壁際椿事の「あるくみるきく」

東京都内在住の50代男性。宜しくお願いします。

『教育の忘れもの』を読んだ

2009年11月05日 | 読書
奇跡の学生寮、平成の旧制高校寮……。東京都文京区に、このような表現がぴったりの男子学生寮があります。「現代の若衆宿」と呼ぶ卒塾生もいました。目白通り沿いで、旧田中角栄邸と日本女子大の間。うっそうと樹木が茂った緑の敷地内に、東西南北、そして巽(南東)の5つの建物……。「和敬塾」といいます。

この学生寮で青春時代を過ごし、社会の一線で活躍中の中高年たちを追跡取材した本を読みました。『教育の忘れもの~東京の学生寮・和敬塾』(上坂冬子著、集英社)です。

以前、NHKのドキュメンタリーで現役の学生の生活の様子を見知って、「ユニークな学生寮だな」という感想を持っていました。その後、この寮の情報に触れることがなかったのですが、今回、この本を読んで、その理由が分かりました。「青年たちが学ぶ場を騒がせたくない」との理由から、マスコミ取材に応じていないのです。NHKの番組も、寮のOBにNHK職員がいて、何とか放映に漕ぎづけたようです。

大声を張り上げて自己紹介する入塾式、棟ごとに発表する演劇祭、秋の体育祭、山の手一周ハイク……。寮には色々なイベントがあります。各界のリーダー、文化人を招いた講演会も頻繁にやっているようです。

寮の学生委員長は、選挙で決まります。立ち会い演説会の声明文が、また面白い。
・飲み会にはいかなる意義があるか。
・和敬塾の体育祭では勝ち負けを問うべきか。
・活性を失うと和敬塾も単なる学生マンションになってしまうが、活性を保つにはどうしたらよいか。
こんなテーマで大真面目に議論するそうです。

昭和43年、神戸市から上京してきた18歳の村上春樹も、ここで暮したとか。ただし、「数か月で去られたようです。集団で生活することになじまないとして退塾する学生は、サッと見切りをつけて早い時期に辞めていくようですね」(前川昭一塾長)とのこと。逆を言うと、ハマる人はどっぷりハマるのでしょう。

和敬塾は、1955(昭和30)年、冷熱機メーカーである前川製作所の創業者、前川喜作氏が私財を投じ設立。以来、大学の有名・無名、学力の高い・低い、文系・理系などによらず、広く東京の大学に通う学生を受け入れています。入寮ならぬ「入塾」には、塾長、寮長による面談があるそうです。

学校にせよ企業にせよ創業者の理念は強く社風や校風ににじみ出ます。和敬塾の風も、創設者の個性が強く反映されています。前川喜作という方は、相当の人物だったようです。