ムジカの写真帳

世界はキラキラおもちゃ箱・写真館
写真に俳句や短歌を添えてつづります。

嘘を恥とも

2023-03-29 08:23:00 | 短歌





あやかしの われならぬ身を てらひては 嘘を恥とも 思はざる人





*今週はあまり良いのが詠めませんでしたので、二年前の過去作からもってきました。こういうとき、積み重ねは役立ちますね。詠めるときにたくさん詠んでおいてよかったという感じです。

「あやかし」とは、亡霊や妖怪のことです。要するにこれは、まるで妖怪のような、自分ではない自分を衒いながら、嘘をついていることを恥ずかしいとも思わない人がいる、ということですね。

嘆かわしいことだが、今の世間には嘘をかぶって自分を偽っている人がたくさんいる。自分ではない、ほかのもっといいものになりたくて、人様のよいものを盗み、自分にくっつけて、何か別のいいものになれたつもりで、それを世間に見せびらかしているような、愚かな噓つきが、たくさんいるのです。

今の時代は、そういう愚か者ばかりが、社会の目立つところを占領していて、とてもつらいことになっている。本当の自分をまじめに生きている人は、よいものを盗まれて、陰におしやられ、とてもつらい人生を歩んでいる。

愚か者は、自分だけをよいことにするために、そういうまじめな人を犠牲にして生きている。そんな恥ずかしいことをしていながら、それで自分を責めることもしない。嘘で作った自分の幸せを、涼しい顔で人に見せつけて、世間を自慢げに歩いている。その様はまるで、人間ではないようだ。人間なら苦しいと思うようなことを平気で飛び越えて、自分だけの幸せに酔うている。

こんなご時世ですから、まじめに生きるということが、どんなに難しいことであるかがわかります。神の道に従い、愛に生きることが、とてもつらいことになっている。

ですがわたしたちは、どんなに難しくとも、正しい道を歩いていきます。本当の自分を、最後までまじめに生きとおし、愛のために自分を投げて働きたい。

そういう美しい生き方を貫くことが、どんな清らかな幸せであるか、嘘をついている人は、最後まで知ることができないでしょう。








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ぼろ負け

2023-03-22 08:02:17 | 短歌




馬鹿者は 神にたてつき 悪いこと ばかりしてきて ついにぼろ負け




*おわかりでしょうが、これは大火の作です。今週はわたしもいくつかおもしろいのを詠んでいるのですがね、大火のこの鮮やかな技に恐れをなして、ひっこめました。「ぼろ負け」なんて言葉、わたしには使えない。しかし大火は自在だ。使いにくい言葉も使って、言いたいことを言いぬく。

今、WBCの決勝戦が始まったところです。二刀流のスター選手が出ていて、それは盛り上がっている。でもわたしたちは、冷めた目で見つめています。国を代表している選手の中には、本物の人間はほとんどいない。みな、馬鹿が総出で偽りあげている、偽物の人間なのです。

とくにあの二刀流の選手には注目すべきですね。あまりにひどい嘘だからです。他人の徳分を盗みまくって、人間を超えたような選手になっている。それがあさましいなどというものではない。不正な霊的技術を駆使して、人並み優れた美貌と運動神経を偽り、完璧に近い好青年の性格を演じて、それはすごいスーパースターになっている。

あれの正体は、実に小さくて醜い男なのですよ。自分の勉強などほとんどしていない。神に逆らい、人間を馬鹿にして、いやなことばかりしてきた。そんな自分の心が表に現れると、こういう形になるのかという姿なのです。それが、他人の顔や姿を盗んで、実に感じのいい美丈夫になっている。

今は栄光の絶頂にいますがね、しかし目は矛盾に揺れている。本霊はとっくにあの人生から逃げたのです。なぜって、愛が何もないからです。すべては嘘だからです。悪いことばかりして、超越的に幸福な自分の人生を作ったつもりだったのに、実際それを生きてみれば、苦しいなどというものではなかった。

馬鹿者は、神に逆らって馬鹿なことばかりしてきたが、とうとうわかった。愛がなければ、人生には何もないのだと。

栄耀栄華と、名声と金と、馬鹿が思い描けるすばらしい幸福を、ふんだんに盛り込んだ、黄金の人生なのに、霊魂が苦しがって逃げる。結局馬鹿のすることは、大きな壁にぶつかり、ついには何にもなくなるのだ。

神に逆らい、悪の繁栄を信じて、すべてをやってきた結果、馬鹿は愛が一筋もない人生に絶望して、人生から逃げた。

あとに残された極上の人生は、馬鹿の霊たちが集団でやる、空っぽの馬鹿芝居になる。

ぼろ負けというのはこういうことだ。神にたてついて悪いことばかりしてきて、結局はすべてのことに何の責任もとらずに、鼠のように逃げる。馬鹿はそんな格好の悪い馬鹿にしかなれなかった。

悪というものは結局、エゴに敗れた、弱くて小さなものの、愚かなわがままにすぎないのです。






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うすびかり

2023-03-15 07:26:05 | 短歌





うすびかり する白玉を 魚は飲み 真の色に わたつみを染む




*今日は美しいのをあげましょう。これは6年前にわたしが詠んだものです。ツイログで過去のツイートを探っていた時に見つけたのですがね、このころは絶好調で、いくつもいいのが詠めていました。これもそのころの傑作と言えましょうか。

ファンタジックな映像がうかびあがり、解説するのが無粋なような気がしますが、やってみましょう。うすびかりする白玉とは、かのじょが詠った救いの白飴のことです。救いの白飴とは、ただただ愛のみで、人類に本当の自分自身を教えた、かのじょの甘い救いのことだ。

その白玉を飲んだ魚は、自分自身に目覚め、海を真の色に染めてゆく。今は、嘘ばかりが繁栄して、偽物の人間が幅を利かせている世の中だけれども、いずれ人間はみんな、本当の自分に目覚め、世界を美しく変えていくだろうと、そういう歌です。

テレビなどを見ていると、本当の自分を嫌がり、偽物の美貌をかぶって、悲しいくらい着飾った嘘の人間が、たくさん踊っていたりするのですがね、いずれああいうのもすたれてゆく。無知無明の時代に、人間が迷い込んでいたきらびやかな幻として、捨てられてゆく。もう人間はみんな、本当の自分に目覚めてゆくのです。

本当の自分に目覚めたら、人は自分が愛そのものであることに気づく。人間は、自分を愛によってやってゆき、この世をすばらしい愛の世界に変えてゆくのです。ファンタジーではない。それはもう現実に起こり始めている。

うすびかりする白玉、救いの白飴を飲んだ魚が、今海の中でたくさん繁殖しているからです。それはもうすばらしい勢いで、人間が本当の自分に、目覚め始めているからです。






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金と女を

2023-03-08 08:29:56 | 短歌





結局は 金と女を 食い漁る ために仏に 化けた狸か




*見たらわかるでしょうが、これは大火の作です。今週はわたしもいくつか詠んでいるのですがね、これがあまりにもみごとなので、とりあげました。

先ごろ亡くなったある宗教家に寄せたものですがね、きついですね。さすが大火というべきか。痛いところをついています。

噂では、その宗教家は釈尊の生まれ変わりと称していたらしいが、その生き方はあまりほめられたものではありませんでした。宗教団体を立てて、金もうけをして、都内の一等地に大邸宅を建てて、豪奢に暮らしていたらしい。

釈尊はそんなことをしませんよ。一生貧乏暮らしをして、みんなのためによいことばかりをしていた人ですから。そんな美しい人なら、生まれ変わってきても、自分は釈尊だなどと名乗って、派手に宣伝したりなどしない。

わたしたちは、あれは大きな嘘だと断じています。はっきり言えば、詐欺ですね。釈尊の名を自利のために利用し、大いに辱めている。

どんな活動をしていたのかは、あまりよく知りませんが、霊能力と称して、いろんな有名人の死者とも話をしていたらしい。有名人というのが、きついところだ。底辺の人間の卑しい心が求めるものを感じさせる。

宗教団体というものが、全部嫌なものだとは言いませんが、あれは眉唾したほうがいいものだと思いますね。あまり近寄らないほうがいい。

本当の聖者なら、自分のための邸宅など建てませんよ。妻を捨てて若い女に乗り換えたりしない。

人を救うために人生をかけているのなら、もっと美しい生き方をするべきと思うが、どうでしょう。




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樹倒れて

2023-03-01 09:09:41 | その他





樹倒れて あっけらかんと 空があく    夢詩香




*今週はいくつか歌が詠めたので、そのうちのひとつをあげようと思ったのですが、今朝いつもの神社にお参りしていた時、境内のクスノキがみんな無残に伐られていたので、少しショックを受けて、こんなのを詠みました。

立派なクスノキでした。わたしたちが神の前にお祈りしていると、いつも温かい視線をなげてくれていた。いつもわたしたちを見ていてくれた。その木が倒されてなくなると、大きく空があいて見える。いつもきれいなこずえを見上げていたところに、あっけらかんと空が開いている。

なんで伐ってしまったのだろう。美しい木だったのに。さみしさが胸ににじんできて、今心が沈んでいます。

いつまでもあそこに立ってくれているものと思っていた。人の知らないところで、みんなのためにとてもよいことをしていたのに。人間はそんなことを何も知らないから、人間の都合で簡単に木を伐ってしまうのだ。

神社の境内で、いつも温かい魂の香りを発していた、あの木がもういない。人々は、何を失ったのかも気づかない。

木は、ただ立っているだけではないのです。美しい魂を有し、いつもみんなのためにすばらしいことをしている。その魂が消えていなくなれば、とても寒いことになる。

しばらく、あの神社に行くたびに、苦しい思いをしそうです。






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