あめつちの かひにあれにし ちよろづの 花のうれひは 去らずとも咲く
*「かひ」は「峡」、山と山の間のせまいところを表わします。ようするに、「あめつちのかひ」というのは天と地の間という意味ですね。
前にかのじょが、天と地を、二枚の貝にたとえていたのにならっています。旧ブログでやっていたものか、記憶があいまいなのですが、どこかで、月を、天と地の二枚の貝ではぐくまれた真珠のようだ、などと言っていた覚えがある。
そういう風に考えると、実に月が美しいものだと思えますね。
ですからこの「かひ」には「貝」もあります。
天と地の二枚の貝のような間に、あらわれてきた、千万というほどたくさんの花々は、悲しみが去らなくても、咲くのだ。
生きるということは、悲しみを抜きにして考えることはできません。自分の思い通りになることなど、ほとんどない。常に何かを受け入れる苦しさに耐えていなければならない。
心から愛していても、その心が伝わることは、たぶんほとんどない。愛してもかえってきはしない、長い年月を、さみしさや悲しみに染めながらも、人は生きざるを得ない。なぜなのか。なぜこんなにもつらいのに、生きたいと思うのか。
それは何かが、どこかにあることを、知っているからだ。
愛しても伝わらなかった愛が、どこか不思議な世界で、もっと美しい形で再開するだろう、永遠の約束が、わたしの知らないところに書かれているからだ。
だから、花は、生きることが悲しくても、咲くのです。
咲いてくれるからこそ、この世界は美しくなる。生きることがうれしくなる。悲しみが去らないのはなぜなのか。それはおそらく、自分以外にこの自分はいないという悲しさに違いない。だがそれこそが幸福なのだと。
花はわかっているのです。