月影は 霧よりあはく 玉よりも かたく結びて 世に満ち渡る
*これはツイッターの活動の初期で、銀香炉が詠った歌ですね。もうツイッターを初めてどれくらいになりますか。登録したのが二月のはじめですから、この原稿が発表される頃には、そろそろ八か月になるという頃ですね。
それでもう一万三千ツイートを越えている。どこまで行くのだと言う感じです。ひとりではないからこうなるのですが。
歌や詩などが出てきた脳みそや、パソコンに打ちこむ指は一人分なんですよ。それでこれだけのことができる。
人間の器の可能性というのはすごいということです。あなたがたも、やろうと思えばすごいことができるということなのです。
自分の成長から逃げず、新たな可能性に挑戦してみて欲しいですね。ただし、多重人格活動などは決してやらないように。
表題の歌はこういう意ですね。
月の光というものは、霧よりも淡いが、玉よりもかたく結んで、この世界に満ち渡っている。
彼の実感として受けた感動でしょう。冴え冴えとしている。
月光は確かにやわらかい。手を伸ばして触れることはできるのだろうが、触れているという感触すらない。だが触れている証拠に、月は淡くわたしたちを照らしてくれるのです。
そしてすべてをやわらかく鎮めてくれる。激しい怒りも、悲しみも、生きていく中であじわうあらゆる荒々しい感覚も、月が照らしてくれるだけで、どこかに行ってしまう気がするのです。
そんな月の光が、この世界に満ち渡っているのだ。ダイヤモンドよりも確かな約束。それが当然だとでもいうように。
美しすぎる物語です。わたしたちは、太古の太古の太古の昔に、神がこの世界に設定した愛に、当然のように頼って生きている。
それが当然だなどというものではないことは、それがなくなった時にはじめてわかるのです。