nakazumi's blog

文化・歴史・城郭をメインに、時々『気になる事』を記す婆娑羅ブログ!

宮尾城

2019年01月29日 | 広島県の城郭・環濠

 宮尾城は、厳島北西にある標高27.1mの要害山の丘を中心に築かれた連郭式平山城です。現在と違い、築城当時は、城の北部の山麓まで海が迫り、三方が海に面していた。そのために味方の水軍と連絡できる海城の特色も併せ持っていた。遺構として廓、井戸、空堀、石垣などが残る。現在、城を含む島全体が、国の特別史跡及び特別名勝に指定されている。

【所在地:広島県廿日市市宮島厳島要害山】

アクセス>JR宮島口駅より徒歩5分で宮古島口桟橋/広電宮島口駅すぐ宮島口桟橋。                

      宮島口桟橋よりフェリーで片道約10分で宮島桟橋。

      宮島桟橋から要害山(宮尾城)まで徒歩5分。 

宮尾城付近の概略図

  宮島桟橋を降りると、すぐに正面右に見えるの丘が宮尾城である。

宮島桟橋の南西側の小さなトンネルをくぐり、階段を上る。

階段を上がり、『要害山』方向へ歩く  鹿が出迎えてくれた。

二の丸跡         ▼今伊勢神社

要害山山頂(宮尾城跡標高27.1m宮尾城(本丸跡)

宮尾城の概要

宮尾城本丸からの眺め

 

 ▼石垣           ▼今伊勢神社の階段

2019/01/24 訪城

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厳島の戦  弘治元年(1555年)

 天文23年(1554年)5月、厳島を占領した毛利元就は宮尾城に城兵を置き、補修に着手した。弘治元年(1555年)9月、陶晴賢率いる25000騎の大軍が厳島に上陸し、宮尾城を攻撃したが、約300騎の城兵は持ちこたえた。毛利元就は主力の3000騎を率い、夜中厳島渡海し、包ケ浦から上陸して、山を越え背後から陶軍の本陣を急襲し、伊予村上水軍の来援と宮尾城の城兵も毛利輝元軍に呼応して陶軍を壊滅させた。陶晴賢自刃。

 


福山城

2018年03月06日 | 広島県の城郭・環濠

元和5年(1619年)、備後南部10万石を得た徳川譜代の臣、水野勝成(徳川家康の従兄弟)は、福山の地に天守閣のほかに7基の三重櫓と二重の堀で防備された新城と城下町完成させた。そして地名を福山と名付け、福山城と称した。

 福山城を築城した水野氏は元禄11年(1698年)、5代の水野勝岑に後継ぎがなかったため、取り潰しとなり代わって元禄13年(1700年)には出羽山形より松平忠雅が入城したが、宝永7年(1710年)には伊勢桑名へ転封し、同年、福山城には阿部正邦が入り、以後明治維新まで阿部氏が10代にわたって福山城主を務めた。

 明治6年(1873年)の廃城令で、天守閣・本丸・一部の櫓などは残されたが多くの建造物は取り壊された。さらに、昭和20年(1945年)8月の米軍の福山大空襲で天守閣、御湯殿、涼櫓等多くの文化財が焼失したが、昭和41年(1966年)、市政50周年記念事業として、天守閣と御湯殿、月見櫓等が復元された。

[所在地:広島県福山市丸の内1丁目8番]

<アクセス>JR福山駅から徒歩約5分

福山城の概要

二の丸西側の石垣     ▼伏見櫓

筋鉄御門の全景      ▼筋鉄御門

伏見櫓          ▼鐘櫓

天守閣・・・・・右の二重の建物は小天守

天守閣よりの眺め

2018/2/14 訪城


広島城

2018年03月05日 | 広島県の城郭・環濠

広島城は、天正17年(1589年)4月15日、中国山地から流れる太田川河口に開けたデルタ地帯に、毛利輝元が築城を開始し、10年後には、5重の大天守と小天守2基を備えた壮大な城郭を完成させた。しかし、慶長5年(1600年)、毛利輝元は天下分け目の関ケ原の合戦に敗れ、周防・長門2国に減封。この決定により築城主であった毛利輝元は完成間もない広島城を去り、東軍についた福島正則が、安芸広島と備後鞆49万8000石の大封を得て、広島城入城となった。

福島正則は、石垣職人集団「穴太衆」を雇い入れ、毛利輝元時代に不十分だった外堀や外郭の整備を進め内堀、中堀、外堀をもつ1Km四方に及ぶ広大な広島城を完成させた。しかし、洪水で破損した広島城の修築許可の不備をとがめられた福島正則は元和五年(1619年)に安芸・備後2ケ国を没収され、代わって紀伊から浅野長晟が安芸一国・備後半国42万6000石の領主として広島城に入城となった。以後、浅野家のもと12代約250年にわたり平和な時代が続き、明治維新を迎えた。

 明治維新後には広島鎮台となり、廃城令により建造物は次第になくなったが、昭和20年(1945年)8月6日、米軍の原爆投下により天守閣をはじめ城内の建造物は全て壊滅しました。現在、大天守、二の丸表御門、多門櫓なども復元されている。

[所在地:広島県広島市中区元町21番1号]

<アクセス>JR広島駅から徒歩約25分

本丸の石垣        ▼二の丸平櫓と二の丸表御門

 

二の丸表御門

長櫓(多門櫓)       ▼太鼓櫓

外観復元された天守閣

広島城天守閣からの眺め

2018/2/14 訪城