壁際椿事の「あるくみるきく」

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『幕末の志士たち』(植松三十里著)読後記

2013年11月28日 | よむ

『幕末の志士たち』(植松三十里著)を読みました。

坂本竜馬、西郷隆盛、高杉晋作……。幕末の有名人は多いけど、この小説は、佐賀藩で、鉄製大砲作りに励んだ、無名の佐賀藩士の物語です。以前、別件で植松さんを取材したとき、「いま岩波の『科学』に連載しているんです」と聞いた。「『科学』に連載?」と引っかかっており、単行本化されたらぜひ読もうと待ち構えていました。

本島藤太夫は、佐賀藩の大砲方の役目。藩主の鍋島正直は17歳で、自分は18歳。長崎守護が役目の佐賀藩だから、長崎への出張はたびたび。長崎に入港したオランダ船に乗り、若い二人は洋化の必要性を自覚するのでした。

時節は、西洋の商艦、捕鯨船、軍艦が、どんどん日本近海にやって来る時代。なかには薪炭と水を求め、港まで入ってくる船も。それらに備えられた大型の鉄製大砲を見て、度胆を抜かす日本人。とてもじゃないが青銅砲では、太刀打ちできない。

西洋の船に、いつ攻め込まれるやもしれない。台場の建造と、そこに据える鉄製大砲の整備が急がれます。自力で、鉄製の大砲を作るにはどうしたらいいか? 一冊の蘭書だけを頼りに、刀鍛冶、鋳物師、蘭学者らが知恵を出し合い、鉄製大砲を作っていきます。

反射炉というと、伊豆・韮山の江川太郎左衛門が有名だけど、それに先駆け、佐賀に反射炉があったんですね。鉄製大砲の製造に成功した佐賀藩は、やがて軍備増強する幕府や諸藩から注文をうけ、「日本の兵器工場」的な位置を占めます。

鍋島正直は、日和見という批判があるようですが、「内戦を避けたい」との思いから、幕府側にも雄藩側にも就かなかったとか。「兵器工場」ゆえ、微妙な政治外交が必要だったのでしょう。

植松さんの小説は、平易な表現で、時代背景などに詳しくなくても、スラスラ読み進められる。それでいて扱うテーマは鋭く、大切なことを描いている。一読して、歴史好きになるのです。この小説も同様でした。

ただ、「お涙ちょうだい」的な部分が多いのと、誰もが善人な点が、物語を浅くしていると思います。藤太夫の次男・作之進はじめ多くの人物が素直。もう少し複雑な人物造形にしたり、敵役を作って藤太夫と対立させたりすると、一層、物語に深みが出ると思います。ま、それが植松さんの作風だし、いいところでもあるのですが。

幕末物が好きな方は、ぜひ。



倉敷に行ってきた

2013年11月28日 | あるく

岡山に出張してきたよ。山陽本線のボックス席で座り合わせた、20歳前後の今風の男性の会話。「日本の人口ってどれくらい?」「4億くらいじゃない」「世界何位?」「さあ」。人口を調べてるのか、別のことをしているのか、2人ともスマフォをいじっている。悲しくなったよ。

倉敷駅から美観地区へ散歩した。えびす商店街。民芸品(土産物)の店が数店やっているが、多くはシャッターが下りている。夕刻なので、美観地区の観光客は少々。駅前に戻り居酒屋へ。店主に聞くと、北口にショッピングセンターが2つできて、テナントも100ほど入り、安売り競争とか。「商店街はやっていけないよ」。倉敷にして、そうなんだ。