ムジカの写真帳

世界はキラキラおもちゃ箱・写真館
写真に俳句や短歌を添えてつづります。

えらさうに

2022-06-30 08:08:14 | 短歌





えらさうに いひてかへるを くりかへし いらぬ苦労を するあほうかな




*実は今、質問回答コミュニティに参加しているのですが、そこでおもしろい人に出会いました。

他人様に対して、実に偉そうにものをいう人なのです。それはもう世界で一番自分が賢くて、他はみんな馬鹿だというような感じでものをいうのです。
それでどうもとても苦労をしているらしい。それは当たり前だ。偉そうにものを言えば、人の反発を食らって、実につらいことが起こる。どうもそういう簡単なことさえ勉強していないようなのだ。

本当に賢い人なら、人にはすんなりと頭を下げて、丁寧にものをいうものだが、その人は他人はみんな馬鹿だというように乱暴で高飛車なものの言い方をするのです。

これはかわいそうだと思い、苦労をするのは偉そうにものをいうからですよと、忠告してあげようと思いましたが、やめました。どうせまた反発して、偉そうに返されるだけだと思ったからです。

自分が世界で一番賢いと思っている人ほど、かわいそうな人はない。そんなに賢いなら自分でなんとかしろと、つらいときでも、だれもいいことを教えてくれませんから。

そういう人を正しい人の道に導くには、よほど愛が必要ですね。反発されることも馬鹿にされることも覚悟で言わなければならない。傷つけられるのを覚悟して忠告してくれる人が、近くにいればいいのですが、いないのでしょう。その人はネットで孤独な自分の憂さを晴らすように、ずっと人を馬鹿にしてばかりいる。

彼の未来が見えるようだが、通りすがりのわたしには何も言えない。ただ、どこかで神の導きがあるようにと、祈るしかありません。






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あやまちの民

2022-06-23 08:41:09 | 短歌





われならぬ われをてらひて あかつきの 世をさまよへる あやまちの民




*週に一回はこれを書くよう、自分を戒めているので、やりましょう。相変わらず馬鹿の妨害を受けていて、言葉は浮かんで来ないのですが。

これは過去作からとってきました。このところ不調の中にも不調で、歌が全く詠めないので、新作は滞っているのです。毎日詠もうと頭をひねってみはするのですがね、表現力の翼をもがれているかのように、思考が全く前に進まない。なんとかひねり出しても、うまく決まらなくて、発表を控えるような歌くずばかりになってしまいます。

つらいですね。ここを何とか乗り切りたいものだが。

とにかく、表題の作の解説にいきましょう。自分ではない自分を衒って、この人類の新しい段階が始まる暁の世に、心さまよっている、誤った人たちがいる。テレビなどを見ていると、よくそういう人たちを見かけます。嘘で作った自分をこれでもかときれいに演出して、いい人間に見せかけている。でも目つきや表情から、痛々しい苦しみがしみだしている。

彼らも、こんな自分は嘘なのだと気づいているのだ。陰でやっていることがあまりに馬鹿だからだ。それに人間は解脱の段階を見て、次々と目覚め始めている。目覚めた人々の美しさを見て、過った人たちは焦りを感じている。だが、嘘で作った自分を捨てることも難しい。

嘘で作った幻の幸福が、今はまだ黄金の城のように大事なものに思えるのです。嘘で作った自分ではない自分が、天使のようにきれいに見えるのです。それは馬鹿みたいなものなのだが、迷っている人々にはとてもそうは思えないのだ。

その嘘の自分を作るために、陰で自分がどんな嫌なことをしているか、まったく知らないわけではない。そんな汚い自分が苦しくて、魂が矛盾の痛みに悲鳴を上げている。それをごまかすために、一層嘘にはまり込む。嘘がなければ自分には何もないと思い込んでいる。

何度も言っていることですが、馬鹿ですね。そんな嘘などまるっきり捨ててしまえば、新しい本当の自分と出会えるのに。それは何もかもをやってゆける、すばらしい自分自身なのに。

馬鹿な人たちは、嘘の中に浸りこんで、永遠にその中をぐるぐると回っているかのようです。いつまで経っても出てこない。




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かげりなく

2022-06-17 07:46:22 | 短歌





かげりなく 愛ですべてを やってゆく 今の自分が たまらなくいい




*馬鹿の妨害はいまだに続いていて、なかなか歌を詠むことができません。一応このブログ、週にいっぺんはやりたいと思っているのですが、なかなか思うとおりにならない。何かを書こうと思っても、頭の中の思考をがんじがらめに縛られていて、何も思い浮かばないのです。

それでも何とかしようと思えば、何とかなるものだ。何も思い浮かびませんが、何かを書こうと思い通りにならぬ思考をいじくっていると、それなりの言葉が出てくるものです。

表題の歌は、つい昨日、大火が詠んでくれたものです。こういうスランプの時は、古語を使って気取って詠むのではなく、現代語でひょうひょうと気軽に詠むのが効きますね。言いたいことは明白で、解説なども不要なくらい、明るい一筋です。

解脱して本当の自分に目覚めると、人間は愛でみんなのために何でもやっていきたくなる。自分の心に元からそういう仕掛けがあったかのように、愛だけですべてをやりたくなる。その美しさが感動的で、たまらなく良い。

その幸福を浴びるとき、無明の時代にこだわっていたものを振り返れば、なんと愚かなことをしていたのかと思うのです。何もわかっていなかった。人間の真実の幸福を何も知らず、嘘とガラクタを寄せ集めて作った幻の幸福に酔いしれていた。

自分だけの幸福を追い求めて、すべてを馬鹿にしていたころの自分が、まるで自分ではないもののように思える。あの頃の自分は自分が大嫌いで、ほかのもっといい自分になろうと、いやらしいあがきばかりしていた。それがすべての苦しみの元だったのだと、今ならはっきりとわかる。

すべての幸福は、自分が本当の自分に気づくことから始まるのだ。神が創ってくださった自分の、本当の姿を知ることから始まるのだ。

すばらしい自分自身。その真実を知れば、全身に美と幸福がみなぎり、愛のためにこの自分を使って、すべてをやっていこうと思うのです。

その自分がたまらなくいい。恐ろしいほど幸福だ。

いまだに無明に迷っている人たちに、この真実を教えてやりたい。






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自由の翼

2022-06-09 08:27:53 | 短歌





なにもかも 捨てておのれに かへりゆく 人は見いだす 自由の翼




*相変わらず歌がうまく詠めません。これなどもここに来るまで苦労しました。何回も推敲してようやくたどり着いたという感じです。スランプはつらいですね。でも何とかがんばっていきましょう。

何もかもを捨てて本当の自分に帰ってゆく人は、自分に自由の翼があることを見いだす。これはその通りです。人間は今嘘にまみれた暮らしをしていますが、その嘘にまみれた自分の一切を捨てて、本当の自分に目覚めれば、自分に恐ろしく美しい自由があることに気づくのです。

自分はこの自分を使い、なんでもすることができる。愛の空を、自由に飛ぶことができる。愛のために、美しいことをなんでもやっていきたいと考えている、美しい自分がいる。自分とはそういうものだったのだ。神はそういう風に自分を創ってくださっていたのだ。そういう真実がいっぺんにわかって、そのあまりのすばらしさに泣きたいほど感動するのです。

そこから振り返れば、あれほど大事だと思っていた嘘の幸福など、まるで馬鹿なものに思える。あんなものにこだわっていたのかと思うと、昔の自分が自分ではないようにさえ思える。

本当の自分とは、まことにすばらしいものなのです。

そこに行きつくためには、嘘の自分をすべて捨てねばなりません。蝶がさなぎの皮を脱ぐように、自分を丸ごと捨てねばなりません。それができて初めて、美しい自分の自由の翼が見つかる。

蝶という生き物は、魂の進化の道筋を表す神の隠喩です。神は蝶という生き物を創って、遠い遠い昔から、人間にメッセージを送り続けていたのです。おまえたちもいつか、この生き物のように、魂に自由の翼が生えてくるのだと。

なんと美しい愛なのか。神はわたしたちのために、すばらしいことをなんでもしてくださる。

だから自由の翼の生えた人間は、神が創ってくださった自分を使って、愛のために何でもしていきたいと思うのです。




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幻の城

2022-06-03 08:17:22 | 短歌





重ねこし 罪の重さを はかりても まだ捨てがたき 幻の城




*まだ本調子ではありませんが、ぼちぼち歌を詠んでいます。以前のように毎日あふれるように出てくるというわけにはいかない。一つ一つ言葉を吟味しながら、心の形にはりつけていくという感じです。

スランプはつらいですね。問題なのは、馬鹿がこの妨害活動を一生続けるつもりらしいということだ。ということは元の状態に戻ることはとても難しい。この状況の中で、にじるような努力を重ねながら、何とか歌をひねり出していくより仕方ないかもしれません。

表題の歌はつい昨日詠んだものです。積み重ねてきた罪の重さをはかっても、それで作った幻の城を捨てることが難しい。人間はこの世で成功を得るために、つい悪いことをしたり嘘をついたりしてしまうものですが、それで時にあまりに大きな幻の城を作ってしまう。それは名声であったり財産であったり権力であったりするんですがね、怖いのは、嘘で作ったものは、嘘がばれてしまったらすべてがだめになるということだ。

だからその嘘を守るためにあらゆるあがきをしてしまう。何もかもを失うのがつらすぎるからです。少しでも幻の城を長く持たせるために、またいやらしい嘘を重ねる。どんどん自分が馬鹿になってゆく。

そんな幻は、もうすっきりと捨ててしまったほうがよっぽどいいのですが、無明の闇に迷っている魂には、それがとても大事なものに見えるのです。それがなければ自分がないと思い込んでいる。

馬鹿者は、本当はまるで自分に自信がないのです。自分というものを信じていない。だからその小さな自分をごまかすために、あらゆるものを欲しがる。それを幻の城というのですが。

嘘をつき倒して作ってくた幻の城が、根底から揺らいできているのに、まだそれにこだわっている。つらいからだ。自分がつらいからだ。その自分の病気を治せば、すべてはうまくいくのですが、馬鹿者はどうしてもそっちに行かない。

そっちに行けば、今までの自分を全部否定しなければならないからです。そこが馬鹿なのだが。

全てが崩れ果ててしまう前に、自ら幻を捨てて、本当の自分に帰ったほうが、よほど幸せなのですよ。




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