霧島家日誌

もう何が何だかわからないよろず日誌だ。

AOCユニットの元ネタ

2009年10月29日 18時58分40秒 | 社会、歴史
ごきげんよう諸君、いかがお過ごしかな。HDDの整理してたら恋する妹は(略)のimgが出てきて懐かしさのあまりちょろっとやってしまった霧島である。次男が出てきた瞬間セッカッコー食らったジャギ様みたいな挙動をしてしまった。まったく、CAGEの破壊力は侮れん。

そう言えば、最近そこここから経営とかがヤバいって話を耳にするな。主に民主党政権が補正予算止めたせいだが、予算、そのまんま宙ぶらりんらしいな。例年ならもう通ってる、と言うか、今年度も既に補正予算に基づく入札とか金の引渡しは終了済みというところも多い。このままだと冬にかけて、本気で中小が潰れまくるかもしれん。

と言うか、だな。うちはいわゆる伝統産業という奴である。伝統産業というのは人間の死に方で言えば寿命とか自然死であり、テルミドール風にいうと定款の内に、緩慢に壊死するものである。あんまり景気には作用されないのだ。景気が良かろうが悪かろうが仕事は減っていくのである。

ところがうちの業界も相当ヤバくて、取引先じゃ首きってるとこもあるらしい。

ほんとにどうなるもんだか…


さて、そんな話をしておってもしょうがないから別の話題である。この間の続きでaocネタをもうちょっと引っ張ってみようと思う。いくつか思い出したネタもあるからな。

あのゲームに出てくるユニット、実はそれぞれ元ネタがあったりする。まぁ名前は確かに適当だ。騎士なんか、騎士→重騎士→近衛騎士、剣士も長剣剣士→重剣士→近衛剣士と、重と近衛さえつけりゃいいと勘違いしてるからな。

が、ユニットそれぞれにはちゃんと元ネタがある。例えばこのハサーだが…





こいつは見ての通り騎兵ユニットで、斥候→騎兵→ハサーと進化するお馬さんの最終形態である。これの元ネタだが、何を隠そうポーランド騎兵だ。コレ↓。ポーランド騎兵がかっこよく描かれた映画のダイジェストも見つけたから貼っておこう。




Husaria / Winged Hussar



日本で騎兵と言えば武田軍だが、それと同じように欧州で騎兵と言えばポーランド騎兵である。まぁ、日本で欧州の騎兵というとやはりフランスが有名である。シャルルマーニュの騎士とはこの日誌で何度も言っておるが、実際フランスは騎兵が大好きである。逆にドイツなんかはあんまり騎兵は有名でないな。むしろ歩兵が有名だ。

これは何でかっていうと、まぁ、その、なんだ。ドイツは貧乏だからでありフランスは金持ちだからである。騎兵ってのはとにかく金がかかる。何せ馬が必要だ。歩兵なら本人の食料と剣と槍、あとは甲冑があればそれでいい。が、騎兵は馬がないといけない。

では馬には何が必要だろうか。馬の食料、ってのがまぁ一般的な答えだろうが、それだけではない。ああ見えて、馬というのは非常に繊細な生き物だ。デリケートなのである。どれぐらいデリケートかと言うと、何も考えず船に並べて日本海を渡ったらわたりきるまでに半分ぐらい死ぬぐらいデリケートだ。死因はストレス。

寝てる間に床擦れを起こすと真面目に死ぬからベッド代わりの乾いた草あたりが必要になるし、馬の甲冑だって必要だ。更に言えば、騎兵は馬が死んだからといって兵隊が死んだとは限らない為、予備の馬も必要である。モンゴルの騎兵は常に4、5頭の馬を予備として揃えていたらしい。こうなると騎兵本人だけでは管理しきれないから、世話役を雇う必要も出てくる。

斯様に、騎兵は金がかかるのだ。ドイツは貧乏であるから、なかなか難しいのだな。ドイツ騎士団とかあったり、ドイツ人は自分らをドイツ騎士団の末裔だと思ったりしておるが、まぁ、なんだ、騎士だからと言って馬に乗ってるとは限らないということである。aocのコンピュータ君主の一人、マクシミリアン一世は馬から降りた騎士として有名な男だ。

あとドイツで騎兵が流行らなかったのにはもう一つ。ドイツでは軍隊ってものがあんまり発達しなかったところにも理由があるのである。先程言った通り、騎兵には金がかかる。んで騎兵が十人とか二十人なら、兵隊一人一人が自分の家から馬を持ってきて、んでそれぞれが馬の世話役とかを個人で雇うって形式でも問題ない。しかし、これが百人とか千人とかになってしまうと、そんなやり方では通らなくなるってのはまぁ説明せんでもわかるだろう。

しかしドイツでは、国の軍隊ってのが発展しなかった。別の言い方でいうと、組織管理ってものが発達しなかった。だから、農民に槍持たせた兵隊百人の中に騎士が混じってることはあっても、組織的な騎兵ってものが生まれ得なかったのだ。それでもどうにかやっていけた原因は色々あるが、その一つには、ドイツが比較的平和な地域だったってものがある。

ポーランドはその辺が違う。ポーランドは中欧もしくは東欧に属する国だが、中世から近世にかけて、この地域は何度も何度も戦争があった。それも、以前話したようなフェーデみたいななぁなぁの戦争ではなく、生きるか死ぬか、滅びるか滅ぼすかのガチの戦争である。

中世の欧州で怖いものと言えば狼、黒死病、サラセン。サラセンって言ってピクッと反応した奴は、まぁ半分ぐらいは馬上からアイスラッガーするユニットを思い浮かべたろうが、サラセンってのは中東の人間を指す言葉だと思えばいい。その最たる例がトルコだ。

今でこそトルコは微妙な地方国家だが、一時は掛け値なしの世界最強国家であった。火薬帝国オスマン・トルコの時代である。トルコがもっと西にあったとしたら、フランスもスペインもトルコ領になった可能性すらあるのである。ドイツが比較的平和だったのは、ポーランドとかハンガリーとかオーストリアが必死になってトルコと戦争してくれたお陰であって、もしこれらの国家がなかったら、まぁ即死であったろう。

かのドラキュラ伯爵、まぁアーカードとかワラキアの夜とかあの辺だが、彼もトルコと戦った英雄である。負けたけど。まぁハンガリーの裏切りとかもあるんだが、ともあれ、ルーマニアとかハンガリーとかでは、残念ながらトルコを止めることはできなかった。じゃあ誰が止めたって、ポーランドであり、その立役者こそポーランド騎兵、ハサーなのである。


軍オタの中ではもう使い古されたネタだが、第二次大戦最初期、ポーランド戦でドイツの機甲師団(戦車部隊)にポーランド騎兵が突っ込んだという話がある。阿呆ですね~馬鹿ですね~って訳だが、実際にそういう戦闘があったかどうかは、実は判らん。記録がないのだ。

しかし、ドイツ兵がポーランド騎兵を物凄い怖がったというのは確実な話であるらしい。第一線で戦争する重突撃騎兵はとっくの昔で時代遅れになっておった訳だが、それでも、世に名高いポーランド騎兵は怖かったのである。

ちなみに、騎兵が完全に時代遅れになったという訳ではない。全軍が自動車化されておらん当時では、偵察大隊とかに騎兵を割り当てる場合も少なからずあったのだ。第二次大戦でも何もかもが自動車になってたのはアメリカぐらいなもんで、ドイツの大砲は半分以上馬が引っ張ってたというのはあんまり知られておらん事実である。

まぁ、ポーランド騎兵ってのは、向こうではそれぐらい名のあるものなのだ。そうは言ってもAOCじゃハサー=肉の壁だったりする訳だがな。まぁ肉の壁ならまだいいか。もう一つの用法は街に侵入して農民を虐殺する兵隊だからな。つうか、騎士とか、進化すると重騎士だとか近衛騎士だとか言って名前がカッコ良くて絵も強そうなんだが、実際には

農民→剥き身剥き身とか言いながら虐殺
弱い敵→喜んで戦う
強い敵→全力で逃げる

という最低最悪の兵隊である。だから嫌いなんだアレ。


さて、次だ。さっきAOCのユニットの名前は適当だと言ったが、実を言うと、名前にも元ネタはある。一部な。

例えば散兵だ。コレ。



この槍投げ兵、元ネタはかのアレクサンドロス大王の盾持ち兵って奴である。んまぁ散兵の本家ペルシャ軍にもああいう装備の連中はいたんだが、知名度的に考えてもマケドニア軍のものがモチーフと考えるべきであろう。

しかし、マケドニアの盾持ち槍投げ兵が元ネタとは言っても、槍投げ兵=散兵という訳ではない。散兵ってのは剣士とか槍兵みたいに装備の名前が基準ではないのだ。じゃあ何が基準かというと~…

うーむ。

そうだな。

私は時代劇が好きだが、中でも銭形平次と旗本退屈男、必殺仕事人が大好きである。んで必殺の劇場版を見た時に友人に言われたことなのだが…暗殺一筋な必殺仕事人でも、映画となればやはり大立ち回りを演じることになる。その時見てたのは4だったが、最後、ラスボス奥田右京亮が武士団に斬りかかるシーンがある。んでこいつが鬼のように強く、武士を片っ端から切り倒してしまう。

で、言われた。

「こいつら何で逃げないの?」

正直に言おう。その発想はなかった。しかし正しい発想でもある。実際、どう頑張っても勝てる見込みのないほど強い相手が暴れておるのである。思わず逃げ出したくなっても仕方ない。

んじゃあこいつらは何で逃げないって、そういう商売やってるからである。当時の武士は軍人兼警察だ。つまり兵隊さんとかおまわりさんだな。キチガイが刃物振り回してたらとめるのが警官である。まぁだから逃げないよう訓練されてるしもし、逃げたら家名断絶とかきつーい社会的制裁が下る訳だな。

しかし、兵隊ってのはいつの時代もそういう職業軍人のみで構成されてるとは限らない。むしろ、そこらの農民徴収して武器持たせて戦争行かせるって方が多い。すると当然、全員できることなら逃げたい訳だ。また、普通、2人は1人より強いし、100人は10人より強い。だから、兵隊は一般的に密集した方が強い。

そういう理由で出てくるのが、戦列とか陣形だ。戦列戦争。ファランクスとかテルシオとかレギオン!レギオーン!レギオーン!とか。まぁ、早い話が、●を兵隊一人として

|←    20人                 →|_
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●↑
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●5人
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●↓
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●_
                    
       ↓敵のいる方向


↑こんな感じで兵隊が規則正しく並ぶ状態を作るのだ。整然とならんで、んで敵の方に槍なり剣なりを構えて、一歩一歩前進していってんでもみくちゃになりながら戦争するのである。これには色々意味があるのだが、そこらの農民連れてきて戦争する場合の意味は二つ。一つはこうやれば素人でも強い、もう一つは脱走防止である。

↑にあげた図だと、20x5だから横隊1個あたり100人になるな。考えてもみてくれ。100人もいるのだ、1人2人ぐらいがこっそり逃げてもバレないであろう。しかしこうして陣形を組んでしまうと、誰が脱走しようとしてるってのは一目でわかる。こうなると、逃げたくても逃げられない。

勿論、100人が100人とも、全員同時に逃げ始めればいくらでも逃げられるだろう。しかし脱走第一号になるには勇気がいる。学校でこんなクソ授業やってられるかと思っても、文句を言う最初の一人にはなかなかなれないのと同じだ。また、こういう陣形の後方には拳銃とかサーベル持った偉い人が控えてるのが常である。兵隊が逃げようとしたら即射殺する人だ。

こうなれば、脱走はかなり抑えられる。また、それ以外にも意味があってな。職業軍人なら槍でも剣でも馬でも扱いを充分に心得ているが、流石に農民はそうもいかん。しかし、↑の陣形で、一人一人が槍を持ってると想像してくれ。槍を前に突き出して全員で歩くだけで強い。槍を構えてあるくだけでも、100人が陣形を組んでれば充分戦力になるのだ。


そんな訳で、陣形を組むというのはどこの国でも定番戦術になる。日本もそうだな。ではこういう戦争のやり方に弱点とか欠点はないのかというと、決してそうではない。ではどこが悪いかと言えば、まぁ柔軟性がないという一言に尽きるな。

例えば、実際に戦場で戦争する時はともかく、行軍中もこんな陣形をとって歩く訳にはいかん。やっぱり二列とか三列に並んでてくてく歩くのが普通である。だから戦場についてから戦闘陣形に変えるのだが、逆に言えば、陣形が組み終わるまではただの農民の群れである。ちゃんと訓練された職業軍人ならいいが、そこらの農民だからな。一人一人ではまるで役に立たん。

また、押せ押せの状況になって逃げる敵を追撃するとかになると、当然、陣形は乱れる。ただの農民の群れになる訳だ。これが、敵が逃げてたのは実は罠でした~って感じで待ち伏せされたりすると終了だな。

斯様に、元がただの農民である以上陣形が崩れれば糸冬了になってしまうのである。この弱点を突くのが散兵だ。諸君は、武田の投石衆を知っておるかな。その名の通り石投げ部隊なのだが、精鋭部隊だ。エリート石投げ兵である。野球ボールぐらいの石を50mぐらい投げられたそうだ。鎧は最低限に抑え、機動性を重視した軽装兵である。

散兵ってのはそんな感じの兵隊だ。弓や弩といった、重く機動の邪魔になる武器は持たず、また同じく邪魔になる重い鎧も排除した軽装兵だ。武器は投石や投槍といった軽い射程兵器。アレクサンドロス大王の部隊は盾と投槍を装備しておった。

で、散兵は何をやるのか。

嫌がらせ逃げるのである。

例えば、戦場に到着してから戦闘陣形を組みなおす途中の敵を攻撃して嫌がらせする。あるいは、陣形組んで陣取ってる敵をちょこっとだけ攻撃(嫌がらせor挑発)して逃げる。逃げるって言っても脱走するのではなく、敵が迫れば距離をとって攻撃敵が退がったら追って攻撃、敵が迫れば距離をとって~といった、スーパー嫌がらせ戦法だ。また、戦闘時は陣形を組まず、必ず散って戦う。

何がしたくてこんなことをやるかって、敵の陣形を崩したいからだ。陣形構築中の敵を攻撃すれば、それだけ陣形の完成が遅くなる。ことによっては、向こうが陣形を組み終わる前にこっちの本隊の陣形が完成する。後は本隊で押しつぶせばいい。もし敵が陣形を組むことより散兵を攻撃することより選んだたしても、心配には及ばん。散兵は逃げる為に軽装なのである。逃げればいい。

もし追撃してきたら、それこそチャンスである。こっちの本隊が陣形を組み終わってなくても、追撃に必死で陣形もクソもないぐちゃぐちゃの状態で突っ込んでくる連中を倒すには充分だ。

また、陣形を組み終わった敵への攻撃も重要である。さっき言った通り、いかに陣形を組んでると言ってもあくまで農民の群れ。一人一人バラバラに分かれて散発的に攻撃してくる連中を、無視する訳にはいかんが一人一人順番に潰していくわけにもいかん。もしそうしようとすれば散兵は逃げてしまうからな。で、痺れを切らして本気で攻撃してきたら陣形は乱れる。後は本隊が料理すればいい。

かように、ひたすら嫌がらせするのが散兵だ。脱走の可能性は極めて高いからそこらの農民連れてきてやらせる訳にはいかんが、少人数でいい為精鋭部隊として育てればいい。素人ゆえにある程度決まった行動しかできないという弱点をつく部隊なのだ。

ゲーム中は全然違うユニットだが。



斯様に、マイクロソフトはマイクロソフトなりに色々調べてゲームを作っておるのである。その情熱をOSに注いでほしいものだな。ゲイツ箱にも。普及してるのがHDDなしとかDVDしか読めないとか未来がなさすぎるだろう、あれ。





コメ返信 長い間放置して申し訳ない。いろいろと余裕がなかった…HPも更新してないし…

ベトナム戦争
>バロス氏
果てしなく興味深い話題、詳細キボンヌ
>ジャスミン氏
エイリアンもターミネーターもSAWも何もかも…orz まぁ2までが名作なら続編が出続けてくれるようですが

aocの技術
>ジャスミン氏
ソレ モウ ダイブンマエ ニ カイチャッタ
>ごてぃ氏
自分がされたら嫌なことを延々一時間以上やるゲームなので精神衛生上よろしくありません。へたくそ同士でワイワイやるならいいけど、ガチでやろうとすると進化方法とか丸暗記しないといけないから敷居は高いし、いちいち寒い立ち回りしないといけないし…だがそれがいいな人はオススメ。

aocの技術

2009年10月26日 19時56分16秒 | アニメ、ゲーム、映画等
ごきげんよう諸君、いかがお過ごしかな。私はあらゆる意味でいつもどおりである。最近は週末になると仲間内で集まって(と言うか拉致られて)朝までAOCというゲームをやっておる。お陰で、元々あんまり頑丈でない私の睡眠時間とか生活のリズムってのが狂いまくりであり、授業もよく休んでおったのだが…逆転の発想で、普段から朝まで起きることにすればいいじゃないというのを考え、最近は夜家に帰ったら速攻で寝て深夜起きるという生活をしておる。

慣れるまではかなり辛かったが、慣れてしまえばなかなか快適に過ごせる。私は夜が好きな人間でもあるし、散歩や運動は夜に限るからその点でも私に優しい。強いて言えばセブンイレブン以外の店で何も買えないぐらいである。

私の住むこの地は、元々ampm/セブンイレブン/ローソン/サークルKが鎬を削る激戦区だった。しかし、ローソンとサークルKの土地をセブンイレブンが買収し、ほぼセブンイレブンの独占地帯になってしまったのだ。ampmは残ったし新しくampmもできたんだが、弁当とか不味いとからな。まぁセブンイレブンはあらゆる意味で豊富な品揃えだからいいのだが、は言え、食料品もあそこだけでは流石に飽きる。

で、みざにゃんに教えてもらって最近知ったのだが、楽天とかで食料品を通販して買う、というのが最近はできるらしいのである。私は帰りの電車の中で寝てしまうほど夕方眠い為に碌な買い物もできんから、食料品を通販して買うというのは大変楽である。そんな訳で、ゴールド会員になり、このままの調子でいくと月末にはプラチナ会員になる。

何というか、廃人だな、私。


さて、話題も特にないからさっき言ったAOCの話でもする。

AOCでは判らなくても、Age Of Empiersと言えば判る人も多かろう。OS以外は神企業のマイクロソフトが作ったゲームで、AOCは2の拡張パック適用後のものの通称である。発売されてからもう十年単位の時間が過ぎておるが、今でも対戦ゲームとして根強い人気がある。

初代AOEはRTSの草分けといわれておるゲームであり、AOCもその時代に作られたゲームだ。プレイヤーは自分の文明を選び、原始時代から始まって進化しながら戦争するゲームである。AOCでは大分表現が丸くなっておるが、AOEはやりようによっては戦車vs騎士みたいな戦争も可能である。

まぁ戦車と騎兵がガチでやりあったのは実際に存在するのだが。

んで、AOCでは四つの時代が存在する。原始時代にあたる暗黒の時代が最初で、その次は日本でいうと大化の改新あたりから平安京の時代にあたる、領主の時代。んでその次は中世(鎌倉幕府とか南北朝とかその辺)で、一番最後には帝王の時代が来る。日本でいうと戦国あたりだな。

時代が進むたびにユニットが強くなるというのが一つの特徴で、例えば~…そうだな。城主の時代までは、攻城兵器は碌なものが作れない。破城鎚とか投石器とかだけであり、城を破壊するのはかなり難しい。しかし帝王の時代になると火薬兵器が使えるようになる為、火縄銃兵のみならず大砲が作れるのだ。つまり、城の矢の届かないところから砲撃して壊すというのが出来るようになるのだ。他にも遠距離投石とかが作れるし、破城鎚とかも強化される。

兵隊も同じで、槍兵なら

槍兵 領主の時代
長槍兵 城主の時代
矛槍兵 帝王の時代

という具合に強くすることができる。

んでここで、もう一つの基準がある。それは文明である。ゲームスタート時に各自文明を決めるのだ。日本、チュートン(ドイツ)、フランク(フランス)といった民族国家以外にも、ゲルマン及びローマ人に滅ぼされたケルト、逆にローマを滅ぼしたフンや何度も戦争したゴート、ホワイトアフリカのペルシャ、更にはバイキングといった連中が使える。シリーズによってはヒッタイトとかマニアックなものも使えたりする。

んで、文明ごとにそれぞれ特徴がある。フランクはシャルルマーニュの騎士ってんで騎兵が強い。騎士系のHP増加という固有ボーナスがあり、馬に関係する技術は全て開発できる。その代わり射撃ユニットが弱く、射撃技術は途中から開発できなくなる。これがそれぞれ歴史を反映しており、見てるだけでもなかなか楽しい。


例えば日本は、とにかく何でも強い…と言うか、何でも作れる、というところが強い。実際何でも強い軍事国家だったからな。歩兵は勿論騎士にあたる奴もいたし、日本の武士は弓も武勇の誉れとなるから射撃も強い。火薬兵器も得意技だからな、ほぼあらゆる技術を開発できる。但し、日本は室町あたりから騎兵が消滅した。

以前も話した通り、騎兵ってのは歩兵より速く展開できるから強いのであって山しかない日本でんな機動戦できるかという話になったのだな。だから、騎士だけは最後まで開発できない。重騎士まではなれるが、近衛騎士という一番強い形態まではいけないのだ。ただ、騎士以外なら何でも作れる。馬が来たら槍といった具合で、相手の軍隊にあわせて編成を変えて戦う文明である。

ここで面白いのは弓騎兵である。源平合戦の時代では日本の軍隊は間違いなく騎兵だったが、日本の騎兵が歴史上他の国と明らかに異なるのは、重装弓騎兵というところにある。普通は重装槍騎兵なのだ。故に、日本は弓騎兵関係の技術が全部開発できる(除繁殖)のである。まぁ普通は使わん兵種だからあんまり気付かれんのだが、なかなか細かいところまで見て作っておるようだ。

ただ、見てて良くわからんのが神殿と聖職者である。聖職者はコストが高くしかもすぐ死ぬという大変残念な部隊で、それを作れたり強化したりできるのが神殿という建造物である。んで聖職者は何をするかというと、まず第一に回復。傷ついた兵隊を回復させてくれるのだ。んでもう一つが転向。キリスト教とかを教えて裏切らせるのである。

んで、神殿で色々研究して強くするのだが、本当に色々なものが開発できる。活版印刷とか薬草学とか異端とか色々な。まず第一にこれが判らん。薬草学は回復速度があがるもので、まぁわかる。異端は転向された味方ユニットをその場で殺す技術だ。キリシタンに相応しい技術である。しかしこれが活版印刷になると、聖職者の射程+3である。

どういう理屈だ。

購いになるともっと酷く、建物の転向が可能になるという技術だ。「購い」は勿論、贖罪の意味だ。んで償いを研究すると敵の聖職者を転向できるようになる。罪をどうしたら建物とか聖職者を裏切らせられたりできるようになるのか…まるで判らん。篤信を研究すると聖職者の移動速度増加する。どこをどう篤く信仰すれば足が速くなるのか。謎である。

んでもう一つあってな。神殿の技術をすべて開発できる文明というのはなく、何かしら研究できない技術がある。その規則性がよく判らん。例えば、さっき異端の話をしたが、何故か日本は異端が研究できる。日本は異端とかそういうのとは一番遠い国と言うか地域だと思うんだが…

神殿関係の技術は、やはりケルト一強である。アステカの聖職者も強いが、意外と研究できる技術は少ないからな。じゃあケルトは何で強いかというと、ケルトと言ってそれが何か判る奴は知っているだろうがドルイドはケルトの宗教なのだ。ケルト人はローマとかギリシャが強かった時期以前から欧州に住んでいた民族で、今のドイツとかフランスとかあの辺を支配していた。ローマの攻撃によく耐え、最後まで戦い抜いた民族である。

ローマとの戦争以外にもゲルマン民族の大移動とかによって消えてしまったが、アイルランドにだけは何とか残っている。現代のドルイド教研究もアイルランドの生き残りによるところが大きい。

ケルト人は非常に発達した文化を持った民族で、宗教的にかなり独特なものがある。歴史上の話をすると、ドルイド教では輪廻転生が信じられており、死んだらまた生まれ変わると考えられていた。こういう発想自体は仏教に通じるものがあるものの、輪廻をかなり先鋭的にとらえており、今度生まれ変わった時に返すって言って金を借りる奴がいたりしたのである。故に勇敢に戦ったものの、逆に仇となって結局ローマに滅ぼされてしまうのだな。

こういう歴史背景がある為、ケルトは神殿の技術をほぼ全て開発できる。しかし、活版印刷が研究できるのはどうなんだ。ケルト人はローマの影響でスペインとかに移動した連中からフランス人と同化して消えていった奴までいるが、活版印刷がある時代までは民族として存在してはいなかった筈である。

啓蒙が開発できるのも謎だな。啓蒙というのは多分啓蒙思想のことを指しているのだろうが、啓蒙主義が出てくるのは遅く見積もっても近世、デカルト登場以後である。このデカルトは西暦でいうと1596年生まれで1650没であるから、十七世紀前半にならないと啓蒙思想は出てこないことになる。勿論、ケルト人なんぞとっくの昔に滅びておる。が、何故か研究できてしまうのだ。謎である。


まぁ、ゲームシステムにあわせて適当にこじつけたってのが答えなんだろうが、そんな答えで満足するようでは先は暗いといえよう。

ランボーを見る上での基礎知識

2009年10月09日 19時20分25秒 | 社会、歴史
ごきげんよう諸君、いかがお過ごしかな。相変わらず暇がない霧島である。本日は研究会(笑)だったのだが、やる気勢の発表が多くこのままだと私まで(笑)に含まれてしまう為、二週間後に向けて頑張って準備せねばならん。全然やってないからな…取り敢えず国有鉄道百年史全部読もう……

そういえば、この間からドリームクラブをやっておる。ゲイツ箱がすっかり落ち目なのに本体買ったのか阿呆かと言われそうだが、一万ちょいで天下のクソゲーエスコン6様同梱の奴があってな。ついつい手を出してしまった。まぁ、エスコンまだやってないんだがな。

しかしエスコン7はPS3に夜逃げ、テイルズオブヴェスペリアは移植、ついでに忍者外伝も夜逃げとは…しかも忍者外伝2はおっぱい!おっぱい!が三人追加らしいではないか。エロハードですらなくなるぞ。洋ゲーができるとか力説する奴もいるが、大抵PCでできるのである。ま、GK乙とか言って必死になるのはゲハ板の伝統芸能であるから見逃すがな。

まぁ、その、なんだ。本音を言うとデッドライジングがやりたいのである。見渡す限りのゾンビをチェーンソーで分割したり内臓をひたすらモルスァしたいのだ。まぁそれゆえに北米版を買わねばならん(日本版は表現規制されてる)為、めんどくさいが故に現在に至る訳である。

ちなみに何でよりによってドリームクラブはじめたっていうと北斗勢しか喜ばない某神実況の予習である。北斗勢は是非見たまえ。なっくすさんの壊れっぷりとかクソルの弄られっぷりとか色々楽しいぞ。


そういえば、大分前のことになるが、小学生以来久しぶりに初代ランボーを見た。最終的にとっつかまる映画だというのもあって避けていたのだが、ランボーファイナルを見る前に予習しておこうと思ったのだな。ランボーファイナルそのものはクソ映画だったが。映画館行かなくて良かった。

で、やはり神映画であった。ベトナム戦争を題材にした映画は色々あるが、私はやはりランボーが一番だと思う。ナム戦映画というとスタンリー・キューブリックのフルメタル・ジャケット(ハートマン軍曹のアレ)が真っ先に出てくるのが昨今だが、後半が酷すぎる。前も言ったが、前半で一時間みっちりハートマン軍曹が鍛えてやった海兵隊が後半ゲリラの少女一人にボコボコにされるとか前半は何の為にあったんだ。しかもこの間見直したら狙撃スコープなし狙撃だった。どこのシモ・ヘイヘだ。海兵隊も自殺したいかのようにホイホイ遮蔽物から飛び出すし。

そもそも、ベトナム戦争というのはアメリカにとって大変衝撃的な戦争であった。日本の帝国陸軍が支那事変であったのと同じ、もしくはそれ以上の事態に曝されたのである。

アメリカというのはなんだかんだいって歴史が短い。その上、戦争には非常に消極的な国だった。今でこそ最後の超大国として世界中に軍隊を展開しているが、日清戦争の頃は総兵力わずか二万七千人(http://ww1.m78.com/question/military%20ranking.html)。一方日本はなんと二十六万六千人。桁が違う。

モンロー主義で知られておる通り、アメリカというのは他国の争いに介入しない国家であった。米西戦争とか米墨戦争とかちょこちょこやってはいるものの、これらは基本的にはアメリカの国土が攻撃されたというのに国民が怒ったからできたのである。まぁ今挙げた戦争はアメリカが起こしたと言っても過言ではない訳だが、その外交を指導したのはホワイトハウスでありアメリカ人自体は武力闘争にな発展しなければ戦争にはならなかったろう。

やっぱり戦争というのは国民の全面的な支持を受けていないとできないからな。同盟国が攻撃されたから応援に出兵、というのはしないしできない。それ以前に同盟ってのも殆どしないのもある。国際連盟にすら参加しなかったのも、他国と他国の付き合いに介入するのを国民(というか議会)が嫌がったからである。NATO作った後のアメリカからは想像もできんがな。

こんなのであるから、アメリカは戦争ではズブの素人であったとも言えるのである。第一次世界大戦より前で大きい戦争した例といえば南北戦争ぐらいしかない。内戦じゃねーかって話だ。また、第一次世界大戦時も陸軍はあんな感じの数のままであった為、参戦を決定してから実際に参戦するまでに一年かかった。兵隊募集して訓練するのに一年かかったのだ。だからアメリカは第一次世界大戦では影が薄いのである。

しかも、アメリカはベトナム戦争に至るまでの間、『マトモ』な戦争ばかりしてきた。相手は制服を着た兵隊であり、国際法を理解し守るちゃんとした軍隊であった。ところがベトナム戦争ではそうはいかない。相手はベトコンだ。

以前ちょっと触れたと思うが、土人連中のやることは大抵外道である。少なくとも私達の倫理観からすればな。当時のベトナムみたいな国民国家と言うか近代国家というか、ちゃんとしたという概念が確立していないのがアキレス腱になる。自分がベトナム人であるという意識があまりないのだ。○○村の住人、程度の認識である場合が多いのである。すると、民主主義か共産主義か、とか言われてもハァ?な訳だ。

ちゃんとした国民国家なら、民主主義派と共産主義派に分かれて戦争になる。自分は民主主義を支持する、私は共産主義を支持する、といった具合にそれぞれ個人の判断でそれぞれの軍団に参加する。ところがベトナムではそうはいかない。放っておいたら放っておいたままである。だから、南軍も北軍も何らかの方法でベトナム人(と言うかベトナム住人)を自派に取り込んで戦力にする積極的な政策が必要になってくる。

で、どうするか。

ベトナム人虐殺である。

南か北のどちらかが、村に協力するよう要請する。断れば皆殺し。すると嫌でも協力しなければならなくなる。まぁ北端とか南端の村ならともかく、北軍と南軍が入り乱れるような位置だと大変である。北軍に協力しろと言われて協力していた村が南軍の勢力圏になったらどうなるか。やっぱり皆殺し。

地獄だな。こんな調子だから、村人レベルの兵隊は必死になって戦うが、あくまで脅されてやっているレベルである。しかも軍服なんぞ持ってるはずもないような連中だし、国際法なんぞ知ってる訳もない。ちゃんとした国民国家との戦争なら兵隊は軍服を着ており民間人は普段着である。その見分けがつかなくなるのだ。

しかも、すぐに気付くことだが、民間人に紛れると非常に有利である。民間人は殺してはいけないのだが、軍人か民間人かを見分ける基準は服装だ。だから、普段着で普通の村の中に逃げ込んで、思いついた時に攻撃してまた村に逃げ込むという戦法が大変有効だ。何せ誰が本物の民間人で誰が本物の兵隊なのかわからん訳だからな。しかも連中には本物の兵隊って発想もあんまりないのである。

アメリカ人にしてみれば、安全な筈の後方の村で休んでても、民間人に偽装した北の兵隊が襲ってくる場合もある訳である。右を向いても左を向いても、前を見ても後ろを見ても、どいつが敵でどいつが無害な民間人なのか全く判らない。敵がちゃんとした軍隊でちゃんとした戦闘を挑んできた第二次世界大戦までの戦争とは性格が全く異なるのだ。

帰還兵が心を病んでしまうのも当たり前だな。捕虜になれば捕虜になったで国際条約なんぞ関係ない連中だから、様々な拷問が加えられた。ランボーの回想シーンでは、はりつけにされて刃物で切られたりハンマーで叩かれたりを延々と繰り返されたり、糞尿や生ごみを捨てる場所として使われる蛸壺の底に幽閉されたりしておる。

本当にベトナム戦争は大変な戦争であった。そんな戦争からようやく解放された兵隊達を待ち受けていたのは、アメリカ国民の冷たい目だったのである。

ベトナム戦争は途中から反戦運動が盛んになったのはよく知られておるのだが、その中には米兵の国際法違反行為も含まれていた。どっかの村を皆殺しにしただとか、赤ん坊にいたるまでブチ殺しただとかそういった米兵の非行が非難されていたのだな。しかしそれは米兵にとっても悪夢だった話な訳である。

ベトナムで酷い目にあいまくって何とか帰ってきたら、ベイビーキラーとか言われて街中の人間に後ろ指さされるのだ。どこに行っても職はなく、それどころか近所で噂になって引越ししないといけなくなることすらある。こういったやり場のない怒りが、ベトナム帰還兵の自殺や犯罪に繋がるのである。銀星とか最上級の勲章を持ってる奴ですら犯罪に走ったが、奴らは勲章をもらえるぐらい頑張ったのであり、それだけ頑張ったのに犯罪者扱いしかされなかったのだ。


こういった背景がある上で、ランボーという映画は見るべきである。お話は、元戦友を訪ねようと田舎町にランボーがやってきたところから始まる。そこの保安官が、ランボーが帰還兵であることを見抜くと街の中に入れさせないのだ。そしてどうにかして街に入ろうとするランボーを適当な理由で逮捕したり留置所の連中が帰還兵だからいいやってんで虐待したりする訳である。中盤に至っては、どうせバレねぇしってんで射殺しにくる奴まで出てくるしな。

また、シルベスター・スターローンの演技も注目である。奴は台詞が殆どなく、ひたすら表情だけで演技する。その顔芸がとても上手いのだ。ランボー2のラストは、元より台詞が少ない彼であるだけに印象的である。ランボー2は恩赦と引き換えに紛争地帯へ単独潜入し捕虜を解放するよう依頼されるという話なのだが、実際には国民へのパフォーマンスであり、今更捕虜など返ってきても国際問題が面倒になるだけだってんでランボーらを見捨てるのだ。

最終的にどうにかこうにか捕虜を救出しランボーは恩赦を受けるのだが、その時元上官から「恩赦の他に何か要求したいものがあるかね」と聞くシーンがあってな。そこでランボーは、何ヶ月も何年も捕虜として幽閉されてきた捕虜達をさして「彼らが求めたものです!」と叫ぶのである。

ベトナム戦争の本質をよく表したシリーズといえよう。3から色々怪しいが。

戦前日本の世界的評価

2009年10月06日 19時31分17秒 | 社会、歴史
ごきげんよう諸君、いかがお過ごしかな。早速鬱入って火曜連続不登校な霧島である。疲れたよもう。んで今日は前置きを話す力も残っておらんから書きだめ分をはっつけて終わる。


この間第一次世界大戦における第二帝国捕虜の話をしたが、その時に↓みたいな話をしたな。



維新~敗戦の間の日本について褒める時は、「○○氏による指導により例外的に」だとか「海外列強に日本人が文化人であると示さねばならなかった」とかいった条件付けをするのが基本である。とにかく戦前の日本及び日本人を貶めないと気がすまないのだ。



今回はこれの話である。

まぁ結論から先に言うとだな、現代の価値基準で良い悪い決め付ける事自体が間違いなのである。その時代にはその時代の常識があり価値基準があったのである。本来はその時代の常識や価値基準に従って評価されるべきものであって、現代の我々から見て良い悪いというのは暴力である。

まぁ前に話したからさらっと流すが、例えば中世西欧では戦争は経済活動であった。特にドイツはフェーデってのが有名でな。小規模な領地しか持たない騎士爵レベルの中小(弱小)貴族というのは、とにかく金が足りない。時代にもよるが、騎士爵の領地というのは、完全装備の騎士一人を用意するのに必要な広さの半分もない。

であるからして、当然のことながら騎士爵は領地経営だけでなく何かしらの経済活動をしないと物理的に食べていけなくなるのである。しかし連中は基本的に脳筋であるから戦争しかできん。そんな事情から出てきたのがフェーデである。決闘の一種(と言うと語弊もあろうが)だ。

欧州では、ゲルマン民族が入ってくる時期から既に決闘という権利があった。人は他人に決闘を申し込むことができ、申し込まれた方は受ける義務があった。受けなかった場合、そいつは軟弱者の卑劣漢という事になり財産を全部持っていかれるのである。この辺は人狼変身奇譚という本の第一章とか、民俗学的な研究が詳しいのだが、そういう社会だったのだ。

この制度は、当然悪人が使うこともままあった。筋肉マンの悪魔超人みたいなのが農民に決闘を挑むのである。当然農民は決闘には勝てない。つまり決闘やったら死ぬ。だが決闘から逃げれば財産は奪われる。死orDIEである。

しかし重要なのは、決闘という制度自体が悪ではないというところである。決闘は当たり前であり肯定されており、その制度を逆用する奴が悪いのだ。

騎士爵らのフェーデもこれと同じである。

騎士爵はフェーデという決闘(みたいな)権利を持っており、例えば侮辱されただとかそういう事があればフェーデを申し込むことができる。フェーデを受けた方は賠償金を払わなければならず、払わなかったら実力行使、つまり戦争(決闘)して決着をつけるのである。で、金に困った騎士が裕福な都市とかに適当な理由でフェーデをふっかけて金をせしめる訳だ。やってることがヤクザだが実際騎士は強盗と呼ばれてたのはこのせいである。

しかしフェーデや制度の元となった決闘という思想そのものは決して否定されていない。むしろ近世になってもフェーデまがいの行為はあった。そう、例えば、借金を返さない貴族への取立てとかに使われた。普通、金を借りた借りない払う払わないというのについて法律はなく自己責任なのだが、決闘は法的に認められた公式なものであり、負けた貴族は支払いの義務が発生するのである。

今の見方からすればおかしい話であろうが、彼らにとってはこの制度を批判すること自体がおかしいのである。だから決闘を挑んだから良いとか悪いとか今日の常識で判断するのは暴力だというのだ。現代の常識も時間が経てば過去の常識に変わるのだし、現代においても地域や民族によって常識は違うのだからな。


で、さらっと流せなかったのだが、このように当時の常識と現在の常識、当時の価値観と現在の価値観は全く違うということを念頭に置かねばならん。逆に言えば、これにのっとってりゃ大抵何言ってもいい訳である。

んで、第一次世界大戦当時の価値観だが、微妙である。現在の価値観に似てはいるのだが、しかし同じであると言うのは断固として受け入れられない。まぁ近い時代だから似てるし違う時代だから似ていないのは当たり前だがな。

第一次世界大戦は、戦争史で言えばナポレオン戦争終戦後の世界秩序の終焉である。政治的には、王朝時代と言うか帝国時代と言うかそういった体制の終焉であるし、英仏独が没落する真っ最中。特に大英帝国の崩壊と日本及びアメリカ台頭である。そういった時代においての価値観は、まだ近世的なものを残しつつ現代的なものが入り混じるというなかなか難解なものである。

で、それを判りやすく言うと、本音と建前。もっと言えばサッカーの試合。つまり、相手のユニフォーム掴もうが手でボール押し込もうが、審判が見てなければOKという精神である。

例えば明治時代の鉄道だが、明治時代にアメリカが鉄道事業を申し込んでいていた。実は幕府も許可していたのだがそれはともかく。この事業は外資で、つまり建設資金はアメリカが出してアメリカ人が工事してという形をとる。土地も買うし、運転もやろうという物凄く都合のいい話である。

タダほど高いものはない。

アメリカは日本の為にボランティア的な感じでやりますから、なーんて言っておるのだが、その後どうなるかは大体予想がつく。まず鉄道工事をする。その工事にアメリカ人を大量に連れてくる。すると労働者の住む場所や環境が必要になる。で、アメリカ人街ができる訳である。更に完成後も、会計や車両整備、運転といった経営をやるアメリカ人は必要だから沿線にアメリカ人が大量に住む様になる。

まぁ、後はわかるだろう。租借地誕生である。租借って言って判りにくければ、日本-アメリカ版の香港だと思うといい。植民地になったかどうかは判らんが、遅れてきた先進国ドイツ、新興国アメリカといった連中は勢力圏が狭く、狙ってはくるだろう。ロシアも不凍港が欲しいから日露戦争になったのだ。

こういった行為は、確かにあくどい。しかし、それが常識なのだ。先進国と言うか白人は、科学力とかに劣るアフリカとかアジアの未開民族に技術を教えたり物資を援助してやったりして啓蒙するのが義務だと考えられておった。と言うか、白人の重荷と嘆かれてた。

実際、いくら日本の領土を奪おうとも、一応日本の技術力とかは上がる。さっきの例など鉄道だからな。当時の最新鋭技術は鉄道と造船及び軍隊であり、その中の一つを教えてくれるのである。無料で工事してくれるのである。つまりアメリカ「わーたいへんだー(棒)」ということだ。

しかし同時に、ある意味においては同質、ある意味において真逆の行動をとった人もいる。例えばエドモンド・モレルというのは鉄道を日本に伝えたお雇い外国人の親玉みたいな人だが、純粋に日本の為に働いた。彼はイギリス人だが「イギリスは日本で作れる枕木とかも輸出しようとしている。日本で作れるものは日本で作らねば日本の技術力も工業力も上がらない。イギリスに儲けさせてはいけない」といった発言を残しておる。

まぁつまり、ものは言いようというか本音と建前は別とかそんな感じである。

良いにしろ悪いにしろ日の価値観で話をするなら、そういった当時の常識や価値観を踏まえた上でやらなければただの戯言に過ぎぬ。これが基本となるべき考え方なのである。んじゃあ、何で戦前日本の評価は社会的な問題になるのか? 何故貶められがちなのか? 他の意見が力を持たないのはなにゆえか?

それは、まぁ、その、何だ。早い話が、戦前日本の評価というのは、ほぼ全部高度に政治的な問題であるから理論で反論しても意味はないから、とかその辺である。戦前の日本は悪かったという事になってくれていれば、日教組が国旗掲揚に反対したり民主党が靖国神社参拝を批判したりといった政治活動ができるのだな。


んじゃあ実際のところ日本人というのはどう評価されていたかと言えば、そうだな、例えば東学党の乱の時、北京では日本以外にも英独仏他の駐留軍隊が出動。公使館とかに現地の日本人(イギリスならイギリス人)を避難させ保護し、篭城した。この時日本だけは略奪や拷問虐待などを一切やらなかった。他国は勿論程度の差こそあれやった。一番酷いのがロシアってのはまぁいかにもロシアらしい訳だが、ともかく。

建前で言えば、略奪とかそういうのはマズいのである。しかし極限状況においての国際法ってのがあってある程度認められており、ロシアなんかはその程度とかを悪用する訳だ。

しかしそこのところ日本人は馬鹿正直である。阿呆なのだ。アレだ、北朝鮮のサッカー代表と同じである。彼らは確かに下手だった。負けたら強制労働ってレベルの国だからな、負けないよう物凄い頑張った。頑張ったが、反則はしなかった。そう、反則しないのである。何故なら、審判が見てなきゃOKという、そういう発想がないのだ。良く言えば要領のいい、悪く言えば甘えた発想。それがないのだ。

故に、日本人の行動については、外国では非常に評価が高い。第一次世界大戦で大西洋に出撃した特務艦隊は英国から賞賛されたどころか勲章とかを色々授与されている。日本人は馬鹿真面目だから、外人なら手を抜いたりするような負け戦でも頑張って戦うのである。外人ならヒャッハー!とか言いながら略奪するところでも日本人は全然しない。

日本人については、この真面目さが発揮され続けるのである。それは戦争でも変わらない訳だ。日本人と日本人の間における相対的な差は勿論いくらでもあったし、日本人とてたまに外人みたいなのもいたりする。と言うか、真面目だから善人とは限らん。真面目な奴でも、迂闊で残念執念深く狡猾な奴だっているのである。日本人は良くも悪くも真面目であって、真面目だからこそ当時の社会で高く評価されたのだ。

だから、日本人のやってることの大抵は当時の価値観で模範とされていたもの(そうでなければ常識的な振る舞い)そのものだと思ってよい。いい意味でも悪い意味でもな。維新後日本の女は世界一であり至宝とまで褒めちぎられたのは女の社会的地位が低かったからである。いやまぁそれ以外の要素もあるけど。

中川暗殺事件

2009年10月05日 11時03分17秒 | 社会、ニュース
追記:嘔吐物とか断酒してたのにアルコール反応とか事件性煽りすぎだろ常考 続報が悉く直接的暗殺臭すぎるからやめれ


ごきげんよう諸君、いかがお過ごしかな。週末はダイエットの運動をする時間すら取れないなかなか萎える内容であった。今までサボってたのが悪いんだがな。最近は眼鏡をよくかけるようになったのだが、鏡に映った自分の顔がまさしくOVA版少佐そのものであり、更に全力で萎えた。まぁ横浜に戻れたから食事制限なりその辺は自由にできるから何とかしようと思っておる。

さて、重大事件である。中川暗殺である。元々例の酩酊会見も民主党だか支那共産党だかの女工作員にだまくらかされてのものであったという話もあるから、暗殺であろう。しかも警察も警察でただ死因は不明とか言っておけばいいのに、わざわざ事件性なしとか言ってお前の発言に事件性があるだろうが。

中川がアル中なのは事実とは言え、奴は近年稀に見るまともな閣僚であり政治家であった。まぁ姿勢は本来アレが普通な訳だが、しかし間違いなく有能である。リーマンショック後通貨80円いかなかったのは中川の功績だ。無論麻生の功績でもあるが、そもそも中川は麻生の懐刀だったからな。

これだけ事情が重なるとにおわぬ方がおかしい。日本で暗殺なんぞ、と思うかもしれんが意外とあることはあるのだ。特に利権とかそっちにちょっかい出した奴はは比較的よく殺されておる。我々一般人が知りえる程度の暗殺でも、年に5~10人ぐらいはいるのだ。歴史家で言えば網野善彦だとか、芸能人で言えばやしきたかじんといった大物にもなると流石に世間一般にヤバいから大丈夫だが、無名であればよく死んでる。警察も日本人を守らぬ場合はいくらでもあるしな。

痛いニュースにも今年の三月ごろに載ってなかったかな。ガムテープでぐるぐる巻きにされて行動の自由を奪われた上で窒息死した死体を首吊り自殺と断定してた記憶がある。それ以外にもナイフで滅多刺しにされて川で倒れてた死体、しかも血痕が延々と100mぐらいあってどうみても刺し殺したあと川に運んで投げ捨てたとしかみられない死体を投身自殺と断定したり、色々とファンタスティックである。


しかし政治家は、なんだかんだ言って全員それなりに有名人である。諸君や私が「誰こいつ」と思っても、地元では有名人だったりするのだ。鈴木宗男だって、ああいうのがいないと北海道は生きていけないからいまだ議員なのだ。あいつみたいなのが公共事業でも引っ張ってこないと地方産業が終わるからな。それの良し悪しはともかく横に置いておくとしても、まぁ暗殺すると色々波紋を起こしかねない。

だが中川は有名は有名でも、小泉みたいないい意味で有名でもなければ麻生みたいに悪い意味で有名なのではなく、ただの駄目な有名人である。しかも麻生らと同じ、日本の為に働くタイプだ。小泉みたいにアメリカの為でもなければ民主党のように中国の為に働くタイプではない。つまりみせしめ効果が大いに見込めるのである。しかも暗殺しても波紋にはならぬ。もう波紋だらけだからな。

最近だと臼井義人が自殺ってんで話になってるが、奴は実際最近の動向が怪しかったしな。クレヨンしんちゃんが鬱展開とかTV放映開始から見てる層にしてみれば挙動不審もいいところである。中川も最近はホームページをしてなかったり動きが怪しかったところを見ると、直接的に毒を盛っただとか刺しただとかそういうのではなかったというよりは間接的に暗殺したという可能性が高い。

まぁ間接的ってのを発展させていくとマスゴミ諸君も暗殺犯だしまぁ実際それに近い訳だが、私が言いたいのは政治的生命、んなもんとっくになくなってると言うなら社会的生命の抹殺である。政治家ってのは色々しがらみがあり、だからこそ麻生もそこまで思い切った改革ができなかったのだ。歴史でよくある革命前夜みたいなもんだ。

旧政権を打倒したからと言って、そいつが英雄的指導力を発揮できる訳ではない。ロシア革命だって、アレは第一次世界大戦で戦争に嫌気がさして反乱が発生、ロマノフ王朝の皇帝を退位させたものである。その後飼い犬に至るまでってとこがロシア人らしいのは置いておいて、この後臨時政府の首相になったケレンスキーは議員だ。日本の様に議員と地元でしがらみはなかったかもしれんが、ロシア帝国は英仏両国と同盟を結んでいたのであり、政治家の頭があれば当然戦争の継続を選ぶ。

それが結局、共産党による革命のきっかけとなった。ケレンスキーの攻撃指令を受けてでロシア軍は攻勢に出たのだが、勝ってるのに反乱が頻発したというからもう完全にアウトだな。国民はあれ以上戦争する気はもうなかったのである。同盟というしがらみで考えれば当然(何の為の同盟だ裏切り者って事だからな)の戦争継続も、国内事情を鑑みれば愚策となったのだ。一応レーニンとスターリンの指導力は英雄的であった。

ナポレオンが英雄ならこいつらも英雄でいいだろ。

中川も様々なしがらみに縛られておったであろう。そのしがらみを突くのは現状でなら難しいことではない。麻生が助けるのも無理だ。暗殺を企図しておらなんだとしても、事実上の暗殺とも言える。政治的に追い込み、社会的にも追い込めば自殺を誘発する事ぐらい容易いことである。


しかし日本の為に働いたら殺されるとは世も末だな。別に政治家でなかろうともマスゴミの報道により社会的生命が終わるからな。日本の為にやって日本人に後ろ指さされるとか、そりゃ売国議員が自然発生するのも当然というものである。

まぁ右翼やってる連中が日本人じゃないぐらいだから仕方ないか。



コメ返信

>440so氏
んに、実際僕も金かかってると思いますよ。CPUだけで10万かかったし…まぁでも金を使わない性格なんで問題ないです。別にキャバクラに行く訳でもなければ酒も飲まないし、食費も一日千円以内に抑えてるし。だから初期型PS3なんかも大して高い買い物とは思いませんでした。

PC復活

2009年10月04日 13時25分33秒 | 日記
追記:
一応改造後のうちのメインPCの構成をさらしておこうと思う。

演算器:Intel i7-965 (3.20GHz)
メモリ:CORSAIR TWIN3X2048-1333C9DHX G (2Gx3)
主基盤:GIGABYTE EX58-UD5
映像板:GAINWARD RADEON HD4570
電源:CORSAIR CMPSU-1000HXJP(1000W)
画面:三菱 VISEO MDT243WG(24inchi)

あとPS3の映像を録画する為にIntensify Pro。まだ動かし方がわからんがな。

しかし贅沢な構成だな…




ごきげんよう諸君。いかがお過ごしかな。私はPCがついに直って大歓喜、欣喜雀躍である。一ヶ月かもしれんぐらい前からずっと壊れており、ROの狩りすらほとんどできなかったのだ。勿論動画編集なんぞ夢のまた夢である。

んで、直った記念にレポートだ。


意外と知られておらんが、半導体というのは殆ど熱を発生させない。しかしながらCPUは例外の一つで、かなり熱を出す。私が今使っておるi7Ex3GBは最高級品だけあって熱量も最高級であり、本当に熱い。その熱のせいで動かなくなったということだな。仕方ないからCPUクーラーを買いに行ってきた次第だ。


と言っても、私はCPUクーラーを買ったことがない。…こう言うと語弊があるな。↓を見てくれ。新しいCPUクーラー導入前の写真である。



CPUクーラーというのは、この写真でいう緑の丸で囲った奴のことだ。意外と知られておらんが、半導体というのは殆ど熱を発生させない。しかしながらCPUは例外の一つで、かなり熱を出す。放熱装置なしだと30分もすれば軽く百度超える。DVDプレイヤーなどが放熱に気を使ってるのはこのせいだ。んでまぁCPUに放熱装置をつける訳である。それがCPUクーラーだ。

写真を見ての通り冷却用のファン(扇風機みたいな奴)と放熱フィン(銅色と銀色になってるギザギザ)を組み合わせてる訳だが、勿論これはCPUクーラーである。しかし私はCPUクーラーを買ったことがない。どういうことかと言うと、これ、CPU本体の付属品なのだ。こういうのをリテールというのだが、私はずっとそのリテールを使ってたのだ。まぁ付属品だから性能はアレなんだが、本来それで充分な筈なのである。

じゃあなんで別売りのがあってしかも売れるかと言うと、CPUはオーバークロックというのができるのだ。これは、本来の性能を超えた能力を発揮させる。判り易く言うと、ヤマトが波動砲撃つ時エンジン出力が120%逝くのと同じ原理である。当然CPUに無理をさせる訳で、普段より熱が出る。だから別売りで高性能なクーラーを買おう、という奴も出てくる訳だ。まぁ、私の初代デスクトップとかは例外だ。

スクランブルエッグが焼けたからな。ベーコン付きで。

私の現主力PCも半年ぐらいリテールで生きてきたんだが、ここにきて何故か駄目になってな。リテールとは言えクーラーをちゃんとつけていたからまさか熱ではないだろうと思っていた。と言うのも、熱で電源落ちるなんて相当の温度にならないと発生しないのだ。普通、今回の症状で電源が飛ぶのはマザーボード死亡、電源の出力不足、メモリが死亡この三つの内どれかだ。全部致命的である。

だが、ぐぐーる先生で調べて、電源を買い直し、マザーボードを新品に交換し、メモリも買い直してそれでも直らない。で、駆け込み寺2chPC自作板に泣きついたらHDDが死んでるんじゃないかということになり、HDDを新品に交換。すると復活してイヨッシャアアアアとなったんだが次の日には動かなくなった。

んでもう一回駆け込み寺したんだが連中でもわからんとの事で、考えられるとしたら熱かという話になった。しかし中身も弄っておらんのに半年も生きてきた構成でそれはおかしいよなぁという話にもなったが、取り敢えず見てみようということに。

んでBIOSっちゅうので温度を見てみたのだ。そしたら起動した瞬間既に八十度を超えておった。その後順調に温度が上がっていって、百度あたりで熱暴走となり電源が落ちた。

元々i7が爆熱だというのは知っておったから、スクランブルエッグが焼けたかの初代PCぐらいの熱は出るのではないかとは思っておった。アレは80度ぐらいだったんだが、H2Oの沸点は流石にヤバいだろうということで、CPUクーラーを買うことにしたのだ。

しかし、私はCPUクーラーを買ったことがない。何がいいのか全然わからない。強いて言えば、サイズって会社が侍ダブルゼットだの大手裏剣だの忍者弐リビジョンBだのいちいち無駄にカッコいい名前の製品作りまくってる会社があるって程度だ。


で、今となっては私なんぞ足元にも及ばん人間になってしまった理工の友人に聞いてみたところ「なんでもいいからデカいの買えばおk」と言われた。HDDみたいにウェスタンデジタルだの日立だのこのメーカーならとかそういうのがないらしいのだな。







で、買ってきた。

大学帰りに秋葉のツクモex行って、一番デカいのくださいっていうノリで買ったのだ。どれにするか悩んだのだが、リテールクーラー付でも起動後1分で100度というのを考えるとなるべくいいものが良いだろうと思い、一番大きいのを買ってきたのだ。製品名的に下位製品もあったんだがな、H2Oの沸点を思うとアレだ。





んで、どれぐらいの大きさか分かりにくいから比較。ジャンプとかと同じ大きさの雑誌だ。何って題名の雑誌か絵で判ったらマイミク申請してくれ。







箱。








あけてみた。








こっちが上らしい。んで、








こっちが下。物凄い勢いで放熱板が大量についておるな。放熱管もガチでくっついてる。一番上にある四角形の部分を、どうやらCPUにくっつけるらしい。しかし、ツクモの店員が「物理的に入らなかった場合の補償ありますが、つけますか?」と聞いてきたのが気にかかる。まぁいい。













これをドライバーでねじ外してケースから取り出して…置く場所ないな、寝台の上でいいや。んで古いCPUクーラー取って、んで新しいのを螺子留め…



…………………………………














でけぇよ。


ツクモの店員は正しかったな。前使ってたPCケースには入らん。タワーなのにな。12hundredじゃなかったら入ってなかった。CPUクーラー買う時にグリスも買おうとしたんだが(リテール派だから持ってない)、そしたら「この商品、中にグリスが同梱されてますが」と言ってくれた。素晴らしい。諸君も何かパーツを買いたいなら秋葉のツクモがお勧めである。

まぁ、ともあれ設置。




before






after







横から。



まぁ、こんな感じでデスクトップPCが無事復活したのである。しかし、意外と電源の自己主張も激しいんだな。1000Wともなるとデカさが違う。ちなみにこれを買ったと例の友人に言ったら何でいちいちネタに走るんですかって言われた。








ソフトを入れて温度を測ってみたところである。ソフトによって温度は違ったりするのだが、起動48時間後だと大体40度で安定する様子である。見ての通り。まぁ、HD4570の温度が大変なことになってるが、クーラー付けるならその金で新しいの買えと助言して貰った為やめることにした。ちなみにこのCPUクーラー、電力の消費が半端じゃないそうだ。電気代どうなるかな。



ま、こんなとこである。本当なら全体図も撮ろうかと思ったんだが、現在霧島家は魔窟化してる為やめておいた。掃除するのも結構時間かかるしな。さーて、英語やってロシア文学の発表の準備して、あとヒュームの人性論も読んで発表の準備しないとな~……
























































































日本史やれよ私。

続・ファンタジーRPGにおける回復魔法

2009年10月03日 21時31分57秒 | アニメ、ゲーム、映画等
ごきげんよう諸君、いかがお過ごしかな。いろいろと余裕のない霧島である。今日も今日とて余裕がない為、書きだめをそのまま吐き出すことにする。以前の、RPGの回復魔法についての考察の続きた。


さて、この間の内容に食いついてくれたから続きである。ここで気になったのは、バロス氏の考察であった。



個人的な意見ですが俺は回復魔法って一種の限定的な時間操作と思ってますねぇ。

肉塊や装備の残骸の時間を、もしくはその空間ごと時間を戻す事で肉片が人間になったり服や装備が元に戻ったりw 死んだ記憶も無くなるから発狂しなかったりとか考えてましたね。まぁイベントで死んだ奴とかって話は回復魔法の戻せる時間が限定されていて、時間が経ちすぎて(腐ってる?)戻せないとか戻せる時間が短い分消費が少ないかとw

MPとかSPとか存在のちかr・・・ゲフンゲフンw逆に広範囲や重症の回復には消費が激しくなるのにも説明がつきますしね。ROのサンクチュアリでは代償に青石消費しますし。

後、細胞分裂って確か遺伝子の構造上回数が限られてたと思いますよ。
分裂回数は相当なモノだそうですがw



この場合問題となるのは、まず、時間操作による回復量であろう。FFであれば、回復魔法はケアル→ケアルラ→ケアルガと進化していき、右に行けばいくほど回復量が増える。しかし、これらは重ねがけが可能である。例えば、こうしてみよう。

対象キャラのHP:MAX500
回復魔法による回復値:ケアル100/ケアルガ450

んで、↓のような流れになったとする。



さて、この場合、まず最初のダメージ300でHP200になったキャラが、ケアルでHP+100(HP300)になったということである。では、時間操作でどこまで戻ったのか。それはこうなるだろう。つまり最初に全部で300のダメージを受けたキャラが、その内200までの傷を受けた時点に戻すのだな。結果HPが300まで回復する。

まぁつまり↓こういうことだ。



一方その後ケアルガで450回復した場合だが、やはり↓のように一番上まで戻ると考えるべきであろう。ケアルを使った段階では300までしかいってないからな。



しかし、ここで問題が出てくる。この図↓を見てくれ。



ちょっとややこしいが、まず左下の青線で囲ったところを見てくれ。何も考えずに、ケアルによってHP300になった後の出来事もそのまま記述されておる。しかしながら、ケアルでHP300になったというのは、さっき見た通りダメージ300を受けたその瞬間に戻るということだ。それで、右上に二つの赤い線がいってる訳だ。

そして、その後起こったダメージ250とケアルガ使用は、新しく生まれた右上のHP300という時間軸の流れの中で起こっているのである。何を言いたいかと言えば、HPが200になっている部分、この部分はなかったことになるのである。時間操作だからな。その後に、つまり青線の中のものごとはHP200の段階を通り越して発生するのだ。

では、その後のケアルガをやるとどうなるか。



まぁ、こうなる。一つ二つの戦闘の間ならいいかもしれんが、タイムパラドクスの発生は確実である。ダンジョンに入ってから効率考えてケアルばっかり使ってHP満タンにまでせず、イベントを済ませて宿屋で寝たらダンジョンに入る前に戻る訳である。


このように、時間操作というのは相当ややこしいのだ。バック・トゥ・ザ・フューチャーシリーズとかでもかなり気を使っている通り、簡単に歴史が変わってしまうのである。

ではもう一方の、私の説に対する意見についてみてみよう。細胞分裂の上限は限定されてるって話だな。私はむしろこの話を聞いて、なるほどと膝を叩いた。と言うのも、RPGで世界を救う連中というのは大抵十台であり、たまに二十過ぎがいるぐらいである。そして年寄り勢はいたとしても魔術師ぐらいだ。もしくは神官、プリースト系。大抵は癒し系キャラって事で若い女だが。

また、RPGの世界を想像してみてほしい。いかに医療技術が未発達とは言え、平均年齢が非常に低い。年寄りどころか40過ぎも殆ど見られず、定年まで勤め上げた退役軍人など見当たらない。また軍隊も、将軍以外はかなり若い。本来、人間が一番の能力を発揮するのは30過ぎぐらいである。体力は二十台に及ばんかもしれんが、それまで蓄積されてきた経験が人間を磨き上げ、最も脂ののった時期だ。

これはどういう事か。

まず年寄り魔術師が鍵である。神官もだが、魔術師は殆どの場合、体力が低く地の攻撃力も低い軟弱キャラである。代わりに精神とか集中とかのパラメータが高く、キャラも豊富な知識を持った博識の一言に尽きる奴が多い。つまり、体力がなくても魔術師は務まるのである。

一方、主人公グループについても、前衛として剣を振るう剣士や敏捷さを生かした盗賊系、武道家など、身体を張ってる連中は例外なく若い。逆に後衛にあたる魔法使いやプリーストはやはり老人もいる。これは何故であろうか。

つまるところ、回復魔法は強力な再生能力を患者に与え急速に肉体を再構成するものである。これは突き詰めていけば細胞の分裂の促進だ。そして細胞の分裂回数は上限がある。つまり、回復魔法を使われれば使われるほど寿命が縮むのである。

これは特に軍隊を参照することでよく判る。RPGにおいては沢山の国が出てきていながら軍隊は殆ど出てこない。まぁ幻想水滸伝とかロードスとかみたいに戦争イベントとかあるの少ないしな。しかし、兵士がいない訳ではない。兵士自体は街中や城の門とかにいる。こいつらは例外なく剣士系職であり、かつ、若い。そう、前衛の寿命が短いのは主人公達だけではないのだ。

だからこそ、RPGの英雄たる主人公はどいつもこいつも若いのである。あれだ、寿命が更に短いスネークみたいなもんなのではなかろうか。

第一次大戦における日本の第二帝国捕虜(後編)

2009年10月01日 16時00分17秒 | 社会、歴史
ごきげんよう諸君、いかがお過ごしかな。規則正しい生活を送りたいがなかなか上手くいかん霧島である。初週だからまぁ大した影響はないだろうが、殆ど学校行けてない。不味いな…

そう言えば、昨日ついにアルドラオリジナルのネクストを組めた。以前説明した通り、AC4シリーズの世界では国家ではなく企業が世界を支配しておる。ACfAでもこれは同じなのだが、企業直属のAC乗りはグループ企業のパーツしか使わせてもらえないのだな。どんな優秀な企業でも苦手分野はある。武器が優秀でもブースターが産廃だったり、ジェネレータとかは強くても肝心の頭腕胴脚といった外装が重い癖に柔らかかったりな。

だからグループ企業のパーツだけで機体を組むのは基本的にTOMなんだが、ニコニコでthinkerの新訳とかアーマードコア4のプレイムービーとか見たせいでシェリングへの愛が再燃してな。新型のクリティークじゃアルドラのネクストを組むんじゃー!とか言いながら、インテリオルグループ内のパーツだけで組んだ。名付けて、テュービンゲンじゃ!


んまぁ、本題とは何の関係もない。

奇特な人がいたらアセン晒そう。


さて、前回は色々と暇潰しを紹介したが、他にも様々なものがあった。ドイツ式体操が日本に入ったのも主にこやつらのせいだが、むしろ陸上競技会までやってた。元々20~30ぐらいの若い世代だからな、元気が余りまくっておったそうで、暇さえあれば色々と身体を動かしている連中もまた多かったそうである。ドラム缶転がしたり。

被って歩いたかどうかは知らん。

また、先程本を読んでたという話をしたと思うが、どうやら収容所の中(と言うか割り当ての部屋の中)で黙々と読んでいた訳でもないらしく、読書テラスに優雅に座る捕虜の写真が残っておる。どうもこれらは捕虜達が自分で作ったらしい。何せ暇であり、敷地の中にはも建物になってない部分もあった為、そこに別荘みたいなのを建てたそうである。

その内別荘だけでなくパン工房までできたそうだ。そこのパンをおいしいおいしいと食べていたらしいが、どうもそれだけではないらしく、近所の人に売っていたらしい。終戦後、そのままパン屋として日本に永住したドイツ人もいたそうである。


斯様に、彼らは様々な方法で暇潰しをしておった訳だが、暇潰し以外で日本に影響を与えた連中もまた存在した。ドイツと言えばジャガイモと肉、と言うかそれ以外何も育たん訳だが、そんな訳でドイツは肉料理が発達しておる。例えばウィンナーだな。

鎌倉ハムの製品には「日本ではじめてのハムづくり」と書いてあるが、実際、明治期にはハムの生産を始めて日本に定着していたらしい。とは言え、伝統の料理というものを他の土地で作るというのはなかなか難しい。その格好の例がワインである。ワインはつまるところ葡萄酒でありぶどうを熟成させて作るものである。ドイツでも麦酒と共にワインは沢山造られておる。

ところが、いざ日本でもワインで作ってみようと西洋と同じやり方でやってみても、熟成と言うよりただ腐っただけみたいなのができてしまう。これは何故かと言うと、ワインが土着の製品だからである。それぞれの土地の葡萄に含まれる栄養分、その近くからとれる水の成分が複雑に絡み合って出来ているのであって、やり方だけコピーしてもそうそう簡単には作れぬのだな。

ウィンナーもこれに似た事情があったらしく、第二帝国捕虜が日本製ウィンナーを食べたところなんだこりゃと大いに馬鹿にされたそうである。しかし当時の日本の食べ物は栄養価が高くなかった。

日本人は自国を狭い狭いといつも思っておるが、実は結構大きい。OECD加盟国でみると八位だったりするのだ。国連加盟国で数えると約190国中60位らしい。とは言え、山ばっかりだから耕地面積は狭く、農作物の取れる数がどうしても限定されがちである。その癖国土が広いから人口は多い。つまり、食料が少ないのに人口は多いということになる。江戸時代に飢饉があった飢饉があったと言うが、人によっては一年分ぐらい貯蓄しとけよと突っ込んでたかもしれん。それはまぁこういうことである。

であるからこそ、その少ない食料に含まれる栄養価を高め、効率的に栄養を取れるようにしていくというのは非常に重大な問題だったのである。飢饉で餓死しまくった江戸時代で七千万人いた訳だが、昭和になると一億いってしまっておるからな。

その点、ウィンナーはなかなか栄養価が高い。そういう訳だから頼む、ウィンナーの作り方を教えてくれと頭を下げにいったらしいのである。捕虜の中にもウィンナー職人がいたのだな。しかしその捕虜は最初教えるかどうか悩んだらしい。

と言うのも、まぁ徒弟制度とかツンフトとか言えば大体予想がつくだろうが、代々の親方が研究してきた秘伝の製法を、何年も何年も職人のもとで働いてようやく教えてもらえるというのが本来なのだ。セコいと言われればそれまでだが、技術流出は事によると死活問題である。中国が作りまくってるコピー品を見れば判る通り、作り方が簡単なら安い労働力を使える奴が有利になって、本家がつぶれてしまうこともあるのだ。製法を教えてくれた親方にしてみれば背信行為であるのも確かである。

しかしそれでも、日本人の熱意にほだされて教える事にしたそうだ。尤も、こんなクソ不味い物体はウィンナーではないと思ってた事や、腸を捨ててる食肉工場を見てけしからんと思った事も背景にあるそうだがな。逆に言えば、そんなやり方はよくないと言って改善指導してくれる友情みたいなものがあったということだ。最初の方でこの友情については言ったな。


また、暇潰しでも日本に与えた影響でもないものについても語らなければなるまい。例えば本国の家族とのやりとりだな。手紙を送ったり受け取ったりする権利も当然保障されておったのだ。流石に無制限にとはいかなかったし、検閲もされたがな。ただ軍事機密にあたることは書いてはいけなかっただけだそうだ。まぁこれを怪しいと思う人もいるかもしれんが…

そもそも日本人は言論統制が下手である。もしくは情報統制。これらは、制側に不利益をもたらす特定の情報や言論を封殺するものだが、日本は特高を含めて大変下手である。何故なら、例えば新聞に嫌な事が書いてあったとして、そこを黒く塗りつぶすだけなのだ。言論統制してるのがバレバレである。

民衆が、自分達は言論統制をされていると気付いてしまったらもう意味がない。どんな言論が統制されたか大体判ってしまうからな。この点終戦後の進駐軍はなかなか上手い。当初こそ墨で塗り潰した教科書とかだったが…自分達にマズい事が書いてあったら、書き直させるのだ、連中は。つまり新聞なら新聞の欄を、検閲した上で検閲したとわからないように細工して印刷させるのだ。

ちなみに現代の日本ほど完璧な情報統制社会はない。

だれも気付いてないからな。まぁそれは置いておいて、こういった日本人の情報統制の下手さから考えても、過度の検閲を行ったとは考えにくい。検閲されたっぽいものがないのだな。

またこの手紙もものによっては工夫されている。絵葉書が結構あるのだ。勿論捕虜謹製の絵葉書である。絵心のある捕虜が日本の風景を絵に描き、それを印刷所に頼んで印刷してもらい、最後は手分けして手描きの水彩で仕上げたらしい。ちなみにちょこっとだけ触れた捕虜の撮った写真も、出入りの業者に印刷してもらったそうだ。収容所に出入りの業者ってのがあったのだ。

郷里の家族らとのつながりを実感できる手紙のやりとりはかなり盛んだったようだ。ただ、終戦ぐらいになると、その手紙によって第二帝国崩壊後のドイツがえらい騒ぎになってる事とかも伝わってきてしまい、ならむしろ日本に永住しようという逆転の発想で日本永住を決意した人もまたそれなりにいたそうである。

また、第一次大戦終盤から終戦直後と言えばアレが流行った。アレだアレ。スペイン風邪。日本も例外に漏れず流行した訳だが、スペイン風邪にかかって死んだ捕虜も何人かいて、中には「戦争も終わったしもうすぐドイツに帰れる」と家族に手紙を送った直後死んでしまったという可哀想な人もいたのだな。

また、捕虜のみならず収容所に出入りしていた人間も犠牲になった。例えば西郷寅太郎大佐である。彼はかの西郷隆盛の息子であり、ポツダム陸軍士官学校に留学、プロイセン少尉に任ぜられた上に都合十三年ドイツに滞在したナイスガイである。知独派であるのを見込まれてなのかどうかは判らんが、東京俘虜収容所の所長をやった後、大正四年に習志野俘虜収容所の所長になっている。

彼の最期の時期については史料によって日時とかが異なりどれを正解するかは難しいが、少なくとも病気をおして所長の任を果たしたのは確かなようだ。特に終戦後は、風邪が肺炎に発展してきついにも関わらず「終戦して皆祖国に帰れるという時に、所長が集会に出ないのでは捕虜達に申し訳が立たん」と言って出席、戦争は終わったのだと演説を行ったそうである。その無理がたたったのであろうな。生真面目な日本人らしい軍人であった。


捕虜達の最後についてだが、何せドイツ国内は大変なことになっておる訳で、復員船も出せない有様であった。何せ第一次世界大戦の引き金の一つであるドイツ大洋艦隊が残らずキングス弁開いて自沈したような状態だからな、日本まで来れる船を調達する事自体が大変である。大型船なんぞない。

仕方なく日本が復員船が出すことに決まり、着いてから費用を新政府が払うということになった。復員船がドイツに到着すると、元捕虜達は勇士として各所で歓迎された。彼らは義務を果たしただけだと言えばそれまでだが、命をかけて戦った勇者には惜しみない賛辞が贈られたという。その一方で、ドイツの余りの荒廃ぶりに肩を落としたともいう。

また、ただドイツに帰っただけではない奴もいる。第二帝国の国民だったがドイツ共和国の国民ではなくなった奴。つまり、ドイツがフランスに取られたアルザス、ロートリンゲンであるとかポーランドに取られたポーランド回廊だとか、そういった場所に住んでいた奴は国籍が変わったのである。彼らは然るべき手続きを経て帰国?したが、一般に捕虜よりも早い復員だったそうである。