2013/12/03 京都市の『嵯峨野・嵐山の紅葉』を見に嵯峨野・嵐山へ散策に行ってきました。
[ハイキングコース]JR嵯峨嵐山駅・・・渡月橋・・・天龍寺・・・常寂光寺・・・二尊院・・・祇王寺・・・大覚寺・・・JR嵯峨嵐山駅
▼嵐山公園よりの景色 ▼渡月橋
天龍寺は、歴応2年(1339年)吉野で亡くなった後醍醐天皇の菩提を弔うために、足利尊氏が、夢窓国師を開山として創建した。夢窓国師は、堂塔建立の資金調達のため、「天龍寺船」による中国・元との貿易を進言し、康永2年(1343年)ほぼ七堂伽藍が整った。この地は、後醍醐天皇が幼少期を過ごされた地でもある。臨済宗天龍寺派大本山。史跡・特別名勝で平成6年(1994年)世界文化遺産に登録。
▼天龍寺 ▼天龍寺・大方丈
天龍寺から常寂光寺へ向かう道路沿いの左側に、『土佐四天王』の像がありました。
▼常寂光寺
常寂光寺は、三好吉房(秀吉の姉婿),瑞竜院(秀吉の実姉),小早川秀秋、加藤清正、小出秀政、その他京都町衆の帰依者多し。
▼二尊院
二尊院は、嵯峨天皇勅願により慈覚大師が、承和年間(834年~847年)に開山。明治維新まで天皇名代として勅使参詣があり、御所の仏事を司り、公家との交流も盛んでした。現在も旧摂関家の「二条家」「鷹司家」「三条家」「四条家」香道の創始家でもある「三条西家」や「角倉家」など豪家の菩提寺である。
和菓子に使われる小倉餡の『小倉』は、この一帯の地名である小倉に由来しています。発祥脾が境内に建っています。
▼小倉餡の発祥の脾
▼祇王寺は、竹林と楓に囲まれた草魔で、『平家物語』に登場する祇王らが余生を過ごしたといわれる寺。明治維新の廃仏稀釈で廃寺となったが、明治28年に再建。現在、旧嵯峨御所大覚寺の塔頭寺院となっています。
▼大覚寺は、平安時代初期、嵯峨天皇が壇林皇后とのご成婚の新室である離宮を建立されたが、これが、大覚寺の前身・離宮嵯峨院である。嵯峨院が、大覚寺となったのは、皇孫である桓寂入道親王を開山として開創した貞観18年(876年)である。明治時代初頭まで、代々天皇もしくは皇統の方が門跡(住職)を務めた格式高い門跡寺院である。真言宗大覚寺派の大本山で、いけばな発祥の花の寺でもあり、『いけばな嵯峨御流』の総司所(家元)でもある。
▼大覚寺・表門(玄関門) ▼史跡大覚寺御所址碑
▼ 大沢池