すと問答無用でその電子機器はブッ壊れる。

だから、海外で日本の電子機器を使う場合は電圧とか形を変換する機械が別途必要になるのだ。日本国内はA形100Vの規格で統一されているが、外国は外国で別の規格を使っておるということだ。


斯様に、規格というものが統一されておればどの会社のどんな機械でも動かせる。まぁここまでくれば大体わかったろうが、先ほど言ったとおり電算器の部品はほぼ全て規格が同じなのだ。例えば東芝とかパナソニック(旧松下)製の電算器を買ったとしよう。んで分解してみると、日立製の記憶槽であるとか他社製部品が大量に出てくるのである。東芝にしてもパナソニックにしても記憶槽の開発はやっておらんから他社から部品を持ってくるのだ。

まぁそういう話をし始めると電算器の心臓にあたる演算器(CPU)はインテル社とAMD社しか作ってないし、インテルの市場占有率(シェア)は九割を超えておるから事実上インテル社一択なのだ。だからどいつもこいつもインテルの部品を積んでおるのである。

そんなインテル社も演算器と主基盤(マザーボード、人間で言えば全身に血を送る血管及び心臓、もしくは全身を繋ぐ神経みたいなもの)こそ作っておるが、電源は作ってないからコルセア社とかオウルテック社の電源を使わねばならん。んでこのコルセアであるとかオウルテックも記憶槽は作ってない…といった感じで、一社で電算器を構築できる会社は存在しないのだ。語弊があるにせよ、な。だからまぁ規格を統一しておかないとそれはそれで面倒なことになる。

ま、そういう訳で、電算器ってのはACみたいなもんである。あのゲームは頭、胴、腕、脚、それから発電機とか武器とかを組み合わせてロボットを作るゲームだが、電算器の構築ってのはそれに近い。


さて、今回一番最初に持ち上がっていた問題は頻繁にデータが飛ぶというものである。今の時代、見積もりやら色々なものをエクセルとかワードで作るのは当たり前だが、作った端からデータが壊れるのである。

普通に考えれば、データを記憶する役割を持つ記憶槽(ハードディスク)が壊れていると考えるところであろう。実際私もそう思っていた。しかし、三ヶ月の間に渡って社長の心を折り続けたこの電算器、どうもそれだけが問題である訳ではないらしい。データが飛ぶんだったらこまめにバックアップとればいいじゃないって話なんだが、バックアップしたデータも飛んでるのである。

つまり、一度記録したデータが時間経過によって壊れたのではなく作成したその瞬間から壊れてたということである。実際、記憶槽じゃなくてUSBメモリを記憶槽代わりに使ってみたところ片っ端から飛んだらしいからな。先日私が見たところUSBメモリそのものが壊れてた訳だが。しかも2本。

となると、記憶槽が原因ではないのかもしれん。むしろ、書き込みを行う作業を伝達する主基盤の方が怪しい。とは言え記憶槽も怪しいことには違いない。それでまぁ、取り敢えずOS再インストールをしてみたのだ。すると、画面が砂嵐になって何も見えなくなった。こりゃどうにもならん、ってんで記憶槽を買ってきて交換した。

メーカー製の電算器だから本当はカスタマーサポートに修理を依頼すればいいんだが、社長がとにかく早く直してほしいってんでな。しかしサポートに相談すると引き取り修理とか言われて一週間ぐらい拉致される可能性も高く、会社自体が現在デスマーチに近いから自分で部品を買ってきたのである。

すると今度は、音を出す装置が認識されない。この電算器の場合、音関連は主基盤が管理するから基盤が怪しい。と思って調べておると、チップセットが認識されておらん。チップセットってのは演算器と主基盤、一時記憶槽(メモリ)とかの間の情報のやりとりを制御するものであり、つまりどういうことか例えると、ソマリアにいるのに命令を日本語でやってるからどうにもならないみたいな感じである。

これはどうもならんってことでカスタマーサポートに電話。で、出張修理を頼んだ。んで今日来た訳だが、症状を見てこらあかんとなり、主基盤、一時記憶槽、記憶槽、映像出力器といった主だった部品を新品に換えた。どいつもこいつも壊れてたらしい。で、動かしてみるとさもあらん。

画面がついたり消えたりして使えたものじゃない。

最初は画面(ディスプレイモニタ)が壊れてるんじゃないかとも思ったんだが、他の画面に差してみても同じ症状が出るためこの電算器が悪いという話になった。とは言え、映像出力を司る映像出力器とその命令を伝達する主基盤は新品であるから、壊れている筈はない。

で、これは手持ちの部品だけじゃどうにもならんってんで帰ったんだが…



出張修理の人とも話したんだが、どうも電源が壊れているような気配がする。電源ってのは、それこそ電源入らなくなったりすると「壊れた」と認識される訳だが、実はそれ以前から変な挙動を出す場合もあるのである。

特に安い奴によくあるのだが、電圧が不安定になるとマズい。演算器にしろ記憶槽にしろ決められた電圧とか電流で動くことを前提にして作られておるから、それ以外の電圧とか電流を受けると場合によっては壊れるのである。

先日なくなったがソーテックってあったろ。激安がウリの電算器ブランドだったのだが、安かろう悪かろうでな。特に電源が酷く、電圧が不安定なお陰で他の部品を片っ端から壊していくことで大変有名であった。今回もそれではないかと思うのである。実際、電圧が下がると同時に画面暗くなってたし。

それに、言ったろ、最初の方で。USBメモリが壊れたって。しかも2本。



電源に壊されたんじゃないか、これ。

世界で一番偉い人

2009年11月19日 14時15分41秒 | 社会、歴史
ごきげんよう諸君、いかがお過ごしかな。電子レンジがお亡くなりになられた霧島である。今年はほんとに電子機器に呪われてる気がしてならんな。いくつ壊れたんだか数えてないが、家の中の電子機器がことごとく入れ替えになっておる。替わってないのってまったく使ってない炊飯器と空調だけじゃなかろうか。

ちなみに空調は今でもバリバリ使っておる。冷房機能を。うちにはパソコンという名の暖房がある上にこれをずっとつけっぱなしにしておるからたまに暑くなりすぎるのである。まぁ流石に一日に一時間ぐらいの頻度にはなったがな、大分涼しくなってきたし。


さて、なにやらアメリカではオバマ大統領が大変なことになっているそうである。これ。天皇陛下にオバマが挨拶した時、物凄い勢いで頭を下げてるのが問題になっておる。これを見て、白人様がイエローモンキーに頭下げるなんて不適切ニダ!と言ってるらしい。これについて白豪主義だのどうとかこうとか語るのはもうほかのサイトがいくらでもやってるだろうから別の話をする。

現在、国王が主権を持ってる国というのはそう多くはない。事実上の国王が政治してるというのはよくあるが(ジョンイルとか)、現在では国王そのものすら絶滅危惧種である。それぐらい王様ってのは減っているのだな。

ところで、王というのはいくつか属性を持つ。王様が主権を持っておれば、政治する人であり政治家としての属性を持つ。現代日本の天皇陛下は国家の象徴だ。王様には、そういった属性の中に偉い人というものが必ず入っている。当たり前だが、王様は偉いのである。

そして、現代の世界において、一番偉い人は誰か。


天皇陛下である。


そう、実は天皇陛下ってのは物凄く偉いのである。じゃあ何故偉いか。それは皇帝だからであり宗教上の最高権威者だからである。

まず天皇は王ではない。皇帝扱いである。皇帝とはつまり、帝国における一番偉い人だな。王国で一番偉いのが王だ。実際のところ、どこまでが王国でどこからが帝国という厳密な定義というのはない。わかりやすく説明するにはやはり西洋史について講釈を垂れねばならんな。

日本人にとって、自らの祖は何であるか。まぁいくつかあるかもしれんが、邪馬台国とかその辺であろう。時代が少し下れば大和王権とか平城京とかになる。では欧米の人間にとっての邪馬台国とかそういうのは何かというとローマ帝国である。もしくはローマ共和国。EUも、ローマの復活というイメージがあったりする。まぁ以前話したとおり民族も地域も思いっきりズレてる訳だが、深く突っ込んではいけない。

当時は、ローマ帝国に並ぶ国はなかった。まぁでもこれなら国と呼べるだろう、という国もいくつかあり、そういうのが王国とか公国である。ロシア帝国の母体になったのがキエフ大公国とかその辺だし、現在もルクセンブルク大公国とかあるな。まぁ厳密には公国にも色々あるんだが、長くなるから今回は横においておく。下コメ職人頼んだ。

さて、イエスがアラブ人ながら欧州人の祖であるように、ローマ帝国も欧州各国の祖である。地中海を制覇した大帝国ローマこそ、欧州の人間がいつか復活させねばならない祖国なのである。あれだ、戦国時代の日本を思い出せばわかりやすいかもしれん。あの当時、戦国大名は天下統一の夢を掲げた訳だが何で天下統一したいのかってのは意外と説明されておらん。

何でかって、説明する必要がないからである。本州四国九州の統一こそ、説明する必要がないほどに日本人が目指さねばならないものなのだ。ちなみに、天下統一なんて金の無駄ですよ、やめましょうやって言ったのが今年の大河の偉い人である。愛の前立ての人な。今名前度忘れしてるが

で、ローマ帝国復活は欧州人の悲願なのだ。そしてローマ帝国の王こそ皇帝であり、いずれは復活せねばならないユリウス・カエサルなのである。

そしてカール大帝の登場となる。シャルルマーニュな。彼は広大な帝国を築き、復活ローマ帝国の皇帝に相応しい人物となった。ところが、ゲルマン人の遺産相続の法律が今の日本みたいなのだった為、カールが死んだ瞬間終了したのである。その後、長々と小国乱立(ローマ帝国に比べりゃフランスとかドイツなんざ小国である)が続く訳だ。

欧州人にとって、皇帝とはローマ帝国の王であり欧州世界の覇者なのである。であるからして、相当な帝国を築かねばいかんがゆえに、なかなか皇帝は復活し得なかったのである。まぁ神聖ローマ帝国っていう帝国じゃないしそもそも神聖ですらない帝国もあったけどな。まぁ、半世紀単位で資格を得られる奴が出てこないほど、皇帝に相応しい奴は出てこなかったのだ。

ゆえに、皇帝ってのは王よりも断然偉いのである。


さて、今まで触れていなかった「皇帝の資質」ってのはもうひとつある。戴冠である。ローマ帝国の皇帝は当然キリスト教徒でなければならず、キリスト教徒である以上、宗教上はローマ教皇の方が偉いのだ。だから、皇帝に相応しい人が出てきたとしてもローマ教皇が嫌だと言えば皇帝になれないのである。

長い間皇帝が復活しなかったのは、これも理由のひとつである。

時代はくだり、ナポレオンという天才がフランスに誕生した。いわゆるナポレオン戦争で皇帝と呼ばれうる戦果をあげた彼だが、教皇に戴冠してくれと頼んだら断られた。政治的な理由で。すると、ナポレオンは逆転の発想を見せる。

教皇が戴冠してくれないなら、自分で皇帝名乗ればいいじゃない。

そんな訳で、フランス帝国が誕生したのだ。

その逆転の発想を見て、なるほどと思った各地の王が皇帝を名乗りまくった結果、大量の皇帝が誕生したのである。オーストリア・ハプスブルク皇帝、ドイツ第二帝国皇帝、ロシア大帝国皇帝などなど。皇帝の安売りだが、どの国の王も皇帝になりたいと思ってるから突っ込まないのだ。

そんな時代に開国したのが日本である。んでのちに大日本帝国を名乗った通り、天皇陛下=皇帝陛下となった訳だ。ヒトラーの演説で日本の話が出てくると聴衆がハイル・カイザー!とか言ってるが、つまり天皇陛下万歳!って言っておる訳だ。

それで、第一次世界大戦が始まる。この戦争で、主だった皇帝は皆退場させられた。残ったのが日本なのだ。だから一番偉いのである。あと、皇帝乱立時代を王でありながら列強として生き抜いたイギリスの王も皇帝扱いになっておる。


一方、宗教方面。日本に国教はないが、天皇と言えば当然、神道における神様であり神道における一番偉い人である。宗教界の皇帝というところだ。この理由で偉いのがローマ教皇で、世界で一番偉いのはイギリス王、天皇、ローマ教皇の三人となったのである。

しかし、最初に言ったように天皇は神道という宗教上一番偉い人である。まぁイエローモンキーの宗教と言えばそれまでだが、普及率とかを考えると妥当かもしれんがな。その辺の解釈は人それぞれだが、基本的な定義の上で一番偉いのは天皇陛下である。

やってしまった厨機体

2009年11月16日 19時29分01秒 | アニメ、ゲーム、映画等
ごきげんよう諸君、いかがお過ごしかな。学園祭が近付いてきている霧島である。私は別に学園祭自体が嫌いなのではないが、我が学園祭は大っ嫌いであり、正直なにもやりたくないのである。しかし担当教授が乗り気である為、準備とかせねばならない。正直こんなことするぐらいなら授業受けたいが、まぁ仕事だと思うしかないな。

そういえば、ごてぃさんの中の人が一昨日わかった。私のリアル友人であった。先日マイミクにはなっていたのだが、プロフとかその辺の機能を完全に忘れていた為、全然気付かなかった。ぐっさんあなただったか。

で、たった今投稿しようと編集画面見たらブッて吹いた。アクセス数が増えてて嬉しかったんだが…









ランキングはいっとる…ついにここまできてしまったか。しかしこうなってくるとアクセス解析とか欲しいが有料なんだよな、gooブログは…(´・ω・`)



さて、脈絡はないが本題だ。私は、とにかくゲームをしないと一日を終われないという重度のゲーム依存症患者である。最近はShinobiをちょこちょこやっておるし休日は拉致されてaoc漬けだが、基本的にやってるのはACfAだ。

本当は三國無双2をやりたいのだが、いかんせん、あれのゲーマーが絶滅の危機を迎えておる。いや、それだけならかまわんのだが、3以降がゆとり専用難易度ヌルヌル厨ゲーム化した為、やってて心が折れてくるのである。まぁ、それにあのゲームはある程度やりつくした感もあるしな。伊達で1000時間単位の時間注ぎ込んでるんじゃないということである。あとニコ動にあげても反応が薄くて萎える。

んでACfAの話に戻る訳だが、あのゲーム、既に何度も述べておる通り頭腕胴脚、両手両背及び肩の武器、更に火気管制装置(FCS)だの推進器(ブースタ)だのを選んで機体を組み上げて戦争するっていうものである。で、4からは図面っていう概念が導入された。

何せ身体だけで四種類、武器だけで五種類を選ぶゲームである。既に組みあがっているものの又新しい機体を組みたいと考えた時、現在の機体を解体せねばならない。すると、昔使ってた機体をまた使いたくなった時「あれ~?頭何載せてたっけ?」とかなってしまう場合もあるのだな。そこで出てきたのが図面ということである。

まず機体を組み上げる。んで、その機体のパーツ構成からチューンまで、全てを一枚の図面として登録するのである。後からまたその機体を使いたくなったらそれを読み込めばいい。これのお陰で色々と便利になった、フロムにしては珍しい良要素(但し図面一覧を読み込むのに一分はかかるがフロムだから仕方ない)である。

これのお陰で、機体の交換というものができるようにもなった。4シリーズは一人用ストーリーモードなど食頑についてくるお菓子であり、オンラインでの対人戦がメインであることは前に述べた。で、見知らぬ相手と戦う。そしたら相手の機体がカッコ良かったとか強かったとかあるであろう。そこで、相手の図面と自分の図面を交換するのだな。


さて、私はゲームをしないことには一日を終わらせることはできん。十分でもいい、とにかく朝起きてから夜寝るまでに一回はゲームをやらないと発狂する。で、ここのところ寝る前にゲームをやる事が多いのだが、先日寝る前にACfAをやった。

あのゲーム、私は愛器と息抜きに使う機体をもう大分練りこんでおって、組み替える余地がほぼないと言っていい。為に、そいつらを使うなら操作が重要になる。しかしロボットを組み上げる事こそACの醍醐味である。よって、たとえ短い時間で適当な構成だったとしても、新しい機体を作ってちょろっとやってそして削除するというのはよくやる。

さて、その日、私はもう眠かった。相当眠かった。一日中色々あったからな。だがそれでもゲームしない訳にはいかん為、PS3をちょっと起動しACfAを突っ込んだ。んで、新しい機体を組もうと思ったのだ。

あのゲーム、二脚、四脚、逆関節、タンクという四種類の脚からどれか一つを選び、それに他のパーツをのせていく形になる為脚が一番重要なんだが、その時久しぶりに軽量二脚がやりたかった。

(わからん人はこの段落飛ばしてよい)で、腕が鈍ってるだろうしライール脚。上半身は~…うーん、操作に自信がないし低負荷なラトナにしよう。右手は~…そういえばこの前旧作の1000マシ見たな。じゃあモタコブにしよう。左手はさっき作業用BGMに流してた4のMADでカッコ良かったからベルリオーズ愛用のマーヴ。でも弾切れ怖いし背中に…そういえば一撃離脱やってみたいな。すると散弾銃だから…KAMALか。

という感じで完成したんだが、わかる人にはわかるだろうが、これ、ゆとり専用ハイパー厨房機である。それはもう驚くほど厨房だ。


まずライール脚が厨房である。全ての軽量脚の中でもライールは1、2を争うほど速く、しかも旋回性能が異常に高い。3Dアクションをあんまりやらない人にはわかりにくいだろうが、まぁ普通の脚が90度横を向く間にこいつは180度曲がるから酷い。現在、オンラインでは軽量二脚が多いといわれているがこれは誤りである。ライール脚が多いのだ。それほど厨脚であり、見てると「ライールはもう見飽きた」って部屋があるぐらいである。

又、上半身、特に腕が厨房だ。ラトナ腕だが、こいつは高性能軽量腕だ。どれぐらい高性能かというと、こいつのせいで他の軽量腕の存在意義がないぐらいである。ライール脚はまだ他の軽量脚を駆逐するには至っておらんが、ラトナ腕は他の腕を完全に食っており、一択パーツ状態だ。

そして一番問題なのは、散弾砲KAMALである。これは散弾を撃ち出す近接戦用重火器である。

コジマバリアことPAってのがネクストにはあると前に話したが、PAの維持は防御において一番重要である。PAは攻撃を食らえば食らうほど減衰していき、最後には消えてしまう。コジマバリアがあるのとないのではスライムとメタルスライムぐらいの差があるのである。とは言え、普通ならコジマバリアが剥げるには何発も弾を連続して当てなければならない。

んでこのKAMALが問題なのは、まともに食らうと一撃でコジマバリアが剥げるというところにある。コジマバリア性能カウンターストップ機でも二発で剥げるぐらいの鬼性能なのである。しかもこれが軽量脚にのってしまう。4シリーズでは軽量脚も結構色々載せられる為、一種類の重火器ぐらいなら装備できてしまうのだな。

まぁ、そうは言っても近距離戦用武器、しっかり当たっても全然減らないのでは困るというのもその通りである。でなければ重火器を装備する意味がないからな。とは言え、その機動性を生かして肉薄したり逆に離れたりという動きが可能な軽量機が気軽に重火器を積んで気軽に重火器をぶっぱなすとバランス大崩壊である。

そこで、4では安定性能と反動という概念が導入されている。安定はその名の通り機体がどれぐらい安定するかって話で、反動もその名の通りその武器を撃った時機体本体にかかる衝撃力だ。で、バズーカとかショットガンとか威力の高い重火器は反動が強いと設定されておる。そして安定性能は軽量機が低く重量機が高い。つまり、軽量機で重火器ぶっぱなすと反動で動けなくなるのである。

ところが。

KAMALには反動がない。

理由は不明。しかもKAMALは同系武器の中で見ても明らかに性能が高く、弾速速いわ精度高いわ威力高いわ反動ないわといった感じになってしまう。そんな厨武器がKAMALである。お陰で、オンライン対戦で何事もなかったかのようにPAが剥げるのである。まるで最初からコジマバリアなんぞなかったと言わんばかりにな。

しかも、重火器には衝撃という要素もある。さっき言った通り重火器は反動が強い代わりに威力が高いと言ったが、実はもう一ついいところがある。それが衝撃だ。これが高いと、その火器による攻撃が当たった場合、相手は動けなくなる。反動の逆だな。つまり、この衝撃をうまく使えば相手が動けないままハメ殺せるのである。

んでこの衝撃、これも安定に関係しており、安定性能が高ければそうそうのことでは衝撃で動けなくはならない。だから重量機は衝撃武器に強いのだが…実は、PAは安定性能にも関係している。ダメージを軽減すると同時に衝撃も軽減しているのである。だから、PAが剥げるとどんな高安定機でも問答無用で動けなくなるのである。つまり、KAMALを一回か二回当ててしまえば重量機もコジマバリアがなくなり動けなくなる。しかも重量機は動きが遅いから回避が難しく、よってハメ殺される。

本来ならKAMALのような武器は反動が強く低安定な軽量二脚では扱いにくいという特徴を持つのだが、反動がない為何にでものってしまう。世の中にはちゃんと安定性能が高い軽量二脚もあり、その分性能が低いってなっておるのだ。実際、ライールは安定は決して高くない。だがKAMALなら問題ない。


そんな訳で、何も考えずに適当に組んでおったら厨房機体が出来上がってしまったのである。んでまぁどうせすぐ消す機体だしってんでオンライン対戦を何回かやったのだな、タイマン部屋で。

んで普通、タイマン部屋ってのは一回戦ったら出て行くというのが暗黙のルールである。同じ人、同じ機体と二度三度と戦うのは嫌なのだ。正直私には理解しがたい(10回とかなら話は別だが)んだが、まぁ基本的にそう決まっており、「一人一戦」とだけ書いてある部屋も多い。

それで一戦して帰ろうとしたら、インスタントチャットで「Once again!!」と言われた。で、何度か試合した。あまりに圧勝過ぎて不憫だった。一応言っておくが、KAMALは使っておらん。流石にあんなのを実戦で使うなんてのはしない。私は寒いゲームというのが一番嫌いだからな。使うとしたらライール脚ラトナ腕とか厨房なパーツを排除して機体を作るぞ。

まぁ、それでも充分厨房な機体である。今回は触れなかったが、モーターコブラってマシンガンも厨武器と言える(時もある。バグの関係で場合によってはクソ武器にもなる)だしな。で、部屋から出ると対戦相手からメールが来た。



「こんなにボコボコにされたのは久しぶりです。上手いですね。よかったら図面を交換してもらえませんか?」














・・・ごめんなさい。

私の小説感その3『小説の特性』

2009年11月13日 14時57分28秒 | 日記
ごきげんよう諸君、いかがお過ごしかな。font color="red">ようやく受験勉強はじめた霧島である。今日はあんまり余裕がないからすぐに本編に行こう。



先日、小説の表現能力の限界についてちょろっと述べたな。それでも私が小説を書くのは、まぁ判りやすく言えば劣っているが故に優れているところというのも存在すると考えるからである。

典型的な例がゲーム音楽である。ゲーム創成期からSFCは全部ピコピコ音声だった訳である。まぁ正確に言うとPSとかSSもピコピコ音なんだけどな。これは、音声ファイルというものが死ぬほど重いのが原因である。

今でこそ音なんぞより動画の方が遥かに重い訳だが、SFC時代とかは動画なんてほぼ論外であった。大体、ROM(ゲームソフトのカセットとかディスク)に入る容量は相当に限られておった。PS2はDVDだから4.7GB=4700MB(片面一層)なのだが、これがPSになると約600MB、一方SFCは33MBである。一応初代テイルズオブファンタジアが40いってるらしいが…

これでは、ROMに入れられる情報というのは限られてくる。今みたいに演奏した楽曲を録音してmp3なりに圧縮、それをROMに放り込んで流すなんて論外である。そもそも当時は音声圧縮技術も未熟であり、一曲収録したらそれだけでROMが埋まる。故に、BGMなり何なりの楽曲を作成、再生するには別の方法が必要になってくる。

で、そこで登場してくるのがピコピコ音だ。これは、ソフトではなくハード、PSならソフトのCDディスクじゃなくてPS本体に録音するものである。いちいちソフト一つ一つに音を録音しようとするのが悪いのであって、ハードに録音しといてその時々にこれを鳴らせ、あれを鳴らせ、とやるのだ。で、このハードに録音された音の鳴らし方一つ一つを譜面にして作曲したのが、SFCとかの音楽の正体なのだ。

当然、利用できる音は非常に限られてくる。現実世界との差は果てしなく大きい。何せ鳴らせるのはピコピコだけだからな。


ところが、このピコピコ音、神曲を大量に生み出したのである。この方面では植松とかイトケンが有名だな。SFC~PS過渡期には特定の音源をソフトに録音したのも増えたが、基本的にはピコピコ音だ。

勿論、現在でも神曲は沢山ある。いい意味で掃いて捨てるほどある。だが、ピコピコ音時代はピコピコ音時代で独特の良さがあるのもまた事実なのだ。と言うか、ロマサガ3とかピコピコ音の原曲を元に編曲して有名オーケストラに演奏させたものもあるんだが、正直原曲のがいい。

このピコピコ音楽と現在の(と言うか普通の)音楽の拮抗は何処から生まれてくるのだろうか。私は、勝手ながらこう考えておる。前者は限界が低く、後者は限界が高いからとな。

ピコピコ音の限界が低いのはもう説明する必要はなかろう。一方現在のゲーム楽曲はどうか。現代ゲーム音楽の基礎を作ったのは、やはりFF7というべきであろう。聖剣伝説3のように実際の音を一部録音したゲームもあったが、ゲームにおいて初めて生の音楽を効果的に使ったのはFF7である。実を言うと、まぁさっきも言ったが、PSも実はピコピコ音楽なのだ。

PSでは単純にROMの容量が激増したから今でいうmp3ファイルみたいなんかを入れる余地が出たんだが、なんだかんだと言ってもやっぱり容量は足りなかったのである。特に3Dモデルとかの画像系データが重くてな。ただ、PSはSFCとかと比べて収録されているピコピコ音が遥かに多く、また電子音くさくない音に改良されているのだな。

だからPSに進化したから一気に変わったのではなくPS~PS2過渡期になってから切り替わったと言うべきなのだが、ここでFF7を取り上げるのはやはりラスボス戦曲の『片翼の天使』である。今までピコピコ音とドット絵に親しんできたプレイヤーにとって、オーケストラ(風)音楽とコーラスと共に3Dのセーファセフィロスが降りてくるというのは果てしなく衝撃的だったのである。

んで、それ以降はゲーム音楽もオーケストラとかJ-POPとかユーロビートとかまぁ私は音楽に詳しくないから分類はよく知らんが、いわゆる普通の音楽とか演劇や映画などで使われる音楽というのが次第に導入されるようになっていったのである。

特にPS2以降はROM容量の増大と共にピコピコ音を再生する必要がなくなった(何せ650MBから4700MBもしくは8540MBに増えた)から、それはもう夢のように詰め込めるのである。ちなみにPS3の規格であるブルーレイは片面二層で50GB、つまり50000MBであり、これを使い切った小島は流石である。

つうか、ゲイツ箱はブルーレイ非対応って…

まぁ落ち目のハードはどうでもいい。

んでまぁ、そんな訳で、特にPS2以降の現在のゲーム楽曲は、オルガンから三味線から人の声まで何でも使えるようになったのである。つまり限界性能が著しく上がったのである。飛行機で言えばプロペラ機とジェット機ぐらい違うものだ。にも関わらず、ジェット機と互角にやりあえるプロペラ機がいくらでもあるのである。これは何故であろうか。


私はこれを、さっき言った通り限界性能の差であると考えておる。そもそもピコピコ音は音の種類も少なく、音の質自体もあまりいいものではない。しかしながら、限界性能が低いということは同時にその限界性能を引き出すことが容易ということである。普通の音楽はこの逆で、限界性能が高すぎて性能の半分も引き出せないのである。

特に後者は、音源一つとっても無尽蔵にある。楽器の中でも西洋楽器のヴァイオリン系だけをwikiから拾っても、ヴァイオリン 、フィドル(ケルト音楽に於けるヴァイオリン)、ヴィオラ、チェロ、コントラバス(ヴィオール族にも分類される)、バロック・ヴァイオリン、中世フィドル、レベック、ヴィオラ・ダ・ブラッチョ、ヴィオロンチェロ・ダ・スパッラと色々ある。あ、全部読まなくてもいいぞ。

まぁともかく、私はこれが小説にも適用できると考えている。

小説というのは文章、更に言えば文字のみで成立するものである。文字以外のものを叩き込むことはできない。しかしながら、先日小説はエロゲに完敗と言ったが、エロゲはエロゲで絵、効果音、音楽、声といったものが使える反面、誰の絵を誰の声を使うのがベストなのか大変わかりにくいのである。と言うか、多分ベストなんてものそのものがないだろう。

一方、小説はそういった要素がない反面、文章のみに集中することができる。小説の生きていく道はここにこそあると思うのである。小説は、既に思想を語ったりするには時代遅れの技術である。大学で講義する方がいくらでもわかりやすく説明できるんだからな。パワーポイントとか使って。しかし、わかりにくいからこそ、限界性能が低いからこそ、劣っているからこそ可能になる独特のものがあるのではないかと考えるのである。

サーコートと十字軍の話

2009年11月12日 17時15分16秒 | 社会、歴史
ごきげんよう諸君、いかがお過ごしかな。あらゆる意味で相変わらずな霧島である。昨日は本当に何もしないニート生活だったな…気合入れていかんと駄目だな。取り敢えず二回だか三回しか行ってない火曜日どうにかせんと。火曜日は面白い授業もあるのだが、それ以上に例のオナニーが駄目であり、最近はレーニン・スターリン系マルクス主義の講義してるから余計に精神負荷がかかるのだ。で、なかなか行こうという気になれんのだな。私が国家主権を持ったら確実に血祭りにするぞ。いや、真面目に。まぁ費用対効果が滅茶苦茶悪そうだからそういう理由でせんかもしれんがな。


で、先日の話に戻ろうと思ったんだが、あの改めて読み直したら違うこと思いついたんでその話でもする。しかしまぁあの作者、好きなんだろうな~と共感することしきりである。三銃士とかマスクオブゾロとか見て育った世代であろう。怪傑ハリマオ世代である。

まぁそれはいい。読み直してて気付いたんだが、銃士連中は屋外と室内ではよく見ると服装が違うな。いやまぁそもそも銃士隊は全員服装違うんだが、実はこれは正しい。制服が出来るまでは色々あったからな。が、外だと大体同じものを羽織っておる。サーコートである。

サーコートってのは、一言で言うと鎧の上に着る服だ。これの起源は十字軍であり、結構古い。

十字軍はエルサレムに攻め込む訳だが、現在のあの辺を見ても判る通り、エルサレムは砂漠にある。イスラエルの戦車が60トンとか70トンとかあるのは、あそこが砂漠だからだ。流石にあれだけ重いと砂漠以外では使い物にならんのである。50トンぐらいでもことによっては橋とか折れるんだからな。九〇式が橋の上走れないってのはありゃデマゴーゴスだがな。

話が逸れたが、イスラエルが砂漠戦以外を完全に無視した兵器を開発配備しているほど、あの辺は砂漠しかないのである。んで砂漠といえば昼滅茶苦茶暑いというイメージがある。実際厚い。木とかないから日光の熱は全部地面に来るし、水もないからな。十字軍はその上を歩くのである。そして当たり前だが、連中は鎧を着ておる。

まぁわかる人にはもうわかったろうが、鎧が熱で大変なことになるのだ。鉄は熱伝導率が高いからな、水ぶっかけたらブシューっつって蒸発したりするのである。勿論着てる人もただでは済まん。火傷確実だし、脱ごうとしたら違うとこが火傷するからな。

そこでサーコートが誕生したのだ。鎧の上に着る服である。ただでさえ鎧で暑いと言うか熱いのにと思うかもしれんが、布は鉄に比べて熱伝導率が大変低い為、一枚ぐらい羽織った方が結果的に涼しくなるのである。今手元にないから記憶頼りだが、ヘルシングの第九次空中機動十字軍もサーコートらしきものをつけてたな。これは後まで残ったらしい。


そんな十字軍だが、いっつもよくあんだけ集まったなと思うのである。有名な人と言えばイギリスに半年もいなかったイギリス王リチャード獅子心王とかだが、主力は盗賊である。以前フェーデの話をしたと思うが、当時の職業軍人(騎士爵)ってのは泥棒やって生活やってたようなもんだ。

この辺は日本と同じである。日本の武士っていうのも、源平合戦とかの時代には盗みとかは武士の習いとされており、犯罪者との境界は大変曖昧だったのである。まぁその中でも義侠心に優れ軍人としても優秀だったのが(時代は下るが)新田義貞とか楠木正重であり、武士とか騎士とかいう表現よりも義賊と呼んだ方が実際に近いともいえるのである。

ただこいつらへの対処の仕方が日本と西洋だと結構違う。西洋の偉い人にとって、騎士もしくはそれに順ずる連中は必要だが邪魔である。戦争になったら勿論こいつらに頼らねばならんのだが、戦争という仕事がない平和な時代になるとヒャッハー!とか言い出すのである。普通、こういう場合する政策は一つ、外征である。日本も秀吉の朝鮮征伐だけはこれをやったな。

んで外征の一つとして出てくるのが十字軍なのだが、十字軍は神の為にやるものである。聖地エルサレムを我らキリスト教徒の手に奪還するのである。よって、大義名分は充分。そんな訳だから、邪魔な盗賊まがいどもが、神の為にいなくなって神の為に死んでくれるのだ。一石二鳥だな。

まぁ、そんなんだから脱線する訳だが。同じキリスト教徒を襲ってどうするんだお前ら。まぁ、斯様に、十字軍ってのはただ聖地を取り返そうというだけの政策ではなかったのだな。で、しかしまぁ途中脱線したとは言え、よくあんだけの数が遠い遠い砂漠地帯までいったもんだ、と思ったのだな。


ちなみにこの十字軍、帰国子女の友人に聞いたのだが、アメリカの歴史の授業ではヒーローらしい。クルセイダーカッコイイ的な。日本で言えば織田信長とかその辺なのかもしれんが、まぁしかしなぁ。

アメリカらしいっちゃあアメリカらしいな。


今日は短めだがこの辺で終わる。

エロ漫画が描く近世フランス

2009年11月09日 22時51分05秒 | 雑学
ごきげんよう諸君、いかがお過ごしかな。また一つ関係の断絶を増やした霧島である。何を言っておるかって、まぁ非常に仲がいいと言うかよくしてくれるというかそんな人と、アンチ親しき仲にも礼儀あり精神、要は親しい仲には礼儀も距離もクソもねーだろ的な行為に及んだらブチギレられたという事である。

何を言ったかって、説明が色々必要になる為簡潔に例を挙げると、イスラム教信者の人類学者が友人だったとして(イスラム教でも旧約聖書は聖典)「人類は神が創ったって信じてるのに何で学者やってんの?」みたいな事を言ったというところかな。危うく悟りを開かせるとこだったが、しかし、ほんとのとこどう思ってんだろうな。「あらゆる行為に理由がある」って言いながら「これは何でこうやるの?」って聞いたら「それはそれ、これはこれ」と言われてもな。

その、なんだ。困る。



さて、前回前々回と連続で小難しい話になった為、今回は軽いネタでいこうと思う。以前話したかもしれんが、私は小学生やめて以来、(漫画の)週刊誌を全く読んでおらん。単行本勢である。しかも各誌順調にレベルが下がっており、それならば後で単行本をゆっくり読めばいいではないかという事だな。

んで、ちょっと読んでみたらそこらの漫画より断然面白いということでメガストア勢になったのは以前話した通りだが、最近は阿吽という奴も毎月買うようになった。特に、連載中のラ・ピエールだか何だかってのがお気に入りである。半分はアレ目的だ。

勿論、エロマンガとて月刊誌一冊の内四割が面白ければいい方である。だから、週刊誌と同じく単行本買えばいいじゃないかと思うかもしれん。過半数はつまらんって事だからな、面白いのが最高四割ってことは。だが、いかんせんエロ漫画は単行本が出るとは限らない上に単行本は定価千円であり古本は買いたくないのである。

いや、諸君の予想通り私はエロ目的じゃないから別にいいと言えばいいんだが、やはり古本は精神的に嫌である。いや、精神衛生上か。ともかく嫌だ。それに、単行本が出るかどうかわからんってのは冗談ではない。弱小漫画家は特にそうだが、漫画家は特定の雑誌のみで描くのではない。むしろ雑誌側にしてみりゃいてもいなくてもどうでもいいという存在で、すぐ切られたり、甚だしくは深夜ラジオの葉書職人状態だったりする。

当然、出版社をまたいでおれば単行本にまとめることはできん。まぁそんな訳で、月刊誌なり週刊誌なりを買って読むのが安全なのだな。ベストではないがモアベターという奴だ。


んで、何でこのラ・ピエールなる漫画がすきかと言うと、いちいち私のツボをついてくるからである。元々、私は大学に入ってから近代日独比較史をやるつもりであった。それには日本史は勿論西洋史にも詳しくなければならん。で、西洋史の近代を理解するには近世を、近世を理解するには中世を、中世的世界観を理解するにはキリs(ry とまぁドツボにはまった訳だが、まぁ要するに、近代以外は西洋史の方が詳しいという事である。

それでこのラ・ピエールだが、この著者、よくて歴史好き、もしかすると文学部史学科西洋史専攻の学士である。舞台は華の都パリ、時代は太陽王ことルイ十四世の御世。ルイはただの人畜無害な王様扱いされており、主役は彼が趣味で作らせた銃士隊である。王直属の部隊だが総隊長がボケてる上に隊長の半分以上は女という張子の虎という設定だ。

ここまではまぁまだよくある話かもしれんが、こっから先が非常に細かい。例えば、第三話ではスペイン王女がルイの嫁としてパリにやってくる。当時のスペインってのはハプスブルク家のものだ。…これには説明が必要かも知れんな。西洋というのは基本的にキリスト教の世界である。そしてキリスト教の世界には、離婚とか再婚がない

故に、西洋中世~近世の各大名の結婚こそ世界戦略の要という話になったのである。

例を挙げて考えてみよう。まず霧島氏と榛名氏の二つの大名がいるとして、霧島家から榛名氏へ嫁が行ったとする。すると霧島氏と榛名氏は縁戚関係になるな。で、もし榛名氏の当主が、男子を得ずに死んだとする。この場合、榛名氏には王位(?)継承者がいないという話になる。じゃあ榛名氏の領地だの兵隊だの城だのといった遺産はどうなるかって榛名氏の縁戚にあたる霧島氏が独り占めするのである。

あらゆる勢力に嫁なり何なりを出してとにかく縁戚関係を結ぶ。我が霧島氏は弱体ゆえに私が繁栄に導くことはできないが、いつか婚姻によって隆盛を迎えるかもしれない。その為に結婚する…そんな感じだ。棚ボタ狙いとも言うな。

しかもこの当時スペイン王だったハプスブルク王家ってのは百年かけて結婚で強くなったというかなりファンタジスタな家だ。元は大きくもないが小さくもないという極めて影の薄い貴族だった。しかしドイツが神聖ローマ帝国になった時、皇帝は選挙制ということになった。誰が皇帝になるか、これは大問題である。国内で一番勢力のある貴族ってのが普通だろうが、二位と三位の貴族が連合して攻撃してきたら適わない。逆に二位三位が連合してそのどっちかが皇帝になったら速攻で同盟解消というのは確実である。

そこで頭のいい誰かが影の薄いおかざりを皇帝にしとけば問題にならないと気付き、ハプスブルクを皇帝にしたのだ。日本の内閣総理大臣と同じ理屈である。

そんなハプスブルクだが、まぁ仮にも皇帝である。国内外に結婚の網を張り、時代が来るのを待ち続けた。そしてそれは来たのである。最盛期のハプスブルク家の支配領域は↓な感じである。



ハプスブルクと言えばオーストリア=ハンガリー二重帝国の皇帝でもあるが、本拠地オーストリアに留まらずスペイン王も兼ねた。ハプスブルクの嫁の旦那が死んだから。他にはブルグントとか今のフランス東部、南イタリア(と言うかバチカンとかローマ)、シチリアとかあの辺の島、チェコとかスロバキア等旧ユーゴスラビア連中、ポーランドのほぼ全て、トランシルヴァニアとかのルーマニアやハンガリーなどなど…形式上はドイツ全域も支配圏だったりするから始末が悪い。

まぁ、文字で言わんでもドイツ抜きでも欧州の半分以上かっさらってるからな。更に当時経済の中心地であったネーデルラント(オランダとベルギー)を支配していたのもでかい。どれぐらい中心だったかって、ここは基本的にスペイン領土なんだが、スペイン王が二回破産したにも関わらずその借金をここの連中が代理で支払ったという連中である。どんな金持ちだ。


そんなハプスブルクから嫁が来る訳だ。半分敵みたいなものだな。実際、西洋の結婚というのは現在と大きく異なっておった。前に話したと思う上に何処のどいつだったか忘れてしまったが、夫婦が必要以上に仲良くするのは倫理に反するという事で有罪にされてしまった夫妻がいるぐらいである。恋愛とかと結婚は全く別のものなのだ。敵ですらありうるのである。

実際、ルイのところに嫁いできたスペインの王女は手駒を求めて銃士隊を狙うのである。





これはいい狩人の目。

また、作中出てくる銃士もなかなか判っておる。四話主役のポルトスがスペイン王女を助けるシーンがあるんだが、こんな銃を持っておる。



よく見ると判るが、付け根の部分に何かごちゃごちゃついておる。これは火打石をこすり合わせるもので、銃の引き金を引くと同時に作動する構造になっておる。これが火花を起こすことによって火薬に火がつき、銃弾が発射されるという事だ。こういうのを片仮名語でフリントロックという。当時の最新鋭技術である。

ちなみに火縄銃はマッチロックという。日本の鉄砲がフリントロックにならなかったのは、日本の技術が遅れていたからではない。意外かもしれんが戦国の日本は鉄砲大好きなのだ。故に火縄銃以外も検討された。しかし日本の場合、火打石の質が悪い為動作の安定が確保できず採用されなかったのである。火縄銃と違って火打石だから、雨の日も使えるという利点も、意外と世の中うまくいかないという事も多かったんでな。なんだかんだいって火縄銃は安定動作が一番確保された鉄砲だったのである。

他のもので進んでいるのと言うと、歯輪発火銃というのがある。片仮名だとホイールロック。これは三十年戦争の英雄、スウェーデンのグスタフ・アドルフが採用したものである。ただ高価で、大量に揃えないと意味がない方式だったため、広まることはなかった。まぁアレだ。火縄銃はその時によって100%動いたり50%しか撃てなかったりするが、こいつは安定して1%だけ動作不良起こすみたいな性能だったのだ。現場にかなり嫌がられもしたそうで、火縄銃に取って代わることすらできなかったようである。

まぁそれに、ルイの時代は西暦1630年あたりからだからな。日本は関ヶ原が1600年で終わってしまったというのもある。





また、銃そのものではなく外衣に大量の銃をぶら下げているところにも注目したい。戦場で鉄砲を使う場合と異なり、平和な街中ではいつ撃つ必要に迫られるか判らない。また、当時の鉄砲は一発撃ち切りだから、一度撃っても外れたらアウトである。そこで、発射可能な状態にした拳銃を多数持ち歩くというのが流行した時期もあったのである。海賊なんかもこんなんやっとるし、戦争では鉄砲騎馬隊も似た様なことやってるな。



こちらは四話ラスト。銃士にとって剣術は欠かせない技術である。勿論銃を扱う以上銃が得意でなければならんが、銃が撃てないってのは実はよくある。雨が降ってなくても湿気ってれば火薬が濡れて撃てなくなることもある。火打石銃でも弾が出ない時は出ない。当時の銃は弾をちゃんと固定していない為、銃口から弾がポロっと落ちる場合もある。斯様に、銃士と名乗ってはいるが剣技の技量も非常に大事なのである。

銃に頼りすぎるなってのはここでそういう意味を持っておるのだな。銃を扱うものだからこそエペやサーベルといった剣の技が必要とされるのだ。



こちらは五話(最新号)の一場面。この服装もさりげなく考えられておる。西洋では時代と地域にあわせて洋服の流行がある。私もしておる片眼鏡(モノクル)も一時上流階級で流行ったものだ。自分の執事にいい服着せて来客にさりげないおしゃれさを演出するのが流行った影響で、執事=片眼鏡というのが定着したのだな。イギリスだと執事のがいい服着てることもままある。

まぁそれはいいとして、服だな。この膨らんだ生地に裂け目を入れる格好は当時流行った服装である。特にランツクネヒトことドイツ人傭兵は特にこれを好んだ。これを何って呼ぶのかがいまいち思い出せないんだが…黒楓ちゃんや、覚えてないかね(´・ω・`)?




まぁこの漫画一番のいいところはこのルイ十四世の呆け具合だと思う。こんな王様だったら一生ついてくぞ。




>ごてぃ氏&黒楓氏

>格闘ゲーム

ほんとギルティまでの2Dは暗黒期でしたね…カプコンvsマーヴルシリーズも色々とアレだったし。北斗ぐらい難しくないと即死コンゲーは…精密KI械でも普通にミス発生しますからね、あれわ。まぁ一回目の闘劇の頃は酷かったんですが。

ギルティもアレイスカは馬鹿ゲーとして家庭用のみで売りゃあよかったんですよorz ギルティのRTSとか出してる場合じゃないだろう右渡めが。で、ブレイブルーは私タッチしてなかったんですがやっぱりああなっちゃいましたね。起き攻めハメをなくしたんじゃなかったのかアークめが。

でも正直初心者が格闘ゲームやりたがる環境ってどうにかして作らないとと思うんですよね…北斗じゃなくても小足からHPゲージ半分ぐらい削られるのって結構普通ですし。


>アニメとか

日本のテレビ業界って、名前売れてるとこの奴は貴族階級でそれ以外は奴隷ですからね…日本のアニメなり何なりまぁ何でもいいけど、日本でも海外ぐらい予算かけて面白い番組撮るんだってできるんですよ。でも電通とかが全部持っていってるんで、スタッフの給料も制作費もぎりぎりまで省くことに…まぁだから朝鮮人の名前がアニメのスタッフロールにどんどん増えていってる訳ですが。

エロマンガもバイトみたいな状態ですからね。私も今はメガストア勢兼阿吽勢ですが、元々はメガプラス勢で、巻末漫画みたいなの書いてた人がメガプラス廃刊の時に「また来月から無職になります」って言ってましたね。無職がデフォなのかと。一応エロマンガ業界からヘルシングの平野耕太が出たりはしてますが…まぁ、電通とか小学館とかは腹を切って死ね。

>小説メール

ちょ、そんな真面目に見るもんじゃないです…敢えてジャンル分けするなら時代劇風西洋ファンタジーホラー風味ってとこですから。まぁ確かに色々調べはしましたが、頭ん中空っぽからでも読めるように書いてますし。

むしろ面白いにしても色々穴のあるこれをどうするかってのも問題で…

>フーコー

牢獄だか何だかの名前がいまだに思い出せません。どうm(ry


>ししおーそ氏

簡単、簡単か…確かにそれは正しい指摘だ私も思います。記事の内容が濃いにしても黒いにしても万人が読んで判る(そして笑える人なら笑える)が霧島家日誌の信条ですからね。もうちょっと煮詰めてから投稿するようにします。

私の小説感その2『私の目指す小説』再整理

2009年11月06日 15時57分35秒 | 雑学
ごきげんよう諸君。いかがお過ごしかな。物凄い勢いで本を読まなければならなくなり、物凄い勢いで死んでおる霧島である。院試対策もやらないとだし…めんどくさー。ちなみに最近順調に更新されておるのは、学校に行ってるからである。授業中は暇だからな。基本的に授業中記事を書いておるから、出席率と更新速度は比例する訳だな。


さて、今回は、前回の話をもう一度整理して再検討することにしよう。この辺はきちんとしておかないと、私自身の姿勢にも影響してくる訳だからな。



まず第一に、私はやはり純文学が嫌いである。理由は読んでてつまらんからである。私が『罪と罰』とか『ファウスト』とか『三国志』とかよく読んでるのは面白いからだ。しかし本来、まぁ三国志はともかく、罪と罰とかファウストは純文学に属する小説である。まぁ私のいう純文学ってのは芥川とか太宰とか直木賞とか芥川賞とかその辺だから、国内純文学とかいったところかな。

では何故私は国内純文学が嫌いなのか。これは私も長年不思議に思っておった。本来、私は古典が大好きである。古事記とか日本書紀は小学生の頃特に読んでおったし、孔子とか最古儒学、呉子、墨子といった大陸古典も中学生の頃にはそれはもう嘗め回すように読んでた。と言うか読みすぎで、漢文の授業中やることがなくて困った。

西洋文学に興味が出たのは高校の頃からである。特にロシア文学に傾倒したが、まぁ、なんだ、欧州の小説というより欧州の伝承が好きだ。ファウストが好きなのもそのせいだろう。あれ、ファウスト教授みたいなのの伝承が昔からあって、それを再構成して書いたらしいからな。神話とかは子供の頃から読んでおった。大学に入ってからは思想史に傾倒してご無沙汰だがな。


斯様に、私の場合、国内の小説だけピンポイントで嫌いなのである。この原因は何であろうか。

それはやはり、私の価値観であろう。

私自身、小説という表現形態の限界に悩んでおるが、やはり脳内で妄想できるというのは小説の強みである。唯一に近い強みと考えておる。以前、ゲームにおけるコミュニティの必要性について話をしたな。この記事だ。この記事に、ACはどんなにクソゲーでも愛されるという話を載せておる。どんなに酷くても患者が愛してくれる。

んで、ACシリーズの次回作を期待している私もまた患者な訳だが、あのシリーズにはシナリオに一つ大きな特徴がある。第一に、キャラの顔は絶対に出さないこと。公開されるのは台詞のみ。そして第二に、ストーリーは手抜き。前者は初代からの伝統だが、後者はSLあたりから急速に台頭してきた要素である。

ここで問題なのは、この二つを克服したらACは売れなくなるということである。下手するとメーカー倒産すらありうるのである。まぁ顔絵を敢えて出さないというのは、それぞれの登場人物をプレイヤーの想像(妄想)に任せるという狙いがあるだろうしそれはそれでアリな手法であろうが、ストーリー手抜きはマズいだろ。

しかし、ストーリー手抜きじゃないとACは売れないのである。

これは、ACプレイヤーの多くが患者だからである。ACwikiの創作コーナーを見るとよく判る。イラストガレージでは、ゲームに出てくるキャラの絵が精力的に投稿されており、誰かが投稿した絵を見たらそれに感化されて誰かが違う絵を投稿しそしてそれに感化されて~…と続くのである。

まぁ見てみてくれ。ちなみに今確認したところ、十一月三日だけで画像が四つ投稿されておるな。ちなみに女の子がやたら出てくるが、全て妄想の結晶体である。ACのキャラは全員顔なしだからな。基本的に台詞から考える訳だが、重量機使い=おっぱい!おっぱい!とかもう色々とカオスだ。

これが、患者の数が少なければ話は違ってくる。ただクソゲーと認定され、ただ消えていくだけである。しかしながら、ACは非常に大規模でありかつ深いファン(患者)によって構成されるプレイヤーの共同体(コミュニティ)が存在するのである。極端な話、患者の求めるACの新作は、ゲームではないのだ。患者の新しい妄想のタネなのである。

であるからこそ、完成されたストーリーは求められない。例えば、世界設定は矛盾しているほうがいい。勿論矛盾だらけで破綻してたら駄目なんだが、ある程度は矛盾している必要がある。何故かというとつじつまがちゃんと合ってたら妄想する要素がないからだ。普通なら「コレ矛盾してるだろ」「おかしいだろ」となるところだが、患者にしてみるとこれは解き明かすべき謎になる。だから適度に矛盾していた方がいいのだ。

同様に、ストーリーもできるだけぼやけさせる必要がある。これが、意図的に謎を作ったりプレイヤーの想像に任せると判断して脚本書いたりするならいいのだが、基本的に丸投げであり手抜きである。だがそういった手抜きこそACに必要とされる要素なのだ。


斯様に、妄想できるかできないかというのは、その作品群にとって非常に重大な点になるのである。特に小説というのは文章のみのモノラルであり、ほぼあらゆる要素を脳内補完しないといけない。そういう意味においては、小説というのは妄想ネタの宝庫なのだ。

しかし、妄想ネタがあるからといって妄想するとは限らん。妄想ネタを誰かに提供して妄想させるには、そのネタが面白いことが必要なのである。言い方を変えれば、『妄想しようという気にさせる何か』が求められるのだ。

ここが肝要である。妄想しようという気にさせる何か。

それは、ACの場合、まず第一に3Dメカアクションの先駆であるという点に求められる。初代ACは無印プレイステーションものであり、当時は3Dゲームというのは非常に珍しく、また求められていた。特にバーチャファイターとファイナルファンタジーは重大な影響を与えた。お陰で、スト2とKOF以外の2D格ゲーが淘汰されたのである。

バーチャ以前は他にも月華の剣士、サムライスピリッツ、豪傑血一族、飢狼伝説、龍虎の拳、などなど色々あったんだが、全部なくなった。ゲーセンに並んでいたこれらの2Dゲームがまとめてなくなり、代わりにバーチャ、鉄拳あたりが並ぶようになったのだ。レパートリー減衰も甚だしい。これぐらい、3Dゲームというのは当時衝撃的なものだったのである。

その中で、3Dロボットアクションの先駆として登場したのがACだったのである。それまでドット絵だったロボットが3Dで360度どこからでも見られるようになったのだ。しかも、パーツを組み合わせて自分だけのメカを作り上げる楽しみは、これ以前ではフロントミッションぐらいなものである。

更に、当時としてはストーリーも新鮮であった。と言うか、キャラが喋るってところが新鮮だった。かのFF7ですら声なしで、キャラがしゃべるという事自体が革新的要素だったのである。プレイステーション発売まで既にファミコン発売から九年経っていた訳だが、それでもキャラが喋るゲームは殆どなかったのである。

そこに、(今から見るとショボいが)Stylishなパーツを組み合わせてメカを作り上げ、雪の降る古城や企業の実験施設に出撃し、喋る敵と戦うのである。いうまでもなく、これはヒット作となった。この後、プロジェクトファンタズマ、マスターオブアリーナ、そしてPS2シリーズへと続いていくのである。では、ストーリーの手抜きはこの頃問題とならなかったのか?

ならなかった。それが答えである。当時はゲーム機の描画能力も3D関連技術も未熟であり、またCD-ROMだったため、容量も650MBに拘束されていた。当時のゲーム機の限界として、表現能力の限界がまだまだ低かったのだ。故に、手抜きというよりは表現能力の背伸びをせずプレイヤーの想像に任せた形となった。と言うか、無理にストーリー作るぐらいならパーツ増やそうという方針である。身の丈にあったゲームづくりだ。実際、シナリオが怪しくなるのはネタサスかSLあたりからで、それ以前はまぁそこまで酷くなかったってのもあるが。

斯様に、ACシリーズは3Dメカアクション界を引っ張ってきた。そこには当然、愛着が生まれる。愛が生まれたと言い換えてもいい。そしてPS2になって大手タイトルが続々とフルボイス化、キャラ絵の徹底といった形をとっていった中、プレイヤーの想像に任せるという方針を採り続けた。まぁここまではいい。

問題は、何ゆえ天下のクソゲーネクサスクソゲー of the year受賞のNBが発売された後もACシリーズは持ちこたえ、明らかな失敗作4を経てもその人気が衰えなかったのか。これはひとえに、その欠点、未完成部分をあくまで「謎」とポジティブに捉え、患者への道を突っ走ったプレイヤー層のお陰である。

ACシリーズはどんなクソゲーが出ても患者が減らない理由というのは、まぁこの辺である。


つまるところ、作品の出来不出来よりそれを取り巻く環境が重要ということである。これは恐らく、純文学にも通ずるものがあるだろう。ここからは推測だが、恐らく、明治文豪連中の著作は、ただ読むだけではその良さの1ピコグラムも判らない。どういう時代背景があって、書いた奴はどういう人間で、どういう状態で書かれて、発刊後どんな評価を受けて、といったところまで総合的にみないと、その良さはわからないのだろう。

が。

作品そのものが面白くなけりゃ話にならん。

私はそう思っている。だから国内純文学が嫌いなのである。勿論、どんなものが面白いかは個人差がある。だから無限かつ絶対的にはいわんが、しかし、私の常識からしてみればつまらん。つまり、妄想しようという気にさせる何かがないのだ。であれば、態々そんなものの為に時間を割く理由もないという事である。妄想してしまった人による共同体(コミュニティ)として純文学界(?)みたいなものがあるが、興味は起きんな。

妄想させたかったらその前に楽しませろってのが私の基本姿勢だ。ファウストとか好きなのは勿論その背後にあるドイツの賢者の伝承とかが好きだからというのもあるが、やはり本編が面白いからだ。まぁこの辺は、ちょっと込み入った話ではあるが。

つうのも、芥川とかは0から物語を作ったのだ。全部自分の頭の中で考えた。まぁ太宰の走れメロスなんかはモロパクリな訳だが、まぁ基本的に頭の中で考えてる。一方ファウストはファウスト博士っていう伝承が百年二百年と脈々と受け継がれてきて、それをゲーテっていう人間が受け取って書いたのだ。だから、芥川の羅生門とかのが面白かったら逆にそれはどうかって話にもなったりする。無論、明治文豪シリーズも頭の中に各種漢文古文の知識を頭に入れてるから完全に不利という訳ではないんだが…



まぁ長くなったし、今日はこの程度にしておこう…叙述とかについては後日。

以下コメ返信(次回話す予定除)



>応援してくれた人全員
ありがとうございます(´;ω;`) 割と素で感動しました
しかしどうやって渡せばいいかな…mixiでコミュニティ作るかメールで送るか……

>たとえ
まじすか(´・ω●`) 本のタイトル?

私の目指す小説

2009年11月04日 16時27分27秒 | 日記
ごきげんよう諸君、いかがお過ごしかな。後期が始まってからそろそろ三ヶ月になる訳だが、ようやく調子が出てきた。大学も開店休業(私が)だったのがちゃんと行くようになったし、小説書きもようやく調子が出てきた。果てしなくスロースターターだが、まぁなんとか生きていけそうである。

しかしまぁ私の小説書き環境の最大の欠点は、同じ趣味の人間の著しい欠如である。もしくは余程暇な友人。私と同じく小説が好きな奴、もしくは私の小説を読んでくれて感想をくれる程度に暇かつ仲のいい奴、どちらも殆どいない

高校時代は文芸部にいたし国語科の教員とも仲が良かった訳だが、もう大学も終わりそうだし、と言うか私は一回留年してる訳で、暇な奴を探すのがなかなか難しい。私と同じく留年してる奴は暇のある大学生ではあるんだろうが、彼らは彼らで色々危ないからな。相談相手がいないことほどきついのはなかなかない。

最近の小説大賞はブログに載せてた奴でも投稿OKというのが多いものの、ここは色々とアレだしな。基本的に身元が割れたら終わりブログである。故に、なかなか悩ましいのが現状なのだ。

まぁ、その悩ましい現状をもネタにする事こそ霧島家の真髄である。

しかし相談相手がいなくたって一回全部書いてみりゃいいじゃねーかと思う向きもあろう。実のところ、一年だか二年前に書いたのである。今はそれのセルフリメイクをやっておるのだが、当時は暇な友人も多かったし読んで貰えた。まぁ一次選考で落ちたんだが、まぁ矛盾する設定も多かったし物書きの一番怖いものは締め切りというのを痛感せざるを得ない部分がいくつかあったから、それでちゃんと書き直そうというところである。

んで、仲間内だけじゃなく、色々な人に渡してみた。

結果。

全員十頁いかず挫折。

つうか一頁で挫折多数。



どうすんのこれ。

という訳で書き出しに戻ってくる訳である。確かに魅力に欠ける序章ではあったかもしれんが、そこまで滅茶苦茶酷いものではないと思うのだ。受賞作品見ても、最初の十頁ぐらい全部世界観の説明とかある訳だ。

一応、もう大体の構想は出来上がっておる。後は書くだけな部分が多い。しかしもう冒頭部をどうするかで頭が痛くて頭が痛くて○□=←こんな感じである。基本的に年齢層が全く違う人に渡したからのせいかもしれんが、それにしたってこれは不味いであろう。一種の死んじゃうツモである。誰か見つけないとな。

と、暗に募集してる訳だが、こういう記事に絶対にレスはつかんからどうでもいい。


しかし、近頃あんまり小説を読んでおらん、と言うか全く読んでおらんから、どういう種類の小説が求められてるのかよく判らんというのは痛いところではあるかもな…大体が、私は多読する方ではないのである。同じ本を何度も何度も読むタイプなのだ。

私がゲームオタなのもこの辺に理由の一つがある。やったとも。それはもう繰り返し繰り返しやったとも。千時間以上やってる三國無双2はもとより、デビルメイクライ3なぞイベントシーンになると無意識にシャドウイングしてるし、ここんところお熱なACfAはぱっと見ただけで全てのパーツ名が言えるという変態ぶりだ。

私は、中学生時代はバイオハザード勢だった訳だが、あのシリーズの攻略本はやったら面白いというのは以前話したな。お陰で、寝る前に攻略本を読む癖がつき、完全な脳内地図が作成された。最近はそこまでではないが(と言うかメガストアとか読んでる)、それでもご飯を食べながらAC部品の各能力値一覧とにらめっことかよくある話だ。

これは、勿論攻略本以外の本もそうである。ハードカバーですらそうだ。近現代ヨーロッパの思想すら三週しておる。ドイツ人傭兵の文化史も二週、Truth in Fantasyシリーズや光人社NFシリーズの本はもう何冊を何回読み直したのか覚えてない。三桁はいってないと思うが。

で、こうして今打ち込みながら考えたのだが、私は正統派の小説とは完全に無縁であるようである。ああいや、勿論、完全に読んでない訳じゃないぞ。罪と罰とか戦争と平和とか、芥川の短編集とか。最後のはつまらなかったがな。芋粥でブッて吹いたのは覚えてる。ああいや、私がここで正統派って言ってるのは純文学に限らん。フルメタル・パニックをよく読んだ時期もあったしな。要は小説らしい小説だ。

しかし、こういった正統派と私の小説思想は全く相容れないらしい。いや、だからと言って正統派小説が嫌いって事じゃないぞ? 私の小説思想が、まぁいい言い方で表せば独創的過ぎるのである。

前にも話したかもしれんが、私は常々思っておる。小説はエロゲには絶対勝てんとな。何故なら、小説もエロゲ(まぁと言うかビジュアルノベルって奴か)も文章が主力だが、小説には文章しかない。その点エロゲは文章を主力としながら絵、音楽、効果音、声、背景を備えており、5.1ch状態であり、小説はスネーク…君はひょっとしてモノラルなのか!?みたいな状態なのである。

小説が唯一エロゲに勝る点は、キャラの顔とか場面とかそういうのを頭の中で妄想できるという点だけであり、じゃあどうやって妄想させるのかという話になったりもする訳である。まぁ、極端な話、エロゲが意図的に一部要素を抜けばいいという話にもなってしまうのだ。

映画、アニメ、漫画は、小説よりも優れたものであると私は思っておる。映画とかがmp3で、小説はmidiみたいな考え方だ。しかし、これらは小説にない多数の要素を備えているものの、小説の主力たる文章を持たない。だから致命的ではない。その点エロゲはバルト三国に攻め入るソ連レベルの致命的存在なのである。

んじゃ私が何で小説をいまだに書こうと頑張っているかと言えば、逆をやりたいからである。例えば映画は戯曲とか演劇を素材にして発展した訳で、基本的な出発点は小説にある。つまり小説を土台にして映像に発展させたのだ。私はその逆、即ち、映像を文書化したいのである。映像はエロゲなり漫画なりに変わってもいい。まぁ、つまるところノベライズの世界だな。原作なしの。

つうか、まぁ要はキャラクター小説だろと言われるとあんまり返す言葉がない。ただ、なんだかんだ言ってキャラ小説も妄想とか脳内補完を前提にしている。私は、脳内補完する必要のない小説を書きたいと常々思っている訳だ。「読むだけでありありと情景が頭に浮かぶ」という、小説に出てくるけどそういう小説は存在しない的なそういうのをやりたい訳だ。

ショタコンの前にCAGEのエロゲを置けば、種籾を目の前にした北斗のモヒカン達にように飛びつく。これを文章でやりたいのだな。

んでこの構想は、ライトノベルとかよりもゲームシナリオとかに近いのである。特に、ロードスとかウィザードリィとかTRPGから古典RPGの過渡期を作り上げた世代などは、空想を映像化しなければならない割にゲームハードがファミコンとかだったのだ。TRPGだと口で説明だしな。だから、一言で怪物の姿を表現しなければならなかったりして、そこのところの研究が非常に緻密に行われている。

まぁ、だから、私が目標とする小説家はベニー松山なのである。大学に八年いたナイスガイであり、PSバスタードとかウィザードリィに関わっている。今はエンターブレインの社長だったかな。小説はあくまで副業な為、新作『黒い虹』は本業が忙しいせいで完全に止まっておる。新しいの出ないかなぁ…


ま、そんな訳で、私にとって小説を読むというのは娯楽でありそれ以上にならない行為なのである。

まぁ日誌更新は、なんだかんだ言って文章力の低下を抑える為でもあったりするし、他もそういうのないではないんだが……(´・ω・)



まぁ、学校行こう


話はそれからだ。





あと、読んでくれる人はなんだかんだいってガチで募集中だ。にょろしく。

AOC元ネタその2 ケルト

2009年11月02日 16時08分06秒 | 社会、歴史
ごきげんよう諸君。いかがお過ごしかな。先週は久々に用事のない土曜日を過ごし、土日はまーたintensityに振り回されたり部屋の片づけをしたりしておった。ケイオスタイト化してた我が霧島家もようやく片付いてきた。まぁ自鯖が立つまでは片付け終わるって事はないんだがな。

しかし痛い。何が痛いってisoファイル他の350GBぐらいが吹っ飛んだのである。色々弄ってる間に全部飛んでしまってな、かなりへこんだよ。またいちからやり直しだ…

さて、今回は前回の続きである。先日のAOCの記事で軽くケルト人について触れたが、もう少し彼らについて掘り下げて語ってみようと思う。


そもそもケルトってのは、欧州の先住民族である。歴史の授業でアメリカのインディアンについて習った奴は多いだろうが、それと同様に、欧州にも先住者がいたのだ。例えば、ドイツの大阪とでもいうべきプロイセン(今はポーランド領だが)には、歴史的にはドイツ人が住んでおりプロイセン語というドイツ語の方弁があった。が、ドイツ人が入ってくる以前には、先住プロイセン人というのがいて古プロイセン語というのを話しておったのである。

まぁそいつらの運命には語る必要はなかろう。所詮キリスト教信者のやることである。

んま、それはともかくだ。我々日本人は、西洋史(もしくは世界史)を勘違いしておる。西洋史というのは西欧、つまりドイツ、フランス、イタリア、スペイン、ネーデルラント、ブリトンあたりの歴史だと考えておる。しかし考えてみたまえ。我々は高校とかの授業で、オリエント→ギリシャ→ローマ→カール大帝という流れを教えられ、カール大帝死後の分国で独仏伊の基礎ができた、などと習う。訳だが、しかしこれ、途中で地域が思いっきりズレてる

例えばイエス・ギリストはエルサレムで生まれたが、じゃあエルサレムは今どこにあるか。イスラエルだ。中東だ。ワールドカップとかで欧州地区予選に入れたりアジア地区予選に飛ばされたりするトルコのはるか東である。ギリシャは欧州の中でもはるか南東、フランスとかからはかなり遠い東欧だ。西欧ではない。

ローマはイタリアにあるじゃないかと言う奴もいるだろう。しかし、ありゃ地中海の国だ。地中海に関係の深い国を言えって言われて、普通の日本人は何ヶ国挙げられるだろうか。正直私も不安である。

つうか、だ。我々日本人は、独仏伊英あたりこそヨーロッパだと思っており、それ以外の国はおまけ、もしくは樺太とか沖ノ鳥島ぐらいにしか思っていないのである。オーストリアとかルーマニアとかチェコとかギリシャとかの東欧、デンマーク、フィンランド、スウェーデンなど北欧、といったあたりは、我々にとっては欧州ではないのだ。

私は↑でドイツ、フランス、イタリア、イギリスを独仏伊英と漢字一文字で表記したが、それ以外の国、つまりオーストリアとかデンマークとか、漢字一文字で表記したら日本人の半分以上は読めないと思う。普通読めるか? 希墺芬瑞とか言われても判らんだろう? それが普通の日本人だ。

いや、別に悪いとは言っておらん。ほんとに嘘に聞こえるだろうが本当だ。


つうのも、だ。西洋人も大体同じ似たよーなこと考えてるのである。これは嘘かほんとか知らんが、イエス・キリストの遺骸か何かから本人の顔を復元したところ、どこからどう見てもアラブ人の顔になり、急遽公開中止になったそうである。んなもん、イエスはアラブで生まれてアラブで死んだんだから、アラブ系の顔をしてて当然である。しかしアラブってのはサラセンであり異教徒でありバチカン第十三課の標的であるからアウトなのだ。

あと、誰かフランスに留学してた人から聞いた話だが、フランス人はカール大帝をフランス人と信じて疑わない。まぁ、建国の祖みたいなもんだからな。アメリカなら初代大統領、日本なら明治天皇だ。最近、フランス系統の話でよくシャルルマーニュの騎士シャルルマーニュの騎士と言っておるが、シャルルマーニュってのはカール大帝の事だ。んでシャルルマーニュの騎士ってのは、まぁアーサー王伝説とか円卓の騎士の伝説みたいなものだと思えばいい。

んで、第二次大戦前かな?、第三帝国の偉い人が「カール大帝はドイツ人である」と言って大問題になった。しかし、近代国家の考え方なら間違いなくドイツ人だ。だって、『今でいう』ドイツに生まれてドイツに住みドイツで死んだんだから。勿論今でいうフランスとかイタリアに行ったりはしたが、基本的にドイツに住んでたのだ。

考え方によっては、アメリカの某初代大統領だってイギリス人だ。アメリカ殖民連中は、イギリスからの亡命者な訳だからな。アメリカを承認しなければイギリス人である。アメリカ人は最初期の移民を最初のアメリカ人と捉えるが、考えようによってはイギリス人なのだ。


斯様に、現代の人間というのは、過去の英雄とかを色々勘違いしているのである。別に、例えば、欧州の人間がイエスの子孫であるというのを否定してはいない。間違いなく、欧米人はイエスの子孫である。正確には、精神的な子孫であり、キリスト者という名の後継者なのだという点には全く疑う点がない。だから西洋史は、オリエント(と言うかユダヤ教誕生の時期)→ローマ(キリスト教誕生)→独仏伊等各国史といった流れで語られていて当然なのだ。しかしついつい勘違いしがちだということだな。

ケルト人も勘違い対象になりやすい。ローマ時代なんかは、イタリアとかあの辺が先進国であり、今でいう独仏なんかは深い森に閉ざされた野蛮人の住む地域だったのである。古いRPGでバーバリアン(野蛮人とかそんな意味)ってのが敵モンスターとして出てくるが、バーバリアンってのはケルト人のことと言って差し支えない。この野蛮人が、西欧の先住民族なのだ。

んでケルト人はローマと戦争して負ける訳だが、負けて国が消えても民族が消えるとは限らない。実際、徹底抗戦の末ケルト人は大打撃を受けたがケルト人という人種は消えなかった。しかし、現代、ケルト人はアイルランドに僅かに生き残りがいるだけである。じゃあ何で消えたか。ゲルマン人が入ってきたからだ。

ゲルマン人は元はといえばもっと東に住んでいた民族だ。これが西へ大量に入り込んでくるのである。ただでさえ危機的だったケルト人社会は崩壊し、ゲルマン人と混血することで消えてしまったのだな。だから、西欧人の祖先はケルト人とも言えるんだが、その祖先をバーバリアン(笑)とか呼んでる訳である。これだから白人は。日本人だって大陸系が結構いるってのわかった上で朝鮮とか馬鹿にしてるのに……


さて、ケルト人ってのはそういう民族だ。欧州の先住民族だ。

んで以前話した通り、ケルトでは輪廻転生が深く信じられておった。普通、人間というのは死ぬのが怖い。怖いからこそ宗教にすがり、天国に行けると保障され安心する。とは言え、無条件で天国に行ける訳ではないのが普通であり、一向宗みたいなのでも、最低限南無阿弥陀仏を唱えることが求められるのだ。

そこのところ、ケルト人のドルイド教は無条件である。仏教では輪廻転生が信じられ、死んだら生まれ変わるが、生前の行いによっては犬にされたりもする訳だ。そこのところ、ドルイド教は無条件に甘いのである。だから死ぬのが怖くない。この死を恐れぬ兵隊ってのは一番怖い

よく日本の軍隊は精神主義だなんだというが、精神主義は軍隊に必須である。戦争では、そこらじゅうを銃弾が飛び交い、自分の横にいる奴が機関銃の一撃で身体千切れたり、爆弾で家が吹っ飛んで車が空から落ちてきたりするのである。そんな状況の中で、冷静に兵器を操作し、正確に狙いを定めて銃撃ったり、壁に隠れたりといった立ち回りを実践したりしないといけないのだ。一定以上に精神が鍛えられてないと兵隊として使い物にならん。

また、戦争ってのは、諸君が思っているより兵隊が死なない。自軍の兵隊二割がやられたら負けである。100人いたら、20人やられただけで負け。まだ80人いるが、負けは負けなのだ。この辺はガンパレードマーチで説明されてたな。5人と5人で喧嘩したとして、全員1vs1で戦ったとしよう。んでどっちか1人が完全にやられると5vs4になる。あまった1人が加勢すれば、何処かが2vs1になる。すると後者は勝てないからやられる。すると5vs3になる…という話だ。

また、全滅は兵隊が全部死んだって意味ではない四割やられたら全滅なのだ。これは前に言ったかもしれんがな。帝国陸軍ですら、四割やられたら逃げていいって決まりになっておった。ちなみに5、6割超えると壊滅、全員やられるのを殲滅という。実際、二割ぐらいやられると、普通の兵隊の感覚からすると逃げたくなるらしい。

そう、たった二割とか四割やられただけで、普通は戦えなくなるのだ。しかしケルト人は違う。全員死ぬまで戦うのである。んで、AOCには固有ユニットというのがある。各文明独自の兵隊で、その文明でしか作れない。日本は武士、トルコはイェニチェリ、イギリスはロングボウといった具合だ。で、ケルトはウォードレイダーってのだ。

こいつらは上半身裸に斧だか剣だかを持ってるんだが、これはケルト人が戦争する時こんな感じだったからである。身体に特殊な紋章を塗りこむと不死身(ではないが)になると信じられておった。まぁそれはどうでもいい。

ウォードレイダーの特徴というのは、移動速度が鬼のように速いというのと、建物に対する攻撃力が高い、というものである。あのゲーム、歩兵を止めるには矢が一番だ。弓兵のみならず、城や防御塔の矢で遠くから攻撃するのである。ウォードレイダーも、弓には弱い。まぁ足が速いから肉薄するのは速い。

んな訳で、矢で物凄い勢いで死にながら物凄い勢いで進軍し物凄い勢いで城とか家とかブチ壊すのである。斯様に、ウォードレイダーがいかにもケルト人っぽい立ち回りをしているという事に気付いた時は、流石の私も脱帽であった。ブラボーを贈りたい。