nakazumi's blog

文化・歴史・城郭をメインに、時々『気になる事』を記す婆娑羅ブログ!

祇園祭・「前祭巡行」

2014年07月18日 | 文化・歴史散策

2014/07/17 京都の祇園祭・前祭巡行を見学に行ってきました。

 祇園祭は、八坂神社の祭りで、毎年7月1日(吉符入)から31日(疫神社夏越祭)まで、1ケ月にわたって行われます。一般には、17日(前祭・山鉾巡行と神幸祭)と24日(後祭・山鉾巡行と還幸祭),その宵山が広く知られています。祭の性格は、単に神社や氏子達だけのものでなく、現在では京都市全体の祭として繰り広げられています。

 京都市役所前付近から見学しました。京都市役所前には、10:30頃から山鉾がゆっくり合計23台巡行して行きました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


織姫の里・交野七夕ウオーク

2014年07月08日 | 文化・歴史散策

2014/07/07  大阪府交野市の織姫・の里・交野七夕ウオークに行ってきました。

ハイキングコース>JR津田駅・・・機物神社・・・源氏の滝・・・いきいきランド交野・・・代官屋敷(北田邸)・・・私部城跡・・・逢合橋・・・天の川緑地公園・・・JR河内磐船駅

機物神社

 機物(はたもの)神社の創建は詳らかではないが,社伝によると応仁の乱の終わり頃、ト部兼俱の奉幣があり、その後織田信長、明智光秀、豊臣秀吉等の祈願があったとも書いています。現在のように五色の短冊に願い事を書いて笹竹に飾るようになったのは昭和54年からのことです。毎年七夕祭りが7月6日、7日に催しされています。

 

 

源氏の滝

 交野八景の一つ。白旗池から山地の中を深い谷を造って流れ落ちています。滝の名前の由来は、近くにあった開元寺の元寺が、げんじになったといわれており、この滝は昔修験者が身を清めて修行した大切な場所であった。言い伝えでは、眼病に効くといわれています。

            ▼いきいきらんど交野

 

北田家住宅(代官屋敷)重要文化財

 江戸時代には私部の領主畠山氏の代官をしておられたことから地元では『代官屋敷』として親しまれています。長屋門は、55.8mもあり日本最長です。昭和54年、国の重要文化財に指定され、毎年春と秋に公開されます。北田家は南北朝時代、御醍醐天皇の重臣北畠親房の子顕家の子孫です。南朝没落後、その性をはばかって、北畠の白を除き北田と称したといわれています。地元の名士です。

            ▼井戸とかまど

 

 

私部城(別名交野城)

 私部城は、平地にできた平城で、河内の豪族「安見」氏の居城でした。この城は、連郭式(二郭・本郭・三郭からなる)という珍しいものです。戦国時代には松永久秀が二度も攻めてきましたが攻め落とせませんでした。1578年には織田信長が住吉から京都に帰る時にこの城で休息したとの記録があります。

 

私部城の碑  ▼主郭跡と堀跡

  

逢合橋

天の川

  


小牧城

2014年07月06日 | 愛知県の城郭・環濠

 永禄3年(1560年)の桶狭間の戦に勝利した織田信長は、永禄5年(1562年)に徳川家康と清州城において清州同盟を結び、完全に東側の猛威が亡くなったので、永禄6年(1563年),小牧山に山城を築城し、清州から居城を移しました。南に大手口を設け、大手道は直線的に中腹まで登り、右に折れて屈曲しながら山頂の主郭に至ります。小牧山の南の原野には、東西1km,南北1.3kmの範囲に城下町が整備されました。小牧山城に移った織田信長は、犬山方面を支配下に置き尾張を統一するとともに、積極的に美濃攻略を行いました。4年後の永禄10年(1567年)には、美濃稲葉山城を攻略して、岐阜と名を改め居城を移しました。これにより、小牧山城は廃城となり、城下町は一部を残して衰えました。天正12年(1584年),小牧・長久手の合戦が起こると、徳川家康と織田信雄の軍勢は、織田信長の廃城に大規模な改修を行い、堅固な陣城を築きました。山の周りの二重の土塀や堀、虎口等はこの時に築かれたものです。小牧付近では大規模な戦は起こらず、戦の収束に伴い小牧山城は再び廃城となります。現在、小牧山城に残る城の遺構はこの時の小牧山城の姿です。江戸時代には尾張藩、明治時代には尾張徳川家の手厚い保護を受け、山中の堀や土塁等の残存状況は非常に良好で、日本城郭史上、貴重な資料になっています。昭和2年(1927年)に国の史跡指定を受け、昭和5年(1930年)に尾張徳川家から小牧町(当時)へ寄贈され、現在に至っています。山頂にある天守閣風建物(小牧市歴史館)は、昭和42年(1967年)に名古屋市の実業家の平松茂氏(故人・小松市名誉市民)が西本願寺の国宝「飛雲閣」(聚楽第の遺構)をモデルに私財を投じて建設し、小牧町(当時)に寄贈されたものです。現在は、小牧山全体が公園(史跡公園)となっています。

[所在地:愛知県小牧市堀の内1-1]

<クセス>名鉄小牧線・小牧駅下車徒歩約25分

市街地から小牧山(小牧城)を望む

 ▼史跡・小牧山

小牧山公園略図

 

表示板をたよりに、登っていくと頂上に出る。

 

尾張徳川家19代徳川義親氏の像

 

模擬天主閣(小牧市歴史館)

 

模擬天守より東側を望む           

 

模擬天守より南側を望む           

 

縄張の概略図

小牧・長久手の戦の時、堀・土塁等が補強された。

2014/07/05 訪城

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牧・長久手の戦 天正12年(1584年)

 織田信長死後の跡目争いで、織田信勝が徳川家康に援軍を要請。織田信勝・徳川家康軍20,000騎と豊臣秀吉軍70,000騎が、小牧付近で対峙し、長久手の戦では、豊臣秀吉軍大敗。豊臣秀吉の中入りで三河撹乱作戦失敗。