2014/08/26 滋賀県長浜市の『賤ケ岳合戦の砦跡巡り』に行って来ました。
[ハイキングコース] JR北陸線・木の本駅・・・木の本地蔵院・・・伊香具神社・・・賤ケ岳リフト乗り場・・・賤ケ岳山頂・・・猿ケ馬場・・・大岩山・・・大澤寺・・・黒田御廟所・・・JR北陸線・木の本駅
▼木の本地蔵院
柴田勝家との賤ケ岳の合戦において、羽柴秀吉は木の本地蔵院(浄真寺)に本陣をおいた。そして配下の武将に北国街道沿いの山々に砦を築かせ,両軍は対峙した。
▼伊香具神社
▲賤ケ岳▲ 標高421.9m
琵琶湖の北端に位置する山で、賤ケ岳リフト乗り場から登山道が整備されています。また、リフトを使うと気軽に頂上まで登ることができます。山頂から琵琶湖と余呉湖の美しい景色が楽しめ、二つの湖の景観と史跡を巡る多彩なハイキングコースが整備されています。 *リフト運行期間:3月中句~11月末
▼賤ケ嶽合戦戦没者霊地(山頂に行く途中にあります)
▼賤ケ岳砦概略図
▼史跡 賤ケ嶽
▼琵琶湖を望む
▼余呉湖を望む
▼猿が馬場
▲大岩山▲ 標高240m
大岩山砦は賤ケ岳から東にのびる尾根の先端に茨木城主の中川清秀が急いで築いた砦。隣の賤ケ岳砦に比べて堀切も無く防衛施設が貧弱であったために天正11年(1583年)に佐久間盛政軍8000騎の急襲を受けた。約四時間ほど防戦したが中川清秀軍約1000騎全員討死し全滅した。山頂には、中川清秀の墓が建っています。
▼大岩山砦概略図
▼中川清秀の墓(大岩山砦跡)
▼首洗いの地 ▼大澤寺の梵鐘
▼大澤寺本堂 ▼黒田御廟所
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賤ケ岳の合戦 天正11年(1583年)
織田信長の跡目を定める尾張清州会議で、羽柴秀吉と柴田勝家が対立。天正11年4月20日賤ケ岳北側の山から余呉湖畔,柳ケ瀬方面で決戦が行われ、柴田方の前田利家が戦線離脱と秀吉方の七本槍の活躍で勝利。柴田勝家北ノ庄で自刃。
◆賤ケ岳の七本槍(秀吉子飼いの若武者)
①福島正則(1561年~1624年)
②加藤清正(1562年~1611年)
③加藤嘉明(1563年~1631年)
④脇坂安治(1554年~1626年)
⑤糟谷武則(1562年~1607年)
⑥片桐且元(1556年~1615年)
⑦平野長秦(1559年~1628年)
*平野長泰は、賤ケ岳の七本槍の中で唯一、大名になれなかったが、子孫は明治まで続き、明治新政府の石高見直しで大名(大和・田原本藩5000石➜10040石)になった。
▼賤ケ岳の両軍(柴田軍・羽柴軍)の配置図
◆佐久間盛政 天文23年(1554年)~天正11年(1583年)