ムジカの写真帳

世界はキラキラおもちゃ箱・写真館
写真に俳句や短歌を添えてつづります。

ちへのあやまち

2017-12-31 04:21:22 | 短歌





よしもなき かろきをみなと あなどりて 月をとらむと ちへのあやまち





*「よしなし(由無し)」は「理由がない」とか「方法がない」とか「つまらない」とかいう意味の古語ですね。似たような言葉に「やくなし(益無し)」とか「かたなし(形無し)」があるので、ついでに覚えておきましょう。意味はそれぞれ調べてください。

つまらない軽い女だと侮って、あの月をとろうとして、千重も過ちをかさねたことだ。

人間世界の誤った常識として、美人は馬鹿だというものがありました。美しい女性は、性格が悪いという感じですね。それにはいろいろな人間の愚かな心理があるのですが。

要するに、美人が馬鹿でなければ手が出せないと思っている馬鹿な男が、無理矢理理屈を曲げて、美人は馬鹿だということにしてきたのです。

それなら、自分が適当に遊べるものにできる。

また、愚かな女性が他人の美を盗んで、すごい美人になった例を見て、そう思い込む場合もありました。未熟な女性はやさしさなどまだわからず、人にエゴを押し付けがちですから、きれいな顔をかぶってそんな態度をすると、それを見た人が美人は馬鹿だと思い込むのも当然のことでした。

しかしそれは間違った常識です。神の理では、美しい人ほど賢く、心も美しいのです。心の真実が現れたものが、その人の姿であるのです。

馬鹿な人間はそれを無理矢理人から盗み、自分を美しくしてきたのです。

何度も言っていることですがね、何度も言うことが大事なのだ。人間は逃げることのできない真実をそうして思い知る。

人から姿を盗んで自分を美しくすることは、神の心を盗むことにも等しい。とてもやさしげな姿をしている人が、あまりにひどいことをしているという姿を人に見せていると、愛は人を馬鹿にしているという印象を世間にばらまくことになる。それは神の愛に対する誤解を世界にふりまくことでもあるのです。

馬鹿はここを十分に思い知らねばなりません。美しくなりたい気持ちはわかりますがね、勉強もしないで美しくなろうとするなどは、あつかましいにもほどがある。

傲慢を抑え、つらいことをがまんし、人に頭を下げて、人に従ってゆく修行をなさい。そういうことを学ばないから、人を馬鹿にして、つらいことになるのです。

美しい人はみな、十分にそんな修行を積んでいるのです。






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凡庸の道

2017-12-30 04:21:49 | 短歌





おもふほど 不幸にならぬ くはしめの 月をうらみて 凡庸の道





*世間の凡庸な女は、美人は不幸になってもらわないと困ると思っているのです。

自分よりきれいな女が、自分より幸福になるのは許せないと思っている。許すも何も、人の幸不幸を許す権利などないはずだが、馬鹿な女はそんなことを飛び越えて、許せないという。なぜか。

自分がいつも不幸になるからです。

なぜ不幸になるかと言えば、努力もしないのに偉そうにするからなのだが。自分がわかっていない凡庸な女はそれがまだわかってはいない。

女性というものは、神や愛に従っていかねばならないというものです。反抗はあまりしてはいけません。いやなことをすればそれだけで二度と立ち直れないような難が来る。女性たる自分の本質を著しく剋してしまうからです。

男性にも、女性はある程度自分を抑えて従っていかねばなりません。なぜなら、男にはそれができないからです。男が男に従うのは、それが男になるという場合のみです。馬鹿にされたら必ず反撃せねばならない。それが男というもの。

だが女性は違う。常に攻撃態勢を失ってはいけない男性をなんとかするためには、女性は水のように理に従っていなければならない。

ここを勉強していない女性は、すぐにあられもないことでいろいろなことに逆らってしまい、それで自分を不幸にしてしまうのです。

男にも世間にも、できるだけ自分を抑えて従っていけば、女性は賢く美しくなり、幸福になっていけるのです。もちろん忍耐力は必要だ。あらゆる激しいことに耐えていかねばならない。美しいことをするだけで嫉妬して馬鹿にしてくる人の仕打ちにも耐えていけねばなりません。

そういうことをちゃんと勉強していけば、女性は清らかな幸福を得ることができるのです。耐えて頑張ってくれる女性を見れば、いろいろな愛が集まって来て、暖かな幸福ができる。

だが馬鹿な女性はそれが妬ましくてたまらない。自分の勉強不足を棚にあげて、ずるい、などという。あんな女嘘だ、という。本当は嫌なやつなのに、うまく芝居してみんなをだましているのだと。

そして影から回っていろんな妨害をして、気に入らない美人を不幸にしてやろうとするのです。そのやり方と言ったら、汚いなどというものではない。

そんなことばかりしているから、自分が不幸になるのだとは、全く気付いていないわけでもあるまいに。

馬鹿なことをして簡単に自分を満足させようとすることに、いまだに抗していけないのだ。

人に負けることを学んで、自分を抑えることができない限り、凡庸な女性は幸福になることはできません。







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あかつきのまへ

2017-12-29 04:20:39 | 短歌





ぬばたまの 闇はかはりて むらさめの 音もかなしき あかつきのまへ





*「むらさめ(村雨、叢雨)」はにわか雨のことです。言葉はよく知っていても意味は知らない言葉っていうのはよくありますね。これなどそのひとつではないでしょうか。

闇が変わって、にわか雨の音も悲しい、夜明けの前である。

今は、馬鹿ばかりが栄えている悲しい世の中ですが、その闇も変わり始めている。いろいろなことが起こり始めているのです。にわか雨のように、かつてないような事件が起こり、深い印象を人々に残して過ぎ去ってゆく。

にわか雨が降るように、不安を呼び起こす何かが起こる。それを見つつも、人々は恐れを感じるだけで何もできない。何かが起こる予感はするのだが。

もうすぐ夜明けがくるのだ。こんな、馬鹿ばかりが栄える時代が、終わるのだ。

闇は真っ黒一色であるように見えて、複雑な色を秘しているものだ。その闇の色が今変わり始めている。人間の、見ることができる力が伸びて、闇の中に隠れているものの姿が見えるようになったのです。

形だけきれいな美女の心が見えるようになった。あれらが陰でどのような恥知らずの所業をしているかが、あからさまにわかるようになった。

そうなればもう、元と同じではいられない。嫌な男も、馬鹿な女はいやだと言って逃げていく。

人々は気付く、何もかもは、女がいいものだと思っていたから、できていたことなのだと。馬鹿でもきれいな女がいて、そっちにもいいものがあると信じていたからできていたことなのだと。

その女が馬鹿なものであったのなら、男は何をするのも馬鹿らしい。

きつい女はもういやだ。考えていることが汚すぎる。女は馬鹿の方がいいと言いながら、本当に馬鹿だったらいやなのが、男というものだ。

闇の色がこうして変わり始めている。見える景色が違い始めている。さて、人間はどうするべきか。

いまだにわからない。だが、夜明けは確実に近づいているのだ。






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朝の月

2017-12-28 04:20:42 | 短歌





長道ゆく 人のうれひを とほくみて 高く澄みける 朝の月かな





*「長道」は「ながち」と読みましょう。文字通り、長い道のりという意味です。同じ意味で「長手(ながて)」という言葉もあります。こういう文字の少ない言葉は押さえておくべきです。見つけたら自分でも積極的に使ってみて、こなしておくのをお勧めします。

訓練とは実践だ。次の機会にすることにしては忘れてしまう。古語辞典でおもしろいと思った言葉があったら、すぐに使って何かの作品を作ってみましょう。

長い道をゆく人の憂いを遠く見ながら、高く澄みきっている、朝の月であることよ。

影でかのじょを馬鹿にし、ありとあらゆる暴言を吐いた人は、これからそれを支払わねばならない長い年月が待っています。長いと一言では言うが、その道は苦難に満ちている。今までやって来なかった心の課題が、いっぺんに押し寄せてくる。ありとあらゆる経験をせねばならない。

影からひどい悪口を言って、他人を扇動して、憎い女を滅ぼそうとすることなど、何でできると思いますか。その人が何も勉強していないからです。そんなことをすれば人がどんなに苦しむかとか、どんなつらい思いをするかとか、そういうことを思うことが全然できないのです。

想像力の欠如というは、もろに不勉強の証です。自分のプライドが折れて、人に馬鹿にされて、つらい思いをするのがいやで、そういう勉強から逃げ続けてきたからです。

勉強のできた人は、時には過ち、時には人に馬鹿にされながら、それに真面目に取り組んできたのです。自分の心であらゆるつらさくるしさ悲しさを味わってきた。その経験が自分の中にやさしさを培っている。

そのやさしさを持っているものなら、人を不幸に陥れることなどできるはずがないのです。

そういうことを平気でできる人は、何も勉強していない人だ。だからこれから、今までやって来なかった勉強をずっとやっていかねばならない。

これでもかという辛い思いをせねばならないでしょう。人に馬鹿にされ、いやなやつだと言われ、否定されるばかりでしょう。そういうことばかりしてきたからです。苦しいことから逃げ、全部人のせいにしている限り、その苦しみは続く。何かが肝に入り、すべてがわかるまで、人の苦しみの道は長く続くのです。

そういう人の憂いの姿を、月は高みから静かに見下ろしている。何を思っているだろう。あきれているだろうか。自分で勝手にやっておいて、自分で勝手に落ちている人間の愚かさに。

それは月に聞いてみねばわかりません。ただその月は朝の月であるらしい。何もかもを知って、これからどこへともなく去っていく月のことらしい。






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乱声の日々

2017-12-27 04:20:36 | 短歌





寒風に 悔いもかねつる 身を抱き 今さら憎き 乱声の日々





*これは大火の作ですね。古風に真面目に詠んでいてもなんとなくわかる。自分らしさというのはどうしても隠せません。

乱声(らんじょう)というのは、前にも言ったが、鉦や太鼓を激しく打ち鳴らして鬨の声をあげることだ。まあ言わずともわかるでしょうが、要するに、馬鹿が何も知らずに影から激しくかのじょへの悪口を言っていた、あのことを意味します。

まさに乱声というのがぴったりなことでしたね。言うにことかいて何を言ったのか。恐ろしいことを言った。まさか、自分の言ったことが自分にそのまま返ってくるとは思っていなかったからです。無知とは恐ろしい。

地獄に落ちて、みんなに犯されてしまえ。そこをみんなに見られて、世界中にあざ笑われるがいい。

まあ、そういうことを言いましたね。言葉は違えども大意は変わらないことを、みんなが口々に言いましたね。あまりにも、あの美人が憎かったからです。どんなに高い罠をはってもかからない。思うように馬鹿なことをやって不幸になってくれない。それなのに、自分より美しいのだ。

だからと言ってそこまでやるかということをした。そこまで言うかということを言った。憎悪と嫉妬に狂って人間の境を越えた。もはや神もあきれ果てるほど。

もうわかりますね。そろそろ、法則の風がもろに来ている。かのじょを呪ったその自分の言葉が、自分に返って来て、自分に現れたのです。

奈落に落ちて、みんなに犯された上、世界中の笑いものになったのは、自分の方だったのです。

逃げられない現実は、これからもたくさん起こるでしょう。もうだれも助けてはくれない。神でさえも同情してくれない。

たったひとりで、あらゆる難に向かっていかねばなりません。自分の言ったことの、すべてに責任をとらねばなりません。






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たかぶりのうてな

2017-12-26 04:21:16 | 短歌





たかぶりの うてなに住みて あまつ空 星だにふるる きはとおもへり





*今芸能界には転落の風が吹き始めているらしい。そういう情報が今わたしたちの元にも届いています。

昨日までスターだった人が、とんでもないところに落ちて、とてもつらい仕事をさせられているらしい。この項を書いているのは12月の2日です。こう書くと、あああのことかと思い当たるかもしれませんね。

人から盗んだ美貌と徳分で、空の星にも触れられるかと思うほど高いところにいた。目立つところでかなりいい思いをしていた。それがある日突然、風も吹かないのに倒れ、気が付くと恐ろしく深い闇にいた。

人を落とそうとした地獄に、自分が落ちたのです。

法則は必ず果たさねばならない約束だ。そう言うことになる人は、これからもたくさん出てくるでしょう。無知ほど怖いものはない。馬鹿なことをやれば田舎の美人くらい軽く落とせるものと思い、ゲーム感覚でやっていた。それがこんな形で自分に返ってくるとはひとかけらも思っていなかったろう。

凡庸というのは罪です。この世界の仕組みについて無知でありすぎることが、あらゆる不幸の原因であるということに、そろそろ人は気付かねばなりません。

勉強を馬鹿にしてきたからこうなった。不良を気取ってね、ツッパリがかっこいいなんて漫画を読みながら、ガキが肩を怒らせて世間を歩いていた。それがいかにみっともないことだったか、馬鹿もようやくわかりはじめてきたようだ。

結局は、真面目に勉強してきた人が、最後には勝つのです。

「うてな」とか「きは」はわかりますね。知っておかねばおかしい古語ですから解説しません。本当に勉強は大事ですよ。遊ぶ時間をもっと減らして勉強しなければなりません。いつまでもこうしてわたしたちがサービスしてくれると思ったら大間違いです。

今はこういう時代ですから、わたしたちも知識を大放出している。これが全部タダなんですよ。タダほどこわいものはない。

恐ろしく高いものを、ただで食ったことが、後にどういう反動になって返ってくると思っているのですか。






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月を罪

2017-12-25 04:20:03 | 短歌





ひとすぢの 乱るる声も なかりせば いかにて月を 罪といはまし




*「せば~まし」の半現実的な仮想をする意で、「もし~なら~だろう」という感じになりますが、疑問詞が入ることで意味が微妙に変わってきます。

一筋の乱れる声がなかったら、どうして月を罪というだろう。

仮想というより現実味を帯びてきますね。

実際かのじょは声を乱して人の悪口を言ったり、嫌なことを言ったりすることはなかったでしょう。むしろ人にいいことをしてあげようと、気持ちのいい、いいことを言ってあげていた。ともすれば壁にぶつかり、気持ちが萎えていく人間に、きれいな言葉を投げかけて、励まそうとしていた。

いい加減な気持ちでかのじょの言葉を聞いていたものは、かなりショックだったでしょう。予想に反して、美人がとてもいい人だったからです。

馬鹿というものは、美人というと、頭から馬鹿な奴だと思いたいのだ。それでなければ自分が辛すぎるのです。

美人を手に入れるためには、あるいは美人になるためには、それなりの勉強をして高いことがわかったりできたりしなくてはならないのだが、凡庸の人というのは努力をしない。それで美人が欲しいものだから、美人を馬鹿なものだにして何とかしようとするのです。

それで結局とんでもないことになる。

思い通りに美人が馬鹿にならないというだけで、あられもない狂い方をして、阿呆になりすぎ、反動が返ってきたときにようやく我に返る。

馬鹿とはそういうものだ。自分の努力不足を人のせいにするから馬鹿になるのですよ。

何度も言われていることでしょうが、何度でも言いましょう。それでなければ人間は変わらない。自分が変わらない限り、人間はいろいろな人に同じことを言われ続けます。それから逃げている限り、永遠に馬鹿は直らない。

同じ失敗ばかり繰り返して、自分がどんどん嫌なものになっていくのです。そしてまた、美人がうらやましくなる。

女性の美人というのは、こういう馬鹿の嫉妬に、宿命的に馬鹿にされるものだと思っておきましょう。馬鹿というのはきれいな女性がうらやましくてたまらないのです。なぜかということは深く考えなくてよい。馬鹿もそれほど深く考えているわけではない。ただ、美女がうらやましいと感じる何かの装置のようなものが、馬鹿の中にはあるのです。

ですから、自分を立てて美しくなっていく女性は、馬鹿の嫉妬に耐えていく精神力をも養っていかねばなりません。忍耐強くなっていかねばなりません。

どんなに苦しくても、自分を崩さない強さを学んでいかねばならない。

美女の道というものは甘くないのです。こういう勉強ができてこそ、本当に美しくなれる。

いつまでも他人に甘えている馬鹿は、いつまでもきれいになれないままです。






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片身の月

2017-12-24 04:19:17 | 短歌





しなてるや 片身の月は 照り映えて われせぬわれを いたくぬらせり




*「しなてるや(級照るや)」は「鳰の海」や「片」にかかる枕詞です。用例を何度も重ねていくと身につきますね。枕詞は積極的に使いましょう。歌が詠みやすくなります。

「片身の月」とは要するに半月のことだ。上弦か下弦かはこの言葉からは特定できないが、わたしたちが言う時はほとんどが上弦の意です。これから太っていく月。わたしたちはこの言葉に、半身を欠くほどのはげしい喪失を経験しながらも、そこから自分を立てなおしていく人類の夢をかけているのです。

片身だけの月、要するに上弦の月は照り映えて、自分をやらない自分を、その光で痛く濡らしている。

まあなんとなくわかるでしょう。そろそろ人間は変わり始めている。自分というものがわかってきて、次の段階に入るべく準備をしているのです。もはや次の段階に入った人もいる。それなのに、未だに何も知らなかった時代の幻にこだわって、何もしようとしない人がいる。そのような人を、変っていく自分を肯定している人々が、冷たく見ている。

もうそろそろこんな世の中は終わりだというのに、未だに、馬鹿なことをやれる人が得する、古い世の中にこだわろうとしている。そういう世の中であれば、馬鹿でも生きていける。いや、馬鹿の方が偉くなれるからだ。

だがもう、その馬鹿は通用しない。馬鹿が何を考えて、何をしてきたかを、人類が知ったからです。

馬鹿なことをやって人を馬鹿にすれば、自分がいいものになれる世の中だった。その時になしたあらゆることが、今反動となってどんどん自分に返ってきているのに、自分には何もできない。だれかに助けを請おうにも、人を馬鹿にしすぎているので、誰も助けてはくれない。

そういう馬鹿は、人類の進化の扉が開いて、その向こうから吹く風におびえている。何もかもを失うどころか、人類の際にもいることができない自分の真実を知らねばならない。

馬鹿なことをして、愛を裏切り続けていくと、もう親の家にもいられないのです。すべてに嫌われる。何もできないのに何もない。すべてが離れていく。そんな窒息しそうな人生が、波のように押し寄せてきている。

馬鹿の末路は厳しいものです。もうわかったでしょう。

ずるいことや悪いことばかりして、人を馬鹿にして、自分ばかりいいことにしてきた人は、みなそういうことになったのです。

馬鹿が栄えていた時代に、こうなることを何も知らずに傲慢にやったことが、今は恥ずかしいほどつらいでしょう。だがもう遅い。わたしたちは何度も言ってあげたはずだが。

聞く耳を持たなかった自分の方が悪いのです。すべては自分の責任です。だれのせいにすることもできません。






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よしもなきもの

2017-12-23 04:20:12 | 短歌





よしもなき ものとせむとて 月影を 夢に忘るる よきすべもがな




*「よしなし(由無し)」とは「つまらない」とか「取るに足らない」という意味の形容詞ですね。ほかに「理由がない」とか「無駄だ」とかいう意味もあります。語調を整えるために「も」を入れるのは別によいことです。

あんなものはつまらないものなのだということにしようとして、月影にたとえられるあの人を、夢の中に忘れる、よい方法はないだろうか。

恋をしている時には、だれしもよくこういう思いにとらわれます。好きな人を好きになっていくたびに、その人に自分の全てを支配されるようで怖い。何もかもを、そのためだけにやっているようで、たまらなく痛いときがある。

あんな女など、とるにたらないものなのだ。ほかにすばらしいものはあるのだ。などと考えて、やたらと大きなものに頼ったりする。それは神であったり哲学であったり、要するに人間をもっと大きな世界にいざなうものだ。

しかし容易にそんな世界に逃げられはしない。結局は、そういう世界に逃げることも、好きな人のためにやっているようなものだからです。

忘れられない人を、忘れようとする努力の方が、よしもないものというべきだ。そんなことをしても疲れるだけだ。

恋には負けたほうが良い。

素直に、好きだという心を認めたほうが良い。

そして道化のようになって、その人のために自分を捧げたほうが良いのです。

たとえ悲しい結果に終わっても、後の悔いが少ない。愛した分だけ、自分の中に暖かいものがあるからだ。

愛されることより、愛することのほうが、自分を大きくしてくれる。そういうことに気付くこともできる。そして恋というものは、みじめになるほど自分を下僕にしてしまうことを知る。

それでいいのですよ。王侯貴族の恋などありはしない。人間は、恋というものには、下僕のように仕えたほうがいいのです。そうすれば、自分をもっと美しくできる。

二度とない青春の日々に、美しい人に出会って恋をしたなら、恋に苦しんでその人を馬鹿にしたりしないで、道化のようになって花を摘みにいき、愛をうちあけなさい。そして、ふられなさい。

傷つくことを恐れてばかりいるから、人間は全然恋が上手にならないのです。






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にひくさのべに

2017-12-22 04:20:44 | 短歌





はなぐしを ゆんでにわりて めてにとる あまくだりこし にひくさのべに





*たまにはかのじょの作品をあげましょう。これは2008年の作です。

ゆんでは「弓手」で弓を持つ方の手という意味で、左手のことです。めては「馬手」で手綱を握る手という意味で、右手のことですね。にひくさは春に新しく芽を出した草のことです。まあわかっている人は多いでしょうが、いちいち言うのが勉強です。

花櫛を左手で割って、右手にとるのは、天からくだりきた、新しい草の紅なのだ。

言わずともわかると思うのだが、失礼だがまるでわかっていない女性を多く見かけるもので。要するに、嬉しそうに花櫛のようなもので着飾っていると、もうまるで似合わなくなっているのにまだ世の多くの女性たちは気付いていない。

人間も成長して、心が大きくなり、目が強くなってくると、昔のような服やアクセサリーが似合わなくなってくるのです。そんなものをつけなくても、自分の目の光だけで十分に着飾っているからです。

あまくだりこしにひくさのべに、とは要するに、新たな段階に進んだ人間が得た、本当の自分の美しさという意味ですよ。

自分が弱くて小さくてみっともないと思い込んでいる人は、とにかく着飾りたがりますが、もうひとが見ればそれは苦しいものに見える。

服や化粧やアクセサリーを凝って、自分をきれいにすればするほど、自分が痛いものになってくる。そんなものがなければよく見えないほど、自分が痛いものなのかと。

もうぼちぼち、化粧などもやめていきましょう。本当は、男の人は、化粧にも苦い思いを抱いているのです。ほんとはあまりきれいに見えない。口紅くらいならなんとかなるが。

かのじょは口紅すらもめったにつけませんでしたね。なりは女性でも中身は男性ですから、できなかったのですが。それでも美しかった。自分というものをつかんでいて、人間のために愛を尽くそうとしていたからです。化粧をする暇などない。

形ばかり真似するより、心の方をまねしてほしいものです。






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