ごきげんよう諸君、いかがお過ごしかな。相変わらず交感神経と副交感神経の交代というかその辺の働きが明らかにおかしい霧島である。ナロンエース飲まないといけないほどの頭痛はないのだが、起きたらフラフラで動けなかった。いや、冗談でなく手すりなかったら階段から落ちてるレベルであり、本当にどうなっているのかという話である。やっぱり薬かなぁ…やめる訳にはいかんのが辛いところだ。
そういえば、ジンバブエの部隊がリビア入りしたみたいだな。これで、又悪の独裁者カダフィvs正義の民衆という図式が上塗りされた訳だが、しかしまぁどんどん度ツボにはまるなこの国。今回の騒乱は、所詮はリビア国内の部族と部族の権力闘争で民衆はそれに踊らされてるだけだっての、あの国の連中は気付いてるんだろうか。
気付いてねーんだろうな。
元々、リビアというのはベルベル人が住んでいた国である。地中海世界のホワイトアフリカの国という事で、東ローマ帝国やイスラム勢力に何度も占領された国だ。オスマン・トルコに制圧された後、トリポリの総督が独立してカラマンリー朝を打ち立てる。これがある意味、近代リビアの祖と言えるだろう。まぁそのカラマンリー朝もオスマン・トルコに再征服され、伊土戦争でトルコが負けた事により、リビアはイタリアの植民地となる。そして第二次世界大戦後、東部キレなイカキレナイカ、西部トリポリタニア、南部フェザーンの三州による連合王国が樹立される。
この時首都として選ばれたのは、現在抵抗運動が最も盛んな東部キレナイカのベンガジだ。これも当然で、かつて、植民地化後のイタリアの植民政策に対し抵抗運動が起こった。その時の英雄オマル・ムフタールを生んだのがキレナイカなのである。砂漠の獅子と呼ばれた彼は、今でもリビア紙幣の顔に採用されておる。そして、このキレナイカ一帯はサヌーシー教団という教団が根を張る地域である。サヌーシー教というのはイスラム神秘主義系の宗教で、これがキレナイカに伝わったのが1840年代の話である。
伝わったと言うか、創始者がメッカの内紛から逃れてキレナイカに移り住んだのだな。ここで支持者を増やしたサヌーシー教団はキレナイカの精神的バックボーンとなった。リビアがイタリアの植民地となった後、サヌーシー教団は抵抗し第一次大戦でも旧支配者のオスマン・トルコと共に戦っている。そして1920年に講和が成立するとイタリアはサヌーシー教団の指導者をキレナイカの支配者と認めたのである。勿論植民地のままではあったがな。
ムッソリーニが侵攻してくるとサヌーシー教信者だったかの"砂漠の獅子"オマル・ムフタールは抵抗戦争を再開したが、教団の指導者ムハンマド・イドリースはエジプトへ脱出する。そして第二次大戦が終わった後、ムハンマド・イドリースはリビアに舞い戻り、連合王国となったこの国の王となったのである。そしてリビア東部、つまりキレナイカの有力部族で政府高官職を独占したのだ。しかも政党、議会も禁止。まぁ、ついこの間まで植民地だったところにいきなり民主制を敷いても民度が足りなけりゃ行き着く先は一緒だから、これについては私は何とも思わん。
しかしながら、この先がいけなかった。独立後のリビアは親欧米路線を取り、基地の提供等で多額の援助を得ていた。元々リビアは産業が何も無いホワイトアフリカの最貧国みたいな国だったので、この沖縄と同じ経済戦略自体は間違ってはおらん。そして石油が出る様になると、多額のオイルマネーで経済が潤う様になる。ところが、この利益を王族や高官(東部有力部族)が独占して国民に還元しなかったのである。
ただでさえ、親欧米路線、東部キレナイカの部族による政府高官職の独占というのは、西部トリポリタニアや南部フェザーンの怒りを買いやすい。政府高官職の独占については言うまでもないが、親欧米路線も、まぁ、なんだ、反植民地化闘争を経てやっと独立したと思ったら旧宗主国様に擦り寄ってるのだから反感を買わない訳が無いな。しかも相手はキリスト教国家群だ。勿論、リビアはイスラム教国である。アラブ地域は伝統的に宗教の力が強く政教分離は困難なのだ。
東部キレナイカ、特にその首都ベンガジは繁栄を極めた。そしてそれ以外は、大変残念な状態が続いた。一例として、後でリンクをはっつける予定のツイートまとめから引用してみようか。
1962年、在リビア米国大使館からケネディ大統領宛に秘密メモが届けられています。「石油による巨額な収入が見込まれているにもかかわらず、王族たちは、行き当たりばったりの大浪費と公金横領に目がくらんで、たちまち現金不足に陥り、結局、我々のところに泣きついてくることになる」
王制時代、リビア社会は教育に見放され、独立後数年経っても住民の90%以上は文盲であり、ほんの一握りのリビア人が大学か職業訓練施設で勉学の機会を与えられたに過ぎませんでした。教育制度が真に発展するのは1960年代の石油発見後です。
後半は、石油採掘前の話だが、実際にリビアの識字率が上がるのはカダフィ政権になってからなのでそのまま載せた。まぁこんな状態では革命の一つや二つ起こっても不思議ではないな。そして実際、汎アラブ主義者でナセルに傾倒していたカダフィ大尉がクーデターを起こし、社会主義革命を達成するのである。もう今となってはナセルとか汎アラブ主義とか知らない人ばっかりになってしまったが、一時はアラブ世界を席巻した言葉である。
これは要するに、西欧に対する反植民地闘争とかを通じて俺達はアラブ人だ、俺達は誰にも屈しない一つの独立した民族なんだという意識が広がっていったものを源流とした、一種の民族主義みたいなものである。この意識に基づいて、中東のアラブ諸国は手を組んで頑張ろうというのが一時期流行ったのだな。ただ、何せ元々宗教の強い地域だ。そして、この汎アラブ主義を煽ったのは無神論を標榜するソ連だった。結果、汎アラブ主義国家は宗教的に、又、部族主義的にも対立をきたした。その上アラブ国家はイスラエルに勝てないという残念な現実にも直面する。
結果として、カダフィ大佐は汎アラブ主義に幻滅。革命以降、汎アラブ主義に従ってアメリカを攻撃しテロ支援国家指定を受けたり経済制裁を受けたりしてたんだが、こんな下らん主義につきあって割を食ってるよりはと親米路線に転換する訳だ。一方、国内政策についてだが、基本的にカダフィの革命は社会主義革命である(実際、現在のリビアの正式な国名は大リビア・アラブ社会主義人民ジャマーヒリーヤ国。国名にかつてカダフィが汎アラブ主義者だったのが現れてるな)という事もあり、経済活動による利益の国民への還元には重点が置かれている。
学校等の教育施設の建設にはじまって、発電所、水道、道路などインフラの整備も行っているし、病院の整備や生活必需品の低価格供給も行っている。又、外国人墓地の建設を行ったのも彼だ。家、自動車などの国民に必需とは言わんまでも必要なものも揃えている。又、有名な話だが、リビアは失業率が高い。人口六百万の内百万までも公務員に雇っているのに高い。何故かって単純労働を外人黒人労働にやらせてるからである。多くの若者が、ホワイトカラー労働を求めるもホワイトカラーも職の口は限定されてる為なれない、といった状態だ。そしてそんな無職にもちゃんと補助金が出るという社会である。
勿論、その一方で前政権と似た様な事をしてるのも事実だ。例えば、情報部や空軍の高官は殆どがカダフィと同じカザッーファ族出身で固められている。まぁこれも故ない事ではないと言えばそうではあるがな。元々有力部族が多い東部キレナイカを打倒してできた政権であり、部族社会が伝統的に存在してきたリビアだ。弱小部族出身であるカダフィは常にクーデターの脅威があった訳で、西部トリポリタニアの有力部族の協力も得られなかった。弱小部族の男の下につけるかとな。実際、この空軍とかは何度かのクーデターの鎮圧に活躍している。
又、こんなニュースもあったが、別にこれも故なきことではない。リビアでは伝統的に個人ではなく部族に忠誠を誓う部族社会であり、又、男社会であって女は基本的に疎外されてきた(ベルベル人はともかくとして)。逆に言えば女性解放を推し進めればこれを打破できる訳である。彼女達には部族がどうこうなんてつもりは全く無い訳だからな。実際、リビアはイスラム圏で一番女性解放の進んだ国といわれておる。
こういった種種の政策によって、リビアの近代化は物理的な意味だけでなく精神的な意味でも進んでいる。フォーリン・アフェアーズ・リポート1995年5月号の『制裁継続か、それとも和解か』では
リビア社会はテクノクラート的な社会と部族的社会に二分されている。たとえば、ハモウダはテクノクラート的な社会に属している。勿論、このテクノクラート社会が支配的なわけではないが、この社会に属する人々はリビアを近代的な国家にしたいと考えている。つまり、工業的で開放性をもち、自由で繁栄する社会を目標としている。
と述べられている。こういった動きは、間違いなくカダフィによる功績といえよう。ただ、カダフィ自身古い人間である事は間違いなく一方、カダフィは明らかに部族社会を代弁しており、リビアでの個人主義を疎ましく思っている。アウトサイダーを警戒し、慣習を大切にし、自らの権限の基盤を、神権とまでは言わなくとも、伝統に求めているとも述べられている。
要するに、時代がカダフィを追い越しつつあるのである。こういうのは往々にしてある事で、例えばチャーチルなんかは偉大な指導者だが(私はこれっぽっちも偉大だと思わんしイギリス史上稀に見る災厄だと思ってるが)、本人自体はビクトリア朝時代の遺物であった。カダフィも又、部族主義時代の遺物である事に変わりは無い訳だな。先の論文でいう「テクノクラートなリビア」を代表する六人の医師と大学教授が、この論文の著者に話した内容が文中に転載されている。
「あなたはカダフィがすべての決定を下していると思っているのでしょうが、実際には、民衆が決定を下しています」と一人が言った。たしかに「われわれは、カダフィのことを革命の指導者として尊敬しています。(中略)彼は注目を集める人物ですが、サダム・フセインのような独裁者ではありません。統治を手がけているのは議会で、カダフィの考えを議会が拒絶することもしばしばです。事実、議会が政府の行動を批判するのは日常茶飯事なのです。言っているとおりに行動できていないことは認めるとしても、日毎に生活は改善されているのです」
私は、実際にどの程度リビア議会が機能しているかは全く知らん。しかしながらこの様な発言が出てくる事自体、カダフィを実際的な指導者ではなく大英帝国の国王や大日本帝国の天皇的な立場に追いやる状況が確実に進行している(していた)事の証と言える。
しかし、だ。リビアがまだ部族社会的特性を色濃く持っているのも事実なのである。今回、ベンガジで一番最初に反体制デモが起こったというのもそれとは無関係な話ではない。さっき言ったとおり、東部キレナイカは旧王制時代の有力部族が多く暮らす土地だ。そしてそのキレナイカ最大の都市こそベンガジなのである。ここには反カダフィを標榜する有力部族などいくらでもいるのだ。
そもそもの発端は、ここで反体制デモが起こった事である。これに対し現地の警察が銃撃を加え、一人が死亡。なんのかんのと言ってもアフリカでアラブだからな、まぁここまでならあるある(笑)ぐらいかもしれん。しかしその葬式の列をデモとみなして銃撃し多数死傷者を出してしまったのが問題となった。
正直マッチポンプ臭がするんだが、今のところカダフィ及びその子供は「んな事やってねぇ」的な声明を出してはおらん。恐らくは現地の警察の暴走かさもなくば見せしめ(何せベンガジだ)だったのだろう。ベンガジの有力部族は何度かクーデター未遂も起こしてるしな。しかしながらリビア国民の民度は、既にこれを見せしめとして水に流せる"程度"を既に卒業していたのである。先のツイッターの人に言わせると
地域主義と部族主義にもとづいたベンガジでの局地的な反政府運動が、なぜ首都を含めたリビア全域に広がり、政府高官や外交官の辞職・離反などに結び付いたのか?これは時間をかけて分析する必要がありますが、現時点では以下のように捉えています。
まず、反政府運動に対する武力を伴う鎮圧がきわめて苛烈なものであり、多数の死傷者が出たことに、国民がアレルギー反応を示したという点。政府の対応には当然ながらカダフィの判断が伴っており、ベンガジでの蜂起そのものとは異なる部分でカダフィ個人への批判が高まったと思われます。
つまり、今回の騒乱は、先の論文で言えば「部族主義のリビア」の反体制運動が始まりであった。この時点では、「テクノクラートのリビア」は傍観の姿勢だったのだ。しかしながら、「部族主義のリビア」に対する鎮圧が苛烈すぎた為、自由主義的な「テクノクラートのリビア」も反体制側に回ってしまった、という訳である。本来なら相反する両者だが、現在は反カダフィという共通の目的の為に協力しておるというところだろう。
しかしそれでも、残念ながら私は消極的ながら親カダフィである。傭兵を用い、ジンバブエの部隊まで招き入れるという姿勢は擁護できるものではない。しかしながら、仮にカダフィがいなくなったとして、カダフィ政権時代のレベル(国民の生活とか経済力とか)を維持できるだけの指導者が他にいるかという話なのである。今回は部族主義のリビアとテクノクラートのリビアが協力しているが、カダフィが倒れれば当然これらは分裂する。
しかも部族主義のリビアとて一枚岩ではないのだ。各部族は自分の部族が良い目を見れればそれでいいのである。どうせカダフィが倒れたらアフガニスタンの北部同盟みたいに内部分裂してそのまま内戦コース直行だろう。部族主義がいまだ蔓延るリビアでは、国内を安定させたかったら国内の部族の頭を押さえつけられる人材が必須なのだ。そういう意味で、カダフィは実績があるからな。
しかしながら、今回の騒乱でカダフィは「テクノクラートのリビア」からも恐らく信頼を失ったろうし…勝利したとしても一から出直しの可能性が高い。本人が部族主義時代の遺物だからな、難しいところだ。
まぁ結論を言うと、土人の国は大変だなという事である。
そんな訳で、掴みにするつもりがそのまま一本の記事になったリビア関連記事であった。本当ならAOC攻略記事南米編のつもりだったが、明日以降だな。尚、今回のリビア騒乱について、特に部族主義的観点から鋭い考察と情報を提供している@amnkLibyaという人のツイートをまとめたサイトは今回の騒乱を見る上で大変参考になるので、暇な人は是非一読すると良い。後、上の方で引用した論文も読むと参考になるだろう。
そういえば、ジンバブエの部隊がリビア入りしたみたいだな。これで、又悪の独裁者カダフィvs正義の民衆という図式が上塗りされた訳だが、しかしまぁどんどん度ツボにはまるなこの国。今回の騒乱は、所詮はリビア国内の部族と部族の権力闘争で民衆はそれに踊らされてるだけだっての、あの国の連中は気付いてるんだろうか。
気付いてねーんだろうな。
元々、リビアというのはベルベル人が住んでいた国である。地中海世界のホワイトアフリカの国という事で、東ローマ帝国やイスラム勢力に何度も占領された国だ。オスマン・トルコに制圧された後、トリポリの総督が独立してカラマンリー朝を打ち立てる。これがある意味、近代リビアの祖と言えるだろう。まぁそのカラマンリー朝もオスマン・トルコに再征服され、伊土戦争でトルコが負けた事により、リビアはイタリアの植民地となる。そして第二次世界大戦後、東部
この時首都として選ばれたのは、現在抵抗運動が最も盛んな東部キレナイカのベンガジだ。これも当然で、かつて、植民地化後のイタリアの植民政策に対し抵抗運動が起こった。その時の英雄オマル・ムフタールを生んだのがキレナイカなのである。砂漠の獅子と呼ばれた彼は、今でもリビア紙幣の顔に採用されておる。そして、このキレナイカ一帯はサヌーシー教団という教団が根を張る地域である。サヌーシー教というのはイスラム神秘主義系の宗教で、これがキレナイカに伝わったのが1840年代の話である。
伝わったと言うか、創始者がメッカの内紛から逃れてキレナイカに移り住んだのだな。ここで支持者を増やしたサヌーシー教団はキレナイカの精神的バックボーンとなった。リビアがイタリアの植民地となった後、サヌーシー教団は抵抗し第一次大戦でも旧支配者のオスマン・トルコと共に戦っている。そして1920年に講和が成立するとイタリアはサヌーシー教団の指導者をキレナイカの支配者と認めたのである。勿論植民地のままではあったがな。
ムッソリーニが侵攻してくるとサヌーシー教信者だったかの"砂漠の獅子"オマル・ムフタールは抵抗戦争を再開したが、教団の指導者ムハンマド・イドリースはエジプトへ脱出する。そして第二次大戦が終わった後、ムハンマド・イドリースはリビアに舞い戻り、連合王国となったこの国の王となったのである。そしてリビア東部、つまりキレナイカの有力部族で政府高官職を独占したのだ。しかも政党、議会も禁止。まぁ、ついこの間まで植民地だったところにいきなり民主制を敷いても民度が足りなけりゃ行き着く先は一緒だから、これについては私は何とも思わん。
しかしながら、この先がいけなかった。独立後のリビアは親欧米路線を取り、基地の提供等で多額の援助を得ていた。元々リビアは産業が何も無いホワイトアフリカの最貧国みたいな国だったので、この沖縄と同じ経済戦略自体は間違ってはおらん。そして石油が出る様になると、多額のオイルマネーで経済が潤う様になる。ところが、この利益を王族や高官(東部有力部族)が独占して国民に還元しなかったのである。
ただでさえ、親欧米路線、東部キレナイカの部族による政府高官職の独占というのは、西部トリポリタニアや南部フェザーンの怒りを買いやすい。政府高官職の独占については言うまでもないが、親欧米路線も、まぁ、なんだ、反植民地化闘争を経てやっと独立したと思ったら旧宗主国様に擦り寄ってるのだから反感を買わない訳が無いな。しかも相手はキリスト教国家群だ。勿論、リビアはイスラム教国である。アラブ地域は伝統的に宗教の力が強く政教分離は困難なのだ。
東部キレナイカ、特にその首都ベンガジは繁栄を極めた。そしてそれ以外は、大変残念な状態が続いた。一例として、後でリンクをはっつける予定のツイートまとめから引用してみようか。
1962年、在リビア米国大使館からケネディ大統領宛に秘密メモが届けられています。「石油による巨額な収入が見込まれているにもかかわらず、王族たちは、行き当たりばったりの大浪費と公金横領に目がくらんで、たちまち現金不足に陥り、結局、我々のところに泣きついてくることになる」
王制時代、リビア社会は教育に見放され、独立後数年経っても住民の90%以上は文盲であり、ほんの一握りのリビア人が大学か職業訓練施設で勉学の機会を与えられたに過ぎませんでした。教育制度が真に発展するのは1960年代の石油発見後です。
後半は、石油採掘前の話だが、実際にリビアの識字率が上がるのはカダフィ政権になってからなのでそのまま載せた。まぁこんな状態では革命の一つや二つ起こっても不思議ではないな。そして実際、汎アラブ主義者でナセルに傾倒していたカダフィ大尉がクーデターを起こし、社会主義革命を達成するのである。もう今となってはナセルとか汎アラブ主義とか知らない人ばっかりになってしまったが、一時はアラブ世界を席巻した言葉である。
これは要するに、西欧に対する反植民地闘争とかを通じて俺達はアラブ人だ、俺達は誰にも屈しない一つの独立した民族なんだという意識が広がっていったものを源流とした、一種の民族主義みたいなものである。この意識に基づいて、中東のアラブ諸国は手を組んで頑張ろうというのが一時期流行ったのだな。ただ、何せ元々宗教の強い地域だ。そして、この汎アラブ主義を煽ったのは無神論を標榜するソ連だった。結果、汎アラブ主義国家は宗教的に、又、部族主義的にも対立をきたした。その上アラブ国家はイスラエルに勝てないという残念な現実にも直面する。
結果として、カダフィ大佐は汎アラブ主義に幻滅。革命以降、汎アラブ主義に従ってアメリカを攻撃しテロ支援国家指定を受けたり経済制裁を受けたりしてたんだが、こんな下らん主義につきあって割を食ってるよりはと親米路線に転換する訳だ。一方、国内政策についてだが、基本的にカダフィの革命は社会主義革命である(実際、現在のリビアの正式な国名は大リビア・アラブ社会主義人民ジャマーヒリーヤ国。国名にかつてカダフィが汎アラブ主義者だったのが現れてるな)という事もあり、経済活動による利益の国民への還元には重点が置かれている。
学校等の教育施設の建設にはじまって、発電所、水道、道路などインフラの整備も行っているし、病院の整備や生活必需品の低価格供給も行っている。又、外国人墓地の建設を行ったのも彼だ。家、自動車などの国民に必需とは言わんまでも必要なものも揃えている。又、有名な話だが、リビアは失業率が高い。人口六百万の内百万までも公務員に雇っているのに高い。何故かって単純労働を外人黒人労働にやらせてるからである。多くの若者が、ホワイトカラー労働を求めるもホワイトカラーも職の口は限定されてる為なれない、といった状態だ。そしてそんな無職にもちゃんと補助金が出るという社会である。
勿論、その一方で前政権と似た様な事をしてるのも事実だ。例えば、情報部や空軍の高官は殆どがカダフィと同じカザッーファ族出身で固められている。まぁこれも故ない事ではないと言えばそうではあるがな。元々有力部族が多い東部キレナイカを打倒してできた政権であり、部族社会が伝統的に存在してきたリビアだ。弱小部族出身であるカダフィは常にクーデターの脅威があった訳で、西部トリポリタニアの有力部族の協力も得られなかった。弱小部族の男の下につけるかとな。実際、この空軍とかは何度かのクーデターの鎮圧に活躍している。
又、こんなニュースもあったが、別にこれも故なきことではない。リビアでは伝統的に個人ではなく部族に忠誠を誓う部族社会であり、又、男社会であって女は基本的に疎外されてきた(ベルベル人はともかくとして)。逆に言えば女性解放を推し進めればこれを打破できる訳である。彼女達には部族がどうこうなんてつもりは全く無い訳だからな。実際、リビアはイスラム圏で一番女性解放の進んだ国といわれておる。
こういった種種の政策によって、リビアの近代化は物理的な意味だけでなく精神的な意味でも進んでいる。フォーリン・アフェアーズ・リポート1995年5月号の『制裁継続か、それとも和解か』では
リビア社会はテクノクラート的な社会と部族的社会に二分されている。たとえば、ハモウダはテクノクラート的な社会に属している。勿論、このテクノクラート社会が支配的なわけではないが、この社会に属する人々はリビアを近代的な国家にしたいと考えている。つまり、工業的で開放性をもち、自由で繁栄する社会を目標としている。
と述べられている。こういった動きは、間違いなくカダフィによる功績といえよう。ただ、カダフィ自身古い人間である事は間違いなく一方、カダフィは明らかに部族社会を代弁しており、リビアでの個人主義を疎ましく思っている。アウトサイダーを警戒し、慣習を大切にし、自らの権限の基盤を、神権とまでは言わなくとも、伝統に求めているとも述べられている。
要するに、時代がカダフィを追い越しつつあるのである。こういうのは往々にしてある事で、例えばチャーチルなんかは偉大な指導者だが(私はこれっぽっちも偉大だと思わんしイギリス史上稀に見る災厄だと思ってるが)、本人自体はビクトリア朝時代の遺物であった。カダフィも又、部族主義時代の遺物である事に変わりは無い訳だな。先の論文でいう「テクノクラートなリビア」を代表する六人の医師と大学教授が、この論文の著者に話した内容が文中に転載されている。
「あなたはカダフィがすべての決定を下していると思っているのでしょうが、実際には、民衆が決定を下しています」と一人が言った。たしかに「われわれは、カダフィのことを革命の指導者として尊敬しています。(中略)彼は注目を集める人物ですが、サダム・フセインのような独裁者ではありません。統治を手がけているのは議会で、カダフィの考えを議会が拒絶することもしばしばです。事実、議会が政府の行動を批判するのは日常茶飯事なのです。言っているとおりに行動できていないことは認めるとしても、日毎に生活は改善されているのです」
私は、実際にどの程度リビア議会が機能しているかは全く知らん。しかしながらこの様な発言が出てくる事自体、カダフィを実際的な指導者ではなく大英帝国の国王や大日本帝国の天皇的な立場に追いやる状況が確実に進行している(していた)事の証と言える。
しかし、だ。リビアがまだ部族社会的特性を色濃く持っているのも事実なのである。今回、ベンガジで一番最初に反体制デモが起こったというのもそれとは無関係な話ではない。さっき言ったとおり、東部キレナイカは旧王制時代の有力部族が多く暮らす土地だ。そしてそのキレナイカ最大の都市こそベンガジなのである。ここには反カダフィを標榜する有力部族などいくらでもいるのだ。
そもそもの発端は、ここで反体制デモが起こった事である。これに対し現地の警察が銃撃を加え、一人が死亡。なんのかんのと言ってもアフリカでアラブだからな、まぁここまでならあるある(笑)ぐらいかもしれん。しかしその葬式の列をデモとみなして銃撃し多数死傷者を出してしまったのが問題となった。
正直マッチポンプ臭がするんだが、今のところカダフィ及びその子供は「んな事やってねぇ」的な声明を出してはおらん。恐らくは現地の警察の暴走かさもなくば見せしめ(何せベンガジだ)だったのだろう。ベンガジの有力部族は何度かクーデター未遂も起こしてるしな。しかしながらリビア国民の民度は、既にこれを見せしめとして水に流せる"程度"を既に卒業していたのである。先のツイッターの人に言わせると
地域主義と部族主義にもとづいたベンガジでの局地的な反政府運動が、なぜ首都を含めたリビア全域に広がり、政府高官や外交官の辞職・離反などに結び付いたのか?これは時間をかけて分析する必要がありますが、現時点では以下のように捉えています。
まず、反政府運動に対する武力を伴う鎮圧がきわめて苛烈なものであり、多数の死傷者が出たことに、国民がアレルギー反応を示したという点。政府の対応には当然ながらカダフィの判断が伴っており、ベンガジでの蜂起そのものとは異なる部分でカダフィ個人への批判が高まったと思われます。
つまり、今回の騒乱は、先の論文で言えば「部族主義のリビア」の反体制運動が始まりであった。この時点では、「テクノクラートのリビア」は傍観の姿勢だったのだ。しかしながら、「部族主義のリビア」に対する鎮圧が苛烈すぎた為、自由主義的な「テクノクラートのリビア」も反体制側に回ってしまった、という訳である。本来なら相反する両者だが、現在は反カダフィという共通の目的の為に協力しておるというところだろう。
しかしそれでも、残念ながら私は消極的ながら親カダフィである。傭兵を用い、ジンバブエの部隊まで招き入れるという姿勢は擁護できるものではない。しかしながら、仮にカダフィがいなくなったとして、カダフィ政権時代のレベル(国民の生活とか経済力とか)を維持できるだけの指導者が他にいるかという話なのである。今回は部族主義のリビアとテクノクラートのリビアが協力しているが、カダフィが倒れれば当然これらは分裂する。
しかも部族主義のリビアとて一枚岩ではないのだ。各部族は自分の部族が良い目を見れればそれでいいのである。どうせカダフィが倒れたらアフガニスタンの北部同盟みたいに内部分裂してそのまま内戦コース直行だろう。部族主義がいまだ蔓延るリビアでは、国内を安定させたかったら国内の部族の頭を押さえつけられる人材が必須なのだ。そういう意味で、カダフィは実績があるからな。
しかしながら、今回の騒乱でカダフィは「テクノクラートのリビア」からも恐らく信頼を失ったろうし…勝利したとしても一から出直しの可能性が高い。本人が部族主義時代の遺物だからな、難しいところだ。
まぁ結論を言うと、土人の国は大変だなという事である。
そんな訳で、掴みにするつもりがそのまま一本の記事になったリビア関連記事であった。本当ならAOC攻略記事南米編のつもりだったが、明日以降だな。尚、今回のリビア騒乱について、特に部族主義的観点から鋭い考察と情報を提供している@amnkLibyaという人のツイートをまとめたサイトは今回の騒乱を見る上で大変参考になるので、暇な人は是非一読すると良い。後、上の方で引用した論文も読むと参考になるだろう。