ムジカの写真帳

世界はキラキラおもちゃ箱・写真館
写真に俳句や短歌を添えてつづります。

神様に

2024-06-26 02:52:23 | 短歌





神様に 愛することを やめられて 馬鹿は孤独の 地獄を回る




*今週は、わたしはひとつも詠めませんでした。
添島のほうにエネルギーをとられてね。彼は苦しみながらも、しばらく毎日更新を続けたいらしいです。やる気になっているのに、それを邪魔するわけにもいきません。今しばらくは、わたしは我慢しましょう。

で、表題の作は大火のものです。大火の歌は、感性よりも知性を重く使って表現するので、うまく添島とすみわけができるようですね。

さてみなさん、神様が人類を愛することをやめたら、どうなると思いますか。

あまり想像したくはないが、確実に、人類は大変なことになります。この地球に住むことを許されなくなり、恐竜のように、滅亡の方向に一気に傾くことになる。

この世界での人類の繁栄は、ただただ、神が人類を愛してくださっているから、あることなのです。

しかしその人類の中に、神の愛を失ってしまった馬鹿がいる。神の心に背き、自分のことだけを考えて、人間世界を食い物にする、汚い嘘つきたちです。

彼らはこの世での自分の幸せを作るために、暴力的に人のものを盗み、自分に飾り付けるなどの、汚いことを陰でしておきながら、表面はまことに良い人間であるかのようなふりをしている。
そのようないやらしい嘘をつくことは、神が最も嫌うことなのです。

それでも昔は、悔い改めを期待して、神はじっと耐えていてくださったが、それにも限界がある。

馬鹿者は、醜いエゴを振り回し続け、この世を荒らしまわり、とうとう神の忍耐の限界を破ったのです。

そして神に、愛することをやめられてしまった。

神に愛することをやめてしまわれた人間は、もう神の愛の世界にいることはできません。この美しい地球政界に、もういる場所はない。

彼らは、この世界を失い、神が何も愛を注いでくれない、冷たい虚無の荒野へと、向かわねばならない。

孤独の地獄を回るとは、だれにも愛されない自分を抱いて、永遠に虚無の荒野をさまようということでしょう。

神の愛を失ったものの運命は厳しい。ですから、神の心に逆らうことなど、絶対にしてはいけません。





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ぬばたまの

2024-06-19 02:35:29 | 短歌




ぬばたまの 闇のきはみの 世にありて ただひとつぶの まことの光




*今週も不調ですね。なかなかいいのが詠めません。添島の方も苦しんでいるようです。今一つ歌に輝きがない。歌を詠もうと頭をしぼっていると、馬鹿の霊が思考を乱して邪魔するのです。感性の中枢にも蓋をされて、良い言葉が浮かんできません。苦しいですね。

だが何とかしていきましょう。長いトンネルの中、光は見えなくても、わたしたちの中には消えない自分の光がある。信じるに足る真実の光が、自分の中にある。

さて表題の作にいきましょう。かのじょが例の日記を書いていたころ、かのじょを理解してくれる人は誰もいませんでした。かのじょは無知と無理解の嵐の中を、傷だらけになりながら、生きていました。

みな、口ではいいことを言いながら、愛を信じてなどいなかった。神というものは、特定の団体が人間をだますために利用する、お題目程度にしか考えていなかった。

そんな究極の闇の時代にあって、かのじょ一人が、ただ愛を信じ、神を信じ、真心で人類を救おうとしていたのです。

墨のような闇の底に沈んだ、たったひとつぶのまことの光があった。そこから、新たな時代は始まった。

すばらしい自分自身の真実を歌い上げたあの日記は、瞬く間に世界に広がり、愛と真実の光で、人類に新たな未来を教えたのでした。

すべては、田舎に住んでいた、ひとりの女性の、まことの愛と真心から始まったのです。

その光は、今もこの世で増殖し続け、どんどん世界を光に染め続けています。




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人形を

2024-06-12 02:20:30 | 短歌





人形を 打ち捨つるごと このわれを たれ知らぬ野に 捨てて逃げたき




*今週は2首ほど詠めました。いろいろと馬鹿の妨害がある中、なんとか努力しています。添島の方も苦労しているようです。なかなかすっきりと良いものが詠めないと。それでも毎日やるのが尊いのだと、がんばっているようです。逆風の中を突き進んでいくのも、結構面白い。自分というものが磨かれて、新たなものが見えてくるような気がします。

表題の作は、わたしのものです。自分の罪の大きさと、やってしまったことの情けないほどの低劣さに、その罪ごと自分を捨ててしまいたいと願っている馬鹿の気持ちを詠んでみたものですが。

自分から逃げられるわけがありません。自分のやったことは、自分のやったこととして、必ず自分に返ってくるのです。その自分から逃げて、真実を逆さまにしようとすれば、余計に罪が深くなる。それは痛ましいほど苦しい運命を、自分の未来に呼び込むことになるのです。

苦いことをしたことのない人間などいないが、それにしても馬鹿なことをやりすぎてしまった。その自分がつらいのはわかるが、逃げてはなりません。すべての罪を正直に認め、受け入れ、自分を立て直していくべく、自分の未来を愛に投資していくべきです。

いつでも、過去より未来の方が膨大に大きいのだから、その未来をかけて、みなのために良いことをしていき、自分の罪を清めていくべきなのです。

それが最も正しいことなのだが。

馬鹿はどうしても暗い方に迷い込む。自分の罪の醜さに絶望して、間違ったことをまた繰り返す。自分の罪から逃げて、ほかのものに罪をなすりつけようとするようなことを。

苦しいですね。混沌の闇に迷うた魂を、正しい方向に導くのは、本当に難しい。

ですが叫び続けていきましょう。自分から逃げるなと。どんな情けない罪を犯したものでも、自分で自分を見捨ててはいけないと。

罪に染まった自分を救えるものは、自分しかいないのです。




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猿真似の

2024-06-05 03:00:54 | 短歌





猿真似の 美人を衒ひ 堂々と 世間を歩く 醜女の驕り





*今週は第3館から持ってきました。大火の作です。見たらわかるでしょうけどね。

残念ながらわたしは今週一つも歌が詠めませんでした。歌を詠むことに使うアタマを、ほとんど添島にとられていたのでね。まあ仕方がありません。

でも大火が詠む時に使うアタマは、わたしや添島が使うアタマとは違うところみたいですね。こういうきついのがすっと出てくる。たぶん、感性より知性のほうを重く使うからでしょう。

それはそれとして、表題の作にいきましょう。

猿真似で作った美人を見せびらかしながら、堂々と世間を歩いている、ブスの驕り、と。

大火は言いにくいこともばっさりと言いぬきます。
はっきり言って、偽物の美人の傲慢は醜い。自分を美人だと思い込んで、気取って世間を歩いているそのさまは、見られたものではない。

本当の美人は、美をそれほど衒わないものですよ。美というものは、それを見る人を少し苦しめるものだと、わかっているからです。それに、美しいのは神であり、自分はそれをお預かりしているだけだという心が、ちゃんと備わっているからです。

真面目に自分の勉強をしている本当の美人は、愛がわかっていますから、美を衒って人を見下すように世間を歩くことなどしないのです。

でも偽物は、そんな勉強など何もしていませんから、どうも美を特権だと思っている節がある。どんなわがままも通用するんだ、わたしは美人なのだからと。

たまりませんね。

そんな心が美しいわけがない。偽物の美人の正体は、勉強など何もしてなくて、愛がわからなくて、人の美貌を盗んで甘い汁ばかり吸ってきた、いやらしいブスなのです。

ブスなのに、自分は美人だと思って、それを鼻にかけているさまは、たまらなく醜い。

それは猿が人間の皮をかぶって、えらくいい気でいるかのような、あまりにも愚かなブスなのです。




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