加納悦子リサイタル 「夕べの幻想」
@代々木上原 ムジカーザ
未だに興奮さめやらず…結局興奮したまま、このブログを書いてます。
やっぱり凄かった・・・
めっちゃくちゃ面白かった・・・
加納悦子さんのドイツ歌曲は凄い!って、もちろんわかってはいたんだけど、あまりの凄さに、前半だけでもう頭クラクラ・・・
プログラムはこちらです。
御本人の
「こんなプログラム、なかなかないと思いますが・・・」
いやもうないよね!!
この中の作曲家は、ヒンデミットとブリテンしか知らなかったです。
なのに、
面白い。面白い。
すごい。すごい。
これが音楽。これが歌曲。
加納悦子を聴かずして、リートを語るなかれ。
そう断言できる、凄い演奏会でした。
子安ゆかりさんのピアノも、曲によって音色が変わる。
ヒンデミットの前奏の響きの使い方が、また!!すごかった!!
ぺダルどうやってんのかな…)Oo.(´-`)
どの曲もすごいけど、特に死生観が見えるものを歌う時の加納さんには、強烈に惹き付けられます。
以前、加納さんが、リサイタルで「異郷にて」(原題忘れた…orz)という曲を歌われた時、彼女が「死神」というか、彼岸と此岸の道しるべみたいな存在に見えた事があります。
民話や伝承等において、「死神」というのは、悪しきものではなく、死ぬ者を導くだけのもの。(そうじゃない時もありますが…)
良い存在だとか、悪い存在だとか、そういうものではなく、「死」というものの象徴であるだけ。
加納さんは、まさにそれ。
そして、死は終わりでなく、始まりである。
私はこの意味をまだわからないけれど、加納さんが歌われる歌を聴いていると、その意味が確かに伝わってくる。
今日のどの曲にも、そういった部分が見え隠れしている。
生きる事は、死ぬ事であり、死ぬ事は、生きる事である。
「死」の先にある「生」が見える。
ドイツ歌曲に多い、「自然」を描写する事は、「生」と「死」を描写する事なのかな。
最後の「Der winter」を聴いていた時、「雪の女王」ってこんな感じなんだろうなー、と自然に思えました。
フォルトナーの曲、最後に加納さんがタイトルをもう1度語ってたんですけどね、あまりの言葉の美しさに悶絶しそうになった。
「ドイツ語は硬い」なんて、誰が言った?
ドイツ語は、これ程までに発音が柔らかく、美しく、甘く、優しく、音楽的な言語なのに。
そして、今回のタイトルともなった「Abendphantasie」は、ワーグナーのオペラ1本観たくらいの濃さと凄さがありました。
これを説明しろと言われても無理。
最初の1節、2節で涙が溢れて止まらない。
この世は何と美しいのか・・・
自然の美しさを描写した、言葉と音楽の美しさを思い出すだけで、涙が出てくる。
その後のアイスラーも素晴らしかったけど、「Abendphantasie」に完全に呑まれてしまった私、アイスラーが始まった時には、既に息も絶え絶えでした…。
ここまで有り得ないレベルのクオリティを出されると…
聴く側にも…脳の限界が…
休憩の時には、ひたすら脳を休めてた私…
今日、これを聴いた方は幸せです。
誇張ではなく、全てが素晴らしかった。
聴けなかった方は…
次の加納悦子さんのリサイタルを、是非聴きに行くべきかと!
ああぁぁぁ
楽しかったぁぁああああ
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