nakazumi's blog

文化・歴史・城郭をメインに、時々『気になる事』を記す婆娑羅ブログ!

株式会社コナカの株主総会

2017年12月22日 | 株主総会

   2017年12月19日(火)株式会社コナカの第44期定時株主総会開催されました。

 当期の売上高は、681億円(前年比2.2%減)、営業利益17.34億円(前年比22.8%)、経常利益24.48億円(前年比32%増)、純利益9.10億円(前年度は赤字)決算は厳しいが、回復基調  年間配当金は20円/株

 12/19終値625円  PBR=0.38      株式平均買値483円

投資利回り20円/483円=4.14%+株主優待


株式会社情報企画の株主総会

2017年12月22日 | 株主総会

 2017年12月21日(木),午後1時30分から株式会社情報企画の第31期(平成29年9月期)定時株主総会が開催されました。

 当期の業績は売上高24.14億円(前年比4.0%減)、営業利益8.36億円(前年比6.2%増)、経常利益8.37億円(前年比6.2%増)、純利益6.51億円(前年比22%増)売上高は減少したが、各利益は増加した。当期の年間配当金は55円/株。来期の年間配当金は5円増配の60円/株予定。無借金経営の企業です。

 株価12/21終値2485円       PBR=2.71        株式平均買値1357円

投資利回り60円/1357円=4.42%+株主優待(500円+5000円)

譲渡差益約68.7万円



丹後・田辺城

2017年12月15日 | 京都府の城郭・環濠

 天正6年(1578年)、織田信長の命により細川藤孝と明智光秀が丹後に攻め入り丹後の守護大名の一色義道を滅ぼし、丹後を制圧した。これにより細川藤孝は丹後南半国を与えられ、本城である宮津城を築城する。丹後・田辺城は、宮津城とほば同時期に築城された。

 慶長5年(1600年)、関ケ原合戦の際、当主の細川忠興は石田三成方の西軍の誘いを退け、徳川家康方の東軍に加勢したため、隠居していた細川藤孝は、自分の居城である宮津城では西軍の攻勢を防げないと考え、宮津城を焼き払い、わずか500騎で丹後・田辺城に篭城し、石田三成方の西軍の大軍約15,000騎を迎え撃ち50日余りも善戦した。

 慶長5年(1600年)の関ケ原の戦いの後、細川忠興は豊前国小倉に転封され、京極高知が宮津藩に入り、元和8年(1622年)に京極高知の遺言により、京極高知の三男京極高三が田辺藩(3万5千石)を立藩する。

 京極氏は三代続いた後、豊岡藩へ転封となり、寛文8年(1668年)に牧野氏が3万5千石で入封し、代々世襲し明治維新までの10代続いた。明治6年(1873年)、丹後・田辺城が廃城となる。

 城跡は現在、舞鶴公園として整備され、本丸付近に模擬隅櫓(彰古館展示室)と復興大手門(二階は資料室)が建つ。

[所在地:京都府舞鶴市字南田辺15-22]

<アクセス>JR舞鶴線・西舞鶴駅から徒歩約5分

丹後・田辺城城郭復元図

 

本丸に建てられた復興大手門

 平成4年(1992年)に建てられた復興大手門。二階は資料室となっています。

本丸模擬隅櫓

 昭和15年(1940年)、地元出身の実業家・有本国蔵氏の寄付により建てられた模擬隅櫓。建物の内部は彰古館展示室となっています。

 ▼復興大手門        ▼本丸模擬隅櫓

本丸石垣

  

2017/12/13 訪城