石動山系北端の標高300mの尾根に築かれた七尾城。能登守護・畠山氏の居城で、16世紀前半には全国の戦国大名の本城の中でも5指に入る壮大な規模を誇った。7代畠山義総の死後、天文19年(1550年)、重臣遊佐続光と重臣温井総貞の対立で「能登天文の内乱」が発生して畠山氏が凋落に向かった。
天正5年(1577年)上杉謙信に攻められ、遊佐続光・温井景隆・三宅長盛らの裏切りにより七尾城は開城し、能登畠山氏は滅亡した。その後七尾城には、上杉氏の家臣である鰺坂長実が城代として入るが、天正7年(1579年)、遊佐続光が今度は上杉氏を裏切って七尾城城代の鰺坂長実を追放し、七尾城を占拠した。だが、その2年後の天正9年(1581年)には,織田信長の侵攻で能登は征服され、織田信長より能登一国を前田利家に与えられ七尾城に入城する。
天正10年(16582年)前田利家は七尾城から小丸山城に移る、さらに天正11年(1583年)、加賀を与えられて金沢城へ移った。天正17年(1589年)には七尾城は役目を終え、廃城となった。
昭和9年(1934年)、七尾城が国の史跡に指定された。現在、曲輪・石垣・土塁・空堀などが残っています。
[所在地:石川県七尾市古城町]
<アクセス>①JR七尾駅から市内循環バス『まりん号』で約15分「城史資料館前」下車。城史資料館から七尾城本丸跡まで徒歩約60分。
②JR七尾駅から七尾城跡(本丸駐車場)まで車で約15分(約7Km)
▼七尾城の概要
▼七尾城の縄張り概略図
▼七尾城中心部復元図
▼堀切リ(関東堀)
▼調度丸跡
弓矢などの武具を備えた場所とされる。
▼本丸の石垣
▼本丸跡
▼本丸跡
▼七尾城本丸からの眺望
本丸は標高約300mの尾根に位置し、北面に視界が開けている。眼下の海は七尾南湾で、その向こうには能登島が見える。
▼桜馬場跡
▼桜馬場跡
▼二の丸跡
▼二の丸の復元図
▼二の丸跡
2018/03/15 訪城