愛しなどしない おまへはわたしの ものなのだ たましひなどは 与えてやらぬ
*破調というべきですね。頭が八文字だ。だが軽いので、これでなんとなくかたに収まっている感もあります。
これはある人形作家の人形に送った歌です。人形作りというのは、かなりきつい工芸だ。どれもみな夢のように美しく作る。すばらしくきれいな衣服を着せるか、何も着せないで、そそるような白い肢体を見せる。
瞳は虚ろで、唇は決して笑わない。
そういうのが多い。
実にこれは、自己愛の表現なのです。人形作家というものは、繰り返し、自分を作っているのですよ。
それは美しく、完璧な美貌の自分を作るのです。こういう美貌の少年少女になりたい。それで浮気などし放題の、奔放な人格を与える。
逆らいたくても、美しさゆえに逆らえない。そのような、暴虐的な美貌が欲しい。
そういう痛い自己愛の表現が、人形というものなのだ。だからどんなに美しくとも、邪臭がするのです。
だから人形作家というものは、人形に魂を与えません。それは自分だからです。魂など持ってもらっては困るのだ。そんなものがあれば、自分にできなくなる。全くの他者になってしまう。
自分より美しい存在がほかにできてしまう。それはまずい。
だから人形は、永遠に空っぽでなければならない。
果たしてそれは幸福なのか。
美しいだけの、魔ではないか。幻の方がまだましだ。
作り手が飽きれば、人形は簡単に打ち捨てられてしまうだろう。人間の形をしたものが、どこかに打ち捨てられている。ごみのように汚れ崩れていく。
それは悲惨などというものではない。
自己愛が作ったゴミなど、誰も見たくはない。