ぬばたまの からす黒きが よきと鳴き おのれのままに おほぞらを飛べ
*最近、ぼちぼちとではありますが、ツイッターの歌が再開していますので、ここではそれを追いかけています。
ツイッターの歌は、即興でやっています。原稿を準備してやっているわけではない。そのときそのときに思いついたことを、歌にしているので、作品によって出来不出来はあるわけですが、これはいいですね。
あっけらかんと真実を詠っている。アルタイルの作品ですが、いかにも彼らしい歌です。衒いもなくまっすぐに心を詠む。解説も不要なほどだが、一応やってみましょう。
この歌の前に、こういう歌がありました。
鶴ばねを さしておのれを 白くして われは鶴ぢゃと 鳴くからすかな
今の世の中、盗んできた顔をかぶって、偽物の自分を生きている人間がことのほか多いものですから、それを嘆いた歌です。嘘の人間は、真実というものをそれはもう上手にそっくりに真似ます。自分を偽って、ほかのだれかになるために、それはうまく芝居をするのですが。
それはもう、本物そっくりにすればするほど、悲しいほど正体が見えてくるものなのです。どんなに上手に鶴に化けても、からすはからす。からすの声で鳴く。
その歌を受けて、アルタイルが表題の歌を詠ったのです。
からすはからす。黒いのがいいのだと鳴いて、自分自身のままに、大空を飛びなさい。
本当の自分ほどよいものはない。自分を自分として認め、まるのままそれを背負って生きていく。それほど美しいことはない。
ぬばたまの からすかあかあ 神の声 鳴きてうたはむ われは黒きと
ちょっとまだ本調子ではありませんが、わたしも詠ってみました。自分を自分としてたたえる、からすのからす自身の声を聴いていると、それはまるで神の声のようだ。
その美しいからすの黒い翼を馬鹿にしてまで、鶴の羽を自分にさして鶴になろうとすることほど馬鹿なことはない。
そんなものはかなぐり捨てて、ほんとうの自分自身を取り、つばさをひろげ大空を飛びなさい。
本当の自分自身をやり、世界に自分を広げていきなさい。
それが自己存在の真実の幸福なのだと、彼は詠っているのです。