霧島家日誌

もう何が何だかわからないよろず日誌だ。

昨日の続き 常人と変態の差について

2008年04月28日 21時13分02秒 | 日記
さて、昨日の続きである。そんなこんなで、我が家にはフィギュアが増えた。しかし、だ。

例えば、ミロのヴィーナスかそのあたりの模造品を私が買ったとする。で、我が家に飾ったとする。昨日言った通り、私は女体こそ至高の美であると考えているから、たまには眺めてうっとりする訳である。その様子を見た人は、この人はなんか高尚な趣味のひとつや二つ持ってる人なんだろうな、と思うだろう。

一方、実際我が家にあるのはフィギュアである。現状飾ってる奴というと…そうだな、オーキッドシードのちちのえ+2なんか飾ってある。横には宮小路瑞穂なんか飾ってあるが、それは置いておいて、だ。これ、写真をみてわかる通りとてもよくできておる。彩色も非常に丁寧で美しい。耳飾や首輪といった小物も含めて、造型も、至高の美たる女の身体を表現している。んで、私が(美しい…)などと思いながら、うっとりとした表情でこれを眺めているとする。




ただのキモい人である。



不公平ではないか。美しいものは美しいのである。彫刻像だって美しいし、フィギュアだって美しいのである。フィギュアは素材と着色料が安物だから同じ美しさを十年単位で保つのは難しいが、レプリカならば彫刻像だって同じである。美しいものに見惚れるという点では両者何も変わらないというのに、何故私が変態さんになってしまわねばならないのか。

そんな事を考えていたら、他の事にも思考が行き着いた。というのも、最近、人格が一人増えた。

諸君も知っての通り、私達の場合多重人格とは言っても語の定義からは見事に逸脱しておるから、「いわゆる多重人格」と思ってくれ。

んで、私達の場合、新しい人格が誕生してもなかなか気付かない。と言うか、本人も気付かない。何でかって、私達が記憶を共有しているからだ。普通、多重人格であれば人格ごとに固有の記憶を持つ。

例えば私(薫)がゲーセンに行ったとする。だが、家に帰ってからよくよく考えてみると、ゲーセンの中に入ったところまでは覚えてるんだが、今日は何のゲームを何回やってどんな勝ち方や負け方を体験したか、まるで覚えていない。おかしいと思って清十郎を問い詰めたら「あ、ごめんなさい、ついメインを乗っ取っちゃって…」とか言うから取り敢えず殴っておく。

これが普通だ。まぁ、人格同士の会話が成立しない症例とかもあるから殴るのが普通かどうかは知らんが、ともあれ人格ごとに記憶が異なるのが普通だ。しかし、我々は記憶を共有しておるのだ。だから記憶の欠落も起こらず、なかなか気付かない。誰かがやろうと思わねば会話もしないし。

が、今回生まれた奴は比較的よく喋る。喋ると言っても下らん事をべらべら喋る訳ではなく、一言一言が痛いタイプだ。鬱だから考えないようにしてた事をわざわざ指摘してくるタイプだ。それが戯言なら殴るのだが、悉く正論でしかも毒が効いてるからどうしようもない。

以前、LEO氏のコメントに返信を打っていた時も、やたらと視線が来るから「こんな事書いたら嫌われるかもしれんぞ、とでも言いたいのか」と言ったのだが、そしたら「少し違うな。嫌われるかもしれん、ではなく、嫌われる、だ」とか抜かされた。私の正義的にはこちらには非は無いのだが、世間一般だと私がDQN認定ということだそうである。私には全く理解できない理論だが、世の中はそうなっているらしい。無理なら無理と言えばいいだろうに。

まぁ、ともあれ、ともあれ、そんな感じで霧島家も久しぶりに三人体制へ復帰した。まだ正式な名前は決まっておらぬが、なんとなくで呼んでた名前がその内本名になる当家のパターンをみるに、多分『エルナ』になるんだろう。

読者の中には、この名前を聞いてピンと来る人もいるだろう。最低三人ぐらいは来る筈だ。んでエルナというのが誰かというと、先日電撃に出した小説のキャラなのだ。まぁ、この人格は正確にいうとエルナの中の人なのだがな。

だから女々しさなど一切なく、毎日毎日嫌な方向に刺激を与えてくれる。先日、と言っても半月以上前だが、その時も苛々してパソコンデスクを蹴ってたら大量の小言が送られてきた。以前話した通りクスリをキメている私は情緒不安定気味でありそういう行為に出やすいのだが、奴に「惨めだな」の一言でKOされた。何で惨めかって、そりゃあキレた理由が情けないからだが。

まぁ、その後「机は高いんだ。ものにあたるなら、布団を殴れ。壊れないし、手首を痛めたりする確率も低い」とか言ってきたあたり同類である事に違いない。清十郎は某紫色仮面ライダーになって「苛々するんだよ」とか言ってたな。


んで、そのエルナなのだが、先日買ったフィギュアに物凄い似てる。どれかと言うと、アルターのデス先生だ。これも非常によくできておるのだが、顔、髪、服の趣味、背丈、全部同じだった。目の色だけ違うが、とにかく滅茶苦茶良く似ている。お陰で、顔を見る度に奴の声が聞こえてくる。

さて。人間がモノを『もの言わぬ友』として付き合う様になってから結構な時間が経つ。毎日自らの足の様に使っている愛車に愛着を持つ者は多い。戦場で命を預ける愛機、それが戦闘機であれロボットであれ何でもいいのだが、そいつを「相棒」と呼ぶキャラクターを描いた映画やアニメも多い。最近見返したガンダムWとか、デュオが「頼むぜ相棒!」と叫びながらデスサイズで出撃するシーンは鳥肌ものだったな。

私自身、とは言っても七矢の奴の事だが、あいつは毎夜愛刀を手に寝ていた。愛刀を抱きしめて寝ていたし、外出する時以外は共にあった。共に。起きた時には「よう、相棒」と呼びかけていたものだ。奴にとって、あの刀は友だった。親愛なる友だった。だから、私や清十郎もその姿に不審を持たなかった。

で、今日、私の傍にはデス先生がある。別に持ち歩いている訳ではなく飾ってあるだけだが、私は在宅時一日の大半をパソコンデスク上で過ごすから、パソコンの横に飾ってあるデス先生はよく見る存在である。で、見るとエルナの奴が憑依して話し掛けてきたりする。私がそれに受け答えることもまた、ある。

フィギュア相手に話する霧島(21歳)。




傍から見ると変態以外のなにものでもない。







何故だ。何故私はいちいち変態扱いされねばならんのだ…

最近家に増えたもの

2008年04月27日 23時57分24秒 | 日記
ごきげんよう諸君。いかがお過ごしかな。私はこの記事を書き上げればようやく一息つけるといった状態だ。ここのところ色々と忙しくてな…黄金週間ぐらいはゆっくり過ごしたいものだがどうなるかは謎だ。さて、昨日もーすけ氏と中華街に行ったり行かなかったりした時にちょっと話した話なのだが、最近、我が家の所蔵するフィギュアの量が増加傾向にある。

というのも、ようやく私にも人としての美的感覚が備わり、人体というものが至高の美であることに気づいたのだ。特に女体は、西洋美術の世界では古来から高い美術的価値を与えられ、数々の名画や彫刻を生み出してきた。まぁ裸婦像はエロ目的で描かれてきたものも多いが、別に裸でなくとも良いと私は思う。着衣があればあるで、服装と一体化する事による美があると考えるのだ。

ただ、私は部屋に絵を飾る趣味というのはあんまりない。美術館とかに行って見たりパソコンで画像を眺めたりするのは好きなんだが…家の中で常時存在を主張されるというのは、どうも視覚的にやかましくて駄目なのである。子供の頃水彩画をよくやっておったのが一因かもしれんな。…で、今そこでクスって笑った奴、ちょっと私の家に顔を見せろ。これでも昔は結構描いておったのだぞ。賞だって少なからず入賞しておる。ただ、いかんせんデッサン力が皆無であり、風景画とかはそれなりにできても人間はいつまでたっても樋上いたるの足元にすら及ばぬ屈辱的な絵しか描けない訳だが。

昔はフィギュアというと、彩色済みの完成品は万単位どころか十万単位もザラであり、ガレージキットを買ってきて自分で色を塗ったりしなければならなんだ。ガレキの場合、買った瞬間からパーツが壊れてる事も普通であるから(最近は少ないらしいが)、部品の補修などの技術も必要でなかなか手の届かぬものだった。私も昔はへたれモデラーをやっておったとは言っても、やってたのはガンプラだからな。あれは、金型の原型を作って工場に送ったら「精密機器メーカーでもこんな精密部品の生産は頼んでこねぇ」と言われるほどの存在だから、腕がなくてもなんとかなるのだ。だから私にガレキなど到底不可能であった。

が、現在は違う。フィギュアの場合はむしろ彩色済み完成品が主流で、自分で色を塗るなどというのは周縁部に追いやられた感すらある。だから、買う金さえあれば、完成度の高い模型が簡単に手に入るのだ。しかも、年々原型製作技術も彩色技術も上昇の一途を辿っておるから、どんどんいいものが市場に出る。気づいた時には、手に余るほどの数が揃ってしまっていた、という訳だ。


で、この辺までが真面目な話であり、ここからが我が日誌の真骨頂である弄くりのお時間なのだが、残念ながらタイムアップである。よって、明日に続く。

現状報告と誤魔化しリンク

2008年04月23日 23時27分26秒 | これら以外の何か
ごきげんよう諸君。息災ですごしておるかな。私はここ二、三日というものパソコンに振り回されっぱなし(既にOS再インストール二回目)であり、今日も今日とて余裕はなく、何の確認もせずに大学へ行って教授から直々に休校日を宣告されて家に戻り、その後はビデオキャプチャーボード(TVチューナーな)の挙動に一喜一憂を繰り返しておった。

ちなみに現在は憂である。何とか映像が出力されて音声が聞こえるところまでは辿り着いたのだが、映像がこんなん↓になったり、いざ録画すると音が消滅してたりする。音はよく聞く症状だが、こんな絵になるってのは初めてだぞ…何かのデバイスドライバが逝ってるのか…?




さて、そんな訳で更新する余裕が見当たらん。仕方ないからニコニコのリンクでも貼って誤魔化すことにする。


これに洗脳されたが最後、柊つかさに一生を捧げるしかない
http://www.nicovideo.jp/watch/sm2057918
http://www.nicovideo.jp/watch/sm2615440

東方系つかさ末期患者用動画
http://www.nicovideo.jp/watch/sm2979760

無謀な挑戦
http://www.nicovideo.jp/watch/sm1310241

↑の春原があまりに可哀想だったから追加
http://www.nicovideo.jp/watch/nm2597887




では諸君、私は明日に不安を抱きつつ寝る事にする。
週末までにはパソコンが完全に復旧してるといいな…orz

小説の戦闘シーンと300

2008年04月20日 23時59分55秒 | アニメ、ゲーム、映画等
ごきげんよう諸君、いかがお過ごしかな。かなり今更感が漂うが、本日昼過ぎになってようやくデビルメイクライ4全ミッションオールSランク達成した薫である。っつってもDMD(いわゆるひとつのダンテは死ななければならない)とSOS(ハード)だけで、イージーに至ってはプレイすらしていなかったりする訳で、ノーマルとイージーはまだまだなのだがな。


さて、今日はゲームもやっておったが、ずっと映画を見ておった。何年か前に話題になり、その後続編が作られたパイレーツ・オブ・カリビアンを見たのだが、意外なことに面白かった。製作元はディズニーだし、金のかかった糞映画だと思っておったのだが、偉い人がカツラ被ってたり(当時、カツラはお洒落だった)してて時代考証も細かく、よく出来ていたのである。

んでもって続編を借りたのだが、これが良くなかった。続編は二つあるが、2で完全に方向を見失い、3でバラバラになっておった。風呂敷を広げすぎてそのまま破けてしまったておる。.hackみたいな感じだな。

ただ、一番最後の戦闘シーンはそれなりに見応えのあるものではあった。いや、まぁ、なんだ、世界中の海賊が海賊の聖地に集結して、当時最強だったイギリス海軍(どれぐらい最強だったかって、世界で二番目に強いロシアと三番目に強いフランスが手を組んでも100%勝てないぐらい強い)が総力をあげて討伐に出るという熱いシーンだったのに、旗艦の一騎討ちで終了というのは正直どうかと思うのだが、船vs船のガチバトルと割り切って見れば楽しめた。

ところで、私は小説書き(の端くれ)だが、なかでも戦闘を重視している。戦闘こそ物語を盛り上がらせる。戦闘によって物語は始まり、戦闘によって物語は進み、そして戦闘によって物語は終わる。それが私の小説(というかストーリーづくり)の信念だ。だから私の書く小説は戦闘シーンが滅茶苦茶長い。池波正太郎の鬼平とか、事件を解決したいのか美味いものが食べたいだけなのか判らないぐらい長い食事シーンよりもややしばらく長い。井上御大の食事シーンよりも長い。この間大賞に応募した奴も、全120頁で、ラストバトルが開始されるのが79頁目だ。つまり、40頁ずっと戦ってるのである。まぁ謎解きとかも挟むから丸々全部戦闘シーンという訳ではないがな。

何で私がこんなに戦闘にこだわるかって、やはり子供の頃から読んできたものの影響が強い。私の愛読書と言えば、三国志だとか、トロイの木馬だとか、水滸伝だとか、封神演義だとか、戦国新聞だとかそんなんだ。純文学とか見向きもしなかった。つまらんから。何かを伝えようとする姿勢は大切だが、面白くなければそんなもん意味は無い。ここはそなたの日記帳ではないという事である。芥川とか太宰とかな。しかし今この二人が真先に出てきて思ったが、私は純文学が嫌いなんじゃなくてパクリが嫌いなのかもしれんな。走れメロスとか、題名と人名しか変わってないぞ。

話が逸れた。ともあれ、私は物語が好きなのだ。そしてその物語を盛り上げるのは、結局戦闘に他ならぬのである。んで、私も背が大きくなって自分でもちょこちょこ話を書くようになってからというもの、普通の小説を読んでいて思った。戦闘が明らかにショボいと。

燃えよ剣とか、百頁近くに渡って「そろそろ戦争だ」「でかい戦争になるぞ」「これは我々もどうなるかわからんぞ」という感じで煽って煽って煽った挙句、鳥羽伏見戦争は二頁で終わりである。二頁で無かった事にされた原さんが不憫でならない。柴田錬三郎のモブキャラの扱いに匹敵するぞ。あいつも伏線としてモブキャラを配置(主に女)するが、伏線を配置した本人が伏線を忘れてしまい、思い出した時に死んでたことにするからな。

まぁまた話が逸れた訳だが、ともかく小説の戦闘シーンというのは大変ショボい。時代劇の原作になった小説を読んでみても、事件が発生して、捜査して、黒幕が出てきて、殺しておきましたチャンチャンというのばかりで戦闘がない。敵が待ち伏せしているのを判っていて出陣しようとする主人公、それを必死に止めるヒロインやら友人が描かれて、さぁこれから戦いだと思ってページをめくったら次の話に進んでるとか読者を舐めてるとしか思えん。特に剣客商売は酷かった。

ライトノベルなら幾分マシなのだが、やはり戦闘シーンで燃える奴というとそんなにない。月が堕ちる夜なんかは割と好きなんだが、作者の著作一覧を見ると続編が相当売れなかったみたいだな。続編読んでないから何とも言えんが、月が堕ちる夜も終盤イマイチだったからな…。魔術士オーフェンとかもちょっと手を出してみた事があるものの、やっぱり微妙である。都市シリーズに至っては続編が出れば出るほど日本語ではなくなっていくから、大阪あたりからもう正直ついていけなくなった。ブギーポップとか名前そのものが懐かしいが、戦闘と呼んでいいのか疑問だったな。最近バトルもので人気というとシャナらしいが、三頁で力尽きた。今度ちゃんと読んでみようと思うが、手抜きにしか見えなかった。

小説業界はこんな感じだが、私はもっと戦闘を前面に押し出したいのだ。宿命の対決が数行で終わるなど、私にはとても我慢できぬのである。あれはアニメだが、カウボーイビバップとか一分ぐらいでビシャス死んじゃったしな。最後の戦いを盛り上がらせた「お前を殺せるのは俺だけだ」「その言葉、そっくりお前に返すぜ」のやりとりも拍子抜けだ。


過剰でもこの際構わない。私は、戦闘シーンでどこまで話を盛り上げることができるか、挑戦してみたいのだ。




…で、ここから落ちを書く予定だったのだが、タイムアップである。もうちょっと早くから書けばよかった。

ま、その、なんだ。300を見たのだ。スリーハンドレッド。映画の。ペルシャの大軍勢に、文字通り玉砕したギリシャ軍300人の死に様を描いた映画をな。この映画についてはつまらんとかイデオロギー的だとか色々言われておるが、私は一つ、ただ一つだけ文句が言いたい。

劇中、レオニダスが言っていた通り、ギリシャ軍の戦法はファランクスである。巨大な盾を左手に持ち、自分のみならず左側にいる味方をもその盾で守りながら、右手の槍で敵を突く。それがファランクスであり、この戦術を忠実に実行できたからこそギリシャ軍、なかんずくスパルタ軍は強かったのである。逆に言えば、ファランクスができなければ大して強くもない訳で、劇中、奇形に生まれ故郷を追われてもなおスパルタの為に戦おうと現れた男に、レオニダスは「盾が持てないなら、うちの軍にはいらない」と言い捨てるのだ。

で。











レオニダスよ。












何でお前は三国無双してるんだ。









奇形の奴は裏切者だが、私は同情する。盾が持てなくても無双はできるからな。

研究会の奇妙なDQN

2008年04月19日 21時42分19秒 | 日記
ごきげんよう諸君。いかがお過ごしかな。昨日は諸君(特にsisiouso氏)に心配をかけてしまったが、ちゃんと生きておる。あれを書いた時は忘れておったが、我が霧島家には、鬱が極限に達し自殺願望が出た時の為の秘儀が存在するのだ。その秘儀によって難を逃れたのである。

ま、秘儀といっても大した事をした訳ではない。要は、自殺衝動を他の目標に逸らすか、もしくはその衝動を実行不可能にすればいいだけな訳であって、つまるところ、あの後すぐ寝たのである。睡眠薬と精神安定剤を大量投与してな。以前も話した通り、睡眠薬は単独でも効くが私の様な薬効耐性の強い人間はそれだけでは寝れない事も多い。そういう場合の対処としては睡眠薬自体の量を増やすというのもあるんだが、精神安定剤で神経をふやけさせるのも有効な手段なのだ。

まぁ、その、なんだ。

たった今気付いたんだがな。

一昔前の薬だったら永遠に寝てたな。


まー、何があったって、敬愛なる我が研究会担当教授の目の前で大恥かいたってだけの話だ。発表とかプレゼンとかいう奴の一人目を任されておったのだが、世紀の大失敗だった。私はこういう役が得意なのだが…選んだお題が悪かったな。題を選ばなければならなんだ時期と電撃の賞の締め切りがほぼ重なっておったから、その時点で詰んでたと言えばそうなのだろう。ここんところの更新頻度を見ての通り、貧血とかでぶっ倒れておった為体調も最悪で、準備もままならなかったしな。

だがまーしかし、よりによって研究会でしくじるとはな。我が研究会の会員は大変残念ながら大変残念な事に見下げ果てざるを得ないDQNが多数在籍しており、連中の目の前でミスったのを思い出すとなかなかくるものがある。もう来年再来年になれば社会人だというのにクラス委員という名の生贄を捧げようとする小学生みたいなのが普通にいるからな。一生忘れ得ぬ恥辱である。

こういう時、彼氏なり彼女なりいれば甘えることもできるのだが、私の場合積極的に交友を断っているからどうにもならん。いや、友達はほしいんだぞ、私も。ただ、私の行動理念が『私と違う者には敬意を、私と同類の者には蔑みを』であり、同類って何かってつまるところ人間のクズであり、そういうクズに限って派閥をまとめてたりするから増えようがないのだ。男女問わず、派閥に逆らうのは嫌だろうからな。



さて、私の役目も終わって、ようやく今年度の大学生活を始められそうである。今までは電撃の締め切りだ研究会の役だと言って色々忙しかったからな。ただ、惜しむべきは、我が研究会のメンバーが乙な事である。同じ事をさっきも言ったが、二回言いたくなるほど酷いのである。我が敬愛なる教授が担当であるから彼の顔を立てて何も言わんが、恩も何も無ければとっくの昔に酷い事になっておる。まぁ春合宿で不審者として通報された奴が出たとかそのあたりから既にもう駄目だというのは判りきっていたのだが、それでもやっぱり残念なのは残念だ。

しかしその中で、際立って駄目な子がいる。ポン太である。ポン太と言って判る奴は私のリアル知り合いでも少ないだろうが、要は応援団の元団長であり、私の友人を拉致監禁し暴行侮辱した総責任者である。もうこの時点で駄目なのは判りきっておるが、春合宿における彼の発言があまりにも素晴らしく、今思い出しただけでも唇が歪んでしまう為、今日の記事にするとしよう。

ネタも無いしな。

で。春合宿中、ポン太が二人で話しておった。相手は比較的利発かつ真面目な、我が研究会には珍しい常識人である。小学生みたいな事してたり不審者通報の素地を作ったりするゼミ長を「彼は真面目だよ」と紹介してくるのはどうかと思うが、まぁ、今年度の研究会を穏やかに過ごそうという彼の気遣いであろう。彼を仮にセガールと呼ぼう。最近太り気味のセガールに彼と同じくダイエットに成功してほしいという願いである。

話がそれたが、とにかくポン太とセガールが話をしておった。私は特にする事もなく暇の極みであった為、近くでだらけていた。立ち聞きするつもりではなかったのだが、こんな状況では聞こえてきてしまうのである。だから話を聞いていたのだが、そうは言ってもポン太なんぞの話に興味は無く、右の耳から左の耳へ流れていく状態だった。

が、突如として私の聴覚神経が我が脳細胞を刺激した。即座に活性化した私の頭脳はポン太の台詞を再生していた。



















「あー、うんこいきてぇ」

























…仮にも来年は社会人だぞ。と言うか三回留年してるから、同期はとっくの昔に就職して仕事しとるんだぞ。つうか、もっと言えば元応援団長だろうが。人の上に立っとったんだろうが。それが「うんこいきてぇ」って、何処のリア厨だ。こんなんだからなんちゃって体育会系は…などと頭の中で溜息をついていたら、セガールが口を開いた。流石はセガールである。数秒間は動きを止めたものの、すぐに再起動を果たしていたのである。

「ああ、ここのトイレちゃんと綺麗になってましたよ」

どうやら、ポン太の発言を「トイレに行きたい。行きたいんだけど、こういうところ(研修センター)のトイレって汚いイメージあるんだよなぁ。どうしよう」という意味に解釈したらしい。セガールめ、なかなかやりおる。この機転の良さは私も見習うべきだろう。生かす日は永遠に来ないが。




で、数秒間の沈黙。




やがて、ポン太は重い口を開いた。
















































「んー。でもさぁ。
うんこって、したいのを我慢するのが気持ちいいんだよね」
















































現在、霧島家公安委員会はポン太とスカトロを組み合わせた良い仇名を募集中である。

バイオ4の筈だったもの

2008年04月14日 19時29分28秒 | アニメ、ゲーム、映画等
ごきげんよう諸君。最近反転衝動破壊衝動に狩られて色々とものを壊しまくっておる薫である。ついさっきも、マウスを一個ブチ壊したところだ。マイクロソフトのインテリマウスオプティカルという奴なのだが、ボタンが五つもついており、ボタン4(左脇にある)を何かの拍子に押しこんでしまった。するとブラウザの戻るボタンと同じ事態が発生し、記事が全部消えた次第である。

つうのも、ボタン4は「戻る」のショートカット、ボタン5は「進む」のショートカットボタンとして、ブラウザの基本設定に組み込まれておるのである。当然、記事を書いてる間に戻るなんか押したら全部消える。

そういう事が無い様、私は事前にブラウザの設定でボタン4とボタン5は押しても機能しないように設定しておった。だが、どうやらこのマウスはそれだけだと何事もなかったかの様に戻るらしい。コントロールパネルからハードウェアごと切断せぬと駄目だった。

私は元々多ボタンマウスが嫌いである。記事が消えた瞬間、脳内グラーニンがブチ切れた。


















まぁ、そんな訳でブッチした脳内グラーニンと一緒に引き裂いた次第。スペアもあるし、元々壊れかけてた奴だったからな。




さて、本当なら人格が一人増えたっていう話をしようと思っていたのだが、既に掴みだけで一記事分くらいかけてしまっているから他の話でもする。

先日小説を仕上げて賞に応募したのは昨日話したが、その後徹夜明けテンションで色々と散在した。具体的な数字を挙げると、一万五千円ぐらい。液晶の画面を買って金銭感覚が麻痺していたのもあってな、色々と買ってしまった。

んで、その中にデビルメイクライ・グラフィックファイルというのがあった。

以前話した通り、デビルメイクライは元々バイオハザード4の題名で作られていた。それも、開発も中盤に入ってからの変更である。イメージ画や脚本の青写真とかしか存在しなかった時に変更となったのではなく、キャラやステージのCG、台本などもある程度完成している状態からの変更なのだ。

故に、初代は2以降と違ってバイオハザードっぽい部分も多い。R1を押していないと銃が撃てなかったり、舞台となる古城のつくりやカメラアングルがそれっぽかったり、扉の開閉の音がバイオそのものだったり、と、プレイしていて「あー、ここバイオっぽいな」と思うところは結構あるのだ。

しかし、本当はどんなストーリーにするつもりだったのか、とかそういうのはゲームやってても判らん。この本にはバイオハザード4として開発していた頃の設定画なども多数収録されており、開発初期段階での構想とかがある程度判る様になっておる。


で、読んでみてどうだったかと言うと、あんまり変わってない。舞台となる孤島の古城。奔放かつ陽気なナイスガイ主人公(ダンテ)。冒険の途中立ちはだかる双子の兄(バージル)。突如現れ相棒として活躍する謎の美女(トリッシュ)。城のあるじであり全てを知る黒幕(ムンドゥス)。全て初期段階から決まっていた様だ。黒幕だけは別キャラ化したがな。

それに、ダンテが人間じゃないというのも最初から決まっていたらしい。ただ、デビルメイクライと違い、その力は科学的に説明できるものだったそうだ。んで、古城へと向かったダンテは戦いの果てに自らの出生の真実を知る…みたいなストーリーにするつもりだったという訳だ。

んで、初期設定とか見てみた。




・バージル ラフスケッチ

兄のバージルは、銃を扱うダンテとは対照的に、日本刀を持ったキャラクターにするということが当初から決まっていた。(中略)当初は、黒騎士の様な姿にはなっておらず、ラフな格好のダンテに対して、スーツを着用させることになっていた。(後略)





……

………

えーっと。

つまり、アレか。

こうか。


バイオハザード4では、背広を着て日本刀を持った奴が中ボスとして出てくる予定だったという事か。









それはバイオハザードじゃないぞ。三上。



バイオハザード4として出てたらどんな大惨事になったんだろうな…

スタイリッシュなジェイソン

2008年04月13日 19時36分11秒 | アニメ、ゲーム、映画等
ご無沙汰しておるが、ごきげんよう諸君。いかがお過ごしかな。私は電撃大賞の締め切りにどうにか間に合わせて小説を仕上げ、ほっとしておるところである。で、その脱力感とか色々あってちょっと死んでおった。

小説繋がりで昔の友人(wakataka氏な)と再び会話する機会が増えたのは嬉しいんだが、入れ替わるかの様に前々から仲のよかった友人(iris氏)に嫌われたらしい。四月五日だか六日あたりから暇だから連絡取れるという話だったのだが、向こうから連絡はないしメールは返ってこないしで仕方なく電話鳴らしたら「しばらく連絡はメールで」と言われたのだな。で、「いやーメールしても反応こないからつい電話をな。そっちの予定は?」みたいなメールしたら返ってこなかった。

まぁ、常識的に考えて、連絡はメールで~という話は二度と私の視界に入るなクソカスがという意味であろう。しかし、私は寂しいと死んでしまうウサギ型人間であるから、悲しくて情緒不安定になっておった次第だ。








取り敢えず、ウサギ云々で胡散臭いと思った奴正直に手をあげろ。何もしないから。

私ももう大人だからな。今日もゲーセン前で不良ピザにガン飛ばされたけど、ちゃんとスタイリッシュゲージが低い時の挑発に抑えたぞ。"what's you say?"って。



さて、今日は話したい話題もあるのだが先日書いた記事の訂正をせねばならん。というか、訂正とかそんな生半可なものではなく、どれぐらいかと言うとお詫びで今日の記事が埋まりかねないぐらいである。

で、何かというとだな。





まぁ要は十三日の金曜日だ。いくつか間違えてる部分があった。まず、ジェイソンとその母親については大筋で合っておる。ジェイソンが溺れた時、引率のDQNが青空の下でまぐわって完全に無視するシーンが『フレディvsジェイソン』で確認されている。勿論回想シーンだ。

ただ、殺されたのはこの時の引率ではない。息子の死に母親が発狂し、クリスタルレイクキャンプの引率連中を皆殺しにするのが初代十三日の金曜日だ。なのだが、初代はジェイソンが溺れてから十年近く経過してからのお話である。

つまり、ジェイソン溺死事件直後に母親が発狂したのではない。溺死事件後、愛する息子ジェイソンを奪われた母親が、時が経つにつれて精神に支障をきたし、結果、初代十三日の金曜日という話になるのだ。







ま、流石にフィルムを取り寄せてはおらんが、ちゃんとDVDを見て確認した。だから間違いない。

という訳で、初代十三日の金曜日は自業自得ではないという事になる。第二作以降は初代の後の話だから、勿論ジェイソンとは何の関わりもない人達であり、基本的に自業自得ではない。


まぁ、ただ、その、何だ。

死んでも悲しくないDQNばっかりなのだが。


久し振りに初期シリーズ(初代~PART4 FinalChapter)を通しで見たが、素晴らしい。素晴らしいDQNぶりである。初期シリーズでは、不死身の殺人鬼ジェイソンもあんまりはっちゃけてない。その代わり、犠牲者となる連中のDQNさがはっちゃけておる。

まず、毎回マリファナを吸っている。4では、マリファナ吸いながらドライブしていたところを警察車両が通りかかり、隠す為にマリファナを食べるという暴挙に出たりする。

また、毎回夜の池を裸で泳ぐ。勿論女がな。そして言うまでもなくその女はジェイソンにばっさり殺られるのだが、その女を見にきた男がセットで殺されるのもまたお約束だ。ジェイソンは不埒な行為を許さないのである。

特に、若い男女が事に及ぶというのはジェイソンにとって許しがたい悪業であり、野外屋内の別なく必ず殺される。



ところで、ジェイソンというと大変有名な殺人者である。方向性は違うが、ターミネーターぐらいに有名だ。そして、ジェイソンと言えばホッケーマスクに鉈の巨漢で、撃たれようが何しようが動じない不死身の怪物というイメージがある。ターミネーターも同様だな。

しかし、ターミネーターは2以降味方になってしまう。が、ジェイソンはずっと殺人鬼である。西暦2445年でも殺人鬼である。ジェイソン10の話だが、この「10」は十三日の金曜日シリーズパート10を意味する。つまり、ジェイソンは十回も映画になっているのだ。

これだけ作られてると、普通は飽きられる。だがジェイソンは違う。

ジェイソンは、殺人道を窮めんとする求道者なのだ。


ターミネーターの場合、アレはひたすら効率的に人間を殺す為の兵器だ。だから銃撃を正面から受け止めながら前進、そして殴ったり撃ったりして対象を沈黙させ、更に前進するのである。これも怖いと言えば怖いが、一回だけならともかく二回も三回もやられると飽きる。

その点ジェイソンは違う。ジェイソンは美しく人を殺す、その美学を追い求める男なのだ。言い換えれば、スタイリッシュに殺人する男こそジェイソンであり、スタイリッシュに悪魔を殺す事を信条とするダンテと通ずるものがあるといえよう。

例えば、ある作品では、騎乗位でギシギシやっておるDQNに背後から忍び寄り、まず上の女の頭を割る。こうすることによって、男の行為が姦淫から死姦に変わる。ビビった男のモノが存分に萎えたところを見計らって男も殺す。

一方、続編でまたしても騎乗位でギシギシやってるDQNを殺すことになる。だが、前回と同じやり方では美しくない。もしくは、スタイリッシュではない。そこで、ジェイソンは行為を横目で見ながらベッドの下に潜り込む。で、事が終わって女が男の胸に飛び込み、余韻を楽しんでいるところを見計らって二人同時に串刺しにするのだ。

実にスタイリッシュである。ジェイソンの脳内では、視界右上の方にSSS!! Smokin' Sick Style!!と表示されていたに違いない。

しかし、アメリカ人ってのはカウガールスタイルが好きなんだろうか。題名は忘れてしまったが、三、四年前見た映画で、弁護士の男と女が昨晩の情事(してる最中の映像自体は出てこない)について話しておる時、弁護士が「僕が下じゃないと次の日筋肉痛になるんだ」という素晴らしい事を言っておったのだ。いくら弁護士とは言え少々筋肉が足りないのではなかろうか。

話が逸れたが、斯様にジェイソンとはスタイリッシュクレイジー殺人鬼なのだ。




そういう訳で、デビルメイクライ5では是非ジェイソンを出してほしい。あまりのスタイリッシュさに悪魔も泣いて逃げ出すに違いない。





人間も逃げ出すがな。

パーフェクトストーム

2008年04月01日 18時33分22秒 | アニメ、ゲーム、映画等
ごきげんよう諸君。いかがお過ごしかな。私は…まぁ察してくれ。それでも目下最大の問題をあげるなら、電撃大賞に出す予定の奴の題名が今に至るも無題な事である。構想及び執筆期間は、今の形態になってからだけでも既に半年以上ある。

元々の構想が壮大過ぎた為にエピソードゼロとして構想して、それでもまだ壮大すぎるからエピソードゼロにして、とやっていった結果、現在エピソードゼロのエピソードゼロのエピソードゼロのエピソードゼロという惨状になっておる。しかも、これでも応募要綱のページ数(120)を超えそうだ。しかしこれだけ手がかかっているのに無題とは、悲しいな。でもいい題名思い浮かばないんだよな。



で、んな話をグダグダしててもしょうがないんで、今日も別の話を。

先日、パーフェクトストームという映画を見た。世の中には色々な映画がある訳だが、例えばマトリックスは、いみじくも総統閣下が看破した通り、監督の「俺様はカッコいい絵が撮りてぇんだよ!」という魂の叫びで作られた映画である。であるからして、初代マトリックスは攻殻のパクリだとかレボリューションズにMTが出てるとかそういうツッコミは無意味である。

タイタニックも、監督であるキャメロンの趣味のみで構成された映画であるから、つまらないだとかそういう批判はあたらない。あれはキャメロンの趣味だ。二億ドルかけた同人映画である。実際、製作費オーバーでキャメロンは自分の給料突っ込んで撮ってたしな。

さて、今回のパーフェクトストームだが、ノンフィクションの同名小説を原作にした海洋パニック映画である。パケ裏の紹介文を引用してみよう。


1991年10月、マサチューセッツ州の港町グロースターを、「アンドレア・ゲイル」号が出航しようとしていた。船長のビリーは海の男としてのプライドをこの漁に賭けていた。愛する恋人クリスティーナのために海に出たボビーや、他のクルー達にとってもこの漁はそれぞれの誇りや夢を賭けた、決して後戻りのできない航海だった。しかしその時、彼らはまだ知らなかった。彼らの行く手には、誰も遭遇したことのない、すさまじい大嵐"パーフェクト ストーム"との想像を絶する死闘が待ち受けていることを…!
『エアフォース・ワン』の監督ウォルフガング・ペーターゼンがILMと組んで描く、今世紀最後のディザスター(大災害)・ムービー。


見た感じ、ポセイドン・アドベンチャーとかそんな感じの印象を受けるな。が、中身はどうかというと、アホが勝手に嵐に突っ込んで遭難するという表現が正しい。

最初はグロースターの港で始まる。カジキ漁船で長年漁に従事している船長(ビリー)はここ最近不調で、不漁、不漁、また不漁。カジキ漁は一回の漁で大体一ヶ月ぐらいかかるのだが、今回も不調で社長にイビられる。カチンときた船長は、帰港したその日の夜に船員を招集。

「漁のシーズンは今がギリギリ最後だ。三日後に出港する

…(゜Д゜)ハァ? ←船員

んでまたこの船員がDQNを極めたナイスガイばかりであり、そこらの珍走団がそのまま歳食った様な連中だ。であるからして、漁とかそういう仕事をしない事には金が入らんのである。しかも船長がヘボだから今回の収入も少ない。仕方無く船長についていく事になった。

んで、出港前に、新しくできた恋人だとか別れた妻だとかちょっといい感じになってる同僚だとかと話したりして船員の過半数が死亡フラグを立て、港の酒屋で爺さんが「この時期は危ない」とか呟いたりする。

で、出港。

で、漁開始。


獲れた魚より播いた餌の方が重い。


その上鮫は襲ってくるし船員が一人海に落ちるし、これじゃまるで駄目だという事で船員ももう帰ろうぜという気配に。しかし船長も船員に負けないDQNであり、降りるんならここで降りろとかキレてみたり、てめぇらはビビリのガキだとか煽ったりした挙句、ハリケーンのある海域に進出。

で、まぁ一応魚はとれるのだが、ハリケーンがガチの大嵐になる。ハリケーンの中のヨットとかタンカーが遭難信号を発信するほどになるのだ。一方、例のカジキ漁船は船長以下一致した見解で嵐の中を突っ切って帰る事を選択。

この辺までで大体三十分か四十分ぐらいだ。残りの約一時間は、延々と波に洗われるシーンが流れ続けるだけという素晴らしい仕様である。カメラも物凄い勢いで揺れる為、乗り物酔いしやすい人は映画で船酔いする可能性がある


しかも途中から漁船が出てこなくなって、遭難したヨットを救助ヘリが助けたり、その救助ヘリが空中給油して漁船の救出に行こうとするも給油ができず墜落したり、ヘリから脱出した隊員が頑張って泳いだりと俺様は海洋パニックが撮りたいだけなんだよ! という監督の魂の咆哮が聞こえてくる仕様になっておる。

んで、最後の最後で漁船に戻り、流石のDQNもこれは駄目だという事で嵐から離れようとするが、結局は後の祭りで大波にさらわれて、本当にありがとうございましたで締め括られる。


斯様に、危ないところに勝手に入っていって勝手にあぼーんするというアメリカンパニック&ホラー映画魂が感じられる意欲作である。こういう自業自得アメリカン映画は沢山あるが、特に芯の部分で自業自得感を共有しているのは『十三日の金曜日』ではないかと思う。

題名をいうと判らんかもしれんが、つまるところジェイソンである。ジェイソンというとホッケーマスクの怪物殺人鬼というイメージだが、アレはれっきとした人間だ。元々顔が奇形で、サマーキャンプ中子供たちに苛められて川に落ちて死亡(実は一命を取り留め、記憶喪失&オオカミ少女状態で生き抜く)。

この時引率の先生は何をしていたかというと、青姦&子供達の視線で興奮度200%だぜヒャッハー!とばかりにまぐわっておったのである。結局、ジェイソンの事件は有耶無耶にされた。

で、ジェイソンの母親は数年後発狂。例のキャンプ指導員を攻撃するが、鉈で反撃され死亡。その光景を偶然目撃したジェイソンは彼女を母親である事を思い出し、復讐を決意。その後は、母親を殺した女をアイスピックで刺してみたり、こんな時間にカウガールスタイルでギシアンとはおめでてーな!とばかりにアンアン喘いでいる女を鉈でバッサリ殺ったりする訳だ。

自業自得である。

まぁジェイソンもシリーズが続いていくとどんどん変な方向に走っていって、ジェイソンXとかだと、「時は西暦2455年。人類は宇宙へ進出し、地球は既に崩壊していた。だがジェイソンは生きていた!」という謎の展開であり、不死身のジェイソンとは言え未来の科学力には敵わず戦闘用サイボーグに殺されるのだが、せっかくだから、俺はサイボーグになるぜ!とばかりにサイボーグ化して復活。最後は宇宙船の外に放り出され、大気圏突入というカオスなラストとなっている。

ここまでくるともう訳が判らんが、ともあれ、初期のジェイソンシリーズは自業自得アメリカンムービー魂を体現する存在だったのである。このパーフェクトストームもその魂を受け継いでいる為、そういうのに食指が動く人にはお勧めする。一時間半の後、世紀のプギャm9シーンを貴方は見る。






蛇足:

漁師というと温厚で気さくないい人というイメージがある訳だが、実際のところ、この映画に出てくる様なDQNは結構多い。誰とは言わんが、漁師なんぞ暴走族と変わらんと断言する奴すらいるからな。

別に職業差別をしたいのではない。

ただ、こういう事を知っていると、世間の見えなかった部分が見えてきたりすることもあると、最後だけ真面目に締めくくってみる。





あたごとかな。