南北朝時代の至徳2年(1385年)に室町幕府の管領・細川頼之が四国の南朝方の勢力を討ち、城山に小城を築いたのが徳島城の始まりです。戦国時代になると、阿波の地はしばしば領主が入れ替わったが、天正10年(1582年)には土佐の長宗我部元親が侵攻し阿波が平定された。天正13年(1585年)には、豊臣秀吉の四国平定に戦功のあった蜂須賀家政が阿波一国18.6万石を賜わり、入封早々に現在の地に大規模な平山城を一年半で築いた。さらに慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦の功により淡路国を加増され阿波・淡路両国25万7千石の大名・蜂須賀家の居城となり、以後、明治維新まで280年にわたり阿波・淡路両国を治めた。明治6年(1873年)の廃城命により城内の建築物の大半が撤去された。昭和20年(1945年)7月4日の米軍による徳島大空襲により、現存していた鷲の門も焼失したが、平成元年(1989年),鷲之門が復元され、平成18年(2006年)には、徳島中央公園内の徳島城跡が、国指定史跡となりました。
[所在地:徳島県徳島市城の内]
<アクセス>JR徳島線・徳島駅下車徒歩約5分。
▼徳島城概略図
▼三の丸の石垣と堀
▼徳島城鷲の門の概要
▼復元された鷲の門 ▼徳島城碑
昭和20年の米軍のB29爆撃機の大空襲で焼失しましたが、平成元年(1989年)に復元寄贈されました。
▼下乗橋(小見付橋)
▼徳島城の舌石の概要
▼旗櫓跡の碑 ▼旗櫓跡
▼三の丸 ▼徳島市立博物館
▼徳島城表御殿庭園の概要
▼表御殿庭園・・・桃山様式を伝える名庭。国名勝。
▼表御殿庭園
▼太鼓櫓跡 ▼東二の丸跡
▼蜂須賀家政像
戦前は、野太刀と長槍を持った甲冑姿の蜂須賀小六正勝(家祖)の銅像が建っていましたが大東亜戦争中に金属供出で姿が消えましたが、昭和40年(1965年)に袴姿の蜂須賀家政の銅像が新しく建立されました。
2015/04/01 訪城