nakazumi's blog

文化・歴史・城郭をメインに、時々『気になる事』を記す婆娑羅ブログ!

出石城

2017年04月17日 | 兵庫県の城郭・環濠

 天正2年(1574年),山名祐豊が標高321mの有子山山頂を天守とする有子山城を築き、麓には居館も築かれ城下町の体をなした有子山城を慶長9年(1604年)廃城とし、有子山城の山麓部を改修し出石城として小出吉英が築いた城である。平地部に堀で囲まれた三の丸が築かれ、二の丸、本丸、稲荷丸等の曲輪が階段状に設置され、このとき出石の城下町も整備された。元禄9年(1696年)小出氏が所領没収となり、代わって松平(藤井)忠周が入城。宝永3年(1706年)松平氏と仙谷政明らが国替えとなり、天保年間(1830年~44年)にお家騒動「仙谷騒動」が起こり、この仕置として、出石藩は5万8000石から 3万石へと大幅に減らされたが、廃藩置県まで仙谷氏の居城となった。

 明治に入り,廃城令で出石城の建物は取り壊されたが、堀、本丸、二の丸、稲荷曲輪等の石垣が現存している。また本丸の西隅櫓と東隅櫓、登城門・登城橋などが復元され、堀の周囲一帯は登城橋河川公園として整備されています。

[所在地:兵庫県豊岡市出石町]

 <アクセス>JR山陰本線・豊岡駅から出石行きバスで約30分、終点下車。徒歩約5分。

出石城全景            

 元々は、山頂の本丸、麓の居館を合わせて「有子山城」と呼んだが、関ケ原の戦い後に、麓の居館部を改修して居館部を「出石城」とした。                     

              ▼登城橋

 

登城門          ▼二の丸の石垣

 

復興西隅櫓(西曲輪から見る姿)    ▼復興西隅櫓(本丸から見る姿)

 

復興東隅櫓(二の丸から見る姿)    復興東隅櫓(本丸から見る姿)

 

本丸跡          ▼辰鼓楼(旧三の丸大手門脇)

 

2017/04/13 訪城