壁際椿事の「あるくみるきく」

東京都内在住の50代男性。宜しくお願いします。

『裸のフクシマ』(たくきよしみつ著)

2012年04月03日 | よむ

『裸のフクシマ』(たくきよしみつ著)を読みました。著者は、さまざまな分野で執筆活動を展開。『日本のルールは間違いだらけ』(講談社現代新書)を読んで感銘を受けた経験があります。その氏の最新刊です。

氏は、事故を起こした福島第一原発(以下1Fと略)から30キロメートル圏内の、福島県の川内村、阿武隈山中に暮らしています。ご出身は福島市で、「かなり長いあとがき」によると、曽祖父の代には福島のかなり大きな地主だったようです。

本書は、書名どおり、まさに目の前で展開している「福島の今」のレポートです。なんたってご近所さんが、1Fで働いていたり、1Fの消火に当たった消防員だったりするんです。新聞やテレビでは分からない、現場の人の声を基にした報告です。

たくき氏はいいます。「正直になろうよ」と。政治家も官僚も、福島県民も日本国民も、正直になりさえすればいい。まずは、正直になることから始めよう、というのです。正直というのは、原発の安全性や経済性、交付金、都市と原発立地自治体の関係などについて、です。

原発に限らず、全ての問題に対して「正直になろうよ」といってもいい。惻隠の情とか、以心伝心とか、秘すれば花とか、魚心あれば水心とか、料亭政治とか。これまで日本は「あいまいな」ことで、よかれ悪しかれ独自の文化を築き上げてきた。それが機能した時代もあった。しかし、ちょっと限界でないか。確かに「正直になる」必要があるんでないか。そう思いました。タブーを恐れず、「王様は裸だ」と言う勇気が、いまは必要なんだと思います。

もう1つ、たくき氏は言います。税金が投入される事業には、巨大な利権が生まれ、その事業が誤りだったことが明らかになっても、誰も見て見ぬ振りをし、ブレーキが掛けられない力学が働くのだ、と。

これは「権力は腐敗する。絶対的権力は絶対的に腐敗する」という歴史法則と、ほぼ同じ正確さがありそう。もちろん権力は必要です。一家の大黒柱から、船の船長や一国の宰相まで、有能なリーダーであって欲しい。権力は、ナイフのようなもの。使い方しだいです。

誤りに気づいたら、いち早く立ち止まる。危険の芽を摘む、不正の芽を見抜く。そのためには、「(不自然に)税金が投入されているかどうか」が一つのバロメーターになりそうです。

●以下、気になったところの引用です。(丸カッコ)内は珍事の補足およびコメント。長くなるので、お時間のない方は、飛ばしてください。

(震災直後)とにかく原発情報だけはリアルタイムでチェックしていなければと、つけっぱなしのテレビの音声に耳を傾けていたが、次第に言いようのない圧迫感、違和感を感じ始めた。まず、地元の地上波テレビが原発情報を流すまいとしているかのような挙動を始めた。系列の中央局スタジオで原発関連の報道解説が始まると、画面が切り替わり、避難所や津波被災地の風景を映すのだ。

(中央では原発解説しているが、それを地元局は流さないというのです。なにか不都合があるのでしょうか?)

(葛尾村には、たくき氏が住む)川内村同様、広域消防や東電の関係者などから、原発の現場がどんどん危険な状況になっているという情報が入ってくる。(首都圏の僕らが新聞やテレビから情報を得るのとは訳が違い、現場の人から話を聞いている。それだけリアルな情報というわけです)

(原発爆発の3日後の)3月15日の夜、文科省のモニタリングカーが周辺地域の放射線量を測定するために出動した。彼らが真っ先に向かったのは原発の北西約20キロ地点だった。(中略)なぜそこなのか? 当然、そのへんが危ないと知っていたからだ。(中略)少なくともこの時点で、国はこれらの町村に、高濃度汚染が起きたことを知らせなければならなかったが、何の指示も出さず、情報も与えなかった。

(文科省はSPIDIで知ってたんですね。SPIDIの情報開示が遅れたことは、批難されましたね。文中の「なぜそこなのか?」。この目の付けどころ、まさに、たくき節さく裂という感じです。このエリアにいた人々に危険を知らせたのは、確かNHK「ネットワークで作る放射能汚染地図取材班」でしたよね)

1Fの事故後、「福島県外で働く福島県出身の原発作業員」から、通常ならめったにない内部被曝が見つかるというケースが相次いでいるというのだ。(中略)検査したところ、内部被曝が4956件見つかった。そのうちの4766件は、その作業員が事故発生後に福島県内に「立ち寄っていた」という。

(彼らは、たまたま1F以外の原発で働いているため、原発に設置されたホールボディカウンターで検査を受けられた。それで、97%もの内部被曝が明らかになった、というわけです。では、一般市民は? ホールボディカウンターで検査を受けてないので、判明してないだけ? 同書のこの章の見出しは「恐ろしくて調査もできない内部被曝」です)

今回のことで改めて分かったのは、日本の行政は、他の国での放射能事故の可能性は考えていても、自国内で大規模な放射能汚染が起きる事態を考えていなかったということだ。(日本)各地の放射線モニタリングポストが、地上十数メートルの高さに設置されいるのも、上空に舞っている微量の放射性物質を検出しやすいように、という意図からだ。

(こうした目の付けどころも、たくき氏ならではです。東京・新宿の線量がやけに低くて、おかしいなと思ったら、測定地点が地上十数メートルだった、という事態がありましたね)

国土の狭い日本で放射能汚染を発生させてしまったことがいかに取り返しのつかないことか、もっと深刻に受けとめなければならない。その上で、どうすればいいのかという命題は、もやは「汚染された国で、残りの人生をどう生きるか」という哲学的な領域に入ったと言えるだろう。

「居残る権利」は、そうした哲学レベルの問題だ。行政・政治には哲学に介入する権利はない。(中略)(行政・政治は、それでも介入してくるだろうから、その場合は)良心に従って、精一杯血の通った対応をしてほしい。

(この場合、「良心に従って」は「正直に」と同義ですね)

まず、福島県が理解しがたい動きをし始める。3月30日、県知事は国に対して「20キロ圏内を、強制力のない避難指示区域から、法的に罰することができて立ち入り禁止にする『警戒区域』に指定してくれ」と要請した。

広く知られていないことだと思うので強調しておきたいが、国ではなく、県が(中略)国に要望したのだ。(中略)(その理由は)一説には(ATMが根こそぎ壊されて数億円の被害が出るなど)「火事場泥棒」被害がひどく、手が付けられなくなっていたからだという。

(多摩であった億円単位の強盗は頻繁に報じられましたが、このATM根こそぎ事件は報じられませんでしたね。模倣犯が出るからでしょうね。それにしても、この強制力を伴う立ち入り禁止措置で、どれだけ多くの人が迷惑を被ったか。それまで、あいさつ程度で検問所を出入りしていた地元の人が、自由に行動できなくなった。しかも立ち入り禁止の理由は、放射能汚染でなく、火事場泥棒防止のためですよ。であれば、あの物々しいタイベックスーツは何のため?)

(東電の基準によれば)動けない高齢の親を抱えて、とても避難所生活は無理だと判断し、すぐに自宅に戻り、物質が届かない中でじっと耐えていた人は10万円で、避難先で3食昼寝つき、場合によっては温泉入り放題を続けて家に戻らなかった人たちは、1人30万円だといのだ。家畜の世話をするため、家業を守るため、消防などの公務のために自宅から出られなかった人たち、言い換えれば「自力で頑張ってきた人たち」は(この基準を)どう思っただろうか。

(焼け太りという言葉はありますが、「避難太り」とでも呼べる現象があるそうです。これも、あまり報じられていませんね)

(みなし仮設住宅のほうが人気で、仮設住宅も入居が進みませんでした。これも行政の甘い判断といわざるを得ない。経産省あたりが、その地域のアパートマンションの「空室率」とかデータを持っていなかったのでしょうか? で仮設住宅です。)

仮設住宅やみなし仮設住宅に入居した世帯には、日本赤十字から家電6点セット(洗濯機など)(中略)が無償支給される。これは貸与でなく供与なので返却する必要はない。そこで、6人の家族が2人ずつ分かれて3軒の仮設住宅を申し込み、家電6点セットを3組もらって、2組をすぐに売り払って現金化したという話もある。(中略)この家電6点セットは「災害救助法上の応急仮設住宅で生活する被災者」が対象となっているため、(行政による仮設住宅またはみなし仮設住宅だけが対象で)例えば、企業が無償提供した社宅などで避難生活を始めた家族には渡らない。

(家電のお金は、海外からの義援金を基にしているそうです。海外で寄付した人も、まさか自分の義援金が家電に化けているとは思っていないだろう、とたくき氏は書いておられます。たくき氏は『日本のルールは間違いだらけ』で、ルールの滅茶苦茶を追求しています。そして、業界の利益を上げるため、滅茶苦茶なルールを制定しようと政治家に働きかける勢力があることも暗示している。なぜ現金でなく、家電6点セットなのでしょう? 家電業界と赤十字の癒着があるのではないか?と勘ぐってしまいます)

福島の人口が集中している中通りの都市部が相当汚染されたということを、メディアはあまり強調しない。(中通りの人は、津波で家を失った浜通りの人や理不尽に故郷を追われる人の姿をテレビで見て、自分達はまだ幸せなほうだと言い聞かせている。もしこの人たちが本気で被害を訴えたら、どうなるだろう? 引っ越す人も増えるに違いない。その)移転した人の新居購入費や引っ越し費用、失業補償を完全にやったら、とんでもない金額になる。連鎖反応で、残っている人々の動揺も大きくなる。そうなるとまずいので、実際の被害を小さく見せるために「過疎地に注目させて、都市には目を向けさせない」といことなのだろう。中通りの都市住民は、「切り捨てられた原発被災者」と言える。

(ここでも、賠償がとんでもない金額に膨らむのを避けたい東電と、中通りの汚染を報じないことで東電に加担するメディアという図式が読み取れますね)

(「原発ぶら下がり体質」というものがあるそうです。中央や東電からの交付金などに甘える体質です。1Fの事故後、甘えの対象が交付金から賠償金に変わっただけで、その体質はさらに強まった、とたくき氏は喝破します。同じ福島県人にも、ぶら下がり体質の人と、自立をめざす人と、大雑把に分けて二派いるのです)

(獏原人村とその住民の話も、面白かったです)

(20キロ圏内への一時帰宅に関して。警戒区域が危険であることを認識し、自己責任で立ち入りますと印刷された)同意書をめぐって「こんなものには断じて署名できない。署名しないと入らせないのか?」と詰め寄る村民や、持ち帰ったものが「規定より大きい」と言って拒否されて怒り出す村民など、いろいろいたが、そういう場面もテレビでは流れなかった。

(たくき氏は、一時帰宅ショーだ、テレビ向けの演出だと喝破しています。まさに「居残る権利」です。20キロ圏という線引きは、火事場泥棒を防ぐこと以上の意味を持ちません。実際、20キロ圏内でも線量の低いところもあれば、30キロ圏外でも高いところもある。マダラなのです。だからこそ、自分で計測し、判断し、自分のことは自分で決める。これは、当然の権利でしょう)

(この20キロ圏立ち入りでは、マイカーの引き上げもありました。マイクロバスで圏内に入り、マイカーを引き上げ、すぐUターンすればいいのに、金魚の糞よろしくマイクロバスの後に付いて、マイカーが走ったそうです。圏内のしかも放射線量の高いところを。なぜUターンして帰さないのでしょうか? そして、このマイクロバスには地元の人だけでなく、車の修理などに対応するため、JAF(日本自動車連盟)の職員が同乗していました。ただしバス外での修理時間は10分しか与えられなかったとか。)

バッテリー上がりなどの救援のためにJAFが同行していたのだが、なぜか新品のバッテリーは持っていなかった。修理しているよりバッテリー交換したほうが早いし確実だろうに。こういうところも抜けているというか、血の通った対応ができていない。

(著者は、ご近所の飼い犬、ジョンを可愛がっていました。そのジョンが野良犬と間違われ、NPOのレスキューに拾われ、いまは埼玉県の里親に可愛がられているという。)

人も動物も、結局は運だなあ、とつくづく思う。

(たまたま21世紀の今に生きている、たまたま日本という国に生まれた、たまたま東北のある山村に生まれた、たまたま四国のある漁村に生まれた、たまたまアメリカに生まれた、たまたま両親は相むつまじい、たまたま出生時は片親しかいなかった……、たまたま、たまたま)

(全村避難となった飯舘村には、私営の書店がないという理由もあるでしょうが、村営の書店があり、『までいの力』というオリジナル書籍を売っています。「までい」という言葉は報道で知りました。しかし震災前から、この言葉は本になっていた。ぶら下がり体質でなく、自立の道を志向していた村だったんです。)

(「脱原発」を表明した城南信用金庫。その信金の)吉原毅理事長は、『報道ステーション』のインタビューの中で、「もし仮に、純粋な民間ベースの事業として原発がスタートするとした場合に、それに融資する銀行は一行もないと思う」と明言している。

税金が投入される事業には巨大な利権が生まれる。その利権をめぐって、政財官学から不正な力が働き、各分野が持つべき正常な機能が失われる。これは別に原発だけの話ではなく、日本の近現代史で延々と繰り返されてきたことだ。

放射性物質をばらまかれ、身ぐるみ剥がされた福島は、今や「税金投入」の格好のターゲットになっている。エコタウン構想、メガソーラー計画、「再生可能」エネルギー全量高額買い取り制度……。こうしたものが、実は原発推進と同じ構図で進められようとしていることに気づかないと、福島は原発と同じ過ちを繰り返すだけになってしまう。

発電事業に税金を投入せず、電力会社にすべての費用と義務を負わせれば、電力会社は原発という割に合わない発電方法を選択することはない。デモや訴訟などしなくても、自然に消滅してくれる。

(以前、ツイッターでこんな情報を見ました。イタリアでは、原発反対の国民投票に先立ち、立地自治体への交付金廃止を巡って国民投票をしたんですって。それで、交付金が廃止された。すると、自然と原発は下火になった<ツイッター情報なので不実かもしれません>。やはり、何か無理があると、どこかに不自然なゆがみが生じますね。その場合、ゆがみの訂正でなく、もとの無理を取り除く。これ大切な考えですね。)

我々は新幹線や飛行機に乗るが、その技術開発やコスト計算のことを考える必要はないし、そもそも門外漢にわかるはずもない。ところが発電のこととなると、なぜかみんなああしろこうしろと主張する。そのこと自体が、大がかりな詐欺に取り込まれていく危険性を暗示していると気づくべきだ。税金投入による巨大利権ビジネスを正当化させるために踊らされているのではないかと疑うべきだ。

(これは本論とズレますが、いわゆる「お受験」も、そうだと思うんです。みんな、お受験の話題が大好き。「あそこがいい、ここがいい」と主張しますよね。熱くなります。ゴシップ好きの週刊誌も、御三家がどうしたとか、○○塾から○○中学に○人進んだとか、お受験関連の記事や広告は多い。ただ「みんなが行くから」程度しか動機がない人は、大がかりな詐欺?に踊らされているのではないか?と疑ってみるといいかもしれませんね。)

(同書の「かなり長いあとがき」で知ったのですが、たくき氏は、半原発がテーマの『マリアの父親』という小説で新人賞を取られたとか。が、この作品は売れなかった。

「出版社の文芸担当編集者の中には『たくきよしみつという新人は反原発の危険人物らしいから、あまり関わらないほうがいい』などと言っている人もいた、と同賞の先輩受賞者から聞かされた。担当編集者からは『経済のマイナス成長を肯定する作品だものねえ。うちとしても大々的に宣伝するわけにはいかないよ』と言われた。このままずるずると消されてたまるかと、その後も奮闘したつもりなのだが、気が付くと『小説を書いても出してもらえない作家』になっていた」(引用)。

長いものに巻かれず、奮闘してきた人生が伝わってきます。1Fの事故のはるか以前から原発問題に関心を寄せていたことも分かります。たくきよしみつ、『日本のルールは間違いだらけ』でも感じましたが、触れれば血が出そうなほど鋭い論理の持ち主です。これから他の作品もウォッチしようと思います。

同書は、福島の現地の事情を知りたい方に、ぜひお勧めします。





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