ムジカの写真帳

世界はキラキラおもちゃ箱・写真館
写真に俳句や短歌を添えてつづります。

夏蝉

2019-08-31 04:41:13 | 短歌





夏蝉の みむみむせむと 騒ぎては 人の心を さそひもぞする





*これは大火の作です。それにしてはおとなしい感じがしますね。毎日ツイッターで馬鹿女のお説教をやっているのですが、何度言っても馬鹿女が天使の真似をやめようとしないので、本人ももう嫌になってきていると見えます。

それがこの歌の、ちょっとしたやる気のなさにも出ているような気がする。

ちょっとは自分というものをやればいいものを、馬鹿というのは人まねで自分をきれいにするだけで、何もやらないのだ。それを夏の蝉が見む見むせむと執拗に騒いで、ちょっとは自分のことをしろと、うるさく言っている。

心はそういうところだが、何か本人もやる気が少し失せて、表題のようなちょっとおとなしい作になったようです。

本来の彼なら、もっときつく歌うのではないかな。例えばこんな風に。


夏蝉の みむみむせむと 騒ぎては なにせぬひとを そしりもぞする


どうでしょうか。ほんの少しやる気を出せば、こうきついことを言うこともできるのに、それをしなかったのは、本人もお説教をするのがいやになってきているからでしょう。

しかし、誰かが言ってくれなければ、馬鹿女の行動の抑止力にならない。何度でも何度でも言い聞かせなければ、人というのは変わらない。

馬鹿女がわかるまで、言い続けなければならない。それが教育者というものです。

大火にはきついことでしょうが、これからも毎日、言ってもらいましょう。





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人のうれひ

2019-08-30 04:37:48 | 短歌





われのみの さきをいはひて うつそみの 人のうれひを 知らずただよふ





*「さき」は「幸」、もちろん幸せのことですね。「いはふ」は「祝ふ」、幸福を祈るとか、祝福するとかいう意味になります。

自分だけの幸福を祈って、人様の憂いなど知らずに、ただよっている人がいる。

この世には、人のものを盗んで自分の人生を作っているという人が多くいるのです。自分だけの徳分では、とても苦しい人生になってしまうので、人からいいものを盗んで自分にくっつけて、それで都合のいい人生を自分のためだけに作っている人がいる。

そういう人が、美人に化けていたり、表面上実に善い人に化けていたりするので、この世は痛い。

そういう人は、何も悪いことをせず、普通に生きていても、どこか罪のにおいがするものだ。なにかおかしい影がある。そういうことも、感覚の進歩した人間にはわかるでしょう。

ネットに人の写真など出ていたら、その人の姿に感覚を伸ばしてごらんなさい。時々、本霊の姿と、人生の環境が妙に違う人がいるはずです。本霊は貧しいのに、何か恵まれた環境に生まれている人がいる。そういう人は、人生を他人から盗んでいるのです。

金持ちの子女などに多いですよ。阿呆が、金持ちの家に生まれれば楽ができると踏んで、人からその人生を奪うのです。要するに、そこに生まれるはずだった霊魂をよそに飛ばして、自分が無理やりそこに生まれてくるのですよ。

あるんですよ。こういうことは。

そういう人は、そこで普通に生きているだけでも、罪になるのです。自分が幸福になるために、他人を犠牲にしているからです。

そんなことも知らずに、だらだらと生きている馬鹿がいる。この時代は、そういう馬鹿どもが、馬鹿になりきるのです。

そんなことばかりやってきて、とうとう人類を落ちるところまで来たからです。





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楽土

2019-08-28 04:46:48 | 短歌





花盗み かげをおほひて 隠すとも 人は心の 楽土を知らず





*毎日即興で詠んでいますから、出来不出来は仕方ありませんね。これは大火の作品ですが、彼も本調子ではない。あの、キレのいい彼の歌らしくないようなところがありますね。だが、今はこれでもいいでしょう。人生というのは調子がいいときばかりではない。こういう苦しいときも、乗り越えていかねばならない。

人の花を盗み、自分の影を覆って隠しても、人は本当の自分の心の天国を知らない。

要するに、人のものを盗んで自分をきれいにしている人は、それで本当の自分を覆い隠していいものになれたつもりでも、本当の自分が知っている本当の幸せの境地を知らないということです。

嘘で自分をごまかしている限り、嘘の自分を生きている限り、人間は、本当の人間の幸福にはたどり着けないのです。

では本当の幸福とは何か。それは自分が自分であることの悦びです。ありのままの自分ということばは陳腐だ。ありのままではない、真実の自分の姿とは、まさに永遠に成長していける動的な自分の真実なのです。

馬鹿な人間はそれを馬鹿にしている。人間の人間たる本当の悦びを馬鹿にして、自分以外の、自分よりいいと思える存在になろうと、馬鹿な努力ばかりしているのです。

天使が美しいからと言って、天使の真似ばかりしていると、馬鹿になるんですよ。何度も、これだけは言います。天使の表面だけを上手に真似して、自分を天使にするような真似はやめなさい。そんなことをしても、天国にはいけません。

天使の住んでいる天国とは、自分が自分であることの、本当の悦びなのです。それを知らない限り、人は絶対に幸福にはなれないのです。





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神の目

2019-08-26 04:41:24 | 短歌





神の目に うつるおのれの よごれきて とはのわかれの 声ぞきこゆる





*この時代、人間は神のことばを聞くことができるようになりました。いろいろな媒体を通してみる神の気配に、自分の感覚を澄ますと、神のおっしゃっていることがわかるようになったのです。

わたしたちも同じようにして、神と話をしています。神の心に響き、神のおっしゃりたいことをいろいろな形に表現している。その中でわかることは、神が繰り返し繰り返し、もうこの世界は変わるとおっしゃることなのです。

永遠の愛の時代がやってくる。この世界は愛の世界に変わると、神はおっしゃるのです。

そしてその過程で、人間は、次の時代に進めるものと、そうではないものを、分けられるとおっしゃるのです。

すべての人間がはかりにかけられる。そして次の永遠を判断される。もう何度も言っていることですね。だが何度も言うのは、それほど大変なことだからです。

一度言っただけではことの重大さは伝わらない。だからわたしたちは手を変え品を変え、何度も言うのです。

神はご決意されたと。人間も、それが全くわからないわけではありますまい。

こんな時代に、自分のことばかり考えて、人の美貌を盗むなどの汚いことをしていれば、終わりなのです。自分というものを、まっとうに生きている魂でない限り、次の時代へは進めないのです。

いつまでも世界は変わらないと信じ込んで、馬鹿なことをするのではありません。時代は変わらないようでいて、神の目の色はもう変わっているのです。





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うましき

2019-08-25 04:41:33 | 短歌





とこしへの まことのわれの うましきと おらぶおのれの うつくしきかな





*「うまし」は「美し」、立派だとか、すばらしい、という意味の言葉です。

永遠の本当の自分は実にすばらしいと、大声で叫ぶ自分の、なんと美しいことだ。

これは解脱した人間の叫びを詠った歌ですね。人間、解脱をすると、本当の自分がどんなにすばらしいものかということに気づくのです。それは自分で、自分をやっていくことのできるすばらしい機能体。何もかもがそろっている。手足がある、口がある、感性がある、心がある。意志がある。何もかもそろっている。そのすばらしいものが、実に、自分のものなのです。

神がそれをすべて創ってくださった。しかし神はそれを神のものにしないのだ。すべてを、その自己存在そのもののものにしてくださる。自由を下さる。それがまことのすばらしい愛なのです。

愛は愛ゆえに、すべての自由を許してくれるのです。

その愛のすばらしさに、解脱した人間は感動し、自分もまた愛ゆえに、すべてをやっていくと誓うのです。

それが永遠の幸福というものなのです。

自分というものの実相をつかみ、永遠にこの自分で自分をやっていく、愛によってあらゆることをやっていく、愛を実行していく。そのすばらしい幸福に目覚めたとき、人間の魂はすでに天国にいる。

天国とはどこかにある場所ではない。自分自身の本当の姿に気づいた人間の、美しい境地なのです。





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うらやましき

2019-08-23 04:36:29 | 短歌





人を見て うらやましきと いふ人は まことのわれの さいはひを見ず





*馬鹿というのは、かのじょの美貌がとにかくうらやましくてならないらしい。

確かに美しい人ではありますが、かのじょがなぜあのように美しいかというと、それだけのことをしてきた人だからなのです。

人類の救済のために、あらゆることをしてきた霊魂だからです。それはそれは厳しいことに耐えてきた。自分をかけて高い行動もしてきた。その積み重ねが、あの顔にあらわれている。

それを、馬鹿な人たちは、表面だけを見て、うらやましいと感じ、単純に真似をしているのです。

あれだけ美しくなれば、なんでも思い通りになると思っているかのようだ。

そんなことが幸せだと思っているのか。

かのじょは美しかったが、その美貌でわがままをふるって人を思い通りにしようなんてことはしませんでした。むしろ人に仕え、人の思いをかなえてあげようとしていた。それが美しいのです。馬鹿はなぜそこを見ないのか。美しくなりたいのなら、表面だけを真似するのではなく、生き方を分析して自分に取り入れるべきだ。

そうすれば、かのじょがなぜ人類のために人生をかけて救済をしたかが、わかってくる。なぜ、自分の幸せを馬鹿にしてまで、人のために生きようとしたのか。

かのじょは神を愛していた。神の願いは人類の救済だった。そのために生きることが、かのじょの幸福だったのです。ほんとうの自分は愛だから、愛のためにまっすぐに生きることが幸福なのです。

馬鹿にはそれがわからない。ただ、表面だけを見て、うらやましいと感じ、単純に真似をして、嘘で簡単な幸福を得ようとして、自分の馬鹿をさらすのです。





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夢にさまよふ

2019-08-21 04:36:35 | 短歌





蟷螂の おのれを捨てて みつかひの 夢にさまよふ あやかしの群れ





*「蟷螂の」は「斧」にひっかけて、「おのれ」を呼ぶ枕詞として使ってみた例です。わたしたちの活動の最も大きなテーマは「自分自身」ということなので、こういう枕詞もできてしまったわけですが、使い勝手がよいので、つい使ってしまいます。

蟷螂の斧の「おの」ではないが、大切なおのれというものを捨ててまで、天使になりたいという夢にさまよう、妖怪の群れであることよ。

妖怪というのはきついかもしれませんが、実に自分を嫌がって天使になりたいと天使の真似ばかりしている女は、妖怪のようなものです。自分を信じず、自分を嫌がる馬鹿女は、自分が痛くてたまらず、ひとのものを盗んで自分をきれいにつくる。それによって人が苦しむことなど考えもしない。

自分が嫌だという病にひたりこんでいる魂はいつも、いわゆる負のスパイラルの中にいて、霊魂が迷いの中でぐるぐる回っています。自分が嫌だ。嫌だから人のものを盗んで自分を作る、そんな汚いことをしている自分がいやだ。いやだから人のものを盗んで自分を作る。そんな汚いことをしている自分がいやだ…とね、自分を信じない馬鹿女(男もですが)は、常にこの回転地獄の中にいるのです。

その苦しさのあまり、人が憎くなり、人を馬鹿にする。それは絶対に愛ではありませんから、本当の自分がどんどん醜くなる。それがつらくて、また人のものを盗む。またそんな自分が嫌になる。

この永遠の回転地獄を抜けるためには、もう本当の自分に戻るしかありません。

自分というものを嫌がっているから自分は苦しいのだと、病理を確かにつかみ、そこから自分で出てこなくてはなりません。

本当の自分の実相をつかみ、本当の自分にもどり、本当の自分を愛していくことができれば、人はその回転地獄から救われ、なにごとかをなしていく美しい自分自身として、この世界に生まれなおすことができるのです。

それがわたしたちの人類の救済事業の大きなテーマです。

天使は人間を本当の自分自身に導こうとしている。

その天使を盗んで、自分をきれいにすることが、どんなに馬鹿なことか、少しはわかってください。





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落ちて積りて

2019-08-20 04:42:19 | 短歌





くりかへし かたることのは ひらひらと 落ちて積りて 山となりぬる





*「ことのは」は「言の葉」、もちろん言葉のことですね。これになんで、「葉」という漢字が付くのかは不明ですが、もちろんここでは、葉っぱの葉ととらえて、葉が落ちて積もって山となるようにまで、繰り返し言ったという意味になります。

人間が天使の真似をしてはいけないと、それはもうわたしたちは口を酸っぱくどころか、火を吹くくらい何度も言っているからです。

ところが馬鹿というのは聞きはしない。わたしたちの言うことなどどこ吹く風と、平気で天使の髪型を真似する。それをやれば人間を落ちると言っても、全然やめてくれない。

言うほうも絶望的になり、もう好きなだけ落ちろとまで言いたくなる。

何度も何度も同じことを言うのは、それが本当に大変なことだからです。

天使の髪型を盗むだけで、人間は自分の徳分ががっさりと減って、人間を落ちてしまうのです。あまりに自分とは違うものになりすぎてしまい、自分の霊魂を大きく剋してしまい、自分の霊魂を壊してしまうのです。

ただ簡単に髪型を盗むというだけで、そんなことになってしまうのです。あまりに愚かなことなのです。

これはもう本当に何度も言います。もう天使の真似はやめなさい。ここでいう真似とは表面だけを簡単に真似することです。かのじょの髪型、表情、服、イメージ、そんなものを取り入れて自分にくっつけるだけで、天使の徳分を盗んだことになり、自分が大きく壊れてしまうのです。

そうしたらもう永遠に本当の自分には戻れなくなる。永遠に、人間ではないものになってしまう。

そうなったらもうおしまいなのです。ですからもうしつこくしつこくしつこく言うのです。

安易に天使の真似をしてはいけません。でないと、人間を落ちる人間がまた増える。

本当に、どうにかして、この馬鹿な流行を封じなければいけません。





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いつはりのきぬ

2019-08-19 04:49:53 | 短歌





いつはりの きぬをかづきて われよしと いふいつはりの かなしかりけれ





*相変わらずツイッターの歌を追いかけています。ツイッターでは今のところ、毎日4首ばかりを詠むようにしているのだが。

前の日から準備しているわけではなく、その日の大火のつぶやきの内容から、即興で詠むことにしています。まだ本調子ではないので、出来不出来はあるが、それでも少しずつスランプ状態から脱することができているようだ。

ここからどう発展していくかも、楽しみですね。

ところで、表題の歌は、こういう意味ですね。

虚偽の衣をかぶって、自分がよいという、そういう嘘ほど悲しいものはないなあ。

まあ言いたいことはわかるでしょう。今この時代、人から盗んだ美貌をかぶって美形になった人が、自分らしいのがいいなどということをよくほざいている。その自分が偽物なのに、自分らしいも何もあったものではないのだが。

今は「自分」が流行なので、馬鹿はそれをやっているにすぎません。本当の自分はもっと違うものだ。嘘ばかりついて自分をごまかしているのに、自分らしくていいなどということを言うと、馬鹿になりますよ。

本当の自分というのは、自分らしいのがいいなどという暇もないくらい自分をやっているものだ。自分らしいことは何かということを考えることなど必要ないくらい、自分であるものだ。

ただただ、自分とは自分をやる、というものなのです。本当の自分に目覚めれば、人は自分が愛であることを知る。どんなに奔放に活動しても、愛の庭から決して出られないことを知る。そして愛のためにすべてをやっていく。

それがどんなにすばらしい幸福かということさえ、馬鹿はわからないのだ。わからないままに、ただかっこつけだけで、自分らしいのがいいとか、自分を信じるとか、言っているのです。





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われのみの

2019-08-17 04:34:32 | 短歌





われのみの さいはひもとめ うつそみの 人の涙も 知らずゆく人





*「うつそみの」は「人」を呼ぶ枕詞ですね。一応抑えておきましょう。勉強というのは何度やってもいいものです。この場合、枕詞は特に訳しません。

自分だけの幸せばかりもとめて、そのために陰で泣いている人の涙も、知らずゆく人がいる。

これは一応大火の作品です。そうとは思えないでしょう。実に、もっときつい感じで詠みたかったのだが、最近ツイッターでは古語で格調高く詠むのが続いているので、少し遠慮したらこうなったそうです。でもほんとは、こういう風に詠みたかったそうですよ。


自分だけ きれいになって 自分だけ 愛してほしい ブスのわがまま


こういう風に詠むと、また際限なく大火節が発生してしまうので、無理にでもやめて、表題のように詠んだらしいです。

まあ、意は変わりません。偽物の美人というのはとにかく自分をきれいに演出します。それはしっかり、自分だけの幸せを求める心です。ほかに美人がいたら、そういう人は絶対その美人にいやなことをする。自分だけきれいになって、自分だけいい目をみたいという、それは馬鹿女のわがままなのです。

ですが本当の美人というのは、神の心に従い、みなの幸せを考えるものです。自分だけ美しければいいということは考えない。それは神の心を悲しませることですから。本当の美人はみなを美しくしてあげたいと考える。そしてそのために活動をする。そういうことができる人だからこそ、神の心が流れてきて、たとえようもなく美しくなるのです。

本当の美人はみなの幸せを考える。偽物は自分だけの幸せを考える。

偽物は自分を美人にするために、美貌を人から盗みます。盗まれた人はとてもつらい人生を送っている。そんな人の涙さえ知ろうとしない。人よりなにより、自分がいいことになるのがいいのです。

そんな人が美しいわけがない。美貌を盗んで自分を美人にしていても、どこか気色が悪い。

もう人間も、外見だけの美女にはだまされません。目が違うからです。行動が違うからです。そろそろそれをわかって、偽物は美人をやめるべきですね。





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