大津宮は、667年に天智天皇が飛鳥から近江へ宮を遷して造営したものです。近江大津宮ともいわれている。660年、百済が新羅と唐の連合軍に攻められて亡んだ。百済は,倭国(日本)にとって同盟国であり、国外にある防波堤であったため、時の倭国(日本)の政治指導者である中大兄皇子(後の天智天皇)は、百済復興を強力に支援しようと、朝鮮半島へ出兵した。しかし、663年の白村江の戦いにおいて倭・百済連合軍は新羅・唐連合軍に惨敗し、百済復興は失敗に終わった。百済復興戦争の敗北は、対外関係上の猛威を抱えることとなり、九州北部から近畿にかけて多数の山城や防衛施設を設けた。そして、国外の猛威に対抗する政治体制を新たに構築するために、中大兄皇子は、667年3月19日、宮を抵抗勢力の多い大和の飛鳥岡本宮から近江大津宮へ遷した。671年に天智天皇が没すると、天皇の子の大友皇子(弘文天皇)が大津宮を嗣いだが、壬申の乱で大海人皇子(後の天武天皇)に敗れ、勝った大海人皇子は皇位継承し天武天皇となり飛鳥に飛鳥浄御原宮を造営したため、大津宮はわずか5年余りしかつかわれなかった。現在は、国指定の遺跡として整備されている。
[所在地:滋賀県大津市錦織]
<アクセス>JR湖西線大津京駅下車徒歩10分
▼内裏正殿建物復元図
2013/09/12 訪問
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疑問 *JRの最寄りの駅名が『大津宮』ではなく、『大津京』でした。なぜ?
理由 大規模な条坊制をともなったものを「京」と言うが、大津宮は、「京」といえる程の規模ではない。
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壬申の乱・瀬田川の戦い 弘文元年(672年)
天智天皇後の皇位争いで、近江朝、大友皇子(天智天皇の子)と大海人皇子(天智天皇の弟)が、近江国の瀬田川で戦い、大津宮陥落。大友皇子自害。翌年、大海人皇子は飛鳥浄御原(あすかきょみがはら)宮で即位し天武天皇となる。
▼近江神宮・・・大津宮の北側にあります。
創建は、意外と新しく、昭和15年(1940年)で、第38代天智天皇を祀っている神社。