大阪夏の陣から4年後の元和5年(1619年)、父・小出秀政の死後、但馬・出石藩藩主を継いだ小出吉親だが、和泉・岸和田藩藩主となっていた兄・小出吉英が但馬・出石藩へ戻されることになり、小出吉親は園部へと国替えとなった。園部藩が成立し、小出吉親は約26,000石の園部藩初代藩主となった。小出吉親は約2年間を費やして、小麦山の南東の麓に園部陣屋を築きました。そしてその後、幕末まで10代250年にわたり小出氏が陣屋の主であり続けた。
しかし、慶応3年(1867年)10月、第15代将軍・徳川慶喜は日本の統治権を天皇に返上したものの、旧幕府勢力と長州藩・薩摩藩ら新政府との諍いは止められず、翌年、鳥羽・伏見の戦が勃発する。こうした状況下の明治元年(1868年)園部藩最後の藩主・小出英尚は明治新政府に対して陣屋の改修を願い出ると、京都防衛のためとして許され、櫓門3ケ所、巽櫓などの櫓が計5ケ所、さらに堀も造成され、陣屋は城としての体裁が整えられ、こうして園部陣屋は、わが国でいちばん最後に建てられた城、園部城となった。
しかし、明治4年(1871年)の廃城令で、ほとんどの建物は取り壊されたが、現在本丸跡は京都府立園部高等学校・付属中学校の敷地となり、櫓門や巽櫓、石垣、土塁などが現存する。
【所在地:京都府南丹市小桜町】
<アクセス>JR山陰本線・園部駅から徒歩20分。
▼園部城址碑
▼櫓門
▼巽櫓
▼櫓門・巽櫓の概要
2019/10/20 訪城