ムジカの写真帳

世界はキラキラおもちゃ箱・写真館
写真に俳句や短歌を添えてつづります。

しろきもの

2022-01-28 15:45:55 | 短歌





みつかひと ならむおのれを 夢見ては しろきもの塗る 人の苦しさ





*「しろきもの」とはおしろいのことです。「みつかひ」は天使のことですね。

天使になるだろう自分を夢見ては、自分におしろいを塗る人の、苦しさであることよ。

実はこの最後の「人の苦しさ」というところを、「人の愚かさ」に変えようとしましたが、仲間に止められました。「愚かさ」では相手を切り捨てるようなきつさが出る。「苦しさ」としたほうが、かすかに愛がこもると。そうかもしれません。

馬鹿な人たちが天使になりたがるのは、自分が嫌だからです。自分はいやらしいことばかりしているいやなやつだから、もうすっかりとそれを天使と取り換えてしまいたい。美しい天使そのものに自分がなりたい。だがそのためにやることといえば、天使のように美しく生きることなどではなく、顔に白いものをぬるくらいのことなのだ。それだけのことで天使になろうとすることが、愚かなことくらい、馬鹿な人たちにもわかっているということでしょう。

わかっていながら、やめられない。どうしても自分が嫌だから、天使になりたいのだ。しかしそうやって自分から逃げている限り、その矛盾の苦しさは終わらない。いつまでも苦しみ続ける。それがわかっていながら、馬鹿なことをやめられないのは、やめればすべてを失うことがつらいからです。

今まで、白いものを塗った嘘で、得てきた幻の幸福を、すべて失うからなのです。

幻の幸福とはなんでしょう。盗んできた美貌だけではない。それから得た名声や、財力や、愛に似たつながり、馬鹿な人たちがいいと思い込んでいるすべてのもの。そんなものは、自分に目覚めてしまえば、ばかばかしいがらくたに等しいものなのだが、迷っている魂には宝のように大事なものに思えるのです。

だから馬鹿な人たちは、嘘をついたまま本当になりたがる。何も失わないまま、美貌の天使になりたがるのです。だがそれは不可能だ。

楽をして、嘘を保ったまま、自分を本当にすることなど、できないのですよ。自分を本当に美しいものにしたいのなら、半身をちぎるような覚悟で、嘘を脱ぎ捨てねばなりません。それができなければ、馬鹿な人たちは永遠に自己矛盾の地獄に苦しみ続ける。

わかっているのだ。それが間違っていることは。だがやめられない。すべてをあきらめることができない。その自分の愚かさが苦しい。

いつまでやっているつもりなのか。


もう少し 待てば天使に なれるのと いつまでもやる ばかなひとたち


やっぱりきついのが来ましたね。






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細月の

2022-01-17 14:56:10 | 短歌





すみそめの ゆふべにかかる 細月の かひにすくひし おのがかげかな




*「すみそめの」は「ゆふべ」にかかる枕詞ですね。「かひ」は「匙(かひ)」です。この歌、ツイッターに発表したときは、「すみそめのゆふべにかかるみかづきのかひにすくひしつきのかげかな」となっていましたが、今一つ意が伝わらないと思い、表題のように直してみました。

月の写真が欲しいところですが、ないので、これでがまんしてください。丸い花の形が少し月を思わせるということで。

夕べの空に細い月がかかっている風景はよく見られますが、時々、それがまるで匙のように、自分の影をすくっているかのように見えるときがあります。地球照と言いましてね、地球が跳ね返す光が、月の暗部を薄く照らして、その影がうっすらと見えるときがある。それを見て、自分の重い影を背負っていく人間の心を思い合わせたりしました。

この世に、罪の影を持っていない人間はいません。暗い迷いの時代に、馬鹿なことを何もしなかった人間はいません。人間は自分を嫌がり、その苦しさのあまりに、この世を破壊せんばかりに暴虐を働いてきた。その罪はあまりに重く、人間の前に立ちふさがるのです。

馬鹿な人は、それを見るのが嫌なばかりに、罪から逃げ続け、余計に罪を重ねるのだが、正しい人は、おのれの重い影を正しく背負い、それを支払ってゆくべく真面目に働いていくのです。

夕べの空にかかる細月が、おのれの影を匙のようにすくっているように、人間もまた自分の影を背負っていくのだ。

それが正しい人間の態度なのです。そこから逃げていては、人間は始まりません。たとえ自分のしでかしたことが人間として認めたくないほど恥ずかしいことでも、馬鹿にならずに正視し、正面から受け止め、自分のものとして背負っていくのが、美しい人間のすることなのです。

迷いの時代、人間はみんな、間違ったことをたくさんしてきました。しかし自分というものがわかり、本当の自分の正体に気づくと、生まれ変わったように自分が美しくなる。すばらしいことができるようになる。神に従って正しく生きることがどんなに美しい幸福を呼ぶかを知る。

そのように美しくなった人間は、重い自分の影をすくいあげる月のように、自分を正しく背負って、まっすぐに自分を生きていくのです。






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こころのそら

2022-01-03 10:32:16 | 短歌





目覚むれば こころのそらは 晴れ渡り きよきおのれの まことをぞ見る




*ツイッターの方で、毎日二首ずつ発表することを課題としていますが、なかなかいいのが詠めませんね。その中でこれはまあまあましなほうですか。今一つきりりと決まりませんが、言いたいことは言い抜けている。

なお、ツイッターに発表したときは、最後の七が、「まことぞ見ゆる」になっていましたが、後で考え直してこっちのほうがいいと思い、ここでは「まことをぞ見る」にしてみました。

目を覚ませば、心の空は晴れ渡り、清らかな自分の真実を見る。解説など不要なほど明らかな真理です。人間、本当の自分に目覚めたときは、それまでの迷いと悩みの嵐が不意にやみ、清浄な心の平安が現れるのです。これは実際解脱して本当の自分に目覚めた人は、だれでも経験することです。

闇はぬぐわれ、光が現れて、その中に本当の自分の姿が現れる。愛だけで、すべてのために、美しいことをやっていきたいと考えている、美しい自分の心の姿が現れる。それが真実なのだとわかる。

今までの、迷いの中で悪に荒れていた自分は、本当の自分ではなかったのだ。本当の自分はこんなにも美しいものだったのだと。

神が創ってくださった本当の自分とは、まことにすばらしいものなのです。あらゆる苦しみは、その自分を馬鹿だと思い込み、そこから逃げようと荒れもがいていたことから起こったのです。自分から逃げようとしている自己存在は、常に不安な振動の中にいます。それは本当の自分と、嘘で作ったなりたい自分との間に、微妙なずれが現れ、その間を刹那刹那で移動するという、信じられない魂の苦しみなのです。その振動のさなかにいる魂は、まさしく暗い嵐の中にいるように、自己否定感の風に常に吹きまくられているのです。

その嵐は、人間が本当の自分に気づいたとき、嘘のようにおさまるのです。そこからすばらしい天国が始まる。自分の自分、自分は自分、美しい本当の自分の姿に人は感動し、あふれる愛のままにその自分をやっていきたいと、願うのです。それはあまりにも清らかな心だ。

人類の自分は、まことにすばらしいものなのですよ。神が愛をこめて創られたすばらしい種族なのです。清らかな心で、みなの幸福のために自分をかけて働きたいと願っている。目覚めれば、それが真実の姿だとわかるのです。






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