白き猫 われにうたふる 花寝床 夢詩香
*たまには俳句をやりましょう。短歌ばかりをやっていますからね。このブログの自己紹介文も変えねばならないと思いつつ、さぼっている。ほかのところが忙しくて、そっちに頭が回らないのです。
「うたふる」は「うたふ(訴ふ)」の連体形です。「うたふ」は「うつたふ」の促音無表記の表現です。字数が稼げるのでよく使いますが、「歌ふ」と紛らわしいのが難ですね。ですが使い込んでいくと、違いがわかってきます。
なんでもやって積み重ねていくと、いろいろなことがなっていくのです。それまで常識だと思っていたことが、だんだんと崩れてきて、新しいものが育つ土壌ができてくる。
それはそうとして、これはかのじょが生きていたころのことを思い出して詠ったものです。花寝床というのは、よい寝床だというほどの意味だと思ってください。
白い猫がわたしに訴えるのだ。よい寝床をくださいと。
知っていると思いますが、かのじょはある白い猫をとても愛していました。できるなら家に入れてかわいがりたいと思っていたが、夫にだめだと言われてできなかった。愛してやりたいのに愛せないのがとてもつらかった。白い猫はたびたび家に入って来て、暖かい寝床で寝かせてくれとせがむ。それを無理に外に追い出さねばならない。
わたしはこういうことが平気でできる男がたまらない。妻がどんなに苦労して夫を助けているかわかりもせずに、威張り散らして妻の心を苦しめ続けるのです。
猫の一匹を飼うことさえ許してやれないのだ。匂いなどがまんできるものなのに。がまんしているうちに、自分も変わっていけるものなのに。
人間は少しのことが我慢できないから、次の段階に行けないのですよ。
痛いことがあっても、もう少し耐えてやっていこう、という気持ちになれる人が、無駄とも思える努力を繰り返していくうちに、世の中は変わってくるのです。そして世の中が変わった時、何も努力しなかった人間の方が焦るのです。
わたしたちは、逆風を満身に浴びながらも努力してきた。そして今、その努力が永遠の姿を持って現れてきている。人間が変わり始めている。世界はもうすでに変っている。
かのじょが生きていたころから、無駄とも思える努力を積み重ねてきたからです。