さて、昨日の続きである。そんなこんなで、我が家にはフィギュアが増えた。しかし、だ。
例えば、ミロのヴィーナスかそのあたりの模造品を私が買ったとする。で、我が家に飾ったとする。昨日言った通り、私は女体こそ至高の美であると考えているから、たまには眺めてうっとりする訳である。その様子を見た人は、この人はなんか高尚な趣味のひとつや二つ持ってる人なんだろうな、と思うだろう。
一方、実際我が家にあるのはフィギュアである。現状飾ってる奴というと…そうだな、オーキッドシードのちちのえ+2なんか飾ってある。横には宮小路瑞穂なんか飾ってあるが、それは置いておいて、だ。これ、写真をみてわかる通りとてもよくできておる。彩色も非常に丁寧で美しい。耳飾や首輪といった小物も含めて、造型も、至高の美たる女の身体を表現している。んで、私が(美しい…)などと思いながら、うっとりとした表情でこれを眺めているとする。
ただのキモい人である。
不公平ではないか。美しいものは美しいのである。彫刻像だって美しいし、フィギュアだって美しいのである。フィギュアは素材と着色料が安物だから同じ美しさを十年単位で保つのは難しいが、レプリカならば彫刻像だって同じである。美しいものに見惚れるという点では両者何も変わらないというのに、何故私が変態さんになってしまわねばならないのか。
そんな事を考えていたら、他の事にも思考が行き着いた。というのも、最近、人格が一人増えた。
諸君も知っての通り、私達の場合多重人格とは言っても語の定義からは見事に逸脱しておるから、「いわゆる多重人格」と思ってくれ。
んで、私達の場合、新しい人格が誕生してもなかなか気付かない。と言うか、本人も気付かない。何でかって、私達が記憶を共有しているからだ。普通、多重人格であれば人格ごとに固有の記憶を持つ。
例えば私(薫)がゲーセンに行ったとする。だが、家に帰ってからよくよく考えてみると、ゲーセンの中に入ったところまでは覚えてるんだが、今日は何のゲームを何回やってどんな勝ち方や負け方を体験したか、まるで覚えていない。おかしいと思って清十郎を問い詰めたら「あ、ごめんなさい、ついメインを乗っ取っちゃって…」とか言うから取り敢えず殴っておく。
これが普通だ。まぁ、人格同士の会話が成立しない症例とかもあるから殴るのが普通かどうかは知らんが、ともあれ人格ごとに記憶が異なるのが普通だ。しかし、我々は記憶を共有しておるのだ。だから記憶の欠落も起こらず、なかなか気付かない。誰かがやろうと思わねば会話もしないし。
が、今回生まれた奴は比較的よく喋る。喋ると言っても下らん事をべらべら喋る訳ではなく、一言一言が痛いタイプだ。鬱だから考えないようにしてた事をわざわざ指摘してくるタイプだ。それが戯言なら殴るのだが、悉く正論でしかも毒が効いてるからどうしようもない。
以前、LEO氏のコメントに返信を打っていた時も、やたらと視線が来るから「こんな事書いたら嫌われるかもしれんぞ、とでも言いたいのか」と言ったのだが、そしたら「少し違うな。嫌われるかもしれん、ではなく、嫌われる、だ」とか抜かされた。私の正義的にはこちらには非は無いのだが、世間一般だと私がDQN認定ということだそうである。私には全く理解できない理論だが、世の中はそうなっているらしい。無理なら無理と言えばいいだろうに。
まぁ、ともあれ、ともあれ、そんな感じで霧島家も久しぶりに三人体制へ復帰した。まだ正式な名前は決まっておらぬが、なんとなくで呼んでた名前がその内本名になる当家のパターンをみるに、多分『エルナ』になるんだろう。
読者の中には、この名前を聞いてピンと来る人もいるだろう。最低三人ぐらいは来る筈だ。んでエルナというのが誰かというと、先日電撃に出した小説のキャラなのだ。まぁ、この人格は正確にいうとエルナの中の人なのだがな。
だから女々しさなど一切なく、毎日毎日嫌な方向に刺激を与えてくれる。先日、と言っても半月以上前だが、その時も苛々してパソコンデスクを蹴ってたら大量の小言が送られてきた。以前話した通りクスリをキメている私は情緒不安定気味でありそういう行為に出やすいのだが、奴に「惨めだな」の一言でKOされた。何で惨めかって、そりゃあキレた理由が情けないからだが。
まぁ、その後「机は高いんだ。ものにあたるなら、布団を殴れ。壊れないし、手首を痛めたりする確率も低い」とか言ってきたあたり同類である事に違いない。清十郎は某紫色仮面ライダーになって「苛々するんだよ」とか言ってたな。
んで、そのエルナなのだが、先日買ったフィギュアに物凄い似てる。どれかと言うと、アルターのデス先生だ。これも非常によくできておるのだが、顔、髪、服の趣味、背丈、全部同じだった。目の色だけ違うが、とにかく滅茶苦茶良く似ている。お陰で、顔を見る度に奴の声が聞こえてくる。
さて。人間がモノを『もの言わぬ友』として付き合う様になってから結構な時間が経つ。毎日自らの足の様に使っている愛車に愛着を持つ者は多い。戦場で命を預ける愛機、それが戦闘機であれロボットであれ何でもいいのだが、そいつを「相棒」と呼ぶキャラクターを描いた映画やアニメも多い。最近見返したガンダムWとか、デュオが「頼むぜ相棒!」と叫びながらデスサイズで出撃するシーンは鳥肌ものだったな。
私自身、とは言っても七矢の奴の事だが、あいつは毎夜愛刀を手に寝ていた。愛刀を抱きしめて寝ていたし、外出する時以外は共にあった。共に。起きた時には「よう、相棒」と呼びかけていたものだ。奴にとって、あの刀は友だった。親愛なる友だった。だから、私や清十郎もその姿に不審を持たなかった。
で、今日、私の傍にはデス先生がある。別に持ち歩いている訳ではなく飾ってあるだけだが、私は在宅時一日の大半をパソコンデスク上で過ごすから、パソコンの横に飾ってあるデス先生はよく見る存在である。で、見るとエルナの奴が憑依して話し掛けてきたりする。私がそれに受け答えることもまた、ある。
フィギュア相手に話する霧島(21歳)。
傍から見ると変態以外のなにものでもない。
何故だ。何故私はいちいち変態扱いされねばならんのだ…
例えば、ミロのヴィーナスかそのあたりの模造品を私が買ったとする。で、我が家に飾ったとする。昨日言った通り、私は女体こそ至高の美であると考えているから、たまには眺めてうっとりする訳である。その様子を見た人は、この人はなんか高尚な趣味のひとつや二つ持ってる人なんだろうな、と思うだろう。
一方、実際我が家にあるのはフィギュアである。現状飾ってる奴というと…そうだな、オーキッドシードのちちのえ+2なんか飾ってある。横には宮小路瑞穂なんか飾ってあるが、それは置いておいて、だ。これ、写真をみてわかる通りとてもよくできておる。彩色も非常に丁寧で美しい。耳飾や首輪といった小物も含めて、造型も、至高の美たる女の身体を表現している。んで、私が(美しい…)などと思いながら、うっとりとした表情でこれを眺めているとする。
ただのキモい人である。
不公平ではないか。美しいものは美しいのである。彫刻像だって美しいし、フィギュアだって美しいのである。フィギュアは素材と着色料が安物だから同じ美しさを十年単位で保つのは難しいが、レプリカならば彫刻像だって同じである。美しいものに見惚れるという点では両者何も変わらないというのに、何故私が変態さんになってしまわねばならないのか。
そんな事を考えていたら、他の事にも思考が行き着いた。というのも、最近、人格が一人増えた。
諸君も知っての通り、私達の場合多重人格とは言っても語の定義からは見事に逸脱しておるから、「いわゆる多重人格」と思ってくれ。
んで、私達の場合、新しい人格が誕生してもなかなか気付かない。と言うか、本人も気付かない。何でかって、私達が記憶を共有しているからだ。普通、多重人格であれば人格ごとに固有の記憶を持つ。
例えば私(薫)がゲーセンに行ったとする。だが、家に帰ってからよくよく考えてみると、ゲーセンの中に入ったところまでは覚えてるんだが、今日は何のゲームを何回やってどんな勝ち方や負け方を体験したか、まるで覚えていない。おかしいと思って清十郎を問い詰めたら「あ、ごめんなさい、ついメインを乗っ取っちゃって…」とか言うから取り敢えず殴っておく。
これが普通だ。まぁ、人格同士の会話が成立しない症例とかもあるから殴るのが普通かどうかは知らんが、ともあれ人格ごとに記憶が異なるのが普通だ。しかし、我々は記憶を共有しておるのだ。だから記憶の欠落も起こらず、なかなか気付かない。誰かがやろうと思わねば会話もしないし。
が、今回生まれた奴は比較的よく喋る。喋ると言っても下らん事をべらべら喋る訳ではなく、一言一言が痛いタイプだ。鬱だから考えないようにしてた事をわざわざ指摘してくるタイプだ。それが戯言なら殴るのだが、悉く正論でしかも毒が効いてるからどうしようもない。
以前、LEO氏のコメントに返信を打っていた時も、やたらと視線が来るから「こんな事書いたら嫌われるかもしれんぞ、とでも言いたいのか」と言ったのだが、そしたら「少し違うな。嫌われるかもしれん、ではなく、嫌われる、だ」とか抜かされた。私の正義的にはこちらには非は無いのだが、世間一般だと私がDQN認定ということだそうである。私には全く理解できない理論だが、世の中はそうなっているらしい。無理なら無理と言えばいいだろうに。
まぁ、ともあれ、ともあれ、そんな感じで霧島家も久しぶりに三人体制へ復帰した。まだ正式な名前は決まっておらぬが、なんとなくで呼んでた名前がその内本名になる当家のパターンをみるに、多分『エルナ』になるんだろう。
読者の中には、この名前を聞いてピンと来る人もいるだろう。最低三人ぐらいは来る筈だ。んでエルナというのが誰かというと、先日電撃に出した小説のキャラなのだ。まぁ、この人格は正確にいうとエルナの中の人なのだがな。
だから女々しさなど一切なく、毎日毎日嫌な方向に刺激を与えてくれる。先日、と言っても半月以上前だが、その時も苛々してパソコンデスクを蹴ってたら大量の小言が送られてきた。以前話した通りクスリをキメている私は情緒不安定気味でありそういう行為に出やすいのだが、奴に「惨めだな」の一言でKOされた。何で惨めかって、そりゃあキレた理由が情けないからだが。
まぁ、その後「机は高いんだ。ものにあたるなら、布団を殴れ。壊れないし、手首を痛めたりする確率も低い」とか言ってきたあたり同類である事に違いない。清十郎は某紫色仮面ライダーになって「苛々するんだよ」とか言ってたな。
んで、そのエルナなのだが、先日買ったフィギュアに物凄い似てる。どれかと言うと、アルターのデス先生だ。これも非常によくできておるのだが、顔、髪、服の趣味、背丈、全部同じだった。目の色だけ違うが、とにかく滅茶苦茶良く似ている。お陰で、顔を見る度に奴の声が聞こえてくる。
さて。人間がモノを『もの言わぬ友』として付き合う様になってから結構な時間が経つ。毎日自らの足の様に使っている愛車に愛着を持つ者は多い。戦場で命を預ける愛機、それが戦闘機であれロボットであれ何でもいいのだが、そいつを「相棒」と呼ぶキャラクターを描いた映画やアニメも多い。最近見返したガンダムWとか、デュオが「頼むぜ相棒!」と叫びながらデスサイズで出撃するシーンは鳥肌ものだったな。
私自身、とは言っても七矢の奴の事だが、あいつは毎夜愛刀を手に寝ていた。愛刀を抱きしめて寝ていたし、外出する時以外は共にあった。共に。起きた時には「よう、相棒」と呼びかけていたものだ。奴にとって、あの刀は友だった。親愛なる友だった。だから、私や清十郎もその姿に不審を持たなかった。
で、今日、私の傍にはデス先生がある。別に持ち歩いている訳ではなく飾ってあるだけだが、私は在宅時一日の大半をパソコンデスク上で過ごすから、パソコンの横に飾ってあるデス先生はよく見る存在である。で、見るとエルナの奴が憑依して話し掛けてきたりする。私がそれに受け答えることもまた、ある。
フィギュア相手に話する霧島(21歳)。
傍から見ると変態以外のなにものでもない。
何故だ。何故私はいちいち変態扱いされねばならんのだ…