日本学生支援機構の奨学金には、無利子の1種、有利子の2種があるが、いずれも貸与型で、給付型はない。
いま日本では、子どもの貧困が問題になっている。
その解決策の一つとして、給付型奨学金の実現を目指す動きがあるようだ。
マスコミ報道は、給付型奨学金が必要だ、という論調ばかり。それは、その通りだろう。
ぼくも、給付型の奨学金に賛成だ。
しかし、給付型奨学金によって二極化がますます進むのでは、と心配している。
つまり、デキる学生は給付型奨学金を得て高学歴を身に付ける一方、
デキの悪い学生は給付型奨学金を得られない、という事態だ。
彼らは、従来通りの貸与型奨学金で学び続けるしかないだろう。
報道には、こうした視点・解説が欠けており、残念でならない。
家計の状況、夢や希望は、一人ひとり千差万別だ。
デキる・デキが悪いといっても、その内実はいろいろだ。
それをどう見極め、評価するか。
事実として貧しく、真に学びたいという欲がある生徒。
それほど貧しくなくとも、損得勘定に敏感でうまく立ち回る生徒。
こんな単純に分類できないことは百も承知だが、分かりやすさ優先であえて二分類した。
いかに前者の学生を掬い上げ、後者の学生に我慢してもらうか。
カギになるのは、審査だろう。
書類だけでは選べない。面接が複数回は必要だと思う。
そうなると、質量とも面接官の充実が必須になる。育成も大切だし、経験を積む必要もある。
こうした面接官には、金融畑出身でなく、社会の荒波にもまれた多種多様なキャリアを持つ人材にこそ就いて欲しい。
ちょっとニュアンスは違うが、起業家を見るベンチャー投資家のような眼を持つ人材とでも言えばいいか。審査をパスさせる学生には「俺が選んだんだ、尻拭いは覚悟している」というぐらいの頼もしい気持ちで、審査で落とす学生には「ごめん」と涙を流せるぐらいの優しい気持ちで。(これって面接官の仕事でなく親の仕事?)
ちょっと精神論に走り過ぎたかもしれない。
でも、給付型奨学金を意義あるものにするには、というより次代の人材を育てるためには、人生の先輩はそれくらいの覚悟が必要だ、と思うのです。
いかがでしょうか?