なにせむが ためにおのれは あるものか たからかにいへ 生類の声
*やあこれはすばらしい。獅子の作品です。こういうのが彼だ。圧倒されてしまうでしょう。
たった三十一文字の中にあふれるほど厚いものが秘められている。
「生類」というのが強い。呆然として魅かれてしまいますね。これが男というものです。この強さというか、すごさがたまらない。
何をするために、自分というものがあるのか、たからかに言え、あらゆる生き物どもよ。
牛も蛙も、人も蜂も、自分というものを持っている。それはなぜ生きるのか。何をするためにあるのか。
物を食うためか、セックスをするためか。あらゆる経験がある。めくるめく現象を見る。驚く自分がいる。これらのことは何のためにあるのか。
その答えを言ってみよ。
問いかけは激しい。答えねばならないが、言葉が詰まって何も言えない。わかっているような気がするが、まだ確かに表現することができないのだ。
だがわたしなら、即座にこの歌に応えるでしょう。
われのみのわれをいくのみたからかにうたひこそすれわれはうましと 夢詩香
率直な歌には率直に答えねばならない。これも強くなくてはできません。飲まれるものかという気概がなくてはなりませんね。わたしも、ここでは女性的に表現していますが、本当は痛い男ですから。
問われて黙っているわけにはいかない。
物事には加減があるぞということを無視しても、馬鹿をやりすぎる馬鹿男にも、これくらいのことはやってほしいものです。